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てふてふや  作者: 文月瑞姫
かまくらを――小原まり
7/25

「それにしても、まりが泣くなんて久しぶりに見たよ」

「えへへ……ごめんね」

 私が泣き止んでしばらく、莉子ちゃんに事情を説明していた。事情が分からなくても、私が何を求めているか理解して抱き締めてくれる莉子ちゃんは、本当に頼もしかった。

「そうだ、新しいひとって見つかりそう?」

 そう尋ねると、莉子ちゃんは一瞬目を逸らして、思い直したように答える。

「あんまり言いたくないんだけどね、皆して『俳句なんて無理』の一点張り。いくら説得しても無理だし、まあ私も同じようなものだから仕方ないとは思うんだけどね……」

「そっか……ごめんね、莉子ちゃんばっかり頼っちゃって」

「良いんだよ別に。私は俳句なんてできないし、このくらいしか手伝えないから。それに、まりもその辺分かって私に頼んだんでしょ」

「そうだけどさ……」

 ちらり、と先生を窺う。先生のことだから莉子ちゃんも俳句の道に誘うのではないかと思っていたのだが、先生は不思議とそうはしなかった。

「えっと、そろそろ進めないと時間が足りないのですが……」

 桜ちゃんが控えめな声で言った。外を見ると、少しずつ空の端が青くなり始めていた。暖房の効いたこの部屋だと実感は湧かないが、外は凍るほど寒いだろう。

「そうだね、ごめんね」

「お気になさらず。では私の句を」

 桜ちゃんはポシェットから句帳と書かれた小さめのノートを取り出し、机の上にそっと置いた。


 古井戸に釣瓶の落ちる寒さかな


「これがジッケイシャジツってやつなの?」

 一部片言になりながら、るりちゃんが尋ねた。

「いえ、少し違います。実景写実っていうのは、自分が一切介入しない、ありのままの様子を句にしたものですから。客観写生とも言いますね」

 桜ちゃんは私に向かって言った。そう言えば、最初は実景写実を意識すべきとも言っていた彼女だから、もしかしたら私へのアドバイスなのかもしれない。

「今度も私なりに読めば良いのかな」

 その挑戦に、受けて立つことにした。もっと上手くなって、やがては桜ちゃんも驚くような句を作りたいと思った。

「そうだな、やってみろ」

「はい、先生。えっと……釣瓶って、井戸の滑車ですか、それが古い井戸に落ちるその時に寒さを感じたと。きっと古井戸ですから風の通りなんかが良くて、少し不気味な感じもあって、その寒さには怖さも混じるのかなって思いました」

 さっき聞いた桜ちゃんの鑑賞を参考に、句を読み深める。きっと俳句は二度読むのが正しいんだ。一回目で字面の通りに景色を浮かべて、二回目にはその景色に立って考える。それが私の考えた俳句の読み方だ。

「ほう……なるほどな。苫屋、お前はどう思う」

「は、はいです!」

 突然話を振られて、るりちゃんの返事が若干裏返った。

「えっと……まりちゃん先輩が言った通りで良いと思うんですけど、なんか物足りないです」

「物足りないとは? 具体的に言えるか」

「うーん、なんかこう、内容が浅いっていうか、えっ、それだけなのって言いたくなりますです」

「ちょっとるりちゃん!」

 冷や汗が出た。るりちゃんが素直すぎたからだ。批判的な俳句甲子園が嫌だからと入部を拒んでいた桜ちゃんのことを思うと、もしかしたら退部してしまうのではないか、なんて考えた。

「どうしたんです?」

「そうですよ、どうかしましたか」

 しかし、返ってきた反応は予想外のものだった。桜ちゃんは嫌な顔一つしないどころか、るりちゃんといつものように語り始めていた。

「でもルリちゃん、面白さを求めた句だけが良いということでもなくて」

「ならさくらんは、面白くないなら何のために詠むのさ」

 ぽかーん、と現状を飲み込めずにいる私に、先生が隣で呟いた。

「心配するな、遠山ならちゃんと受け止める」

 先生を上目で窺うと、珍しく大人らしい顔をしていた。いつもはどこか野心的な、少年的な表情をしていたのだが。

「そうだな、それは一緒に聞いておこう。遠山は何のために俳句をする」

 桜ちゃんは言い合いを止め、先生を見て、一回るりちゃんを窺ってから再び先生に目を向ける。そうしてもう一回目を逸らして、そっと見上げる。

「あの、ですね。私、故郷がないんです」

 唾を飲み込むと、部室内は時が止まったように静まり返っていた。桜ちゃんは微笑むような、物悲しくも優しい表情をしていた。

「隣の県に、以前は北山村っていう村があったんです。……そうですね、そこが私の故郷でした。街に出るには山一つ越えないといけなくて、両親が働きに出ている間、村のお婆ちゃんたちに預けられました。……そのときしていたのが、俳句でした。でも、あるときダムの建設地に選ばれてしまって、当然ですよね、そんな寂れた村なんですから。もちろん反対運動は起こりましたが、ダメ……でした。だからもう、村はないから……せめて私の、大切な思い出として俳句を、続けたいんです」

 話し終えると、桜ちゃんは泣いていた。笑ったままの目から、ひとつ、またひとつと涙がこぼれていた。本人がそれに気付くまでは遅く、ようやく気付くと誤魔化すように拭った。

「…………」

 誰も何も言えずにいる中、るりちゃんが歩み寄った。

「ルリは、なんとなく知ってた」

 桜ちゃんは驚いて顔を上げた。

「だってさくらんの出身が北山だって聞いてたし、それに『冬銀河ふるさとといふダムのこと』って句。ルリはなんとなくそうなんだって思ってたです」

 桜ちゃんは言葉だけが出てこないように、ぱくぱくと口を動かし、首を大きく振って正気を保とうとしていた。

「…………ああ、もう、この話は終わりです。次、次は小原先輩ですよね、時間もないですから早くしましょう」

 誤魔化すように目を擦り、果てにそんなことを言うものだから、隣で莉子ちゃんが「素直じゃないねえ」なんて小声で言っていた。


 君がいて雪を忘れる帰り道


 私が開いたノートには、小さくそう書いてあった。自分が書いたのだから変な言い方だが。

「まりちゃん先輩の句って初めて見ましたけど、これってどういう句なんですか?」

「ええ、ルリちゃん分からないんですか。これって恋の句ですよね」

「恋ですか? うーん、お相手さんは誰なんです?」

 そう言われて、顔が急速に熱を帯びた。

「ち、違うよ! 私にそんなひとはいないよ、ただその……」

「私は素敵だと思いますよ、小原先輩」

「ちょっと桜ちゃんまで、だから違うのって!!」

 桜ちゃんのフォローが逆効果となって、その後しばらくあたふたとさせられた。


「さて、話を戻しましょうか」

 結局私の否定虚しく、違うということにしましょう、という桜ちゃんの言葉で場が片付いてしまった。

「確かにルリちゃんの指摘は間違ってもいなくて、恋の句において相手を『君』の一言で片付けるのは少々惜しい気もします」

「ふむふむ……」

 相槌を打ちながらノートにメモを取る。

「この句は、帰り道で『君』と一緒に、降っている雪のことさえも忘れて歩いていた、という景でよろしいですか」

「景……?」

「句から見えてくる情景のことです。ちなみに、句の本意や伝えたい意味のことは句意といいます」

「なるほど……うん、そういう景です」

 思わず敬語が混ざった。どちらが先輩なのかまるで分からない。しかし今はその程度のプライドは気にしない。

「では、この句の主たるところは、『君』との話かあるいは『君』の存在そのものが、雪よりも魅力的だと。そうですよね」

「う、うん、そうだね」

「だとすると……」

 桜ちゃんは、次に何を言えば良いのか分からない様子で、手に持ったシャーペンを親指の腹で転がした。

「その句って、面白さに欠けるんじゃないですかね」

「こら、ルリちゃ……」

 突然のるりちゃんの言葉を否定しようとして、桜ちゃんは言い淀んだ。口を開いて、あー、と躊躇って閉じる。そんな挙動不審な彼女に先生が言った。

「遠山、言っていいぞ」

 桜ちゃんは私を見て、口をつぐんで、また言いかけてやめて、息を吸い直してからようやく私を真っ直ぐに見た。

「……あの、小原先輩、恋愛句っていうのは恐らく一番難しいんです。俳句で心情を、特に恋を詠むのは難しく、しかも内容が偏るので、余程優れた発想がなければすぐに埋もれてしまうんです」

私がその言葉を聞いてからどれだけの時間が経ったのか、あるいは経っていないのかもしれないが、私が何かを言うことはなく下校時刻のチャイムが鳴ってしまった。




「そっか……難しいんだ……」

 その帰り道、私は少なからず落ち込んでいた。自分のしたいことが難しいからというよりも、暗に自分の句が面白くないと(るりちゃんは包み隠さず言ったのだが)言われたからだ。確かに、私の句にはありきたりな発想しかない。むしろ当然かもしれない、私には桜ちゃんのような深い思い出も、るりちゃんのような才能もないのだから。それこそ、恋愛句に拘る方が間違っているのかもしれない。

 ただ、それでも私は恋の句が詠みたい。

 最初にそう思ったのは去年の四月、先生に誘われて入部したばかりの頃だ。初めて部室に顔を出すも、まるで会議でもするかのように真剣な面持ちで向き合い、私に一切の注意を払わないその空気に、入る部屋を間違えたのかと焦ってしまった。慌てて出ようとすると先生に止められ、まあ見てろ、なんて言われて訳の分からぬままにその様子を見ていた。

「それでは白チーム代表の方、ご起立の上、二度俳句を読み上げてください」

 あとに聞くと、そのときは俳句甲子園の模擬戦をしていたらしいのだが、そのとき私が初めて目にした一句を今でも忘れない。


 春の君橋と――


「よう小原、久しぶり」

「ひゃあっ!」

 急速に現実が帰って来たような感覚に襲われて、私は間の抜けた声を上げてしまった。せっかく思い出に浸って素敵な気分だっただけに、犯人次第では一週間くらい許さないつもりだった。が、そこにいたのは誠二くんだった。いつの間にか電車も降りて、街灯だけが照らす道を歩いていた。

「ねえ、誠二くん。恋って何だと思う?」

 私はせっかくなので聞いてみることにした。誠二くんは一般のそれより顔立ちも良いし、きっと知っている気がした。

「どうした急に、悩み事か?」

「うん……私ね、恋が何なのか分からないの。知ってるだろうけど私って不器用だから、上手くできなくて……それで、本当に好きなのか分からなくなったりもして、そもそも好きでいて良いのかなって……不安になることもあるの」

 誠二くんは少し考えて、こう返す。

「うーん、小原がそう思うなら、やっぱり自分の気持ちを真っ直ぐに伝えるべきだと思うよ。ありのままを、その精一杯な気持ちをさ」

「真っ直ぐに……?」

 真っ直ぐに伝える。句に恋という感情を乗せて、真っ直ぐに届ける。そうかもしれない。技巧だとか発想だとか、難しく考えすぎたのかもしれない。誠二くんはそんな私に優しい笑みを向けてくれて、少し気恥ずかしい。

「まあ、恋をしたら思うことも色々あるさ。あんまり気負わずやっていこうぜ」

「えっ……?」

「どうした?」

「う、ううん。ちょっと気が付いたことがあったの、気にしないで」

 突然現実が目の前に迫って来たような、そう、気が付いたのだ。私は恋の句を作ろうとしてずっと引っ掛かっていたことに今さら気が付いた。誠二くんの言葉を聞くまで全く見えていなかったことで、でもそれは絶対に見ないといけなかったものなんだ。

 私は今さら、自身が恋をしたことがないということに気が付いた。恋の句を詠む上で、いや、恋に限らず、詠みたいものを知らないのは大きすぎる問題だった。

「恋をしたら……そっか」

 誠二くんに聞こえないよう、小さく呟いた。恋をすれば何かが分かるんじゃないかって、そう思った。


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