トゥのお味はいかが?
エザベラとハルウェルの事について、更に一時間近く話し込んでいた。話し込むと言うよりもシャーナは、ほぼ「えぇ…」「はい」と相槌を打つだけでエザベラが話しているだけなのだが…━━
自分が知っているハルウェルの事を十分に話したのだろう。終わる頃には、満足した顔のエザベラがいた。
「…ふぅ。今日はこの辺にしておきましょう」
すっかり冷めきった紅茶を啜り、喉を潤したエザベラはブルースを呼ぶと「あれを━━」と伝えた。
綺麗な礼を取るとブルースは小ぶりな簡素だけど、気品を感じる飾り箱を持ってきた。テーブルの上に敷物を置くと丁寧に飾り箱を乗せた。
「まずはこのぐらいで良いかしら?」
そういうや、エザベラはシャーナの前に透き通る明らかに純度が高いと思われる宝石を置いた。
「…あ、あの。これは━━…」
「あら? まだ足りなくて? ではこのダイヤでいかが?」
「え……、いや…そうではなく」
「ダイヤはお嫌い? そうね…貴女に似合いそうなルビーなんてどうかしら」
これでは埒があかないと思った。シャーナはただ単に、何故目の前に宝石が置かれているのか説明して欲しいだけである。それがエザベラには、どうもこの数では足りないと思われているようだ。
シャーナがこれ以上何か言っても、王女のエザベラには届かないだろう。やり取りを見ていたブルースが「シャーナ様は、何故宝石があるのかお聞きしたいご様子です」と声を掛けてくれたのだ。
「あら? そうなの?」
首を傾げて見せるエザベラは、少し考えたあと一人納得した様子で話はじめた。
そんな事よりも早く自宅へ帰りたくて仕方ないシャーナ。エザベラが話終わるのをジッと耐えるのだった。
そのあと、何とか話が終わり来た時と同じようにブルースに送ってもらった。来る時は、行きたくはなかったけどそれでも王宮へ行けるという嬉しさがあった。今まで、城下町のそれこそお店の周辺でしか出歩いたことがなかったからだ。帰ったら王宮についてミルーネ達に話が出来ると思っていた気持ちが、明日からの事を考えるだけで憂鬱な気持ちへと変化してしまったのだ。
馬車は予定通り夕刻までに店先へ到着した。
余程心配だったのだろう。ミルーネが店の出入口付近に立って待っていたのだ。
…母さま━━━
憂鬱で沈んでいた気持ちがミルーネを見ただけで、軽くなる気がした。それと同時に、やっと帰ってこれたのだと安堵するのだ。
揺れを感じることなく、静かに停まった馬車。ブルースが扉を開け綺麗な動作で、右手を差し出された。
その手を取るよりも早くミルーネの元へ行きたかったシャーナは、馬車から飛び降りるように出ると、そのままの勢いでミルーネに抱き付いたのだ。
「…シャーナ?」
顔を上げようともせず、ただミルーネに抱き付くシャーナ。
ブルースは「慣れぬ王宮でお疲れになったのでしょう」というと、ミルーネに一礼をし帰っていった。
その日、シャーナはそのまま自室へ行くと着替えることも忘れ、ベットに横になった。
夕飯にも顔を見せず、起きてこないシャーナ。帰ってきてから様子のおかしいシャーナを心配し、アルバーンはやはり行かせるべきではなかったと酷く後悔していた。それはミルーネも同じだが、アルバーンの感情と少し違った。
…女の勘、とでも言おうか。
“何が”までは分からないが、そう感じたのだった。
━━━夢を、みた…
暗くて、暗くて、真っ暗な中に私はいた。
「……グヘヘッ…もう、逃げられねぇぜ」
「もう、観念しな」
「い…いや……ッ!」
不思議な服を着た私。知らない男に追い掛けられ捕まりそうになってる…━━?
シャーナはひたすら逃げていた。男達から必死に捕まってはいけないと、その一心で必死に逃げている光景を夢で見ていた。
日中は見つからない様、物陰に隠れやり過ごし。夜その場から離れて逃げるという、夢だった。
悪夢としか言えないそれは、突然終わりを告げる。
「━━━……ナ…っ」
「……ャーナ…━━シャーナ…!!」
ハッと目を開けるとミルーネとアルバーンが不安そうな面持ちで、シャーナを見ていたのだ。
「……とぅ…さま? かあ…さまも」
「━━…シャーナ…」
「二人とも……どう、したの?」
シャーナが目を開け、声を聞いた時、二人はホッとした。いつもの朝の時間になっても起きてこないシャーナが気になり、様子を見に来ていたミルーネ。するとシャーナが魘されて苦しそうにしているではないか。慌ててアルバーンを呼びに行き、二人でシャーナを起こしていたのだ。それでも中々起きようとしないシャーナに、痺れを切らせアルバーンは医者を呼びに行こうと部屋を出ていく寸前だった。
「……シャーナ…何か、嫌な…夢でもみたの?」
「━━━━」
起きてから見ていた夢が思い出せない。
嫌な夢であったのは、何となく覚えている。でもどんな夢だったのか思い出せなかった。
「…とても、嫌な夢……でもね…どんな夢だったか、思い出せなくて」
「そうか━━…なら思い出せない程の夢だったんだ。気にする事はない。まぁ…汗は凄いから一度、水浴びしておいで」
「……はい、とおさま」
そう言うと、シャーナはベットから起き上がると浴場へと向かう。朝の水浴びはスッキリする。どんよりしていた気持ちまで流れていく気がして、少しだけ気持ちが楽になった気がした。
支度をして朝食を食べるべく、ミルーネ達の所へ向かう。その時、漸く昨日王女と約束した事を思い出す。
…や、ヤバイッ!
今何時なの!?
「か…母さまっ…! い、今って何時!!」
慌てて駆け込んでくるシャーナに驚くも「朝の八鐘がなったばかりよ」と教えると…━━━
「…い、いやああぁ! 寝坊だわっ!」
真っ青になり落ち込むシャーナ。八鐘であれば寝坊という時間帯でもない。まだ市民はゆっくりと朝食を食べたり、家族の団欒を楽しんでいる時間帯だ。貴族は知らないが、一般市民は朝と夕の時間帯を家族でゆっくり過ごす。
だから少し寝過ぎたからと言って、寝坊したとはならないのだが…
「か…か、母さま…っ、ど、どうしよう」
今にも涙が溢れそうな潤んだ瞳で、ミルーネに助けを求める。嫌な夢を見たせいもあり、混乱しておるのだろうと肩を擦って落ち着かせようとすると━━━…
「……ブルース様がもうすぐ来てしまうわ!」
と…ミルーネに掴みかかり訴えてくるではないか。ブルース様とは誰の事やら…と、少し考え込んだミルーネだがそれがエザベラの従者である事を思い出すと、シャーナと一緒に慌て出すのだった。
慌てた所で時間が戻るわけではない。焦りながらもまだブルースが来るまでに少し時間はある。シャーナは気を取り戻し、支度に取り掛かった。
いつもならゆっくりと朝食を取る時間。それが今日はそうもしていられなかった。
と、言うのも…━━━━
城下町から王宮までの往復時間、そしてエザベラ様の支度時間…━━
その他諸々を計算したブルースが出した答え━━━
それが、九の鐘がなる頃に昼食を取りに来るという事だった。
そんな大事な日に限って悪夢を見て寝坊するなど、自分に飽きれる。
エザベラからの要望通り、ハルウェルが好きなトゥを作った。時間がないからと手抜きはしない。手抜きをしたところで、もともと大した味付けなどしていないのだが、ハルウェルが口にする前に毒味としてブルースが食べるのと、ハルウェルと同じ物を食したいというエザベラの希望により、時間がない中でもいつも以上に丁寧に作った。
トゥを紙に包んで、一人分ずつ小分けにする。花柄の可愛い手提げに入れていると『ゴォーン…ゴォーン…』と、遠くに鐘の音がなる音が聴こえてきた。
それと同じくして、タイミングを合わせたように店の入り口の鈴が『…チリィーン』と鳴り響くのが聴こえた。
「お邪魔致します」
凛とした張りのある声がシャーナの耳に届く。この声はまさに、昨日聞いたブルースの声である。時間通りの登場に、何とかトゥの準備が出来たことに安堵した。ブルースを待たせるという最悪な事態は免れた。
作ったトゥが入った花柄の手提げを持って、店内へ向かう。
開店前の店内は薄暗く、閑散としている。そこに身だしなみが整ったブルースが立って待っているのだ。
「おはようございます。ブルース様…」
「シャーナ様、おはようございます。昼食を受け取りに参りました」
完璧なまでの動作に見入ってしまう。そんな自分にハッとし、ブルースに出来立ての昼食を手渡した。
「ありがとうございます。では、此方が本日の昼食代になります」
そう言ったブルースの手には、刺繍が施された滑らかな生地の小袋だった。その小袋を見た途端、シャーナの口から溜め息が溢れた。
この小袋の中身は、昨日エザベラが帰り際に見せていた宝石達。エザベラは金貨よりも年頃の女性ならばと、昼食代として宝石を授けようとしたのだ。
勿論、シャーナは断った。自分が渡さないだけで、ハルウェルが食べることには変わりないのだから。そう思っていたシャーナは、エザベラにそう伝えたつもりでいたのだが…ブルースが昼食代として小袋を差し出しているあたり、彼女は納得しなかったのだと思わざるおえなかった。
「ブルース様…申し訳ありません。そちらは受け取るわけには参りません」
「そう言われましても、エザベラ様が貴女に…と」
「はい。お心遣い痛み入ります。しかし、トゥのお代として高価な宝石を頂くなど、高過ぎます。ましてや、その美しい刺繍入りの小袋も生地、糸と最高級な物をお使いです。小袋だけでもトゥを何百個と作れるでしょう」
職人が丁寧に端正込めて作られたのが分かる素晴らしい小袋である。それを一般市民の私が貰って良い筈がないと、シャーナが思っていると━━━━
「貰っておきなさい! 私から貴女への褒美よ!」
何故貴女がここに…?
ブルース様だけの筈では…
「ブルースだけでは不安だったのよ! 私が来ちゃ不味いことがおあり?」
「…い、いえ。少し驚いてしまって」
「そう、ならいいわ。さぁ、シャーナ! ハルウェル様が好きだというトゥを出しなさい!!」
王女のエザベラに言われるまでもなく、既にブルースへトゥが入った袋を渡してある。ブルースは、エザベラの言葉を聞き「こちらになります」とエザベラに一つ袋を渡した。
「あら? ブルースに渡していたのね」
渡された袋を見て嬉しそうに頬を染めるエザベラ。これからハルウェルに渡すことを想像したのだろう。
「袋が二つあるけれど、これは?」
「はい。一つはエザベラ様の分でございます」
「私の?」
「ハルウェル様と同じものを食したいとおっしゃっておりましたので、ご用意させて頂きました」
「まぁ~!! シャーナ素晴らしいわ! ハルウェル様と同じ物を食べられるのね! ブルース、私もう待てないわ」
そう言いながらエザベラはトゥが入った袋を開け始めた。横でブルースが制止し「毒味を…」と一言。ブルース用に作ったトゥを食べるかと思いきやエザベラの方を一口、口にした。
シャーナが悪いという訳ではなく、王宮で作られた物でない場合、本人が直接口にする食べ物を毒味するという王族ならではのしきたりがあるのだ。ブルースはそのしきたりに乗っ取っただけに過ぎない。
要するに、外の食べ物は誰がいつどの様に作ったのか分からない。だから同じ物でも入れ物が違ければ、それぞれを毒味する必要があるのだ。
「……エザベラ様…問題無いようでございます」
「まぁ! それでは早速頂くわ!」
事もあろうことか、エザベラはそのままブルースの手にあるトゥを奪うと、両手にトゥを持ちドキドキした面持ちでゆっくりと口に入れた。
暫く無言のままトゥを食べるエザベラに、感想が気になるシャーナは気が気ではなかった。
その間も一口また一口と、トゥを口の中へ入れるエザベラの顔は後ろを向いて食べている為伺うことは出来ない。
食べるのを止めないところを見ると、不味くはなかったのだとホッとするのだった。
「……はぁ」
溜め息を溢し、シャーナに向き直ると「………美味しかったわ…」とエザベラから言われ、まさか王女に美味しかったと言われるとは思わなかったシャーナは、驚きでいっぱいだった。
我が儘なエザベラは、その性格からあまり素直にお礼を言ったりする事はない。ブルースもまたそれを知っているからか、エザベラが素直に感想を言ったことに驚いたのだ。しかし、従者であるが為、その驚いた顔は少し目を見開く程度であった。
用意したトゥが綺麗になくなった時点で、シャーナは満足だった。エザベラから味の感想が聞けるとはそもそも思っていなかったし、一口食べたら残すと思っていたからだ。
しかし、それに反しエザベラは全て平らげシャーナに美味しかったと感想まで伝えた。ハルウェルに食べてもらう為の味見に過ぎないと分かっていても、本来のエザベラはとても優しい純粋な女性なのではないかとシャーナは思った。