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てふてふや  作者: 文月瑞姫
夢にあなたと――小原まり
14/25


 三年生になってからの受験一辺倒な授業は、私には退屈で仕方がなかった。新しいことを学ぶにしても、復習をするにしても、受験の二文字がやけに主張するせいでうんざりしていた。

 しかし、今日の授業はやけに身に入らなかった。ふんわりとやわらかな雲が右から左へと流れるのを、惚けたように見ていた。古めの時計が一分置きに動く音を、先生の言葉と混ぜるように聞いていた。文字通り上の空になりながら、誠二くんと会うそのときを待ち望んでいたのだ。

 ようやく昼休みを迎えた頃には、平時の数倍疲れていた。

「や、久しぶり。元気にしてた?」

「莉子ちゃん? こっち来て良いの?」

 お弁当のミートボールを突いていると、遠くのクラスからわざわざ来た莉子ちゃんが、一つ前の席に座った。購買人気のアップルコンポートを、プラスチックのフォークで一口大に切っている。

「ほら、あーん」

 そうして私の口元に、丁寧にも逆の手を添えながら運んだ。私は遠慮がちに口を開くと、甘酸っぱい果汁が広がって頬が緩む。

「おいひいね、これ」

「はい、飲み込んでから喋る。それで、何か良いことでもあったの?」

 周りにあまりひとがいないことを確認してから、新入部員の瑞姫ちゃんと宗谷くんのことを話して、そうして本題の、誠二くんとのことを話した。

「へええ、やるじゃん。くっつくのも時間の問題ね」

「そうなれば……良いんだけど、うん」

 言い淀んだのは、唐突に昨夜のことを思い出したからだ。私に会えて嬉しいだなんて、まるで少女漫画の男の子みたいな態度に、思うところがないこともなかった。

「何よ、はっきりしないわね」

「うーん、誠二くんって女の子慣れしてるのかなって」

「何言ってるのよ、新樹って中高一貫の男子校でしょ。むしろ女子と関わる機会なんて、それこそ、まり以外にないんじゃないの?」

 私は、はっと目を開かせた。

「え、じゃあなんであんな」

「さあ、私に聞かれてもね。今日直接聞いたら良いんじゃない?」

 そっか、とむずがゆい気持ちで答えた。

 それからは余計に他愛のない話をしていた。予鈴が鳴って、莉子ちゃんはビニール袋にゴミをまとめる。

「あ、あの、今日はありがとう。勉強も忙しいのに……」

「何言ってんの、まりも受験生だってこと、忘れちゃダメよ。それじゃあね、また今度」

 莉子ちゃんが颯爽と出て行くのを、手を振って見送る。放課後までが、痛いほどに永かった。


 橋枝高校の校舎は、一年生から三年生までの教室がある教室棟、職員室や事務室、特別教室のある棟(私は呼び方を知らないが)、そして部室や音楽室、そして昇降口のある部室棟の、主に三種類がある。教室棟は理系と文系で棟が分かれており、その二つに挟まれるように部室棟がある。

 どれも三階建てとなっているのだが、文芸部室は部室棟一階の、昇降口前廊下の突き当たりにある。つまり、文芸部室に行くには昇降口を横切ることになる。

 そして、私はるりちゃんに捕まった。

「まりちゃん先輩、用事ですか?」

「え、あ、ううん。ちょっと道間違えちゃって」

 私は部活の事も忘れて、一目散に下校しようとしていた。るりちゃんに遇わなかったら、きっとそのまま帰っていただろう。とはいえ、部長としてそんなことを言えるはずもなく、誤魔化すように笑う。

「学校で迷うなんて、変なひとですね」

「変って……そういえば、終礼早いんだね」

 私のクラスは特に終礼が早く、教室を出た時点では廊下にひとはほとんどいなかった。

「ああ、終礼出たくなかったので、お先に失礼したです」

「え?」

「どうかしたです?」

 るりちゃんはさも当然と言わんばかりに答え、お茶用のお湯を沸かしている。

「出なくて大丈夫なの?」

「ええ、ちゃんと先に帰るって言いましたから。それに、特に連絡もないようなので」

「るりちゃんの方が変だよ……」

 控えめに言うも、給湯音に遮られる。

「まりちゃん先輩はいつものですか」

「うん、緑茶で。ありがとうね」

 私に聞くより先に準備されていた。自覚はないのだが、いつもの、と言われるほど飲んでいるのだろうか。

「お砂糖は要るですか?」

「絶対美味しくないよね、それ……」

 呆れ半分に言うと、るりちゃんは自分の分の緑茶に角砂糖を落としていた。外から慌ただしい足音が近づいてきて、扉がやや乱暴に開かれる。

「おはようございまーす!」

「おは、よう? もう夕方だよ瑞姫ちゃん」

「六限が数学だったので、やっと放課後になったかって感じですよ。今日も楽しく部活しましょう! あ、ルリ先輩、アップルティーでお願いします」

 この上なく上機嫌な瑞姫ちゃんと、その後ろから呆れ半分に入ってくる宗谷くん。すっかり部に馴染んだようで、嬉しい限りだ。

「授業中に寝るなっての」

「宗くんだって古典のとき寝てたじゃん」

「気のせいだよ。あ、俺もアップルティーお願いします」

 いつも仲良しな二人は、見ていて時に羨ましくもあった。誠二くんがここにいたら、一緒に俳句をしたり、お茶を飲みながら話したりできたのだろうか。

 そんなことを考えていると、残りの一人、桜ちゃんがやってくる。

「こんにちは。桜餅をいただいたので、お茶と一緒にどうですか」

「それ桜先輩が買って来たんですか?」

 瑞姫ちゃんは二人分のアップルティーを運びつつ尋ねる。

「いえ、西村先生からです。会議があるそうで、終わるまで待つようにと」

「そうなんですか。先輩は緑茶ですかね」

「いえ、今日は紅茶でお願いします」

 五人分の飲み物が揃い、いつものお茶会が始まった。

「桜餅って、どうしたら良いんでしょうね」

 瑞姫ちゃんが桜餅を食みながら言う。私もまず一口噛むと、桜の香りが鼻に広がる。美味しい、とささやかに呟いた。

「どうって、何が?」

「どう詠めば良いのかなって思って。宗くんも未完成なんですけど」

「ルリ的には桜餅が一番詠みやすかったですね。まりちゃん先輩はどうです?」

「え……?」

 間の抜けた声で、部屋が一気に静かになる。

「え、じゃなくて、俳句甲子園の句ですよ。先生さんが宿題って言ってたです。もしかしてですけど、忘れてました……?」

 飲み物で体温が上がったのか、あるいは冷や汗か、キャミソールが肌に張り付く感覚があった。

「わ、すれてた……どうしよう、急いで作らなきゃ。春雨と蝶と桜餅だよね、えっと……」

「俺もまだ用意できてませんし、今日のところは無理をなさらず」

「ありがとう、ううん、でもダメだよこんなの。私部長なのに、何やってるんだろうね」

 宗谷くんの気遣いを払い除けて、鞄から紙とペンを取り出そうとして、くしゃりと紙が曲がってしまう。

「先輩……」

 桜ちゃんが何か言おうとした時、机が思い切り叩かれて、全員の視線が一斉に集まる。

「落ち着いてください。あなたが慌てたところで何になるんですか」

 るりちゃんが立ち上がり、鋭く言い放つ。桜ちゃんは制止しようとするが、るりちゃんの目に気圧されて口をつぐむ。

「慌てて良い句ができるんですか。あなたが好きな俳句ってものはそんなに簡単なものなんですか」

「そんなの……違うけど、でも私は……」

「私は、今の先輩の句は見たくありません」

 そう言って、るりちゃんは腰を下ろし、緑茶を喉に流し込む。

「小原先輩、大丈夫ですから。ほら、お茶冷めますよ」

 瑞姫ちゃんに袖を引かれて、力が抜けたように座る。口にした桜餅が、やけに甘かった。


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