プロローグ
満月が大きく天に輝いていた。それは地上を見つめる天の一つ眼のようだった。
丘の上には小さな石造りの祠が奉られており、その祠を取り囲むように等間隔にかがり火が焚かれ、人々が息をつめて祠を見守っていた。全員、勇ましく武装している。ある者は鎧を身につけ、ある者は野戦服を着込み、それぞれなにかしらの武器を手にしていた。武装といっても、太刀や槍など、すべて先祖から受け継ぐ武具である。
八月だというのに、その場所だけ異様な緊張感が漂い、薄ら寒かった。夕方よりこの態勢を始めてからもう数時間が経過していた。雑談をしていた人々も、次第に口数が減ってきて、全員がいつかいつかとその瞬間を待っていた。
人々が見つめる祠にようやっと変化が現れだしたのは、時計の針が零時を回ろうとするころだった。
「来るぞ」
と、一人が警戒をうながす。
石の祠が細かく振動しだした。ガタガタと不気味な音が地面を伝わって響きわたった。
全員が身構える。緊張感がさらに高まって、目つきが鋭くなった。
祠の上の空間が陽炎のように歪み、そして――。
歪んだ空間の中に、なにかが滲み出てきた。それは、急速になにかの動物の形へと変化していった。
が、形が明確になる前に、それは飛び出してきた。地上へ着地したとき、それは異形の魔物となっていた。
全身が灰色の狼のような四足の獣であった。
しかし、背中には鷲のような翼があった。額には一本の角がまっすぐに生えており、まるで童話の世界から現れたかのような、明らかにこの世の生き物ではない。
――ギャアア
牙を剥く尖った口が大きく開いて、吼えた。月とかがり火の光を反射して、その両眼が鈍く光る
思わず萎縮してしまいそうな魔物の姿である。
居並ぶ人々が手にした武器をかまえた。
魔物は、全身を覆う短い体毛が逆立ったかと思うと、取り囲んでいる一人に向かって飛びかかっていった。
――来た!
あらかじめ準備万端で待ちかまえていたので、あわてることはなかった。両手に持っていた大段平によって、一刀両断――と思いきや、魔物はさっとその刃をかわした。
速い。
「そっちへ行ったぞ!」
魔物は方向転換し、べつの人間に狙いを定めた。
「お、おう!」
彼は、接近してきた魔物に向かって手にした槍を突き出したが、魔物はその槍もかわした。槍を蹴って、空中高く跳んだ。
その魔物に向けて何人かが長剣を振るう。そのうちの一太刀がヒットし、魔物は地面に落下する。
「鳥野さん、なにをやってるんですか!」
若い男が、槍を踏み台にされた中年男を注意する。
祠からは、もう一頭、さらに一頭と魔物が飛び出してきた。
各自、戦闘が始まった。槍や刀を振るう者、ヌンチャクやトンファーを使う者、それぞれが得意とする武器で魔物と戦った。中には妖術で魔物と対する者もいた。
負けるわけにはいかない戦いだった。ここで魔物を食い止めなければ、地球に魔物がなだれ込み、壮絶なカオスとなるからである。
魔物には、通常の武器は通用しない。彼らがここで使用している武器にしても、普通の刀剣ではなかった。すべて魔物に有効な術を施して作られた特殊な武器で、使用する側も普通の人間とは違い、その武器を使いこなすための能力を有していた。
彼らは代々その能力を受け継ぎ、祠を守って戦ってきたのである。だがそれは決して歴史の表舞台には現れない何百年に及ぶ闇の秘史であった。
魔物たちの咆哮と人々の喊声が入り乱れ、月光とかがり火に照らし出された乱戦が繰り広げられた。それぞれが、己が能力を発揮し魔物と戦う様は、神代の昔――神話の世界の一場面のようだった。
筋骨逞しい男が段平で一頭の魔物を一薙ぎし、返り血を浴びながら叫ぶ。
「今夜はいつになく手強いぞ。態勢を維持して包囲を破られるな!」
「おう!」
全員が全力をあげて戦っていた。しかし、誰の能力も平等とはいかず、自然、包囲の弱い方が崩れだした。
「またあいつのところか……! 鳥野さん、しっかり防いで!」
「わかってる!」
怒鳴り返したものの、言うは易しで、体は若い頃のような切れがなく思う通りに動かない。かといってベテランらしい戦いのリズムもつかめず、鳥野と呼ばれた男は苦戦していた。
妖術も心細く、魔物にダメージを与えるまでには至らない。タイミングを計って槍をふるうも、どうにも腰がひけてしまっていた。
鳥野と対峙していた魔物が後ろから斬り倒された。一刀両断。悲鳴をあげて、絶命する魔物。
それが最後の一頭だった。
合戦場が静かになった。戦いが終わったのである。周囲には、魔物たちの死体がかがり火に照らされて、うち捨てられていた。人間側の大勝利である。
鳥野は大きく息をつく。そのとき初めて左腕に痛みを感じた。魔物に噛みつかれた歯形が深く残されていた。
顔をしかめていると、
「鳥野さん、怪我したんですか?」
年の頃は鳥野と同じぐらいの男が近づいて言った。その口調には、気遣っているというより、軽く蔑みが含まれていた。
「いったいいつになったら、ちゃんと我々の戦力になるんですか」
と、鳥野よりも年上の、別の男が加わった。
「若い衆に示しがつかないぜ」
それに対し、鳥野は返す言葉がない。魔物と戦う宿命を持って生まれたものの、生まれもった能力の優劣は如何ともし難く、ただ唇を噛むしかなかった。
「さぁさ、みんな!」
皆の長である男が大声で呼びかける。一同が振り向くと、
「勝ち鬨を上げようぞ! エイエイオー!」
「エイエイオー!」
戦国時代さながらに、人間たちが拳を振り上げ鬨の声をあげた。
なにもかもが、数百年過去と同じであった……。しかし、今は紛れもなく、二十一世紀なのである。毎月、満月の夜にこんな戦いがおこなわれていても……。