一
生き物が呻くような不気味な風が吹いていた。木枯らしだろうか、北風だろうか、クリスマスを迎えた今だから、木枯らしではないと思う。
先輩たちが引退してから半年。私一人が取り残された文芸部は、部員募集の張り紙をあちらこちらに留めるだけの部活になっていた。
時折運動部の掛け声が響く中、新学期に向けて新しいポスターを作成していた。目立つようにと赤色を足すと、元々塗っていた緑色に映えてしまった。
「こんな日まで何やってるんだろう」
誰も聞いていない独り言が余計に惨めだった。
机に突っ伏すと、肘で色鉛筆の箱を倒してしまった。中身が床に落ち、カランコンと乾いた音がした。泣くまいとしていた私の心は、いよいよ決壊しそうになっていた。
「もう嫌、帰る!」
逃げるように部室を後にした。鍵を掛けていないことで先生に叱られるだろう。でも、どうでも良かった。
電車に乗ると、どこからか香ばしい匂いがした。サンタクロースの衣装を着た女の子が、母親と楽しげに話している。晩ご飯は外食なのだろう。恋人と思しきひとと手を繋ぐ学生もちらほらいた。手がさびしく、スマートフォンを取り出すと「夜は遅くなるから、一人で食べて」と、母からのメールが来ていた。
はあ、と小さく息を吐いた。電車内は暖かいのか、白い吐息が出ることはなかった。
ふと、肩をトントンと叩く手があった。
「お前、もしかして小原か」
思わず人違いだと言いそうになった。彼が着ているのは隣の私立高校の制服で、何より顔に見覚えが無かった。すっとした顔立ちで、背は私と顔一つ分くらい違うだろうか、見上げるかたちで彼と目を合わせた。
「俺だよ俺、衣川だよ。ほら、六年のとき一緒だった」
「えっ……もしかして誠二くん!?」
大きな声を出してしまい、肩をすくめた。
驚くのも無理はなかった。小学校の頃はもっと幼い顔で、何より私より低かったはずだ。彼は中学からは私立に行ってしまったため、五年ぶりの再会になる。
「大きくなったな、小原も」
そうだね、と頷くと、車掌が終点を告げた。
「小原ん家、五条町だったろ。送るよ」
「うん、ありがとう」
電車を降りると、冷蔵庫のような外気に包まれた。もう日が暮れようとしており、民家にはちらほらと明かりが灯り始めていた。二つ並んだ影が暖かな色をしている。
「そういや小原、部活か?」
「うん、文芸部ってところにね」
そう言うと、誠二くんは目を丸くした。
「文芸部? 何それ、編み物でもするのか?」
そんな返事に、くすっと笑った。
「違うよ、それは手芸。えっとね、文芸部は小説とか俳句とかをつくる部活なんだよ。文学と芸術で、文芸なんだって」
最後の一文は先生の受け売りだったが、誠二くんは深く感心していた。
「小説に俳句……すげえな、小原。部員は何人くらいいるんだ?」
「それが……」
申し訳なく現状を告げた。部員が私一人なこと、一人も入部希望者がいないこと。聞きながら誠二くんは同情程度に笑っていた。
目の前に白いちいさな明かりが見えた。雪だった。もう少し暗くなればもう少し綺麗に見えるかもしれない。
「やっぱそういうのって素人には近寄りがたいよな。この時期にまで来ないなら、もう新入生に期待するしか……」
「そんなの困るよ!」
はっと口を押さえた。ごめんなさい、と聞こえない声で言った。
「実は、実はね……六月に大会があるの。俳句甲子園っていう大会の地方予選があるんだけど、四月にはそのお題が発表されるの」
「うーん、つまり今年度中にってことか」
「そうなの。四月からじゃ練習もままならないから……」
「ああ、それで泣きそうな顔してたのか」
えっ、と彼を見上げた。
「電車で泣きそうになってたろ。それより、それってどんな大会なんだ?」
隠していたつもりだったが、自分はそんな顔をしていたらしい。気恥ずかしいながらにも笑みを浮かべた。
「う、うん。えっとね、五人一組のチーム戦で、お題に沿って詠まれた俳句を批評し合うの。それで、句の良さと批評の上手さを競い合うの」
「へえ、面白そうじゃん。俺も橋枝に通ってたら参加したかもな」
「ほんと!? 嬉しい!」
参加はできないけどな、と付け加えられた。それでも、私には嬉しい言葉だった。楽しさを分かってくれた、その事実が私にとっては希望でもあった。
そうしていると、いつしか私の家の前に来ていた。
「今日はありがとう、また会えたらいいな」
きっといま、満面の笑みなんだろう。軽い足取りで玄関を背に向けた。
「こちらこそ。『旧友と出会うホワイトクリスマス』なんてな、じゃあな」
不思議な声だった。不思議と心の奥に入り込むようで、胸の奥の方が暖かくなる声だった。
「旧友と出会う……ホワイトクリスマス」
どうも不思議で、彼の言葉を繰り返してみた。ああ、これ俳句なんだ、と気づいた時には彼の姿はなかった。ほんわりと柔らかな雪の光が落ちては消えて、これは積もらない方だ、なんて思った。
ただいま、と言っても誰かが返してくれることはなかった。
両親はそれぞれ別の仕事をしている。母は商店街の端の方にある飲食店で働いていて、父は少し大きめの会社で少し上の方の役職に就いているらしい。どちらも家を空けることが多かった。一人っ子の私は気づいたら自炊ができるようになっていた。一人で過ごす時間にも慣れてしまった。
自分でも、寂しいひとだと思う。最近はスマートフォンが普及して、同時にその依存者が急増しているらしい。きっとみんな、一人きりは嫌なんだろうと、ずっと他人事のように思っていた。
でもなんとなく、今なら分かる気がする。
「もしもし、莉子ちゃん? うん、まりだけど――」
私は、ある友人に電話を掛けていた。




