165紙切れ
此処に記するは事実である。
彼の時、彼のものは開眼されたのであろうか。
最初こそ安定せず今にも引っ繰り返りそうな処を幾度か見掛けたものである。
其の奇跡は斜めにして立つ事に始まったのやも知れぬ。
彼の丼修行は我ですら足ががくがくと為る程のきつい鍛錬で在ったのに、彼のものの宙を舞うが如き歩く様を見て愕然としたものである。
更には両足を揃え引き摺る様に歩いたり、後ろ向きで滑り踊り乍ら移動したりとする余裕すら見せたのである。
もう脱帽するしか我には無かったのである。
但、踊りに関しては手足を無闇にばたつかせるだけで、余り恰好の良いものでは無かったのが残念極まりないのである。
リーシャはティロットが落とした紙を拾い呼び止めようとしたが、ちらりと見えた内容に黙して裏を向けて置き直し、其処で漸く口を開いたのだ。
「ティロット、何か落としたよ」
「あ! 此れは忝い!」
ティロットが紙を捲り執ると、ぴたりと動きが止まり、ぎぎぎと音が聴こえて来そうなぎこちない動きで顔をリーシャへ向けて来る。うん、怖い。
「ひぃっ」
「リーシャ様! 此の中身を読まれましたか?」
「か、紙の裏に何か書いて居たの? と云うか顔が怖いよ!」
質問に質問で返す作戦であろうか。だが確かに此れ以上は踏み込めなく為る。
ティロットはリーシャの些細な機微も逃さず読み取ろうとしたのか、暫くじっと見詰めて居るのだが、一息吐いてから踵を返して此の場を立ち去るのである。
「――うーん、彼の様な態度に為らざるを得ないと云う事は、内容が偽装で在って実質の処、リルミール様の観察日記とか……――」
リーシャもティロットも一応は文官派閥の貴族なのである。速読を以て一目で内容を把握する事は訳が無いのだ。
「――否、先メルペイクを呼んだら、リルミール様が返事をし乍ら後ろ向きにわたわたと若干ばたついて来られて、其の様子をティロットが帽子を取って眺めて居た気もするから、虚実取り混ぜたものとも云い切れないのかな――」
リーシャは小声で呟きつつ天井や床に開いた配管の通り道へ気を送り、徐々に石塊の付いた魔気道管を近付けて居るのだ。
決して怠けて居る訳では無いのである。
「――否、奇跡なんて奇行の足跡と読み取れないだろうか。開眼もラクス様の云う処の面白に悟りを開いたと謂う意味か。なんて事だ……全て繋がった、唯でさえ辛い作業と思われる、不安定な足場で聴音器具を支えて居たら笑わされて腰砕けと為り、御蔭で足ががくがくと為ったと――」
漸く石塊がくっ付いた魔気道管が、次々と開口部から出て来た様だ。
リーシャは其れを集めて蓄魔器へ取り付けて行く、作業も愈大詰めである。
「――否、物事を捻くれて見て許りでは駄目だよね。だけど彼の紙に書かれた文も大分捻くれてる気がするのだよね。修行好きのティロットですら疲れ果てる作業にリルミール様が平気な筈が無いのだよ……――」
「リーシャ様! 残りは聴音器具周りの土台創りだから、其方が終わり次第手伝って欲しいと、チェロルからの伝言です!」
「ひぃっ」
最後らしき魔気道管を押さえた儘リーシャはぴたりと動きが止まり、ぎぎぎと音が聴こえて来そうな程ぎこちない動きで顔をティロットへと向けるのだ。
「い、何時から此処に来て居たのかしら?」
「リーシャ様が、”だけど彼の紙に書かれた文も大分捻くれてる”、と仰られて居た辺りです! ところで、先程リルミール様が平気な筈無いと仰って居ましたが、何の様な意味なのでしょうか?」
「え、ええ、言葉の通り自力で歩けない程疲れ切って居て、メルペイクの【浮遊】に支えられ飛んで移動して居たんじゃないのかなと」
ティロットはリーシャの話しが終わる寸前に部屋を飛び出して行く、どうやらリルミールの許へ向かった様である。
リーシャも同じく気に為って仕舞ったので、慌てて後を追い掛けて前方部の部屋に入ると、椅子に座り込んで寝入って居るリルミールが目に入る。
「疲れてたのかな! リーシャ様が来るまで座って待って居よっかって待ってたら、何時の間にか寝ちゃったんだよ!」
「然う、分った! リーシャ様、運ぶの手伝って貰えますか?」
「勿論、だけど普段だと色々察しの良いティロットが、リルミール様の機微を見逃すなんて何か有ったの?」
「リルミール様の目が力強かったのです! 気迫に満ちた遣る気ある目を見て判断して居ました! 普段は目を見れば大体判るのでけどね!」
「えっ、じゃあ先私の目を見て……」
「はい、読まれた事は察して居ました!」
リーシャは目を逸らす事しかできないのだ。実に居た堪れない。
3人でリルミールを支え乍ら潜泳機の外に出ると、ハンナ様たちが此方に向かって来るのが見える。
そして、ベイミィが簡易寝具から逃げ出そうとしたが、敢え無くラクス様に掴まり戻されて行くのである。
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修正記録 2017-08-13 07:51
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