141酔剣
僅か、本の僅か許りの揺れである。
其れは剣先からの揺れなのか体の芯から来るものか。
とかく定まらぬ剣先にとんと間合いを詰め兼ねて、ティロットの動きを鈍らせるのだ。
「やあ!」
痺れを切らせて無理に飛び出したものの、調子のずれた儘で剣を振るっても何時もの力量以下である。
況して相手は謎の揺らぎを以てすいと身を躱すのだがら、空振った挙げ句盛大に体制を崩して仕舞うのだ。
勿論、そんな猫の腹を見せられては追撃せずに居られない。
「えい!」
「うわっ!」
不思議な事に限り限りでは有るものの、何とか避けきったティロットを褒めるべきだろうか。否、本人も状況を理解できて居ない様子だ。きょとんとしてる。
復しても其の様な隙を見せれば攻められるのは至極当然である。然も極めて滑稽で意表を突き、其の動きを例えるなら白千鳥だろうか。
足を左右に踏み変える陽動めいた足運びを織り交ぜて、細かくばたつかせ乍ら迫り来る。其の完成度は見事なものでリーシャたちくらいの力量だと、牽制であれ陽動であれ僅か乍らで有っても読める筈が、此の千鳥足さんはとんと動きに予想が付か無いのである。
愈以て苦境に立たされたティロットではあるが、其れを救ったのは不本意極まり無い事に終了を告げる言葉だった。
「止め!」
唐突と出されたリーファ様の掛け声に因って試合は中止と為ったのである。
「ええっ!」×2
ティロットもリルミールも不満顔である。否、リルミールに至っては、赤ら顔でふにゃりとした表情の為に判別付け難いのだが。
「否、流石に此方がはらはらして見て居られないし、指導者としても此れ以上は業もへったくれも無い泥仕合が予想できるだけに、続けさせる訳にも行かないのだよ」
「傍から見る限りでは互いに陽動や牽制を織り交ぜて、克く戦えて居たと感じ入りましたのですが、特にティロットさんの猫の腹見せと紛う如き技は、私でも手を出し兼ねませんわ」
「うっ!」
楽しく観戦して居たラクス様は残念な結果に物申すのである。
ティロットは褒められて思わず声が出たのだろう。
「だから其れが既に泥仕合の態を醸し出しつつ有ると言うのだよ。初めに断って置くが、二人共に其れ其れの行動は意識したものでは無いぞ。リルミールが動き廻るに連れて酩酊して仕舞いふらふらの状態で在るのに対し、ティロットは見慣れないふらふらした動きで惑わされて困惑した為に動きが鈍った挙句、リルミールが偶然ふらついた方向が回避に繋がり、ティロットの鈍った剣速も合わさって盛大に空振り体制を崩したのが、ラクスの言う処の猫の腹見せだぞ。然もリルミールの方は、攻撃を真面に繰り出せない程の酩酊状態だった様だからな」
ティロットは止めを刺されたかの様に、しゅんと為って居る。
そんな彼女を励まそうと誰ぞ肩に手を置いたのかと思えば、赤ら顔のリルミールが其の儘くたりと体を預けて凭れ掛かり、終にはすうすうと寝息を立て始めたのである。
「ほら、もう限界だったのだから、彼の足だってしどろもどろで危なっかしく自分で何時転んでもおかしくない状態だったのだぞ。マギーさん、リーシャ、訓練中に悪いがリルミールを上で休ませて来て呉れないか?」
「はい、勿論構いません」
「承りました」
「私も手伝うよ!」
「――ティロット、貴女は静かに為されないと、リルミール様が起きて仕舞いますわよ――」
「――だよ!――」
「……それでも、リルミールさんは強く見えましたわ。私でも簡単には勝負が付かないぐらいに」
「うーん、伝え聞く限りの話だが酩酊状態を利用した酔剣という、先程の予想できない動きを体系化した業が在るには在る。だが、近衛騎士としては流石に憚られるからなあ。まあ、リルミールには素質が有るみたいだから、いざという時の為に学んで置いても良いが、ハンナ様には断固として止められるだろう事は予想できるな」
「あら、皆様は此方に揃っていらっしゃらないのですね。一応自供が取れたと情報が入りましたので、報告に参りました」
「ああ、イザベラ、有難う。漸くリルミールが寝て呉れたので、先程上に連れて行って貰った処だよ。我々も上に行って皆で話を聴くことにしよう」
「畏まりました」
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修正記録 2017-07-17 09:24
憚れる → 憚られる
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修正記録 2017-07-17 08:58
句点を追加
「うーん、」追加
貰った → 貰った