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てふてふや  作者: 文月瑞姫
夢にあなたと――小原まり
13/25


 部員が五人になってしばらく、瑞姫ちゃんがどういう訳か俳句を始めたので、晴れて五人で俳句ができるようになった。そう、橋枝高校文藝部はようやく俳句甲子園に向かい始めたのだ。

 そんな晴れやかな気分の中、雲ひとつない春の陽気を窓に眺めつつ、先生を含めた六人でお茶会を開いていた。

「そういえば、兼題って何です?」

 紅茶を飲みながら、るりちゃんがそんなことを尋ねた。

「ほら、この蝶とか書いてあるこれです」

 先生が居るというのに平気でスマートフォンを扱う大胆さに感心しつつ、その画面を見て目を見開かせた。

「わ、忘れてた……!」 

 それは俳句甲子園に出す句の題であり、四月初めには既に発表されていたはずだった。部員集めに必死になるあまり、すっかり忘れていた。

「何も言わないと思ったら忘れてたのか」

 先生は我知らずといった風にコーヒーを飲んでいて、妙に腹立たしい。

「知ってたなら教えてくださいよ」

「そう怒るな。どちらにしろ、今日以前に知ってもできることはなかっただろう」

「むう……」

 もっともな意見に閉口しつつ、一気に緑茶を飲み干そうとして噎せてしまう。

「宗くん、それ飲ませて」

「ああ、姫のも一口もらうぞ」

 宗谷くんと瑞姫ちゃん(皆は宗姫ペアなんて呼んでる)はいつにも増して仲良く、見ているだけで胸焼けを起こしそうだ。

「それより、兼題の確認はしなくて良いのか?」

 悠長に構える先生を不満に思いつつ、そう言われてしまっては弱く、しぶしぶ目を通す。


 春雨(春・天文)

 蝶(春・動物)

桜餅(春・人事)


 一見して、特に難しい兼題がないと感じた。先輩の代はハエなんていう兼題があったものだから苦戦していたのだが、今年はもしかしたら句作に手間取ることはないかもしれない。

「さくらん、兼題って何?」

「うーん、俳句のお題みたいなものですね。つまりその季語を使った句を一つずつ用意しないといけないんです」

 桜ちゃんは私と同じく緑茶を口にしながら、ひとつふたつと、るりちゃんが紅茶に角砂糖を落とすのを眺めていた。

「ところで、なんで部室にティーセットがあるんですか。いえ、ルリ的には嬉しいのですが」

 宗谷くんはアップルティー、そして瑞姫ちゃん……も同じだった気がする。先程飲み比べをしていた気がするのだが、砂糖の量でも違うのだろうか。

「去年、渡井先輩っていうひとが持って来たらしいの。実は本当のお嬢様なんじゃないかって噂もあったひとでね、花が好きなひとだったんだよ」

「芙蓉とかラベンダーとか好きな人ですか」

「……? そうだけど、どうして知ってるの?」

 引退以降先輩方は誰も来ていないため、るりちゃんは面識がないはずだった。

「ああ、そういえばまりちゃん先輩とさくらんはいなかったですね。昨日、去年の俳句甲子園のビデオを見たんですよ」

 それを聞いた時、心臓が大きく動いた。中心から広がるように、緑茶で温まっていた体が急激に冷えてゆく。

「それ……南風、だよね」

 るりちゃんがこくんと頷く。その試合なら、何度も夢に見た。夢だというのに慈悲もなく、毎回真っ白な旗が挙がってしまう。そうして毎回泣きながら朝を迎えてしまうのだ。

「小原」

先生が鋭く言う。

「……大丈夫です」

 そのお陰もあって逆に落ち着きを取り戻す。そう、大丈夫だ。私は莉子ちゃんと約束したから、前を向くんだ。スカートの裾を握り込んで、息を吐き直す。

「っていうことは、桜ちゃんは見てないんだよね」

「はい、昨日は用事があったので……先生、データ貰えますか?」

「そう言うと思って、ほら、用意しておいたぞ。小原は要るか?」

 先生は桜ちゃんにUSBを投げながら聞く。私は既に持っているため、首を横に振った。カップにはいつの間にか二杯目の緑茶が注がれていて、瑞姫ちゃんが妖しく微笑んでいた。

「ありがとう?」

「いえいえ、気付かないとは小原先輩も甘いですよ」

「まりちゃん先輩の負けですね」

 二杯目をこっそり注ぐ選手権に謎の勝敗が決まって、今日の文芸部は一層賑やかだった。来週までに兼題の句を考えるように、と先生が言わなければ、そんな大切なことも忘れていたほどに楽しい一日だった。



 そんな帰り道、良いことはどうしてこうも連続するのかと思った。なんと、電車を降りた頃に誠二くんと出会ったのだ。

「凄いじゃないか、よくやったな!」

「まあ、これからが大変なんだけどね……」

 ついに部員が揃って大会に向けて動き出したことを伝えると、誠二くんは自分のことのように喜んでいた。私は照れつつも、はぐらかすように答える。

「いや、凄いよ! だって……何ヶ月だ? 半年くらい一人で頑張ってたんだろ、俺だったら自慢するね」

「あの……」

 私は何か言いかけて、何を言おうとしたのか分からなくなる。代わりに、俯きがちに口を動かす。

「…………もっと」

「ん?」

「もっと、褒めて……」

 ぼんやりと暗い通学路のせいか、おかしな言葉がこぼれてしまい、慌てて口を押さえた。誠二くんは苦笑いをしつつ頭を掻いている。

「あ、あの、違うの、今のは間違いだから!」

 誤魔化そうとする私の頭に、不意に大きな手のひらが乗せられた。そうして、戸惑う私の髪を撫でながら彼は言う。

「よくやったな、小原」

「は……うあ……」

 顔が真っ赤に熱を出して、そんな顔を見せたくなくてその場にうずくまる。鼓動が耳に直接伝わるほどに大きく跳ねて、頬をつねると仄かに鈍く痛む。マフラーで顔を隠そうとしてマフラーの季節がとうに過ぎたことを思い出す。

 誠二くんはそんな私を労るように、アスファルトの上に膝立ちになって目線を合わせる。

「小原、大丈夫か? 風邪でも引いてるのか?」

 覗き込まれて視線が合うと、胸がどうしようもなく苦しくなって、涙さえ出そうになる。

「近いよ……」

 ようやく絞り出した声は自分が出したのかと疑うほどに甘く、誠二くんはようやくその近すぎる距離に気付いて飛び退く。

「わ、悪い! そんなつもりじゃ……」

「…………」

 制服の裾を払って立ち上がると、火照った頬に夜風が優しい。右目に溜まった涙を拭うと、ふっと一息を吐く。

「小原、大丈夫か?」

「…………誰のせいよ……」

 言ったあとで、元は私が訳の分からないことを口走ったのだと思い出すが、言い正すことはできなかった。

 そうしてお互い無言のまま、私は気まずさもあって誠二くんの後ろを歩いた。すっと高い背中に紺のブレザーがよく映えている。声を掛けたいが、時々手を伸ばそうとして引っ込めるだけで怖気づく。

 そんなことをしていると、誠二くんが突然足を止めて、危うくぶつかりそうになった。

「小原、お詫びに何か奢るよ」

「……良いよ別に……誠二くんは悪くないんだし……」

「そう言うなって、ほら、あれとかどうだ?」

 誠二くんが指差す方には、春の和菓子フェアと書かれたのぼり旗が、ぼやけた光の中で揺れている。そういうのはずるい、と思う。

「うーん……夜ご飯食べれなくなっちゃうから……」

 私が拒むとは思ってなかったのか、誠二くんは困った顔をする。あるいは私が無類の甘い物好きだと覚えていたのかもしれない。

「なら、貸しってことで。何かあったら言ってくれよ、できることなら何でもするからさ」

「うーん、何でも良いの?」

「できる範囲でな。ほら、約束な」

 誠二くんはそうやって私の頭を再び撫でてくれる。二回目だからか、顔が赤くなるようなことはなかったが、それでも口角を上げずにはいられなかった。女の子とは違う、一見怖くも見える大きな手が、私にはどこまでも心地良かった。

 やがて家の前に辿り着いたとき、去ろうとする誠二くんの背中に、ふと思い立った。

「待って!」

「ん、どうした?」

 胸一杯に夜風を吸い込んで、けれども近隣に配慮した声で届ける。

「あの、さっきの約束なんだけど、その、明日も……会えないかな」

「明日か……明日は大丈夫だけど、そんなので良いのか?」

「うん」

 きっとにまにまとしているだろう顔を隠したくて、目線を逸らして頷いた。

「相変わらず変わってるなあ。まあ、そのくらいならお安い御用だ」

「本当? 本当に良いの?」

「ああ、俺も小原と会えるのは嬉しいからな」

 そっか、と声にせず答えた。

「じゃあ、また明日駅で。同じ時間で大丈夫か?」

「うん、また、明日ね」

 小さく手を振って、その背中が見えなくなるまでその場を動けなかった。隣の家から、魚の焼ける香りがした。今夜は良い夢が見られそうだ。


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