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私の名前は…

「…シャーナっ! こっちに持ってきてちょうだい!!」

「はーい!!」


 慌ただしく駆け回る一人の少女。シャーナと呼ばれた少女は、布の束を抱え、呼んだ女性の元へと急いでいた。


 ここは王都にある城下町ベリル。そこに一軒の洋服屋があった。特段大きいお店でもないが、仕事は早く綺麗に仕上がるうえ、長持ちすると評判の洋服屋で、ここ最近は王宮からも仕立てをお願いされる程の人気洋服屋である。従業員は販売員から仕立て裁縫職人を含めると全員で十五人。その中にシャーナも含まれている。


 シャーナがここで働くようになったのは、ほんの数ヶ月前の事だ。


 あれは…そう━━雨が降る寒い夜の事である。

【洋服屋ミュゲ】の亭主アルバーンが、雨を凌ぐように木の幹に寄りかかり倒れるシャーナを見つけたのは━━━━…

 近づいても動く気配を見せない為、はじめはもう死んでいるのではと思った。しかし、僅かに上下する胸を確認し生きてると分かり、放置しておけば命に関わると思ったアルバーンだが、何度揺すって起こそうとしても起きる気配がまったくない。頬を触ればこの雨ですっかり冷たくなっているではないか。本当にやばいと感じ慎重に抱き抱えると来た道を戻り、店の奥に造られた住居へ連れて運んだのだ。


 家に着くと妻のミルーネが何事かと驚いた。ずぶ濡れのシャーナを見や否や夫のアルバーンを押し退け、男は部屋から出ていろと追い出した。濡れた着ている物を脱がし、体を丁寧に拭くと新しい服を着させ冷えた体を温める為、普通より少し厚いブランケットを掛けた。それでも冷えた体はなかなか温まらない。ミルーネは火で温めた石を数個程、何かの皮で出来た袋に入れると足下に置いた。通常はそれで温まるが、兎に角体温を上げる為に首もと付近にも同じ袋を置く。すると漸く、血色が戻りシャーナの顔色も良くなっていった。


 ━━━…そう、これがシャーナとの出会いだった。


 疲れきっていたのだろう。その日、目覚めることはなかった。翌朝、ミルーネが様子を見に行くと起き上がり外を眺める姿があった。


「あら? 起きたのね」

「………」

「もう体は平気かい?」


 声を掛けられ窓からミルーネへ視線を向けると、虚ろな目をした少女。心を何処かに置いてきてしまったような…生気を感じられないでいた。

 何かあったのだと。ミルーネはすぐに感じた。しかし、それを今追及していても仕方がない事だ。それよりも先にやらねばならない事がある。


「お腹空いただろ?お腹にやさしい物を持ってきたからお食べ」


 そう言って近くのテーブルに盆を置いた。

 盆に乗った器の中には、緑にオレンジ、赤と様々な野菜が細かく刻まれたスープが入っていた。湯気が立ち温かさが伝わるそれを眺めるだけの少女。ミルーネは何も考えず、自然に少女の頭を撫でようと手を伸ばしたときだ。


「…ッ、や…やめてっ…!」


 触れる直前、少女からの拒絶の声。

 よく見ると肩が震えている。それはまさに怯えである。伸ばした手を引っ込め目を伏せたミルーネは…


「…ごめんね。スープ冷めないうちにお食べね」


 それだけ告げると部屋から出ていく。部屋の外にはアルバーンが待っていた。

 出てきたミルーネを見たアルバーンは、何とも言えない渋い顔で何も話すことなく、ミルーネの肩を抱いて歩き出す。二人は少し離れた部屋で、椅子に腰掛け重い溜め息を吐いた。


「…━━あの子、怯えてた」

「知らない奴だからじゃないのか?」

「いいえ…あの怯えは、何かを怖れているそんな怯えだった…それに、とても生きてるとは思えない虚ろな目をしていたのよっ!」

「…落ち着けミルーネ」


 興奮したミルーネを優しく宥め、何度も何度も肩から背中にかけて、撫で落ち着かせた。

 昨日今日会ったばかりの少女に対するものではない。それをアルバーンは気付いていた。


「きっと…ここへ来るまで何かあったのよ…それに、アンタも見たでしょ?あの子の服装……あれはここいらの服じゃなかった。…もしかしたら他国の子で、奴隷として売られたかもしれないじゃない!……もし…もしもそうだったら、あんな目をしていてもおかしくないわッ」


 ミルーネの言っている事は分かる。分かるが…今にも泣き出しそうなミルーネの肩を更に強く抱き寄せ、どうにか落ち着かせようと試みる。

 いつも温厚で時に豪快なミルーネ。人を明るくさせる天才と思える程、接客でも作業中でも笑顔が絶えない店の中は、温かい空気でいっぱいだ。そんなミルーネが今や目に涙を溜めているではないか。まるで、我が子を心配する親のようである。


「…ミルーネ」


 何を思ったのかミルーネは少女を元気付けようと必死だった。誰もそれを止める者はいない。


 それから夕方に再度少女の元へ行くと、器のスープは綺麗になくなっていた。それを見た時の何とも言えない感情ときたら…幾分か少女も落ち着きを戻しているようだった。くすんだ瞳は変わらないが、怯えは感じられなかった。先程の事もあって、ミルーネは声は掛けず着替えだけを置いて部屋を出た。

 翌朝は、朝食を持っていくと既に起きている少女に驚くも近くに盆を置いて、日差しを遮るカーテンを開けると出ていった。お昼に様子を見に行くと少女は立ち上がり窓を開け風を浴びていた。

 その姿に驚きと嬉しさが込み上げてくる。昼食も朝食の盆と入れ換えで置くと、そのまま出ようとドアのぶに手を伸ばしたときだった。


「…あ、の」

「え…?」

「その…た、助けて頂き……あり…がとう、ございます」


 本当に驚いた。驚き続きである。

 あんなにも怯えていた子が話しかけてくるなど、思ってもいなかったのだから━━━…


「━━…昨日は…その…ごめんなさい」

「何を謝るの? あれは私が悪いのよ? 気持ちを汲んであげれずごめんなさいね」


 フルフルと首を降ってそんな事はないと。訴える少女。


「何かあったんだろ?」

「……」

「今は話さなくてもいいさ」

「……ち…」

「…え?」

「違うんです…っ」


 着ているワンピースの裾を握り震え出す。きっと今までの経緯を思い出したのだろう。急かしたりはせず、少女のタイミングで言えるよう待った。口を閉じたり開いたりと、繰り返し言葉を発しようとしている。


「━━━…わ、たし…分からない…んです。どうして、ここに居るのか…何処から、来たのか……分からない。…自分が誰なのか、分からないの…っ!」


 それは悲痛な叫びであった。少女は記憶を無くしていたのだ。


「少しでも覚えている事はある?」

「……倒れる前…私は……ごめんなさい…」


 思い出せないと首を降る。倒れる前の事は本当に覚えていない。ならばとミルーネは少女の着ていた服を見せる事にした。洋服屋という事もあり、ほつれたり破けたりしていた箇所は綺麗に直してある。雨で濡れ泥で汚れていたのは分かる。それよりもどうしたらここまでにという程に、洋服はボロボロだった。

 流石に洋服屋がボロボロの洋服をそのままにしておけるわけもなく、勝手にではあるが、直していたのだ。


「これは? 貴女が着ていた服よ?」

「━━━私が…?」


 だが、服を見せても少女の反応は変わらなかった。


「名前は…覚えてる?」

「……ごめんなさい」


 名前も忘れる程の何かが起きたのであろう。忘れたい程の…ショックを少女は受けたに違いない。

 ミルーネは「少し待ってて」と少女に伝え、アルバーンに少女について話した。記憶を無くしていると知ったアルバーンもまた心が痛んだ。そして二人で話し合った結果…


「…ねぇ、何処も行くあてないんだろ?暫くうちに居たらいい」

「えっ━━?」

「アルバーンと話し合ってね…記憶を思い出すまででもって」

「俺もミルーネも娘が出来たみたいで嬉しいんだ」


 少女は思ってもみなかったミルーネの申し出に戸惑う。見ず知らずのましてや問題を抱える少女など…面倒で仕方ないというのに。夫婦は嫌な顔など見せず、笑顔でうちに居なさいと言う。

 少女の心にスッーと温かい気持ちが入ってくる。頬に温かいものが流れた。…━━━涙だった。


「…や、その……嫌だったら別にいいんだ!」

「そ、そうだよ! 無理にとは言わないさ…っ!!」


 嫌で泣いていると勘違いする夫婦は、少女が泣いて慌てふためく。

 しかし、嫌で泣いてなどいない少女は首を横に降る。止めどなく流れる涙を止める方法が分からない。こんなにも温かい気持ちになったのは久し振りな感覚だったのだから…


「ち…違う……あの、う…れしく、て」

「「…え?」」

「記憶…ないのに…見ず知らずな私なのに…」

「これも何かの縁さ…」

「あぁ…そうさ」


 眉を下げで微笑んだミルーネ。ゆっくり優しく少女を抱き締めた。


「もう…アンタは私達の娘だよ」

「…むす、め」

「名前を考えなきゃな」


 アルバーンも二人を抱き締める。

 そして二人に少女は言った…


「━━━ありがとう」


 完璧までとはいかないが、少しぎこちない笑みを見せる少女に二人は目を丸くした。そう…少女は初めて笑ったのだ。


「……わら…た。笑ったわッ!」

「あぁ……そうだ! キミの名前は…『シャーナ』」

「━━…シャーナ」

「私達の輝く星━━シャーナという名前は“星”という意味があるんだよ」


 その日から少女はシャーナと名付けられ、夫婦の元で暮らし始める。


 はじめは、一日に二、三回笑えば良い方だった。ミルーネとアルバーンが毎日、街の事やお店の事など他愛もない話を聞かせ、少しずつシャーナとの距離を縮めようとした。そのうち体の擦り傷などの怪我が治ると、三人で街を散策し聞かせた場所などに連れて行く事が増えてった。

 夫婦のおかげもあり、シャーナの瞳には光が宿り始めていた。初めて会った時のくすんだ瞳は、今は何処にもない。


 少し経ったある日、夫婦の仕事姿を見ていたシャーナは、自分も何か役に立てないだろうかと考えた。助けてもらって娘として育ててくれている夫婦に何か…自分が出来る何かをしたいと思っていた。その事を夕食に話すと、接客として少しだけお店に立ってみないかと言うのだ。

 それからシャーナは時々、お店に立たせてもらっていた。

 はじめはお金の受け渡しから━━━徐々にお客との接客を任されるまでになった。

 洋服屋に来るのは新品の服を買うだけではない、今まで着ていた物を仕立て直しに来たりなどで、顔馴染みになるお客が増え孫が娘が出来たと、シャーナを目当てに来るお客もいる程だ。今ではすっかり看板娘として知られるように迄なっていた。

 シャーナがお店に接客で立てば、老若男女問わずお客が増えたのだ。それは勿論、皆シャーナの笑顔が見たくて仕方ないからで、お店に立ってからのシャーナはイキイキしていた。夫婦もそんなシャーナを見て心の底から喜んでいたのだ。


「あっ! ロバートさん、こんにちは」

「シャーナ、こんにちは。この服なんだが裾が破けてしまってね」

「あぁ…可哀想。すぐ直しますね! …えぇと、仕上がりは二日後でいつも通り他の箇所も見させてもらってで良いですか?」

「構わないよ」


 馴染みの紳士が裾の直しに来たようだ。手順通りに進め、預り証を切るとロバートにそれを渡した。

 店に出るようになって数ヶ月。

 テキパキと仕事をこなすシャーナがいる。そのシャーナが着ている服は、いつもミルーネがデザインし裁縫はアルバーンが担当。娘が着る服を作るのだ。楽しくて仕方ないという感じで、寝るのも惜しまず作っていた。そうして出来たのが、小さい花が散りばめられた可愛らしいデザインのドレス。ドレスとは大袈裟だが、ワンピースよりも少しスカート部分がふんわりとチュールが使われ、ボリュームが出た可愛い服になっていた。

 自分達が作った服をシャーナが着る。それにより洋服の宣伝効果も生んでいた。店前を箒で掃除したり、お客を外まで見送るなどその度に、通りかかったマダムやその娘が何処で作って貰ったと聞いてくるようになったのだ。これにより更に店は繁盛していった。


 カラン…カラーン

 出入口の鈴がなる。


「━━いらっしゃいませ!」


 振り向くと入ってきたお客は、白い軍服を来た騎士だった。

 初めて目にする装いに一瞬固まるシャーナ。しかし、直ぐに気を取り直し騎士に「本日はどのようなご用ですか?」と訪ねたのだ。

 すると、その騎士はぐるりと店内を見回してからシャーナを見ると━━━


「店主を呼んでくれ」

「…へ? 私がご用件お聞きしますが…」


 いきなり店主を呼べと言われ驚いた。仕事も慣れた事もあり、接客を任されたシャーナは責任感から、店主を呼べと言われてもすぐに呼ぶことは出来なかった。それが気に食わなかったのか、騎士は片眉を上げ怪訝な顔をする。流石は国に遣える騎士と言えようか…一般の少女からしたらそれはもう凄みが凄かったのだ。負けじと何とか耐え、再度口を開く。


「接客は私が任されてます。ご用件なら私がまずお伺いします」

「…ほう。では、私が言った事の受け答えは出来ると言うんだな?」

「うっ…で、出来ます…!」


 売り言葉に買い言葉とはよく言ったものだ。騎士の口振りから何かとんでもない注文が出てくるのではと、内心びくついてはいるが、出来ないと思われたくない一心でつい出来ると言ってしまった。


 もう何でもこいッ!

 フンっ、とつい鼻息が荒くなってしまう。


「では━━こことここ…それと、ここの部分を元通りの色と刺繍で(こしら)えてくれ。……あぁ、それと」


 …まだあるのッ?!

 と思いたくなる程、騎士の注文は多かった。もうそれはシャーナが覚えきれない程に━━━

 顔には出せないが、心の中ではもう勘弁してと溜め息を溢していた。


「最近、この店は城下町一の洋服屋だそうだな」

「…え?」


 突然の切り返しに思わず声が上ずってしまう。


「や、そんなこと…ないですよ?」

「だが、街の者達は皆、ここの店をいたく気に入っていたようだ」


 はい?


 もうシャーナは訳が分からなかった。この騎士は一体何が言いたいのだろうか。兎に角、軍服の仕立ての様だから、さっさといつも通り済ませてしまおうと預り証に記入していると━━━━


 …━━カランっ、カラーン

 お客が入ってくる音が聞こえると同時だった。


「…あ! 団長見つけましたよ!」

「ゼオン…何故お前が此処にいる」

「そう怒らないで下さいよ。副団長に頼まれたんすから」


 お店に入ってきたお客は、騎士の知り合いのようだ。

 名をゼオンと言うらしい。

 短髪で茶髪な彼は軍服を着ている事から、同じ騎士仲間のようだ。騎士に入っているなら成人はしているだろうが、その明るい性格と幼さの残る顔立ちは、元気いっぱいな青年のようである。


「ところで此処で何してるんっすか?」

「……お前には関係ない」

「つれないっすね~ 教えて下さいよ~」

「…こらッ、引っ付くな!!」

「教えてくれたら離れるっす!」


 ゼオンは騎士の背中に張り付いた。それは駄々を捏ねる子供のように……━━━━

 騎士はいつもの事なのか、本気で引き剥がそうとはしていない。その二人のやり取りから、ただの仕事仲間という間柄だけではないという事が伺える。

 何とも…二人の会話に割り込む勇気もないシャーナは、ただやり取りを見ているしかなく、どうしようかと考えを巡らせていた。


「…あれ? キミは誰?」

「…………ッ!」


 ほぼ空気と化していたシャーナ。ビクッと体をびくつかせた。


「ゼオン…驚かせるな」

「えッ?…いや、スンマセン!」

「…へ、あ…いや……大丈夫です」

「で? 出来上がりはいつだ?」


 …あ、話が戻った。

 いいのかな話しても━━━


 目線を少しだけゼオンという騎士に向ける。

 それに気付いたのか。


「あ、俺邪魔っすよね? どうぞ続けてください」


 それを聞いて、団長と言われた男に日取りについて話した。


「えっ、と…直す箇所が多いので、六日程お時間頂きます」

「分かった。六日後また来る」


 それだけ言うとゼオンの襟首を掴み出て行った。


 …━━あいさつ…忘れた


 あまりの出来事に挨拶、お見送りと接客の大事な仕事を忘れてしまった。カウンターに暫く呆然と立ち尽くし、ふっと視線を置いていった軍服に目をやる。


 あれ…? 何か大事なこと忘れているような……


「…っ、あああぁぁぁぁッ!!!」


 …な、な……名前、聞くの…忘れた━━━


 シャーナはカウンターに項垂れた。

 すぐ後ろからは、ドタバタと音がし作業場へと続くドアが開かれた。


「シャーナ! どうかしたのかい!?」


 ミルーネとアルバーンが二人して作業そっちのけで、駆けてきたのだ。カウンターに項垂れるシャーナと腕の下敷きとなっている軍服を見て、何かあったのだとすぐに気付くと。


「…何があったんだ?」

「父さま…さっき騎士の人が来て……」


 先程までの成り行きを二人に話した。勿論、名前を聞き忘れたことも━━━…

 最後まで聞き終えると、アルバーンは少しホッとして顔をしてシャーナに言った。


「…そういう事か……」

「それ以外は、何もなかったんだね…?」


 やけに心配している二人だが、名前を忘れた以外は何もないので、頷いておいた。

 それよりもシャーナは、接客を任されてからというもの名前の聞き忘れなど、したことがなかった。失敗してしまった事…その相手が国に遣える騎士となると、更に気分が沈んでいった。


「……ごめんな、さい」

「何を謝っているんだい?」

「…名前、聞くの忘れて…しまったから」

「━━…シャーナ。 誰にだって失敗することはあるさ。それよりもその失敗をどう立て直すか…一緒に考えよう」


 二人はシャーナを叱ることはせず、一緒に考えようと言ったのだ。素直に頷くも失敗という二文字が引っ掛かり、なかなか手が進まない。

 アルバーンはシャーナが預かった軍服が気になっていた。

 手に取り軍服を隅々まで確認する…すると…━━━


「━━…っ…この、軍服は…」

「アンタどうしたんだい?」


 ミルーネはアルバーンが手にしている軍服に目を向ける。

 僅かに手が震えているアルバーンは、一度深呼吸をするとミルーネに軍服を見せた。


「バハエル軍…ブリュッセ騎士団━━ハルウェル様の軍服だ」

「━━━!! なッ…ハルウェル様のだって!」


 どうしたと言うのだろうか。

 ミルーネまでも驚きで固まってしまった。何やらとんでもない品物を手にしてしまったようである。


 ここへ来て早数ヶ月━━━ これまで、何度か王宮への献上品としてドレスやローブ等々見てきた。その中には軍服はなかった。シャーナはこれが初めて軍服を見た事になる。その為、どの軍で何の騎士団なんて二人が話していてもちっとも分からず、教えてもらうのを待つしかなかった。


「…シャーナ。 この軍服はハルウェル様のだよ」

「ハル、ウェル?」

「王都に帰って来ていたとは…久し振りだな」

「知り合い…なの?」

「……シャーナは知らなかったね。 ハルウェル様とはもう何十年と長い付き合いさ。俺とクレディ家の当主…彼の父親とは学友でな。それもあって昔は、ハルウェル様の幼少期に服を作ったもんさ! 騎士団に入ってからはこうやって時々、軍服を直しに来てくれる。半年前か…北の侵略を食い止める為に、出払ってたからシャーナと会わなかったのは仕方ないさ」


 そう話すアルバーンの顔は何とも誇らしげに、それでいて嬉しそうだ。

 幼少期の時から彼を知っているのであれば、出陣し無事帰還したとなれば嬉しい筈である。


 それはそうと、アルバーンは気付いているであろうか。自分が何気に言った言葉を…

『北の侵略を食い止める為…』

 ━━━そう、今この国は北の大陸に侵略行為をされているのだ。時々、通りを小隊が通りかかる事が幾度かあった。見廻りか何かだと思っていたシャーナは、気にもしていなかったが王宮では食い止めようと躍起に成る程、北の大陸は近くまで迫っていたのだ。


「ハルウェル様のであれば、勝手は知ってるから問題ないよ。それよりシャーナ…今日はもう休んでいいからミルーネと一緒に買い出しに行ってきてくれないか?」

「…えぇ、それは勿論! でもお母さままで行かずとも私だけで十分よ?」

「たまには私と女二人で、お買い物しないかい?」

「フフッ…お母さまがそう言うなら」


 帰りにコズの実を買ってきてくれとアルバーンに頼まれ、二人仲良く買い物に出掛けるのだった。

 ここ最近お店が忙しかったせいか、まともに休みが無かったことを思い出したシャーナは、ミルーネとの買い物に心が踊っていた。

 看板娘となったシャーナ。街中を歩けばよく声を掛けられた。


「やぁ、シャーナ。ミルーネと買い物かい?」

「ジョバンニさん! えぇ、お母さまと久々にお買い物よ」

「それは良かったじゃないか! そうだ! これをあげよう」


 ジョバンニは小さな紙袋を渡す。

 紙袋を眺め喜ぶ。何せ紙袋の中身は新鮮な果物が詰まっているのだ。アルバーンが頼んだコズの実も甘くて美味しい果物の一つである。勿論、コズの実も紙袋の中に入っていた。

 果物の甘くて良い匂いが鼻をくすぶる。

 …そう、何を隠そうジョバンニは青果店を営む店主なのだ。


「いつも悪いわね」

「いいのさ! その代わり、また仕立てよろしく頼むよっ!」

「えぇ、勿論よ」


 二人は挨拶しまた歩き出した。

 途中、雑貨店や花屋と見て回った。雑貨店でミルーネは可愛らしいブレスレットを見つけた。星にブルーストーンが一つ付いたシンプルだが、シャーナを思わせるそんなブレスレットだ。

 特別高い物でもなく、庶民が身に付ける一般的なブレスレット。だけど、そのブレスレットがシャーナを守ってくれるような気がしたのだ。


「お母さま…いいの?」

「いいに決まってる。貴女の為に選んだのだから」

「大切にするわ!」


 思いもよらないプレゼントに喜ぶシャーナは、そのあと家についてからも嬉しくて、アルバーンに見せたのだった。


 それから六日が経った━━━…


 カラン、カラーン…


「いらっしゃいませ!」


 今日も賑やかな店内にシャーナの声が響く。

 新たなお客に挨拶をと、入口に振り向くといつかの軍服を着た騎士のハルウェル様が居るではないか。


「…あ」

「この間の品は出来ているか」

「あぁ……はい。少しお待ち下さい」


 先日置いていった軍服は、アルバーンによって丁寧に修復され新品と言われてもおかしくない程であった。店の奥の作業場へ取りに戻る。ハルウェルにあまりいい印象がないシャーナ。アルバーンは幼少期から知り合いというので、ついでに声を掛けてみた。


「あぁ、今日だったか…悪いが今、手が離せないんだ…ハルウェル様にはよろしくと伝えてくれないか」


 作業台から動かず、そう叫んだアルバーンに二つ返事で返し、店に戻る。


「お待たせしました。此方がお預かりした軍服です。ご確認下さい。あと店主より『挨拶に来れず申し訳ない。またよろしくお願いします』と賜ってます」

「…そうか。確認させてもらう」


 軍服を受け取り、隅々まで確認していく。一つまた一つと確認していくにつれ、ハルウェルの顔が少し笑っているように見えた。


「…問題ない」

「ありがとうございます。では、此方にサインを…」


 墨とペンを出し、サインを求めた。何事もなく、それにサインをするハルウェルだったが、ふと…シャーナを見た。


「よく…あんなに注文した内容全て伝えられたな」


 やばい…

 そう思った。内容なんて覚えてないし、そもそも伝える前にアルバーンが軍服を見ただけで、ハルウェルの物だと分かり伝える事なく済んでしまったのだから……

 ハルウェルはと言えば、初めて見る店員を少し試したという感じだろう。そうとは知らず、シャーナは冷や汗をかいていた。しかし、何ら悪い事はしてないし、正直に伝えればいいだけの事。それでもハルウェルの騎士姿では、威圧感がありすぎて緊張してしまい、パニックになる寸前である。


「どうした? まさか…覚えてなかったとは言わないだろうな」


 そのまさか。なのだが…

 ハルウェルを見る瞳が至る所を見て、目が泳いでしまう。

 シャーナ本人が、言い訳の一つや二つ…いや、アルバーンが全て知っていたと伝えようと考えを巡らせていると━━…


「ハルウェル様…娘を苛めないでもらいたい」


 作業場の扉からアルバーンが現れたのだ。


「…娘?」

「父さま、仕事はいいの?」

「あぁ…切りがいいところで来たからね。 ハルウェル様ご紹介します。娘のシャーナです」


 アルバーンの言葉を聞いて、ハルウェルは驚きを隠せないでいた。

 それもそうだろう。父の友人であり、ハルウェルを幼少期から知るアルバーン。アルバーンの妻であるミルーネとの間には子供がいなかった筈だ。それが…半年間王都を離れている間に娘が出来たなど…驚かないでどうしろと言うのだろうか。


「ご挨拶が遅れました…娘のシャーナです」


 アルバーンが現れた事により、気を取り戻したシャーナは挨拶をする。

 怪訝な表情を隠しもせずシャーナを見据えるハルウェル。


「まぁ色々ありまして…ご存じの通り本当の娘ではありませんが…本当の娘の様に暮らしてるんです」

「そうか…父は知っているのですか?」

「アイツには知らせてないですよ」

「……はぁ。貴方らしい」


 苦笑いを浮かべ、アルバーンと二、三言話すとハルウェルは軍服を手にし、再度シャーナを見ると、何も言う事なく店を後にするのだった。

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