王宮からの招待 ~次女編 2~
王女エザベラが帰った後、店は大変だった。
まず、エザベラが来るという事はアルバーンもミルーネも誰も知らなかったのだ。シャーナが最近日課になっていた丘での昼食で、店から居なくなった少しあとに、エザベラの従者が来店しエザベラが店に来ることを伝えた。
それこらすぐ、エザベラ本人がしかもお忍びで来たものだから店内は大騒ぎだったという。
はじめは、最近城下町で有名だと聞きつけやって来たと説明を受けた。【洋服屋ミュゲ】の店主アルバーンは、王宮の一部に洋服を仕立てているとは言え、王族の方々が着る洋服を造ったことがない。エザベラが喜ぶような服が店内にあるとは思えなかったが、噂を聞きつけ此処までやってきたのだ。有りがたさと失礼がないようにと細心の注意を払っていたのだが…
「…これも違う…━━━それもっ…アァァ! もう! 本当にこの店なの?!」
「はい、この店で間違いありません」
店内にいた従業員やらは思ったのだ。
噂には聞いたことがあった。国王の第三王妃であられる次女のエザベラ様は、『我が儘王女』であると━━━━
「まぁ…私程になると一から私だけの! ドレスを造った方がいいわよね~ あ、そうだわ。本日来た目的を忘れるところだった」
あからさまな態度で、手を一回叩くと笑顔でアルバーンに言った。
「看板娘の“シャーナ”ってどの子かしら?」
「シャ、シャーナで…ございますか…?」
その瞬間、店内がざわついた。
それもそうだろう。何故、一般市民であるシャーナを知っているのか。看板娘であろうと名前が王宮に流れる程、有名なのだろうか…と。
アルバーンとミルーネは不安になった。
シャーナは娘に違いない。だが、それは二人がそう言っているだけであって、本当の娘ではないのだ。それが、王宮にまで、シャーナの名が伝わっているとなると、王都民権を持たぬシャーナの素性が明るみになるのは、時間の問題ではないかと思ったのだ。
「そう、“シャーナ”を呼んでちょうだい。それとも貴女が“シャーナ”? 貴女?」
近くにいた女性従業員達をシャーナかどうか確認していくエザベラ。どうしてそこまで、シャーナに拘るのか…考えても答えは出ない。シャーナがこの場に居ないことに、少し腹を立ててきたエザベラはミルーネにシャーナが戻るまで、自分に合うドレスを見繕えと言ってきたのだ。
そこからは、嵐の様であった…━━━
あれでもない、これでもないと。再び注文という文句が飛び交い、従業員達は作業場と店内を行き来する羽目になったのだ。
皆がこの時、早くシャーナ帰って来てと思ったのは言うまでもない。
シャーナが帰ってきたのは、そんなエザベラが何度かドレスを見ていた時だった。
それからは、シャーナが知る内容である。
「……ははっ…た、大変だったんだね」
乾いた笑いが出る。話を聞いて益々、エザベラは何しに来たと言うのだろうか。それもこれも今、手にしている封書が関係しているのであろう。
「それで…封書の中身はなんて書いてあったんだい?」
誰もが気になっている封書の内容。シャーナは恐る恐るその封書にペーパーナイフを差し込み、封を開封した。
二つ折りにされた紙を持つと、開く前に一回深呼吸をし気合を入れ開いた。
拝啓 シャーナ様
と始まる文書から少しずつ目線を下げ、内容を読んでいく。
その間アルバーンとミルーネは、そっと読み終わるのを待った。他の従業員達も気になるものの、影から見守る様に見るしかなかった。
~拝啓 シャーナ様~
私、アルクスト国 第二王女 エザベラ=ステーラ=アルクストと申します。
貴女と是非一度、一緒にお茶したいと思ってますの。
つきましては、明後日の月初め昼刻の鐘が鳴る頃に、使者を迎えに行かせますわ。
私と二人で楽しいお茶会をしましょうね。
とっておきの場所へご招待致しますわ。
………
……………
…………………
「…シャ…シャーナ?」
「なんだって?」
「━━…父さま…母さま……た、大変」
「何かとんでもない事でも書いてあったのか?」
「と、と、とんでもないどころじゃないわッ!」
青ざめた顔になるシャーナを見て、慌てた二人は未だ握りしめた紙を取り自分達で読み始め、そして二人も其処に書いてある文書に青ざめるのだった。
「なんて事だッ!」
「すぐにでも準備しなきゃダメよ!!」
「あ、あぁ…そうだな。うちにある物で王宮に出向いても可笑しくない服を…━━」
シャーナを置いて二人はあぁでもない、こうでもないと話し合い明後日の昼刻に間に合うよう従業員総出で、シャーナが着ていくドレスを身繕い始める。
耳に二人の声が届いてはいたが、何が何だか分からなく突っ立ったままになっているシャーナは思っていた。
ここ最近自分の身に起きている事を…━━━
アルバーンとミルーネに助けてもらい、幸せな時を過ごして数ヵ月余り━━━
極々当たり前と言える暮らしをしていた。
それが…ハルウェルと出会ってから止まっていた歯車が動き出す様に、当たり前と思っていた日常から少しずつ外れていっている感覚に陥っていた。
極めつけのエザベラの登場である。これから自分は何処へ向かっていくと言うのだろうか。
見えない答えに怖くなった……
時間が経つのはあっという間だった。
エザベラが指定した“明後日”が“今日”になったのだ。アルバーンとミルーネの集大成とでも言えようか。あれから昼夜問わず、二人は王宮に着ていけるドレスを仕上げた。貴族令嬢用に作っていた既存のドレスに少し手を加え、王宮に居ても可笑しくないドレスへと仕上げたのだ。
淡い黄色のドレスは、国の花に指定されているアルクストをイメージして作られている。星という意味がある【アルクスト】は、国の名前でもあり国の花でもある。国民であれば誰もが知る花をモチーフにしたドレスは、星の名の元に可愛らしい小さな花が幾つも散りばめられているのだ。
「━━━…父さま、母さま…なんて素敵なドレス」
「ふふっ、喜んでくれるかい?」
「勿論よ! とても素敵過ぎるわ!」
「頑張った甲斐があるねぇ~ おや、もう少しで時間だよ。髪結ってあげるからここにお座り」
ミルーネに促され、鏡の前に座らされると背中まで伸びている髪をとかされ、丁寧にサイドを編まれ一つに纏められた髪の毛。軽く化粧を施すだけで、どこかのご令嬢と言ってもおかしくない仕上がりになった。
「よし! 完璧だよ!」
「…わぁ、これが…私?」
「シャーナ綺麗だよ」
鏡越しに見る自分の姿。自分が自分ではない様である。
「さぁ、アルバーンにも見せておやり。首を長くして待っているだろうよ」
「うん」
案の定、アルバーンもシャーナの姿に歓喜した。
カーン…カーン…━━━
昼刻の鐘が鳴り響き、いよいよエザベラ様の使者を待つのみとなった。
鐘の音が鳴り止まないうちに、店の扉が開かれハットを胸の前に置き、お辞儀する髭を生やした初老が現れる。
爺やと言ってもいいだろう。
「シャーナ様、お迎えにあがりました」
なんとも丁寧である。シャーナに様まで付けるとは…長年王宮に遣えてきた者だと思わせる自然な動きに言葉遣いだ。
「私に様付けは止めてくださいっ…!」
「そうは参りませぬ。エザベラ様の大事なお客様です」
「…で、でも! 私は一般庶民です! 貴族でも王宮の方でもありません!」
「はい、承知しております。ですが、エザベラ様のお客様には違いありません。貴族だろうとなかろうと、丁寧におもてなしするそれが私の“仕事”でございます」
仕事と言われてしまっては、何も言えない。
そのまま促されシャーナは馬車に乗り込んだ。車窓から使者とアルバーン達が話し込んでいるのが見えるが、シャーナまで話し声が届くことはなかった。
「では、夕刻には送り届け致します」
「…えぇ」
「失礼致します」
来た時と同じ様にハットを取ってお辞儀し、踵を返し御者の隣に座ると馬車はお城に向かって走り出した。
馬車が出てから十五分程経った頃だろうか。車窓から見上げれば高く聳えるお城が目に入った。
城と城下町を繋ぐ一つの大橋。城の周りは大きな堀があり、城を護る様に城下町と城を隔てていた。大橋を渡りきると漸く城の門へ行き着く。そこからまた暫く続く道は、並木道になっており青々と生い茂る葉っぱ達に遮られた太陽の光が、隙間からキラキラと輝いて綺麗だった。
並木道の向こうは庭であろうか。色とりどりの花が顔を見せ、陽の光を浴びている。
ゆっくりと速度を落とした馬車は、二十段程の階段前で停まった。
「シャーナ様お着きになりました」
馬車の扉が開く。
初め目に入るのは、赤く染まった絨毯。次に絨毯脇に並ぶ数名の靴。
ドレスを踏まぬ様慎重に馬車から降りると、見えたのは平民の住宅何軒分、何百軒分という程大きい城が目の前にあった。
「お待ちしておりました」
一人シャーナの前まで歩み寄る者がいた。
エザベラの従者ブルースである。
「…お、お招きいた…頂きありがとう、ございます」
「エザベラ様がお部屋でお待ちです。ご案内致します」
「……はい」
素っ気ない態度のブルースに、苦手意識が芽生え始めていた。王族の従者であるが故に、仕事に忠実なのであろう。機械的というか、マニュアル通りというか近寄りがたいのだ。
ブルースの後を追うように付いて行くと、途中馬車からも少し見えた立派な庭が目に入った。思わず足を止めてしまい眺めていると…━━
「…シャーナ様如何致しましたか?」
「すみませんっ…つい、立派な庭園だったもので…」
「あぁ、それは庭師が喜びます。しかし、今はあまりお時間がないので、後程お帰りの際ご覧になってはどうかと」
「…はい」
ブルース相手ではどうも何も言えなくなってしまう。言われるがまま庭園を後にしようとした時だった━━━━…
「あれ? キミは誰かな? ここは関係者以外入ってはいけない場所だよ」
後ろから透き通るような柔らかい男性の声が聞こえた。
「…セルエル様お出ででありましたか」
「やぁ、ブルース久しぶりだね。妹は元気かな?」
「はい」
「それは良かった。それよりも…キミは?」
「…あ、えっ……その」
ど、どうしたら…
声色は柔らかいのに、シャーナへの問いは鋭さがあった。
ブルースが様付けで呼ぶところをみると、王族の人間であろう。
ただでさえ王宮に居るというだけで緊張しているのに、更にエザベラ以外の王族者が現れたとなれば…シャーナの緊張は上がるばかりだ。
「彼女はエザベラ様のお客様でございます」
「へぇ~エザベラのね…」
探る様な視線に耐え兼ねて、思わず目線を下げてしまう。
「キミ…綺麗な髪だね」
「え…?」
目線を下に下げていた為、セルエルが目の前まで来ていた事に気づくのに少し時間がかかった。
綺麗な指先がシャーナの髪の毛を一束掬った。それはもうごく自然な動きであった。
透き通るような声が似あう、碧い眼とブロンドの髪…そして少し堀が深い顔で見つめられてしまっては、流石のシャーナも顔を赤く染めてしまう。
「…あ、あの」
「あまりにも綺麗な髪だったから…ダメだったかい?」
「い…いえ」
「セルエル様そろそろ」
「あぁ、すまない━━━…っと、どうやら着てしまった様だ」
そうセルエルがシャーナの後ろの方に視線を向けるのを確認し、シャーナも振り向くと従者を引き連れたエザベラが、こちらへ向かって来るのが見えたのだった。
「お兄様ッ!! 何故ここに!? それよりも何故、シャーナと一緒にいるのですか!!!」
「エザベラ質問が多い。それに女性がそう矢継ぎ早に話すものではないよ」
「…も、申し訳ありませんっ。ですが、お兄様!」
「質問の答えはブルースに聞くといい。僕はそろそろ戻らないといけないからね」
またね。と最後にシャーナの頭を撫でると踵を返し、庭園の中に姿を消したのだった。
妹が妹なら兄も兄である。突然現れたかと思えば、嵐のごとくあっという間に消え去る。兄妹とは変なところが似るものなのだろうか。
「ブルース!! 貴方がいながら遅れるとは…ッ!」
「申し訳ございません。エザベラ様」
「━━━…まぁ、いいわ。お兄様が居たのだから仕方ないわよ。さぁシャーナ、“楽しいお茶会”をしようじゃありませんの」
優艶に微笑むエザベラの瞳は笑っていなかった。
“楽しいお茶会”という名の“拷問”が始まろうとしている事を━━━━
この時、シャーナはまだ知らないのだった。