第4章 『月読郷』
地球よりは大きな月が天を飾っていた。
月読郷――そう人間が呼ぶ世界……。
シロはおよそ二ヶ月ぶりに故郷に帰ってきた。
冷たい月の光の下、シロは周囲を見回す。
森の木々を切って開いた小学校の校庭ほどの広場には、高さ十メートルほどの石造りの塔が建っていた。文字のようなものが表面にきざまれていたが、シロには意味がわからない。
地球との間の通路を開くために機能する存在で、もう何百年も前からある。〈門〉と呼ばれていた。どんな原理で通路が開くのかもシロは知らず、おそらくそれを知っているのは長老だけだろう。
だれもいなかった。静かで、地球のように虫の音はしない。満天の星空と月がぎらぎらと目を刺すように輝く。
シロは歩き出した。
広場から一本道が出ていた。舗装されてはおらず、草を刈り取って地面が現れているだけの細い道である。
シロの歩く道の両側の木々が風に吹かれてざわざわと揺れる。地球の月よりも強い光でシロの影法師がくっきりと地面に落ちて、歩みを追いかける。
数分、歩いた。
やがて、森が開けた。遠くには低い山の影が連なっていたが、そこまでは延々と広がる大地は平らで。
そして目の前には大きな町があった。石を重ねて作った小さな家が何百と並ぶ町が、夜空の下で静かに眠っていた。
シロの生まれた町である。家は縦横にきれいに整列しており、家と家の間が道路になっていた。家々に明かりはなく、家の間の道路にも外灯ひとつなかった。
死んだように静謐な町にシロは入っていく。通りを歩く者はだれもおらず、動く者はシロだけである。もちろん、家の中には月神獣が眠っていて、この町が見棄てられたゴーストタウンというわけではない。家の数は数百とあるから、月神獣も数百といるはずだ。だが、それだけの数がいるのにもかかわらず、通りにだれもいないのは逆に異様だった。
ひたひたと足音をたてて、シロは歩く。
大きな道路を進んだ。
町の中央を貫く幹線道路だ。都のメインストリートといった感じで整備された広い道路の突き当たりに、巨大な建造物がまるで城塞のように威圧感たっぷりにそびえたっていた。周囲の家がすべて小さいので、余計にその巨大さが際立った。
これこそ、この月読郷の月神獣を統べる中心部――長老や元老員の居住施設だった。
シロがそこへたどり着く頃には、空の端が明るくなり始めていた。まもなく月読郷の夜明けである。遠い山の輪郭が浮かびあがろうとしている。
太陽が昇る前に城塞の入り口へと至った。見上げるほどの建物に取り付けれられた両開きの大きな戸は閉まっているが、その足元に門番がいた。
シロと同じ狼に似た体に一本の角、そして背中には一対の翼。
シロよりも大柄な体躯の身じろぎ一つしないその月神獣は、四肢を折ってうずくまっていたが、頭は起こしていて周囲に視線をそそいでいた。
シロが二ヶ月ぶりに会う同胞である。
シロが近づいていくと、門番はもそもそと立ち上がった。
「なに用であるか?」
と言った。それは地球で聞くどのような言語ともちがう、独特の響きを持った月神獣の言葉だった。
「ぼくはピェルゥです」
久しぶりに口にする月神獣の言葉で、シロは名乗った。生まれたときにつけられた月神獣の名である。シロ、という名を地球ではつけられたが、ここでは元々の名を通した。
「長老に話したいことがあるんです」
用件があることを正直に述べた。
門番は背中の立派な羽根を、伸びをするかのように大きく広げると再び折りたたむ。
「よろしい。入るがよい」
門番はあっさりと大きな戸を開けてくれた。まるでシロの到着を予定していたかのような態度だった。用件の内容すら問いたださない。
シロは城塞の内へと入っていった。
内部は暗い。窓がないため昼間でも暗いだろう。たとえ暗くても、シロには周囲が見えていた。月神獣は夜目がきいた。
しかしロウソクが通路のところどころで灯されており、石で作られた壁や床を、ロウソクの小さな炎が薄暗く浮かび上がらせていた。
ロウソクの火は、シロが通路を進んでいくと、その先で灯り、通り過ぎると同時に消えた。まるでロウソク自身が意思を持つかのようだった。
同時にそれが、長老の元へと導く案内をしていた。
やがて、一つの部屋の前まで来た。
「待っていたぞ」
と、声がした。野太くよく通る声が石の壁に反響する。
広い部屋だった。ロウソクの火がいくつも灯され、廊下よりも明るい部屋は簡素で、家具も装飾の類も、こまごまとした生活用品もなにもない、待合室のような部屋だった。
そこに、何頭かの月神獣がいた。
部屋の入口より入ってきたシロをまっすぐに見つめる。長老と、元老員の構成員たちであった。
そのうちの一頭が前に進み出た。大きな体は艶こそ失っていたが、全体から発する威厳のような雰囲気が、周囲の空気を緊張させるような圧倒的な存在感を示していた。
「ピェルゥよ。用件を聞こう」
「長老……」
シロはかしこまった。
「簡単に会えるとは思っていなかったです」
正直に言った。門前払いされてしまうかもしれないとも覚悟していた。
「そなたが地球へ行ったことは、わかっておった……。だからこうして面会を許可したのだ」
長老はシロへと歩み寄る。
「なにを見てきた……。そして、なにを望む?」
シロは腰を下ろした。前足だけで上体を支え、
「人間との戦いをやめましょう」
単刀直入に言った。
長老はしばし黙った。それからおもむろに口を開いた。
「なぜかな?」
「人間も平和を望んでいるからです。ぼくたちはなんのために戦っているんですか? それがわからないです」
シロは語った。この二ヶ月の間に地球で経験したことを……。航聖と銀次郎との触れ合いが如何に楽しかったか――。どれだけ二人がシロを大事に思ってくれていたかということを――。
長老は我慢強く聞いていたが、シロが話し終えると諭すようにゆっくりとした口調で言うのだった。
「よいか、ピェルゥよ……そなたは本当の人間の姿を知らぬのだ。人間の本心を知れば、戦いを続けざるを得ないことがわかるだろう。そして、我々は戦い続けなければならないのだ。それが我々の存在理由でもあるのだ」
「でも……。戦えば地球で死んでいくばかりです」
「それでも我々は人間と戦うのだ。それが先祖から受け継がれた我々の生き方なのだ。それを変えることはできん」
「なぜですか?」
「我々には戦いが必要だからだ。地球へ行く者は、我々を守るために戦い、死んでいくのだ。彼らの尊い犠牲の上に、我々の存在は保たれている。彼らの魂に感謝するのだ」
長老は目を細めた。なにか言いたそうなシロに対し、対話を打ち切った。
「どうやらピェルゥにはしばらく考える時間が必要なようだ……」
すると、部屋にいた元老員の構成員がシロを両側から拘束した。
「待って。考えなおして」
そう訴えるシロだったが、部屋の外へ連れ出されてしまった。
廊下を進み、ある場所まで連れて来られた。
「ここへ入るがよい」
有無を言わさぬ口調で、シロを連れてきた月神獣が言う。
牢だった。
シロをなかへ入れると、扉が閉ざされた。内側からは開かない仕掛けになっていた。
「ああ……」
とシロは嘆いた。
このまま外へ放り出すのではなく、牢へ閉じこめたのは、シロの考えを危険なものとして広められるのを恐れてのことだろう。
壁の高いところにある小さな明かり取り窓の外はすっかり明るくなっていたが、牢のなかは薄暗かった。
歩き回る広さもない牢でシロはうずくまり、困り果てた。閉じこめられてしまってはどうすることもできない。明かり取りの窓へ飛び上がろうとしたが、魔力がはたらかず、かなわなかった。おそらく魔力が無効化される術が施されているのだろう。
シロは落胆した。勇樹の期待に応えることができなかったという思いがつのった。
航聖や銀次郎とすごした楽しかった日々が思い出された。もう二度と会うことはないかもしれなかった。
未来がないことを、シロは悲しんだ。
月読郷にいて、もしも人間との戦いの日が来たとしたら甘んじて地球に行って戦う――それが月神獣本来の生き方だから、シロの将来にそれが待っていたとしても、なんら悲観することもないのだが、シロはもう〈門〉の向こう側――地球を知ってしまった。それは他の月神獣の知らない世界である。新しい世界とのつながりを見てみたいという好奇心を持つことなく死んでいく仲間たちと、シロはもはや違うのだ。
その気持ちを、長老はわからない。
いくら訴えようとも、長老は変革をよしとしない。
「わかってくれるかと思ったんだけどなぁ……」
シロはつぶやく。
時間がただむなしくすぎていった。
シロは、悲観に暮れながらいつしか眠りについていた。ずっと眠っていなかった疲れのためだった。
目がさめたとき、牢には魔草が入れられていた。
扉には小さな窓があって、どうやらそこから入れたらしい。量は少なかったが、空腹だったシロはそれに食いついた。飢え死にさせる気はないと知って少しはホッとしたが、状況がよくなったわけではないから気分はすぐれない。
いつまでここにいさせられるのかも伝えられていなかった。そのうちにひと月がすぎてしまうと、また、戦いの日がやってくる。それまでの間に地球へ戻って来られなかったとしたら、勇樹はシロが失敗したと思うだろう。
勇樹をがっかりさせたくはなかったが、かといって、シロに今できることはなにもなかった。
航聖や銀次郎とすごした楽しい日々を、思い出せば思い出すほど、今のおかれた身との差が大きすぎて、余計に悲しくなった。
外が暗くなった。一日が暮れたのだ。それまで牢を出してくれそうな気配は全然なかった。
まさか一生ここへ閉じこめておくつもりなのでは、とシロは想像したが、そんなことにはならないだろうと否定した。根拠はなかったが、長老がそこまで激しく拒絶反応を示し続けることはないだろうと……。
だがいずれにせよ、考えにふけっているしかシロにはすることがなく、ただ時間がすぎていくのを呆然と見送っていくしかなかった。
光明はまったく見えない。
何日か過ぎてもシロの待遇に変化はなく、依然として牢に幽閉されていた。
牢に入れられてから何日たったのかわからなくなってきた。変化のない狭い牢のなかにいると、感覚が鈍ってくるのだ。
壁の上のほうにある明かり取りの窓があるから今が昼か夜かはわかったが、時間の経過を教えてくれるのは、それのみだった。朝が来て、そして夜が来た。
魔草がもらえるとき、閉じられた扉の向こうに気配があったが、話しかけてもすぐに立ち去ってしまった。呼びかけても応じてくれなかった。
十分でない量の魔草を食んで、また眠る……それの繰り返しだった。
ところがある日――。
出された魔草を口にしていると、明かり取りの窓の外に気配がした。
夜である。夜は、月神獣は動かない。たとえ眠らなくても。それが月神獣の習慣である。
「ピェルゥ……」
シロの名を呼ぶ声がした。
シロは顔を上げる。夜に月神獣が動くとなれば、なにか特別なことがあるに違いなかった。
「だれだい?」
「わたしは元老員のツャアピだ」
声の主が名乗った。
「今から出してやるから、待っていろ」
次の瞬間、体が軽くなったような気がした。試しに飛び上がってみると、窓まで達した。何度試みてもできなかったのに。
シロは驚いた。
そのまま窓の外へ出ると、一頭の月神獣がいた。
元老員のツャアピは言った。
「魔力低下の効力を一時的に無力化した」
元老員は、長老の補佐する役目である。数頭から構成され、長老の指示を実現するために動くのだ。シロをここへ閉じこめたのも、長老に命じられた元老員だ。
その元老員の構成員が、長老の意に反してシロを脱獄させた……。明らかな反逆行為である。
シロはどういうことかわからない。
「説明している暇はない。すぐにここから立ち去れ。そして森のなかでゴュジョという者に会え。そこで詳しく聞くといい」
「ゴュジョ……」
シロの知らない名前である。
「そうだ。――だれかに見つかるとまずい。早く行くのだ」
ツャアピは急かした。
シロはまだ状況が飲み込めていなかったが、「ありがとう」と言って、その場から走り出した。
何度か振り返りながら、森へと急いだ。
牢に閉じこめられてから、十日あまりがすぎていた。
夜の森はいっそう暗かった。
森に来たまではよかったが、シロはいまだひとりだった。
なんの手がかりもなく、昨夜の〈門〉の近くへ来ていた。
森でゴュジョに会えといわれても、森のどこにゴュジョがいるのかわからない。
しばしぽつねんと黙考する。
そのとき、草を踏みしめる音がして、シロは耳をピクリと動かす。
その方向を見た。
一頭の月神獣が森の木々の間から顔をのぞかせていた。
「ピェルゥか?」
シロはうなずいた。
「ゴュジョかい?」
おそるおそる訊ねた。長老の手の者であるかもしれなかった。緊張で、こわばる。
「そうだ……」
シロはホッとして歩み寄る。
だがゴュジョという月神獣はいったい何者なのか……。元老員であるツャアピとの関係は……? 聞き出したいことが山ほどある。
「とりあえず、来い」
ゴュジョはくるりと尻を向け、森の奥へと歩き出した。落ち着ける場所へ移動しようということなのだろうとシロは思い、質問しようとした口を閉じた。
しばらくゴュジョのあとについていく。
森のさらに奥へと分け入っていくと、やがて開けた場所にでた。しかし、それほど広いわけではなく、石造りの家が数軒あるだけの小さな広場だった。〈門〉の広場に比べるとずいぶんと狭い。
ここだ、とゴュジョが言った。
「ここで話そう」
立ち止まるゴュジョ。
すると、家の中から何頭もの月神獣が現れた。
「我々は、この世界を変えようと考えている者たちだ」
ゴュジョが紹介した。シロは居並ぶ月神獣を見る。
「つまり、きみの同志だ」
「同志……」
「地球でなにを見てきたのか、教えてくれないか」
「ボクの話を聞いてくれるんだね」
「もちろんだ。長老は世界を変えたがらない。だがそれでは我々に未来はない。いつまでも〈創造主〉に操られたままではいけないと我々は考える」
「〈創造主〉……」
シロは首をかしげた。ゴュジョは、この世の理を知っているような口ぶりだった。シロが地球へ行ったことも。
「月神人と出会ったのか?」
ゴュジョはいきなり話の核心に入ってきた。
「うん。話すよ。順番に」
シロは語った。ゴュジョだけではなく、その場にいる月神獣全員に聞こえるように――。
およそ二ヶ月前、〈門〉を通って地球に行ってからのことを。航聖、銀次郎の二人の少年たちとすごした時間……。そして、月神人・勇樹からの提案――。長老に話したのと同じことを。
黙って聞いていたゴュジョは、シロが話し終えるのを待ってから口を開いた。
「やはり地球へは行って、月神人に真実を伝えなければならないな……」
「真実?」
シロはオウム返しに聞いた。
「そうだ、〈創造主〉の目的だ。我々は、なぜ、なんのために存在しているのか、だ」
「〈創造主〉ってなんだい?」
「簡単に言えば我らの生みの親だ。我々がタマゴで産まれるのは知られているが、そのタマゴをなにが産むのか知っているか?」
ゴュジョの問いにシロはしばし考え、「知らない」とこたえた。
「巨大な機械だ。その機械を作り、この惑星へ置いたのが〈創造主〉だ。これは長老や元老院しか知らない」
「そうだっんだ……」
初めて知った自身の出生の秘密に、シロは素直に感心した。ただ、機械のイメージは思い浮かばない。
「ここで話すことは長老や元老院しか知らないことばかりだ」
「ツャアピが教えてくれたんだね」
「そうだ」
「ツャアピはどうしてボクを助けてくれたのか、話してくれなかった」
「長老や元老院は、今を変えようとはしないだろう。だからそれに反する考えを持つピェルゥを牢へ閉じ込めた。そんな考えを町で広められでもしたら、大変だと考えたからだ。しかし、元老院にも我々やピェルゥと同じ考えをもつ者がいた。それがツャアピだ。ツャアピは、自分がそんな考えを持っていることを長老や他の元老院に知られたくはなかった。知られてしまうと活動できないからだ。だから、ピェルゥに詳しく話している暇がなかったんだろう」
「そうだったんだ……」
シロは納得した。
「きみのことはツャアピから聞いた。だから牢から助けてくれるよう頼んだ。いろいろ手を回しているうちに時間を要してしまった。救助がおくれてすまなかった」
「助けてもらえたんだから、とても感謝しているよ」
シロは正直に言った。もしも助けてもらえなかったら、もっとあの牢のなかで暮らさなければならなかったし、勇樹の頼みをきいてあげられなかっただろう。
「でも、どうして長老は、人間との戦いがやめられないんだろう?」
「それは、〈創造主〉の意向に反するからだ。〈創造主〉はなぜ、我々を生みだしたのか――。その目的は、人間と戦わす、ということだ」
「え?」
シロは意外な展開に驚く。
いよいよ話が佳境に入ったとみえて、ゴュジョの口調は一段と熱を帯びてきた。
「我々は数百年も人間と戦ってきた。〈創造主〉がなぜ我々にそんなことをさせるのか――。その目的は人間を鍛えるためだ。最初、人間は弱かった。我々もそのレベルに合わせ、弱い魔力でもって生まれてきて戦った。やがて世代を重ねるうちに、我々と戦う人間は月神人となり、魔力を有するようになった。我々もそれに合わせて強い魔力を持って産まれ出るようになってきた。それを今後も続けていけば、とてつもない魔力を持った戦士が誕生するだろう。〈創造主〉の狙いはそれだ。人間を強い戦士に育て、それを得ることなのだ。〈創造主〉は宇宙の覇権を征するために戦える戦士を求めているのだ、あちこちの星でそれをしている。我々は、いわばトレーニングの道具だ。戦士を供給するためのな」
「そんな……。何百年もかけてそんなことをするなんて……」
シロは驚いた。
そんな気の長い話があるとは思いもよらない。
「我々の時間尺度で考えてはいけない。〈創造主〉は宇宙規模の年齢で生きているのだ」
宇宙規模の年齢と聞いても、シロにはぴんとこなかった。
「でも、そんなことして地球人を戦士にせずとも、月神獣を戦士したら早いのに」
シロはなんでそんな手間暇のかかることをするのかわからなかった。
「月神獣は戦士になれない。その理由はわからないが、おそらく種としての力がないのだろうと思われる。人工生命体である月神獣は、なにかしらの欠陥があるのかもしれない。魔力さえ強ければ戦士になれるというわけではないのだろう」
ゴュジョもそこまでは想像の域を出ないようである。
「ともかく、我々には〈創造主〉のはめた枷があるのだ」
「だから長老は〈創造主〉のいうことをきかないといけないっていうのか……。〈創造主〉がいないとぼくたちは産まれてこられない」
「そのとおりだ。我々のタマゴを産む機械は〈創造主〉がいなければ動かない。だから我々はいけにえを捧げるつもりで人間と戦わなければいけない。それをしなければ、我々はもう産まれてこない」
「うーん…………」
と、うなって、シロは黙った。
それが真相だとすると、人間との戦いをやめるというのは不可能に感じられた。戦いをやめたら、人間は強い戦士になれない。人間が強い戦士にならないのなら、月神獣の存在意味がなくなる。人間を鍛えるのを放棄した月神獣など、必要ないということになる。
「じゃあ、それでも戦いをやめるというのは、どういうことなの?」
「方法はあると思うのだ」
ゴュジョは、その事実を知ってもなお主張を退けない。そうまでして逆らう理由はなんなのか――。
「人間側にしても、いつかは戦士として駆り出されるとなれば黙ってはいまい」
ゴュジョは声のトーンを落とした。
「それは……そうだね……」
シロはうなずいた。
最終的に〈創造主〉の駒として戦う人間側にはなんのメリットもない。ただ、利用されるだけである。
「だからだ」
ゴュジョは希望をこめて言った。
「ピェルゥに、このことを人間に伝えて欲しいのだ」
「!」
「人間側が真実を知れば、この長い不毛な行為を終わらせることができるはずだ」
「でも……」
シロは言いよどんだ。
「もし、人間が戦いをやめても、ぼくたちは、やめられないんじゃ……?」
〈創造主〉が生殺与奪の権を握っている以上、たとえ人間側が一方的に戦いを終結させても、事態は月神獣にとってはそれほど好転したとはいえない。人間が戦士としての役を成さないとなれば、月神獣は必要ないから抹殺されるだろう。〈創造主〉は他の星で人間とは別の種族に対して同じことをしているから、ひとつがだめになっても気にしない。
「そうかもしれない。おれたちの考えや、やろうとしていることは、無駄なことなのかもしれない。しかし、なにもしないよりは、なにかをしていたいんだ……」
ゴュジョの言葉には、強い意志がにじみ出ていた。
それを感じ取って、シロはうなずいた。
「わかったよ……やってみるよ」
「やってくれるか」
ゴュジョは安堵の表情を浮かべた。
変革を求めるも、打開策がなにもない状態だったのが、シロの登場でにわかに光明が見えたかのようだった。この小さなきっかけを大きく育てられるか、それとも花を咲かせることなく枯れてしまうかはまだわからない。だがゴュジョは、これまでで最高の手応えを感じて、声を震わせた。
「では、おれもお共しよう。地球へ連れて行ってくれ。ぜひ人間と対話し、こちらの考えを伝えたい」
「うん。わかったよ。で……いつ、出発する?」
「いつでもよい。今夜でも」
戦いの日はあと半月後である。
ゴュジョはそれまでの間に話をつけたかった。
本来なら満月にならなければ、地球へは行けない。そういう決まりになっていた。それ以外の日に行くことはない。
「でも、行けるの?」
シロが疑問に思うのも当然だった。地球へ行くための魔力はどうなる?
「行けるさ……」
ゴュジョは不敵にニヤリと笑った。自信があるようだった。
「おれなら〈門〉は普通にくぐれる。満月に行くというのは、たしかにそのときは魔力が強くなるが、絶対条件ではない。そのうち、ピェルゥもひとりで自由に地球と行き来できるようになるだろう」
「そうなんだ……。それならいいよ。今すぐ行こう」
シロもできるだけ早く地球へ行きたかった。異郷である地球だったが、今やシロにとってはかけがえのない場所になっていた。そこにいる航聖や銀次郎に会いたい気持ちが高ぶって。その感覚は、月神獣どうしでは得られなかった。
ゴュジョは、周りで二人のやりとりを静かに聞いていた仲間たちに向かって言った。
「では、行ってくる。留守を頼んだぞ」
全員が黙ってうなずいた。




