第6章 『12月』
薬品を持って月読郷へ帰ったシロとゴュジョが地球に戻ってきたのは、ひと月後だった。すなわち十二月の満月の夜である。
この日、本来なら防人ノ儀にあたり、月読山の頂上には、ものものしい装備に身を固めた月野町商店街の月神人たちが戦さに挑むべく殺気立っているばずであるが、今夜は趣が異なっていた。
先月の満月の夜、歴史的な〝事件〟が起きたことで事情は劇的に変化した。何百年に及ぶ戦いから、和解へ――その第一歩が踏み出されたのだ。コミュニケーションがまったく取れなかった相手と話し合いのテーブルにつく――。つい二ヶ月前までは、だれも想像だにしなかった事態である。
その立役者である鳥野勇樹は、コートのポケットに両手をつっこみ、まるでリーダーのように他の月神人たちよりも祠に近いところで、今か今かと月神獣の使者を待っていた。今夜、いい返答があるはずだと確信していた。
時刻は午後六時。師走の満月が東の山から顔を出して、天中へと上りはじめた頃である――。
集まった月神人たちは、先月の状況を受けて武装はしていなかったが、いつものようにかがり火を焚き、その灯りが、各自の顔を暖かく照らしていた。
そして、その瞬間を待っていたのは月神人だけではなかった。航聖、銀次郎の二人の少年も来ていた。月神人としての能力のない者は、防人ノ儀に参加するのはもちろん、月読山へ登ることすら許されない古くからの習慣だったが、今回は、シロが通訳として再びやって来るだろうと予想され、それならばシロとの信頼の厚い航聖と銀次郎を同席させてもよいだろうと、勇樹は前日の会合で皆の同意を求めたところ、あっさりと通った。ここに至ってなお慣わしにこだわるのもバカげていた。勇樹の今回の行動に、だれもが商店街の未来を託していたのである。
祠の上の空間が、いつものようにゆらぎだして、勇樹の後ろに控えるようにたたずんでいたギャラリーが雑談をやめた。
――来たか。
勇樹はほくそえんだ。来ないとは露とも疑っていなかった。
やがて空間の揺らぎを破って、二つの影が相次いで飛び出してきた。月の色に似た青白き獣――月神獣である。
「シロ!」
航聖と銀次郎が同時に叫んだ。月神獣の個体識別は、人間にはまったくつきかねたが、二人は迷わなかった。
『ただいま!』
まぎれもなくシロだった。
もう一方は――。
『ゴュジョも来てくれたよ』
シロに抱きつき、じゃれあう航聖と銀次郎。
「どうだった?」
と勇樹は訊いた。
結果が知りたかった。この一ヶ月というもの、そればかり気にしていた。シロたちに託した以上、いくら気をもんだところでどうにもならないのだが、それがわかっていても心が落ち着かない性分の勇樹だった。
間違いなく物質の合成に成功したとの自信はあったが、結果がどう出るのかは、月読郷をこの目で見てきたとはいえ、まだまだ未知の部分が大半であるがため、予期せぬファクターによって失敗に終わるかもしれないと、気が気でなかった。
航聖たちに撫で回されているシロが勇樹を見た。赤い双眸がまっすぐに。
『うん。上手くいったって、長老が言ってたよ』
「おお、そうか!」
思わずガッツポーズが出た。これで月神獣と月神人が戦う理由がなくなった。何百年にも及んだ不毛な戦いに、ついに終止符が打たれたのである。まさしく歴史的瞬間だった。
駒として動かされていた月神獣と月神人は、〈創造主〉に勝利したのである。
勇樹は、集まっていた月神人たちを振り返った。興奮ぎみに戦いの終了を、大げさに宣言するように伝えた。
だが、月神人たち――商店街の人々の反応は鈍かった。
実感がわかないのだろうと思っていると、自治会長が勇樹の前へゆっくりと進み出た。
「おめでとう、鳥野さん。ようやってくれました」
自治会長は一同を振り返り、
「この偉大な功績に拍手を贈りましょう」
それでやっと皆が反応した。
勇樹は一礼して、それに応えた。
拍手がやむと、しかし自治会長は言った。
「だけど鳥野さん、我々の目的は、あくまで町興しです。月神獣をどうそれに一役買わせるか、みんな期待してますよ」
「あ……はい……」
そうなのだ。浮かれてばかりもいられないのだ。選挙に当選して、万歳を叫ぶ候補者と同じだ。仕事はこれからなのである。
月神獣との停戦は、たしかに意義のあることではあり、本来もっと歓迎されるべきものだろう。けれども、毎回多数の怪我人や死者がでて月神獣におびやかされているわけでもなく、命懸けとはいえ無敗の月神人側にとっては、停戦それ自体のメリットは、万歳するほど大きいわけではなかった。もちろん、遠い未来には、戦士として〈創造主〉に召し抱えられるという運命が待っているとはいえ、さしあたっての脅威というわけではないと認識していた。
それよりも、もっと近い将来の生活が懸念されていた。町興しの成否が今の最大の関心事だった。このままだとあと五十年――孫の世代までもたないかもしれないという現実が、ひしひしと感じられて。
みんなの期待という大きな荷を背負わされた勇樹は、しかし、道半ばとはいうものの、誰もが不可能だと考えもしなかった月神獣との停戦合意をなしえたのが自信となって、町興しだろうがなんだろうが、多少困難だと思えるようなことでもなんとかなりそうな気がしていた。
上気した頬が熱く、湯気が立つのがかがり火に見えそうだった。
その晩、自治会集会所に場所を移し、シロとゴュジョから詳しい報告を聞いた。いならぶ自治会員である月神人たちの前で、シロはゴュジョの説明を人語に通訳した。
それによると、あの月神獣発生装置は勇樹が合成した物質で正常に作動し、新たな月神獣を産み出したという。それらはまったく健常で、なんら不具はなかった。成功である。まだ成体にはなっていないが、問題はなさそうだった。元老院のなかには、まだまだ成功だと判断するのは早い、成体になるまで待てという慎重な意見もあったが、長老以下ほとんどが了承した。
「わかった。これからもあの物質は提供する」
と勇樹は約束した。これで〈創造主〉による物質の供給がとまっても月神獣が根絶やしになることはない。
『長老がよろこんでいたよ』
シロは言った。
また長老と会って話すことになるだろうな、と勇樹は考え、近いうちに家族みんなで月読郷へ行くのもいいかもしれないと思いついたが、あまりになにもなく退屈な場所だからやめほうがいいなとその案を保留した。
それで――、とシロは、ゴュジョの言葉を通訳して言った。
『我々は月神人になにをしたらいいのかって』
勇樹は大きくうなずいた。月神獣は誠実だった。防人ノ儀で戦う異形の怪物というイメージからまったく変わってしまった。これまで彼らと戦い――というより虐殺してその肉を食らっていたのかと、茫然とする思いの月神人たちだった。
「そのことだが――」
と勇樹が発言する。すべてが勇樹を中心にして事が運ぼうとしていた。だれも口を挟まず、オブザーバーのように成り行きを見守っていた。自由に発言してもよいのだが、もはやそんな雰囲気ではなかった。
「ぜひやってほしいことがあるんだ。まだなにをしてもらうかは決めてないけど、あんまり難しいことは頼まないつもりだから安心してほしい」
シロが月神獣語に訳してゴュジョに伝えた。
『いつ決まるの?』
「次の満月の夜までに決めよう。そのとき、話せると思う」
「たったひと月で決められますか。年末年始をはさむのに」
さすがに今の勇樹の発言に、自治会長が懸念を示した。会長だけでなく、居合わせたなかからもざわめきが起こった。
「ちょっと急ぎすぎるんでは?」
勇樹は自治会長を振り返り、
「もちろんじっくりやるつもりです。ひとつきごとに進捗を伝え、月神獣側の意見も聞こうと思ってます。なにをするか決まるまで早くとも一ヶ月はかかるとみてます」
ここからが本当の町興しだ。これまでより多くの人の協力が必要になるだろう。当然ながら、勇樹ひとりが動いていたときより難しくなる。それぞれの思惑がぶつかるときもあろう。
だが、ここで立ち止まるわけにはいかないのだ。前へ進まなければ、商店街は滅びてしまう――そんな危機感が勇樹を動かしていた。
その夜は、遅くまで自治会の月神人と、月神獣の使者であるシロとゴュジョは語り合った。
見知らぬ世界である月読郷と、今そこで起きつつあることは、月神人にとっては刺激的な話だった。長年戦ってきたにもかかわらず、その相手についてあまりに無知であった分、興味深かった。
勇樹も月読郷で見聞きしてきたことを話していたが、いかんせん一度見てきただけということもあって情報量が少なかった。勇樹も初めて知ることが多かった。
そのため話がつきることもなく、朝刊を配るバイクの音が聞こえるころになって、ようやく解散となった。
シロとゴュジョは、その日は航聖の部屋で休んだ。ぐっすり眠っている航聖の布団の傍らで丸くなって。夜が明けると、航聖は学校へ行きたがらなかった。
けれども『夜までいるから』とシロに言われて、しぶしぶランドセルを背負った。
夜更かしのため、朝九時ごろ目を覚ました勇樹が居間に入ると、二頭の月神獣は、外へは出ないようにという勇樹の指示に従って、静かに待ってくれていた。
「おはよう」
と勇樹は、テレビ(朝の情報番組)を見ている月神獣に声をかけた。
シロが振り向き、
『おはよう』
と返した。
日常に溶け込んでいる絵がシュールだった。大きな犬が二頭いる、と思えばそう見えないこともなかったが。
「朝ごはんにしようか」
シロはキャベツが好物なのでそれをあげたが、ゴュジョはさすがに魔草でないと受け付けないだろう。
勇樹は店の薬箪笥から乾燥した魔草の束を取り出し居間に戻る。
「こんなものしかないけど」
ゴュジョはしかし、文句を言うこともなく平らげた。
朝食がすんで、勇樹は改めて二頭の月神獣に対した。
さて、と咳払いし、改まった口調で勇樹は話し出した。
「ゴュジョたちの念願であった〈創造主〉からの解放と、それにともなって、数百年にわたって続けられてきた月神人との戦いも終結したわけであるが――」
シロが一瞬でゴュジョに同時通訳する。あいかわらず、ギャとかギョとか短い音を発しているだけで、あれで正しく伝わっているのだろうかと思うほど。月神獣語の辞書を編もうとしても、ちょっとできそうにない。
できれば日本語を解する長老に同席願えればベストなのだが、なにか理由があるのだろう。地球へ来ようとはしない。
「その状態を続けていくために、お互いにやることを決めようってわけだ。月神人側は、月神獣の発生に必要な物質の提供を行う。その代わり、月神獣側は、我々の提案に協力してもらう」
勇樹は考えていたプランを提示した。それが可能かどうか、月神獣の能力を聞いた。
話はひと月前に戻る。
十一月の防人ノ儀で、合成した薬品をシロとゴュジョに託してから結果が判明するまでの一ヶ月の間、勇樹は店を直美にまかせ、月野町と同様の山あいの町や村で、過去に町興し・村興しを企画し、実施した自治体ならびに町内会の調査にでたのである。時間がもったいなかった。薬品の合成は成功したし、きっと長老も納得するだろうと信じての行動だった。
ネットで検索し、比較的近い場所に実際に出かけ、担当者に話を聞くのである。事前に様々な事柄を想定していても、いざ実行しようとすると、思ってもみなかった事態に直面するのではないかとの危惧があるためで、なにせなにから手をつけていいのか、未経験故、わからないところだらけだった。
町興し事業を軌道にのせ成功させるためには、出たとこ勝負ではいけない。任された以上、そこはきちんとやっていきたかった。そのためには成功の美談より苦労話や失敗談のほうが参考になるのではないかと、直接話を聞くことにしたのだった。成功した話は新聞やネットで見つけることもできようが、人間、自分の失敗を世間にさらすような行為はしないものだからである。
アポイントをとりつけ、勇樹はいくつかの地域をまわってみた。
そのなかのひとつ、岩桜町の青年団の団長に会い、話を聞くことができた。「町」といっても合併でいくつかの村がひとつになっただけの、山の里の一地区だった。
地区の公民館で会った岩桜町青年団の団長は、青年と呼ぶには老け過ぎた四十歳ぐらいの男だった。後継者がいなくてね、と会議机をはさんで座った団長は苦笑した。
「うちも町興しを企画して、なんとか町を盛り上げようとしたんですがね」
そう言って過去を振り返る団長の声音は、過疎に悩みながらも、どこか途方に暮れたような諦観じみた響きを含んでいた。
「どういう企画だったんですか?」
勇樹はメモを取り出して、訊いた。
「うちの町には、とくに観光名所も名産品もないんで、ま、だからこそ町興しをしようってことになったんですけどね。企画会議でアイデアを出し合って、なかでもなんとかできそうだな、というのが、「都会の人に農業体験をしてもらおう」という企画だったんです」
「ほお、なるほど」
勇樹はメモ帳にペンを走らせる。
「町内のほとんどが農家だから、おカネもかからないし、これならいけるだろうと思ってやったんですけど……」
「うまくいかなかったんですか?」
団長はうなずいた。
「いま思うと、それはそう簡単じゃなかったんですよ。まずホームページを作って宣伝したんですが、まったく効果がなかった。予算がなかったんでホームページ制作を制作会社に依頼せず、ちょっとパソコンに詳しい人に作ってもらったんですが、どうもそれがよくなかったんですかね、アクセス数がぜんぜんのびなかったんです。たまに体験したいという人が現れても、うまくいかない」
「どうしてですか?」
「農業を体験してもらおうと言っても、相手は素人だし、こっちもどこから教えていいものか……。体験用の施設でなく普通の田畑でしてもらうほうがいいと思ったんですが、教えるほうが上手く教えられない。せっかく体験にきてもらっても、相手を怒らせてケンカになってしまったり……。ほら、こっちもただの素人だから、どうやっていいかわからなくて。そのうち、『うちは協力しないよ。忙しいから』とかなんとか。収穫とか、たしかに忙しい時期もあるんですがね……」
青年団だけが一生懸命にやっても、町の人が協力的でないとどうにもならない。そのうち、企画は自然消滅しましたよ、と団長は語った。
団長は、町内で、実際に農業体験が行われた農家へ連れて行ってくれた。たしかに普通の農家だった。これといってなにか惹きつけられるものはなかった。青年団団長の姿を見て、あいさつする農家の主人らしき男がいた。
勇樹が農業体験の話をしだすと、大きくかぶりを振り、
「あれはだめだね。都会の人は畑の歩き方すら知らない。そこから教えていったら体験どころじゃないわい」
というようなことを言った。わざわざ遠くからやってきた客を歓迎するといった雰囲気はまるでなかった。
勇樹は岩桜町を後にした。
また、松森村という山村にも出かけた。
役場がきちんと予算を立てて、記念館を建設したというものだった。
勤務中であるにもかかわらず親切に対応してくれた役場の若い職員は言った。
「ずっと前で、そのときは、私はまだ職員ではなかったのですが。聞いた話によると、村興しをしようと企画して、予算を計上したんですが、うまくいかなかったです」
滝野照良という歌手をご存じですか、と訊いてきた。
勇樹は訊いたことがなかった。
「松森村出身の演歌歌手なんですよ。テレビにはあまり出ませんが、全国あちこちでコンサートを開いて歌っているんです。我が村のスターです」
それは、いわゆる「どさ回り」というのではないか。知名度の低い歌手を盛り上げて人気歌手にしようという気持ちは理解でき、それを村興しに使うというのは一見有効な気もするが、この職員の口ぶりからして、なぜだめだったのかと勇樹は内心首を傾げた。
「滝野さんを大いに応援しようと、後援会を中心に村興しにできないかということになりましてね。村としても予算を計上して、取り組んだわけですよ。それで生家を一千万円かけて記念館に改装したんです。いろんなものを展示して、開館式は、それはそれは盛大におこなわれました。しかし、「村興し」というには、正直、今のところまだそこまでは、という感じですね……」
ご案内しましょう、と役場の職員は言ってくれた。
生家を改装したというその記念館は役場からかなり遠かった。何件かが集まる集落の一軒だったが、そこまでの道路に案内看板すら出ておらず、クルマでしか来られないこんな場所では、うっかり通り過ぎてしまいそうだった。
着いた記念館も、農家の一軒家そのもので、内部は改装してあるものの、それとはわかりにくかった。数台分の小さな駐車場に他にクルマはなく、そこへ停めると、勇樹は職員に連れられて入場料千円を払った。記念館に詰めているのは、滝野照良の母親だった。
滝野照良の歌がエンドレスで流れている館内は、平日ということもあってか客は皆無だった。暖房がやや効いて暖かく、土足で入った館内には、多くの展示物が並べられており、職員が丁寧に説明してくれた。演歌歌手・滝野照良が幼少のころに使っていたものがいくつもガラスケースに入れられて大事そうに展示されていたが、どこか寂しげだった。
勇樹はなんの興味もそそられず、記念館を後にした。興味のない人以外は来ないだろうと強烈に思った。
別れ際、職員は、「これではいけないと思ってはいるんですが、どうしたらいいものか……」と本音を漏らした。記念館の改装費さえ回収出来ない有様で、村はこれ以上の負担増には耐えられないと。村の財政をかえって悪くしてしまっていた。
勇樹は精力的に取材を試みた。
桐江村という県内北部の、冬は大雪に見舞われる村へ出かけた。
この季節、すでに山頂は冠雪し、ふもとの村にもときおり雪が積もった。
この桐江村には、古くからの神事がおこなわれており、これを村興しにするべく企画された。高齢者が多くなってきて、祭りそのものの存続も危ぶまれていた。それを継続する意味もふくまれていた。
村の役場を訪れ、その話をすると、役場の壮年の男性職員は困ったような顔つきになった。
「あの話は、ここではだれも触れたがらないんですよ」
「どうしてですか?」
「ま、こちらへどうぞ」
職員は、空いている会議室に通してくれた。
実は事故が起こりまして、と職員は声をひそめた。
そのことは勇樹も事前に調べて知っていた。職員は詳しく話してくれた。
神事は地味だった。神社の前で、えらばれた一人の男が一晩ずっと眠らずに座るというものだったのだ。
それには、こんな故事があった。昔、村に飢饉があった。夏の大雨のため、川が氾濫し、田畑の作物が全滅した。そのとき、一人の男が神社の神に文句を言いに行った。毎年毎年五穀豊穣を祈願して奉納をしているのに、なぜこのような天災を与え給うと。男が一晩中神社の前に座り込みをした翌日、洪水で流れたはずの田畑の作物が元に戻っていたという。それが、毎年梅雨の明けた暑い日に、神社にひとりの男が座り込む、という神事となって引き継がれていた。
そんな見栄えのしない神事では村興しにならない。もっと派手にして大々的にPRしようと若い者が意見を出し合った。ところが、発言力を持つ高齢者たちが猛反対した。それは神事をバカにしている、と。しかしこのままでは村が滅びると若者グループは主張。
対立はつづき、若者グループが独自に神事を企画した。それは、エピソードを変えて、神と戦ったことにしようとなった。櫓を立て、集団で神と戦争したことにした。
ところが、事故が起きた。
人数が足らず、少人数で櫓を建てている最中に崩れ、一人が死亡してしまったのだ。村の全員の協力を得られなかったための悲劇だった。それでその企画も倒れ、村興しは幻に終わった。ベクトルを同じにせず、青年団だけが動いていては成功しない。
そのほか、勇樹はいくつかの失敗事例を実際に聞いてきた。経緯を俯瞰すれば、たしかにこれではだめだろうと、失敗するべくして失敗したというものばかりだったが、町興し・村興しを実行した人々は大真面目で成功を信じていたのである。自分が彼らと違うと果たして言い切れるだろうかと思いつつ、月野町で失敗しないための問題点を詰めていこうと、勇樹は強く思うのだった。
まず、プランを練る前に、前提を先に考えておかなくてはならないだろう。
最初、月野町商店街だけの企画として自治会からスタートしたが、町興しはそんなものでは成功しないだろうと考えを改めた。自治会の予算だけやろうとするのは危険だ。町のバックアップが必要だ。どうせなら、月野町全体でとりかかるほうが、大規模にできる。要は、町の外からお客を呼んでこなければならないのだから、わざわざ遠くから客が来やすいコンテンツを提供しないとリピーターになってくれない。できれば毎回来てくれるような仕組みにすべきなのだ。そこまでするには、自治会ではなく自治体でおこなうのがいいだろう。
町役場から予算を獲得するには、プレゼンテーションを実施しなければならない。それも効果的なものを。祭りのハイライトとしてふさわしい現象を演出して役場の職員を納得させて、予算をひねり出すのである。
どんなイリュージョンをするか、どんなものなら可能か、というのを考え、昨夜、ゴュジョからも月神獣の性質を聞き出して参考にした。そして、やはり、満月の夜、いつも防人ノ儀がおこなわれるときに実行したほうがいいだろうと判断した。
となると、防人ノ儀は、これまでとずい分様相が変わることになる。「祭り」にするのである。もはや戦いとしての防人ノ儀はおこなわれない。だからその代わりに形式的なものが必要となってくる。とはいえ、ただの神事では迫力がない。ここはゴュジョたちの力が必要になるだろう。
だが問題がある。
月神獣をオープンにはできない。あくまで伝説上の存在としなければ、あとあと面倒なことにもなる。そこをどうクリアするのか……。
そこで月神獣ができそうなことを相談しようというわけだった。
勇樹のシナリオはこうだ。
深夜――満月の日。月読山の頂上でかがり火をたき、商店街の面々が古来の武者姿で祠を囲む。すると、大きな影が祠から現れ、それに向けて月神人たちが槍をなげつける。月神獣のはっきりとした姿は人間には見えない。
そういうことはできる?
シロに通訳してもらい、ゴュジョの返事を待った。
『我々の能力と、月神人の能力を合わせ、月神獣が他からでは見えないようにできるんじゃないかって』
「つまり、どうなるんだ?」
『月やかがり火で明るくなっていて、その光源による影を作るための装置をこしらえて祠の手前におき、その向こう側で月神獣が祠を抜けようとすれば空間がゆらめき、影が動くよ。それならだれに見られることもないのでは?』
「それで大丈夫か? きみたちの姿が見られたりしないかい?」
『影を作る装置をなんとか作ってくれれば、その向こう側の祠の空間をゆがめても影しか見えない』
勇樹は、ううむ、とうなった。
「わかった。それでやってみよう」
勇樹はスケッチブックを開け、鉛筆で図を書き始めた。それをシロとゴュジョに見せ、修正しながらプランをまとめていった。半日をかけて、案をなんとかまとまると、それを持ってその夜、自治会集会所で説明した。
師走のこの時期にもかかわらず、自治会のテンションは上がっていた。昨日の興奮がまだ冷めやらないで、勇樹は一気に実現に向けて動いていこうと考えた。
「数日中に作ってみましょう。力仕事ならシロやゴュジョもいます。彼らが月読郷に帰るのは、数日なら延期できます」
そう勇樹は訴えた。
それでみんなが動き出した。いよいよ、町興しのスタートである。
§
月野町商店街による町興しは、ようやく公認のプロジェクトとしてスタートした。
だが、勇樹があちこちで調べた結果、商店街だけで町興しを行うのは無理があると結論した。自治体(月野町)を巻き込んで、きちんとした組織でもってバックアップをしてもらわなければ、継続的な町興しにはつながらない。一度きりの打ち上げ花火では町興しとはいえない。その一度きりでさえも、商店街の自治会だけでは心もとない。そもそも、人を呼べるようなイベントをやるには、商店街自治会の年間予算だけではすぐに底をついてしまう。毎年、町にある各地区の自治会には町役場からの補助金が出されているが、それだけではとてもではないが足りない。
月野町商店街主導のもとで、自治体の力を十分に活用してこそ、真の町興しとなろう。
そのためには町役場への有用なプレゼンテーションが欠かせない。イベントを知ってもらい、それを盛り上げてもらう役を担ってもらうのだ。自治体を説得できるプレゼンテーションができてこそ、その先があるというものだ。そのために、勇樹は、自治会の人々と膝を突き合わせ、自身が温めていたプランを提示するのである。検討・変更・追加を重ねながら完成度を高めていく作業は、どこか文化祭の雰囲気に似ていた。
それがある程度固まると、月野町の町役場に話を持って行った。すると役場は意外にも大いに前向きで、早速、町興し室の設置を約束してくれた。予算からの補助金も検討すると言ってくれた。四月以降の予算の中の予備費から捻出できるだろう、と。
いま、村興し・町興しが日本全国のあちこちで行われている。過疎化や高齢化に危機感をもつ自治体は多く、月野町もなにかできることはないだろうかと思っていたところだったのだ。が、具体的な案がでないまま先送りになっていたところだったので、まさしく渡りに船だと、町役場も乗る気満々であったのだ。
「しかし、そんなお祭りがあったとはねぇ……全然、知りませんでしたよ」
広報課の課長は首をかしげるが、
「古くからの習慣で、祭りのことは秘密にしておくということでしたので」
と、勇樹は説明した。
とりあえず年明け三月にある次のお祭りを見学してみてください、と――。
その準備を、いま、進めているのである。
お祭りなんてでっちあげであり、まさしく、一世一代の大芝居である。
ここまで大がかりになると、簡単ではない。
勇樹は気を引き締めた。とにかく、人任せにしない――。
中心となる者がきちんと計画を立て、段取りを組み、人を動かしていかないと、空中分解する。町興しのプロなんかいない。みんな素人だ。だれかがやってくれるだろうなどと思っていては失敗する――あちこちで聞いた話が身にしみて勇樹はそれを教訓にしていた。多少無理をしてでも自分がやらないといけない、と――。
商店街の裏にある月読山の頂に組み上がっていく祭り用の舞台。それは、来月の満月早々に行われる祭りの予行練習のための「セット」である。理沙は、二階の自室の窓から見える、いつもと違う風景を不思議な感覚で見ていた。
年末である。
いつもの年と同じように、商店街主催の福引きやら大売り出しやらが開催されるなか、着々と「祭り」の準備が進んでいくのを、少しわくわくするような感覚で捉えていた。
たぶん、これまでだったら、大人のしていることだと、あまりすすんで首をつっこもうとはしなかっただろう。
期末試験が終わり、これからクリスマス・正月と、心躍るイベントがひかえているということもあって、あまり勉強勉強とがっつく気分が遠ざかっていた。それもあって、だから理沙は、今度ばかりは積極的に関わろうとしていた。京一郎を忘れようという心理もはたらいていたかもしれない。今ひとつ盛り上がらない学校生活への反動なのかも――理沙、本人は意識しなくとも……。
これまでしてこなかった家事や店の手伝いも、忙しくなった両親に代わってするようにもなったし、「祭り」に関してもできるだけ知ろうとした。大伊豆の協力も得られたことでもあるし。
なにより、このプロジェクトの大本締めが父親であるということが、理沙にとってはより関わりやすくなっていた。
その夜も、食事を終えたダイニングテーブルに紙を広げてペンを握って思案にふける父・勇樹に向かって、
「きょうは、なにをしているの?」
と聞く理沙。
「ネーミングさ。千年も昔から続く祭りなんだから、それらしい名前をつけてやらないとな」
「名前かあ……」
「たとえば、『防人ノ儀』というのはいいにしても、戦いの道具とか、舞いの名前とか、祭りの前に行う儀式とか、そこをもっともらしくしておかないと、威厳が生まれない」
理沙はA4のコピー用紙に書かれた祭りのスケジュールの暫定案をのぞきこむ。
満月を迎え、と最初に書いてある。祭壇の前で神事が執りおこなわれる。そのあとに四角い枠があり、どうやらそこへ名称を書き込むようである。
神事で使用する道具の名称、それから月読山へ選ばれた男児が登っていくこと――その名称。戦いの舞い、戦いの終わったあとの神事の名称……。
「細かいところまで決めるのね」
「こういうのは設定を細かくすることで、よりリアリティが増す。ここまでやると、これが創作なんかじゃなく、本当に太古から伝わる儀式のような気になってくるぞ」
勇樹は笑った。慣れない仕事を任されて忙しく、心労もかなりたまってきているだろうに――。
「じゃあ、わたしも考えていい?」
「ん? なにか考えられそう?」
「手伝いたいの」
大伊豆に相談してもいいかな、とも思う。
「それじゃ、これは理沙に任せよう。なるべく古風な感じなのを頼むな」
勇樹はそう言うと、今度は大型の封筒からべつの書類を取り出した。
それを広げ、思案しだした。ほかにも検討すべき案件が多くある様子である。
しかし、父と二人で遅くまでテーブルで静かにこうやって仕事をしている時間が、なんだか楽しいような気分の理沙だった。
忙しい勇樹に代わって、鳥野薬局の店番は、直美がつとめることが多くなった。それに伴い、家事を理沙がかってでた。
掃除に買い物、料理の下ごしらえ。中学生ともなれば、それぐらいはなんとかなる。
その日も、頼まれた買い物をするため農協の横の販売所へ行き、野菜を買い入れて商店街へと帰ってきたところだった。
新聞の販売所の前を通りかかったときだった。ここでは大手新聞の他、何種類かのスポーツ紙・地方紙も同時に取り扱っていた。小さな町ゆえ、いくつもの販売店を抱えられないから、どの社の新聞も取り扱うようになってしまわざるを得ないのだった。
その場所で、今日から商店街の福引きがおこなわれていた。紅白の幕の前に机が置かれ、回す抽選器と当たりが出たときに鳴らす金色のベル。これを見かけると、「ああ、師走なんだな」などと思ってしまう。今年の一等商品はママチャリ。
通り過ぎようとして、理沙はふと立ち止まった。大伊豆星司が福引きの係としてそこにいたのだ。
「あ、手伝いしてるんだ……」
「やあ、鳥野さん。そっちもかい?」
理沙の下げているエコバックから、葉っぱのついた大根が顔を出していた。今夜のメニューは鍋である。
「うん。みんな祭りのことで忙しいもん。わたしもがんばらないとね」
「祭りのこと……どうなるか、期待と不安で、楽しみだよ」
先日、大伊豆に話したことは、いまでは自治会を通じて商店街に広まり、商店街の中では公になっていた。だが祭りの詳細についてはまだまだ煮詰めている途中であり、そのため商店街へ来る客などの月神人とは無関係な人に対しては箝口令が敷かれていた。うっかりしゃべっては、月神獣の本当のことまで知られてしまうおそれがあった。聞かれたところで、異界の生き物とのガチの戦いなどだれも信じはしないだろうが、それでも慎重にことを進めたいという自治会の意向だった。
「祭りの手伝いもするの?」
「うん。櫓の組み立てとかもしたよ。一応、出来上がったようだけど、変更とか、直前には飾り付けもあるようだし、そうしたらまた手伝うことになると思う」
「たいへんだねぇ……」
「なんだか……これまでの里のずっと変化のない生活から、ここに来て急な動きに、正直戸惑っている大人たちもいるようだよ。特に、自治会を引退した元・月神人の年寄り連中のなかには眉をひそめる人もいるらしい」
「そうだろうね……」
田舎の集落だと保守的な考えが支配的で、何事も古よりの習慣が優先されると考える人が多いのは無理もない。たとえ滅びの道を進もうとも、それで良しという潔さは、だが、無責任だと理沙は思う。未来ある若者は承知しない。だから里を出て行く。でも、自分たちは出られないのだ。ここに居続けなければならない。
なら、現状維持がままならない制度を改革して、子孫のための道を造ってあげなければ……それが今の世代の責務のはず。
「鳥野さんのお父さんは、本当にすごいよ。こんな大改革をやってのけようとするんだから。今じゃ、月神人の代表みたいで、商店街の大人たちの見る目も変わってきてる」
理沙は感慨深げにふっと息をつく。
「娘のわたしでも、なんだか信じられない。ほんの三ヶ月前まで、こういうことになるなんて想像もしてなかったから」
「三ヶ月前といえば、鳥野さん、それどころじゃなかったもんね」
「思い出させないでよ」
理沙は苦笑した。
大失恋については、もうなんとか立ち直りかけていた。今の理沙にはいつまでも引きずってはいられない事情がある。
もちろん、京一郎の代わりに大伊豆というわけではないし、いくらなんでもタイプじゃない。そこは線を引いていた。無意識のうちに恋愛に慎重になっていたということもあるが。
「あの……すみません。抽選できますか?」
そのとき、一人の婦人が抽選券を持って現れた。
「はい、どうぞ」
大伊豆は笑顔で応じる。
「お仕事の邪魔だったわね。それじゃ」
理沙はその場を去る。
いろいろとあったけれども、なんだか、わくわくする充実感を今は感じている理沙だった。
冬休みが始まって、すぐにクリスマスである。一方で、正月の準備も着々とすすんで、いつも年末はあわただしい。
が、今年はそれに加えて、祭りの予行練習の準備も同時に進行していたため、より忙しかった。
シロとゴュジョも地球と月読郷を行ったり来たりで、せわしない。なんでも、祭りで仕掛けるイリュージョンの進行のために月読郷から確認しないといけないことがあるそうなのだが、理沙は詳しくは知らない。
「今年はクリスマスどころじゃないね……」
と、もらしたが、それでも自治会の子ども会はクリスマス会を催したりして、航聖なんかはちゃっかり参加していたりする。
「理沙~」
母親が店から呼んでいる。
「はーい」
リビングから店へと出ると、大伊豆が来ていた。
「なに?」
学校では、ほとんど会話をせず、話をするのはもっぱら帰宅後だった。へんに噂を立てられるのが嫌だったし、話題がどうしても町興しに関するものになってしまうために、理沙がそう申し出ていた。大伊豆も納得して、学校では以前のように親しげにしゃべりかけたりしないようにしていた。こうして理沙は平和な学園生活を手に入れることができていた。
冬休みの初日、いきなりなんの用だろうかと、理沙は首を傾げた。
「お互い忙しいからさ。冬休みの宿題を分担しあわないかと思って」
中学二年ともなると、さすがに宿題の量が半端ではない。忙しいなか、独りでこなすのもなかなか楽ではない。
「あら、いい考えじゃない。手伝ってもらったら?」
母・直美は明るく言う。母親にとってみれば、大伊豆星司はいつまでたっても、近所の男の子だった。幼い頃のイメージのままだ。
でも……と言いかけた理沙は口を閉じた。
「正月前に片付けちゃいなさいよ」
と言われ、もはや断れない。
大伊豆の提案は合理的だった。理沙は、とくに数学はいつも時間がかかってしまっていた。手分けしてやることの利は十分あった。けれどもいきなり訪ねてくるのは想定外だった。
「上がってもらって」
気安く言う直美。
「ちょっと待って!」
理沙はあわてた。さすがに部屋の散らかりようは、いくらなんでも、まずい。整理された大伊豆の部屋を見てしまったあとでは、よけい引け目を感じてしまうではないか。
「部屋を片付けてくるから」
「適当でいいよ、気にしないから」
「こっちが気にするんだよ! 五分ほど待って」
そう言い放って、急いで自室へと駆け上がっていった。
部屋に入ると、どこから手をつけていいのやらと俯瞰しつつ思い、目に付くところから始めようと、床に散らばる衣類から片付けだした。といっても時間がないから丁寧にはしていられず乱暴にクローゼットへ放り込む。雑誌や学校でもらったプリントに教材、キャンデーの袋やチョコの箱なんかもいちいち整理せず、いっしょに片づける――というより目につかないところへ移動させた。
五分といいつつ実際には十分ほどかけて、なんとか姑息に片づけて店へと降りてくると、大伊豆は、あろうことか、母・直美と談笑している。
「普段からきちんとしてないからよ」
という母親の愚痴を聞き流し、「用意できたから入って」という口調がちょっとぶっきらぼうになってしまった。
大伊豆を部屋に入れたことがあったろうかと、理沙は過去を振り返ろうとしたが、記憶がさだかでなかった。いっしょに遊んだ幼い記憶のなかに、大伊豆の影は薄かった。
急いで散らかっていたものを隠したが、まだ隠し忘れて、かつ、見られて恥ずかしいようなものはなかったかと、部屋に入るなりさっと視線を走らせた。
「どうしたの?」
大伊豆はまったく気にする様子はない。
「べつに。そこへすわって」
勉強用に小さな座卓を用意していた。友だちが訪ねてきたときなんかに使っているものである。霧山千景やカーチス真由美らと取り留めもないおしゃべりに夢中になっていたときとか……。
大伊豆は、宿題であるプリントの束とノートを座卓へ置いた。学校で使っているペンケースからシャーペンを取り出した。
「はじめよう。ぼくは数学の問題をやるから、鳥野さんは英語をやってくれる?」
「わかったわ」
数学をやってくれるのはありがたかった。
理沙は英語の辞書を片手に、まずは英単語の意味を調べ始める。その間、大伊豆は数学の問題に着手、無言で問題に取り組みだした。真面目にやっているので、理沙もなにも話さず、英単語調べを進めた。
英語の宿題は、英単語調べと、ほかに英訳があった。理沙はそこも取りかかる。
途中、直美がジュースとお菓子を持って上がってきたほかは会話らしい会話もなく、黙々と宿題にとりくむ。理沙が友だちと宿題をするときは、おしゃべりしながらだったから、だらだらと進まないのだが、今回はすごくペースがはやかった。
そういえばクリスマスか……。英語のChristmasという文字を問題に見て、理沙はふと思った。男の子と二人きり……というシチュエーションに今さら気づいたが、その男の子というのが京一郎ではなく大伊豆星司だということに、自分の運勢を思わずにはいられなかった。まさかこういうことになるとは……と数学の問題と格闘している大伊豆をチラと見る。
もっとロマンチックなシーンにあこがれていただけに、現実とはこうも理想とかけ離れるものかと自嘲した。
そのとき、大伊豆の携帯電話が鳴り出した。着メロではない、無粋なコール音というのが、いかにも大伊豆らしかった。
大伊豆は通話に出て、
「はい。……うん、わかった。夕方には戻るよ」
と短く会話したのち、電話を切った。
「なんなの?」
「祭りのなかで、元服の儀式をやるんだって。それに選ばれたのがぼくさ。それで、その衣装合わせをやるからって」
「へええ……」
理沙は感心した。
祭りは大袈裟にするとは聞いていた。なんと、三日間にわたっておこなわれるのだ。そのためのスケジュールも緻密で、やることが多い。
元服の儀式、というのもそのうちの一つの行事だった。
その年「月神人」になる男の子がひとり選ばれて、防人ノ儀に参加する男たちの先頭に立って「月神獣」と〝戦う〟のである。
そういう壮大な祭りをでっちあげたのも勇樹だった。陳腐な祭りでは町興しとして魅力が足りないと主張した。商店街の人々は、そこまでやるのか……と少したじろいだが、自治体の協力を引き出すにはそこまでしないといけない、との勇樹の意見が通った。数々の失敗を見聞きした勇樹の説明は理論的で、皆、うなずかざるを得なかった。中途半端なやり方では成功しないから、できるだけ大掛かりに、派手にする必要がある、と勇樹は諭した。
「今から?」
「いや、夕方。ほら、今夜、祭りの段取りを確認するじゃん。その直前」
祭りの戦いをどうやってするのかを、今夜検証するのだった。本番さながらにステージの上で動作をチェックしていく。派手にしたいが、危険なことはないかとか、年が明けた満月の日までに、一応の手順は固めておきたかった。
「鳥野さんも、見に行くでしょ?」
「えっ……そうね……」
そんな予定はまったくなかったけれども、ついうなずいてしまった。
「じゃ、もう少し、宿題がんばろう」
大伊豆はそう言って宿題に戻る。
どんな格好をさせられるのだろう、と少し興味を持ったことを自分でも意外に思い、いかんいかん、とかぶりをふると、理沙も宿題に集中することにした。
その夜――。
十二月ともなれば、寒さは身に染みる。
なにが悲しくてこんな時期に裏山へ登らなきゃいかんのだ、と思いつつも、理沙は他の人といっしょに登ってきていた。
防人ノ儀は、従来のガチでの月神獣の戦いをモチーフに、祭りの三日目、クライマックスを飾る儀式として派手に執りおこなわれる予定だった。
月読山の頂上の広場には仮設のステージが作られ、そこへ上がった商店街の月神人たちが月神獣と戦うというストーリーに沿って模擬戦闘を行うのが祭り大きな流れである。今日は、一月の満月の予行練習に向けて、祭りの手順を確認する。
祭りでは単なる戦闘だけではなく、元服を迎える少年が先頭に立つという設定も加えられていた。今年は大伊豆がそれに抜擢され、来年は、なんと航聖だというのだ。
大伊豆は、鎧兜をつけられていた。
それに付き従う他の「月神人」の大人たちも、古代の習わしにしたがって鎧兜を着用していた。実際の防人ノ儀でも使われていたので板についていたが、大伊豆だけがなんだか鎧に着られている感がすごくした。
「では星司くん、太鼓を叩くので、その音に合わせて、力強い足取りでステージへ上がってください」
ハンドスピーカーを持った勇樹が場を仕切っている。理沙はなんだか信じられない光景だった。ここまで来た以上は引き返せないという決意が、勇樹をここまで行動させていたのだった。
そのそばには、シロとゴュジョもいた。月神人側の動きをちゃんと把握するためだった。本番では、月読郷側からイリュージョンを展開する。地球側でなにが行われているのがわかると、イリュージョンがどう見えるのかの感覚をつかめ、仕掛けを施しやすいということだった。
そして、シロがいるということで、当然のように航聖も来ていた。来年の主役にも決まっていることであるし、見学するのも大事だという理由で。
和太鼓がリズミカルな音を響かせる。叩いているのも商店街の人だった。練習してきたようで、なかなかいい音が出ていた。
それに合わせ、大伊豆がステージへ続く階段を上っていく。
「はい、そこで舞を舞ってください」
大伊豆は月神獣との戦いの様子を表す舞を舞う。剣を抜き、大きな動作で振り回した。
「どうですかね……」
と、勇樹が相談しているのは、隣の山内時計店の主人である。
「時間はおよそ、二分……ぐらいで?」
「それぐらいでいいですかね……」
などと話し合っている。
勇樹一人ですべてを決めるわけではなく、祭りやそれに付帯するさまざま取り決めごとに商店街の人たちのだれかを担当させて意見を求めるようにしていた。そういう配慮をすることで、独善的だという意見を勇樹はかわしていた。抜かりがないというより、いらぬトラブルを避ける処世術なのかもしれなかった。
勇樹はハンドスピーカーで指示する。
「今のフレーズを三回、ゆっくりと繰り返してくれますか」
大伊豆はうなずき、指示されたとおりに動いた。まるでマスゲームを指示するかのよう。
ああでもない、こうでもない、と試行錯誤しながらも段取りは決まっていき、何度も動きを確認する。今やステージには、月神人の鎧姿の大人たちが槍をもって上がっていた。
「大伊豆くんを皆で取り囲んで――そうです。それから左回りに動いて、十歩ぐらい。それから反対回り――」
指示どおりに動いていく。まるで映画のエキストラ……。
その中心にいる大伊豆だけが、俳優のように目立っていて。鎧姿もだんだんサマになってきたから不思議である。剣を振るい、見えない敵と戦う……。
「では、大伊豆くん。掛け声を叫んでください!」
と勇樹が言うと、
「槍を放てぇ!」
大伊豆が剣を掲げて、声変わりして少し低くなった声で叫ぶと、ステージに上がっていた大人たちがいっせいに槍を放った。槍は祠の方向へと飛んでいった。
そのとき理沙は、大伊豆が少し凛々しく見えたが、そんなことで心が傾くわけがないと、直後に全力でその気持ちを否定した。
その夜は遅くまで練習が繰り返された。今年もあと五日と押し迫ってきていた。