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プレリュード

春香は微睡んでいた。

もう随分とこうしている様な気がする。

とはいえ、老いという制約を持たない彼女にとっては1年は1秒と本質的に大差無い程に短いと言えるし、同時にマイクロ秒を基本的な時間単位とする彼女にとっては、1秒は1年と本質的に大差無い程に永いとも言えるので、『随分』という概念自体があやふやなのではあるが。

そして、その永い微睡みの間に、何度か彼女を起こしそうな試みがあった。

彼女が何者なのかを知らず、と言うよりは彼女がそこに居る事自体を知らずに、鍵の掛かったドアを開け、侵入しようという無法者が居たのだ。

しかし、その試みが実を結んだ事は一度も無かった。

春香のママは、荒野のただ中に高く聳え立つ堅固な塔を建て、彼女をその最上階に注意深くそっと納めてから、その入口を厳重に閉ざしたのである。

このラプンツェルはその髪を窓から垂らしたりはしなかったが、荒野に聳え立つその塔は、遠くからでも無法者達の興味を集める程に目立ってはいた。

そして無法者達は、その塔の中に何が納められているかには関係なく、その偉容に惹き付けられて来た。

しかし、その無法者達の大半は、いざその麓に立ってみるとその扉がびっしりと蔦に覆われて鍵穴の所在すら確かでない事を見て取ると、もっと他の侵入し易い目標に移動して行った。

こんな固そうな蔦を果てしなく切り払う様な努力をしなくても、この世界には、もっと簡単に入る事ができる場所がいくらでもあるのだ。

しかし、無法者達の中でも不法侵入という行為そのものに悦びを感じる者達は、手持ちの道具を振るってこの扉に立ち向かおうとした。

そして、すぐにその蔦がただ表面を覆っているだけでは無い事を思い知らされる事となった。

大して難しくは無いとはいえそれなりの手間暇の末に目の前の蔦を断ち切り引き剥がしても、その下には次の蔦が出てくるだけで、しかもその蔦は今取り除けた物とは生え方が違うので先程とは違う遣り方をしないと歯が立たない。

こういう体験を果てしなく繰り返させられるのは、この扉を開ける事自体に対する強い動機を持たない者の心を折るには十分であった。

その挫折が数回に渡って繰り返された時、不法侵入という行為が営利手段でしかないと考える者達は、その中身が何であれこれ以上の努力に引き合う物ではないと考えて、扉に背を向けて立ち去った。

しかし、不法侵入自体を生き甲斐とする者の価値観においては、その扉が堅ければ堅いほど征服した悦びも大きくなるのであり、それを撃ち破る事その物が十分な報酬と言えるので、彼等は益々その決意を固めて扉に立ち向かった。

実はその蔦は全て彼女に繋がっているいわばラプンツェルの波打つ黒髪であり、従って彼女にはその無法者達の試みが手に取る様に判った。

とは言え、それは本質的には彼女を脅かす程の物ではなかった。

だから春香はその無法者達の足掻きといえる努力によって微睡みを破られる事は無く、彼女は夢現の境界にたゆとうて、その足掻きを冷笑的に眺めているだけであった。

しかし、彼女がそうして微睡んでいる間にやって来た無法者の中には、その蔦を全て取り除ける程に強力な道具と、蔦の一本々々に合わせて道具の使い方を調整する創意と、何本でも嬉々として切断し取り除ける根気を持った者も僅かではあるが居た。

そうして蔦が全て取り除けられると、彼女はようやく目覚める。

その間に彼等は、苦辛の末に蔦を全て取り除けて見ると、その扉にはこれ見よがしの巨大な錠前が何重にも下ろされている事に気付いた。

ここまで辿り着いた者達にとっては、勿論それは失望を誘う様な物ではないのだが、しかし、その錠前の堅固な外観を一瞥しただけでも、今までの道具では歯が立たない事が判る。

彼等は、再度道具箱をひっくり返して道具を選び直すと再び立ち向かって行き、その背後で彼女はその首尾を固唾を呑んで見守っていたが、やがて彼等はここまでの蔦とは次元の違う堅さに音を上げて立ち去って行った。

その都度春香はそれを見極めると、再び微睡みに戻って行った。

しかし、今回彼女の神経に触ったのはそういう無法者ではなかった。

それは、微かな羽音を立てながら塔の周りを飛び回り、無遠慮に窓を探していた。

その羽音はごく小さな物で、普通なら誰も気付かぬ程度の物だったが、特別誂えの彼女の耳はそれを聴き逃す事は無かった。

その不快な羽音に彼女は、少し眠りが浅くなった。

別に彼女を脅かす様な大層な代物ではないだろうが、それでも不快ではある。

しばらくは放っておいたのだが、それはいつまでも飛び回り続けている。

春香は半覚醒状態で手を伸ばした。

過去にもこういう不快な虫は何度もやって来た。

何しろ荒野の中で、この塔の高さはとりわけ目立つのだ。

大概は放っておけば諦めて飛び去るのだが、中にはこいつの様にしつこいやつもいる。

我慢できなくなっても彼女は、怒りに任せて叩き潰す様なつまらない事はしない。

そんな事をしても何も得るところが無い。

虫自身が気付かぬ内にそのしなやかな指で絡めとり、詳細に観察してからそのまま閉じ込めておく。

つまらぬ虫でも、何かしら学ぶ所はあるのだ。

こいつもコレクションに加えておこう、そう思った彼女は、もう何度も繰り返した様にしなやかな指でそれを包み込んだ。

ごくそっと掴んだ筈だが、普通ならとても気付かないであろう彼女の指の微妙な動きを察知したそれは、掌の中で微かな声を立てた。

彼女は慌てる事なく指を締め上げてそれ以上の声を立てられない様にした。

そっと掌の中を窺うと、虫は音もなく塵になり、そのまま何の跡形も残さず消え去った。

まあ良いだろう。

たかが虫には何が出来るわけでもない。

もし警戒しなければならない時が来るとしたら、この虫を飛ばしたやつ自身が来たときだ。

虫にこんな仕掛が出来るのはそれだけの力を持っている証拠だし、こんな仕掛をするという事は、友好的でない意図を持っているという事だ。

恐らくそいつは今の声を聴いただろう。

そいつ本人が来る時は、彼女が本当に目覚める時かもしれない。

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