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てふてふや  作者: 文月瑞姫
四月来る――豊田莉子
9/25

 私とまりは小学校以来の付き合いだった。中学までは登下校を共にしていた仲だったが、高校ではクラスも離れ、話す機会も徐々に減って、寂しくなかったと言えば嘘になる。

 そんなまりから頼まれたのは、部員の勧誘だった。決して私に入部しろとは言わず、あくまで勧誘の手伝いとのことだった。しかも、それも四月までという約束だった。多分、まりは覚えているのだ。私と進路の話をした、数年前のことを。

 私は医者の娘だ。兄は都内の大学の医学部に在籍し、私もそこを目指すことになっている。強制されている訳ではないが、まりには私がそう在りたいという話をしたことがある。三年生になれば本格的に受験勉強が始まるため、私には部活をする余裕はない。そうでなくても、私には創作の才能が絶望的にないので、入部して力になれることもないだろう。


 最初の部員は苫屋瑠璃。部活動掲示板を楽しげに眺める彼女に、咄嗟に声を掛けた。後にその選択は正しかったのだが、どうも運命的な出会いだった。私との出会いではなく、彼女と俳句の出会いが、だ。初心者ながらに突飛な、それでいて完成された(私には分からないが、遠山さんがそう言うのだからそうなのだろう)句を詠む、正に才能に恵まれた人だ。

 二人目は、苫屋さんのクラスメイト兼友人の遠山桜。幼少時代から俳句に親しんでおり、苫屋さんとは対照的に落ち着いた、私にも理解が追いつく句を詠む、堅実な人だ。

 三人目、四人目は現れなかった。どこの誰も口を揃えて「俳句なんかできない」「才能ないから」としか言わない。私もその一人だから気持ちは分かるのだが、こんな人たちを相手に、まりは一人で頑張ってきたのだと思うと、諦める訳にはいかなかった。

 ちなみに残るは文芸部部長こと、私の親友の小原まり。見た目中学生の小さな背丈に、無垢であどけない表情、やや臆病ながらにも時々大胆なことをする少女。俳句は恋の句が好きで、小学校時代のクラスメイトこと衣川誠二に恋をしている、とても無邪気な子だ。

 そんな多様な人が集まった文芸部は、ついに新入部員を迎えないまま四月を迎えた。

「それじゃあ、新入部員勧誘会議を始めます。まず重要なことだけど、部員が二人足りません」

 四月も初旬、まりが主導となって部会のようなものが開かれていた。分かっていたことだが、いよいよ新入生を頼りにするしかなくなったのだ。

「それで、今回は勧誘の方法について話したいから、意見があれば挙手をお願いします」

 珍しく部長らしい仕事をしているまりに感心していると、苫屋さんが手を挙げた。

「まりちゃん先輩、待ってたら誰か来るんじゃないです?」

「それで来ないのは私が一番知ってるよ、文芸部の存在すら知らないひとばかりだし」

「んー、言われてみれば確かに、ルリも文芸部のこと知りませんでしたし」

「だから、積極的に勧誘する方法を考えるの」

「なら、俳句の魅力を伝える何かが必要ですね」

 遠山さんが、皆分かってはいるが一番難しいことを言う。実際、その方法が具体的にあればきっと上手くいくのだ。ただ、運動部のようにパフォーマンスができる訳でもないため、会議は難航した。


 そうしてしばらく考えを煮詰めようとして、その日は一旦解散ということになった。

 まりはきっと、私がもういなくなることを自覚している。だから会議の最中にも焦りが見て取れた。しかし多分、一番焦っていたのは私だった。このまま誰も集められず、まりの期待に応えられないまま別れたなら、私はどうして自分を許せるだろうか。

「もっと、頑張らないと……」

 そんな呟きは、夕日の方向に溶けて消え去った。



 翌日も翌々日も、方策がまとまることはなかった。そして、またポスター制作に立ち返った。これで誰かが来てくれるとも思っていないが、それ以外にできることが見当たらなかったのだ。

 そして、いつしか校舎には一年生が歩き始めるようになった。残る手段として、全員で直接勧誘に向かおうということになった。もちろん見込みはない。運動部のように大人数で押し掛けることもなければ、そもそも知名度のない文芸部に誰が見向きしてくれるのだろうか。

 苫屋さんはそのことに愚痴をこぼしつつ、遠山さんに引きずられて部室を後にした。そして、まりは窓の外を眺めたまま、動こうとしなかった。

「まり? どうしたの?」

 呼びかけると、切なげに目を細めたまりが振り向いた。そんな表情、私は見たことがなかった。繊細で、ガラスのように脆く見えつつも、どこかに芯の通った凛々しくもある、女性的な居住まいがそこにあった。

「ねえ、莉子ちゃん。今まで本当にありがとう」

 ずん、とお腹に重りが入った気がした。

「まり……何言ってるの、ほら行くよ」

「ううん、もう良いの」

「良いって何が……」

 まりは、後ろ手に隠していた二枚の紙を差し出した。そこには入部届の文字と、一年生二人の名前が記されていた。

「これ……ね、今朝西村先生が私に預けてくれたの。るりちゃんと桜ちゃんには悪いけど、今の今まで言わないことにしてたの」

「そっか……集まったんだね。なら、私の仕事もここまでかあ」

 机に両手を預けてると、視界が徐々に輪郭を崩していった。

「莉子ちゃん……?」

 まりが私の顔を窺おうとするが、どうにか見られないように、天井を見上げた。涙だった。私の頬に一滴、一筋の軌跡を残して伝った。

「あはは……ごめんね、まり」

 乾いた笑いだった。

「私さ、まりが手伝ってって言ってくれた時、本当に嬉しかったんだ。だって高校入ってから全く喋らなくなって、もう忘れられたかと思ってたから。だからさ、まりの力になりたいって、そう思ったんだ」

「うん」

「でもさ、まだ、まだ私何もしてあげられてない。まだまりの力になれて……ないよ」

「そんなことないよ」

 まりと目を合わせた。涙が一滴、床に落ちた。

「そんなことあるよ! だって部員が集まったのは私の力じゃないし、俳句に携わることもしてない! それなのに、このままお役御免だなんて嫌だ!」

「そんなこと……ないよ」

 まりは私の両手を包み込んだ。小さくて冷たくて、か細い指で。

「私、莉子ちゃんに助けてもらったよ。誰もいない部室でずっと一人で、寂しかった。待ってたら誰か来るんじゃないかって思いながら、ずっと一人で座ってた。でも誰も来なくて……当たり前だよね。でも、あるとき変わりたいって思ったんだ。待ってるだけじゃダメ、自分から動こうって。でもね、やっぱり怖かった。それでも誰も来なかったらって思ったら、怖かった。そんなときにね、思い出したんだ、昔のこと。毎日一緒に帰ってくれた、忘れ物したら貸してくれた、誰かと喧嘩した時に止めてくれた、そんな大切な大切な、お姉ちゃんみたいな、莉子ちゃんのこと」

「まり……」

 まりの目にうっすらと光るものがあった。窓の外は徐々に暮れて、空は橙色に染まっていた。

「私、莉子ちゃんがいたから頑張れたよ。莉子ちゃんがいたから強くなれた。莉子ちゃんがいたから……だから……だからね、私……そんな莉子ちゃんに……ありがとうって、言いたかったの」

「なに格好付けてんのさ……まりの方が泣いてるじゃん……」

 そっと、まりの小さな体を抱き寄せた。少し力を込めたら折れてしまいそうなほど弱々しくて、どこにこんな気丈さを隠しているのだろうかと、探るように背中をさする。まりはくすぐったそうに身をよじり、私の胸に顔をうずめる。

「莉子ちゃん、良い匂いがする」

 まりは力を抜いて、私に体を預けた。そうして、そっとささやいた。

『四月来る医者のあなたの元に来る』

「それ、俳句?」

「うん、莉子ちゃんが立派なお医者さんになれるように、応援してる」

 なんか、俳句っぽいね、と言おうとして止めた。そんな俯瞰した言葉じゃない、今送るべきはもっと別の言葉だと思った。いや、言葉でもない、俳句だ。私の俳句をまりに捧げるんだ。

『四月来る見送るひとの方が泣く』

 ぴくり、とまりの頭が動いた。

「そう……だね、見送らなきゃね」

 目を擦りながら、まりは私から一歩遠ざかった。

「莉子ちゃん、今までありがとう」

 深々と頭を下げるまりの、その頭をコツンと叩いた。

「何お別れみたいな挨拶してんのさ」

「あっ……ごめんなさい。そっか、そうだよね。なら、行ってらっしゃい」

「うん、行ってきます」

 私は踵を返して、文芸部室を後にした。


「すみません、文芸部の部室ってこちらで合ってますか」

 胸を張って歩くその裏で、そんな声が聞こえた気がした。

 四月の風は、優しい温かさだった。


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