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てふてふや  作者: 文月瑞姫
頬寂し――遠山桜
19/25

 北山村は人里から離れた、とは言っても、市街地からは山向こうの、小さな小さな集落だった。両親が仕事に出ている間は村の人たちに預けられ、物心付く頃には句会に参加していた。一般的な句会の形式とは異なり、選を入れることなく、全員の句について一句一句語り合っていた。ちょうど今の部活のやり方を、鑑賞中心にした感じだった。私はその和やかな雰囲気が好きだった。

 二年前、村がなくなり、橋枝に移り住むことになって、どこかで俳句を続けられないかと考えた。しかし、近隣に句会は見つからず(電車で一時間も行けばあるのだが)、転校先に俳句を理解してくれる友達も見つけられなかった。

 その過程で、俳句甲子園というものに辿り着いたが、やがてその存在に失望した。高校生のための舞台でありながら、高校生がお互いの句に難癖を付け合う。どこの情報を探しても、そうとしか見えなかった。実際の試合の映像を見ても、推敲として不十分な指摘を繰り返し、いたずらに相手の句を貶すことしか見えていないように思えた。それは、私の知っている俳句とは正反対だった。だから、俳句甲子園には出ないと決めていた。

 体験入学で文芸部を訪ねた際、橋枝は俳句甲子園を目指していると知り、深く落胆した。部長さんに相談すると、出場しなくても良いとは言われたが、そんな中途半端に参加するのも申し訳なく、俳句は個人の趣味に留めることにした。それは、言葉以上に退屈な日々だった。


「ねえねえ、さくらん」

 高校に入って数日目、急に肩を突いてきたそれを、私は何かと思った。ろくに話したこともない、いや、一回も話したことはなかっただろうか、そんな隣の席の女子が慣れ慣れしく話し掛けてくるものだから、露骨に顔に出してしまっていただろう。

「なんですか」

 呼ばれ方についても言いたいことはあったが、堪える。

「どうしてそんなつまんない顔してるの? 高校生活始まったばっかりだよ」

「別に。ただの緊張です。高校生活始まったばかりですから」

 ふうん、と興味なさげに答えられる。そして、こう続けたのだ。

「嘘が下手ですね。さくらんも」

 私の心を見透かしたようなその言葉に、私は心動かされた。

「あなた、えっと……」

 クラス結成時に自己紹介はしていたが、名字を思い出せない。

「ルリ」

「ルリさんも、何かあるんですか」

「まあ……大したことじゃないです」

 この子が何を抱えているのかは知らないが、きっと私より大きなものを抱えているのだと思った。そして、この子にはいつか、私のことを話せる気がした。

「そうですか……何にせよ、どうぞよろしくお願いします」

「うん、改めてよろしくです」

 それからの日々は、俳句を忘れて楽しむことができた。変わり者のルリちゃんだが、それを言うなら俳句をしている私だって変わり者だ。変わり者同士寄り添えば、それなりに充実した日々が続くのだと、そう感じていた。

 そして気が付けば、私はルリちゃんにべったりだった。周りからはルリちゃんが私に甘えているように見えるらしいが、お互いにそれを否定することはなかった。

 ルリちゃんが「批判しない俳句甲子園を作ろう」だなんて言うから、文芸部に入ったのだ。もちろん最初は驚いたが、他でもないルリちゃんが言うなら信じることができた。ルリちゃんと一緒なら、できる気がしたのだ。



 ルリちゃんがすやすやと寝息を立てる。今日は二年生だけ一時間早く終礼となった。その頬に触れると、柔らかな弾力を覚える。他の人が来るまでもう少し時間があるだろうか。

「一緒に、頑張ろうね」

 聞こえないように耳打ちして、ルリちゃんの隣に眠る。

「うーん……さくらん……」

 起こしてしまったかと肝を冷やしたが、ただの寝言のようだった。ルリちゃんの左手に右手を重ねると、どちらからともなく握り合った。陽射しに包まれて、穏やかなひと時を過ごした。

 どのくらい眠っていたのか、目を覚ました頃には皆が集まっていた。

「おはよう、桜ちゃん」

「おはようございます……ふわぁ……」

 大きな欠伸をすると、吉松君がミルクティーを置いてくれる。

「濃いめに淹れておきました。今日はよろしくお願いします」

 気の利く子だと感心しつつ、昨日の活動を思い出す。吉松君の句の推敲に取り掛かろうとして終わったはずだ。

「それでは、始めますか」

「宗くんの句からですか?」

「ああ、いえ。その前に少し話したいことがありまして。ディベートに関することで」

 寝起きだが、吉松君のおかげで頭は冴えていた。

「私は、俳句甲子園に出たくありません」

 事情を知らない一年生二人は、目を丸くしていた。

「相手の句を勝負のために批判する暴言のやり取りに、参加したくはないです。だから、批判しない俳句甲子園を作りたいと思っています」

 改めてそう言うと、この間の先生の話もあって、一年生の二人は納得したようだった。

「まず批判しないっていうのが、どういうことか考える必要があると思う」

 小原先輩が先陣を切る。今回は先生は力を貸してくれないようだ。腕を組んで壁にもたれかかっていた。私達だけで大丈夫だということだろう。この人が手を貸さないときは決まってそういうときだったから。

 もし軌道が逸れても、先生は一言で正しい道を示してくれる。悔しいが、ルリちゃんが気を向けるのも仕方がないと思う。

「あの、相手の句を褒めるのって良いんですか?」

「一応調べましたが、過去に徹底的に相手の句を褒めたチームの例がありました」

 吉松君の質問に答えると、先生が二度頷いていた。

「なら同じように、徹底的に褒めたら良いんじゃないですか……?」

「批判しないって、褒めるって意味じゃないと思うです」

 文月さんの疑問にルリちゃんが答える。

「だって、そんなのって失礼だと思うです」

「あー、確かに分かるかも。ルリちゃんや桜ちゃんは私の句の悪いところ言うけど、悪いところがあるのに褒める一方だったら馬鹿にされてるみたいだもん」

 小原先輩の賛同にルリちゃんが頷く。

「句を批判されたことってないから、よく分からないけどね」

 それもそうだろう。そう思って、ふと分からなくなる。

「批判と推敲の違いって何だと思いますか」

 推敲案として提示していても、批判に見える言葉というものはある。ほとんど同じ言葉なのに、何が違うのだろうか。

「納得できるかどうかでしょうか……目に見えて悪くなってるなら不満でしょうし、細かな変更でも理由がしっかりしていたら嬉しいと思います」

 文月さんが言う。俳句の良し悪しが判然としない彼女からしたら、そういうことは重要になるのだろう。

「以前恋愛句は難しいって言われたけど、もし、作っちゃダメって言われたら……悲しかったと、思う」

 当たり前のことだが、その通りだ。作者の意志を否定するのはよろしくない。そういう点でルリちゃんは稀に批判的な意見を出すが、あまり気にはならない。

「批判というか、否定じゃないんですか、問題なのは」

 吉松君が口を開いた。まるで私の心を読んだかのようで、少し驚かされる。

「宗くんの言う通りです。批判って言うと分かりづらいけど、否定って言ったら何が良くないのか一目で分かりますね」

「分かったよ! つまり、私達がすべきディベートは」

 小原先輩が机に乗り出して言う。

「ここでしてる推敲と同じことをするんだよ!」

 おおー、とルリちゃんが拍手する。

「良いところは褒める。改善点があるのなら指摘する。分からないことは質問する。それで良いと思う」

 そう、確かにそれで良いのだ。自分たちが批判、否定しないだけなら簡単なのだ。

「遠山、それははっきり言って無理だ。現状ではな」

 先生が先回りして言う。

「現状では……?」

「何故現在のディベートが批判的になっていると思う」

「それは……鑑賞点があるからですよね。だから点数を取ろうと躍起になっているのではないでしょうか」

「惜しいな。吉松、どう思う」

「勝てるからですか。あるいは、勝ってる高校がそういうディベートをしている。その辺だと思います」

 吉松君は頭がよく回る。そして、ここまで言われたら私でも分かる。

「つまり、俳句甲子園そのものを変えたければ、そのディベートで勝てば良いということですか」

「あくまで可能性としては現実的だろうな」

 勝つと言っても、それはきっと全国優勝ということ。

「それでも、さくらんがいるならできる気がするです」

「ルリちゃん……」

 唾を飲み込んで、ルリちゃんと目を交す。

「私、やります。絶対に勝って……勝ちます!」

「ルリも勝ちたいです。さくらんと一緒に全国に行くです」

 私に続いてルリちゃんが言う。そして、小原先輩もそれに続く。

「私も勝ちたい。先輩たちが行きたかった場所に、行ってみたい。ううん、行く、絶対に行くよ」

「俺はまだ俳句のことよく分からないんですけど、先輩たちの足を引っ張らないよう頑張りたいです」

「私も、宗くんと一緒に頑張ります」

 一年生二人も続いて、五人全員の意志がまとまった。

「五人で、全国に!」

 そう宣言して、ようやく私の俳句甲子園は始まったように思えた。暗い夜にもいつか朝が来るように、少しずつ俳句甲子園に希望が見え始めていた。

 一旦お茶休憩を挟んで、推敲に向かい直る。


 蝶々の軌跡を微分してみたい


 宗谷君のこの句はとても癖が強い。微分という言葉の認識があるかどうかによって読めるか読めないかが変わるだろう。正直な話、私もよく分からない。ただし、具体的な認識が必要ではないように思える。

「それでルリ先輩、どうしたら良いんですか」

 ルリちゃんは人差し指をくるくると遊ばせている。

「ルリちゃん……?」

「ああ、その、昨日何を言うつもりだったか忘れましたです」

「ええー……」

 ルリちゃんらしくて可愛いのだが(誤魔化そうと唇に指を当てる仕草が余計に)、とても困る。ルリちゃんと当の吉松君以外は微分についてよく知らないのだ。推敲したくても理解が足りない。それでも、やらなければならないのは変わりがない。

「ルリちゃん、えっと……微分っていうのは、物の構成要素を見ること、でしたか」

「ええ、そうです」

 蝶の軌跡の構成要素と言われたら、空気、風、そういうものだろうか。そもそも蝶が構成要素とも言えるだろうか。この句の本質は恐らくそこであって、何でできているか知りたいという好奇心。ルリちゃんならこの句をどうするだろうか。

 考えること三十秒あまり、私とルリちゃんの声が重なる。

「その蝶の軌跡って、吉松君は何でできていると思いますか」

「ああ、そうです。宗谷くん的には微分したら何になるですか」

 ルリちゃんと目が合って、呆れて笑いをこぼした。

「微分したらどうなるか、ですか。何か出てきそうだなって感じですけど、あまり具体的なイメージは……」

「天の川!」

 文月さんが立ち上がる。

「天の川っぽくないですか。風に乗りながら鱗紛を散らすとき、きっと天の川みたいにきらきらした道ができると思います! そうしたら、蝶の道には天の川があるんだって、そんなロマンチックな読み方ができると思います」

 先生が小さく拍手している。彼女の読解力は目を見張るものがある。句作自体は苦手のようだが、経験を積めばどうなるだろうか。

「でも、天の川って季語だよね。ほら」

 小原先輩が歳時記を見せる。

「そうですね。でも銀河って言えば季語とは限らないと思います」

「あの、それをどうするんですか?」

 勝手に話を進めていたところに、吉松君が制止を掛ける。

「微分してみたいっていう句か、微分したらどうなると思うかの具体的なイメージがある句、宗谷くんはどちらが良いと思うですか」

「後者……ですか」

「そうですね。微分がおよそ非現実的なので、具体性を入れ込む方が景が浮かぶです」

 宗谷君が相槌を打つ。小原先輩も同時に納得していた。

「となると、こうですか?」


 蝶々の軌跡を微分して銀河


「おおー」

「良いと思うです」

 一句が完成したときの感動というものは、初心者ならば特に強いだろう。吉松君は茫然としていた。その辺は小原先輩と気が合うのかもしれない。もっとも、文月さんとの距離は、ただの幼馴染とは言い難いが。

「それじゃあ、この調子でどんどんいこうね!」

 完全下校の時間まで集中が途切れることはなく、次々と句が仕上がった。翌日、翌々日の部活を重ね、ついに小原先輩、ルリちゃん、そして吉松くんの句まで仕上がった。締め切りまで数日となっているが、文月さんも間に合いそうだ。

 しかし、私の句はまだ足りなかった。あと一句、蝶の句が。


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