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狂犬嬢と羊な執事と雌犬コック

「うん、いつ食べてもいろりちゃんの作る料理はおいしいね。きっといいお嫁さんになれるよ」


「いえこれはベネズエラ様のおかげなんですよ」




 八木は、一回り年齢の離れた少女がしばしば口にする、なぞの神様の名前をスルーする能力をいつの間にか身につけていた。


「それはそうと三宅さんがどこにいるか知らないかい。今日こそは、私が夜なべして作り上げたこのメイド服を着てもらわないと」


 右腕にハイソなヴィクトリアン調メイド服をたずさえた八木は、汚さないようにと左手でつまみ食いにいそしんでいる。その隙を狙われた。


「八木さん、はいどうぞ」



「え」


 箸を持っていたはずの左の手の平ききてじゃないほうはいまや、可憐なコック・いろりばたの右胸にあてがわれており、少女は潤んだひとみで八木を見上げている。





「つまみ食いするのはお料理だけですか?」


 少女は誘惑しているつもりだが、その胸には触って楽しむほどの体積はなく、残念なことに執事・八木にもそういった特殊な性癖はなかった。



 そして最大の不幸は今が就業時間内だったことだ。



「職場恋愛を禁ず、と言っておいたはずだが……」



 厨房の入り口にはいつのまにか、歩くサイクロン嬢・陽花が仁王立ちとなって、二人の濡れ場に冷ややかな視線を送っていた。


「ぎゃー、お嬢さま! 違うんです、これは」


「そうなんです、わたしたち真剣なんです! 許してください」


 聞く耳を持つ意思など微塵も持ち合わせていないらしい嬢は、台所用スリッパをはくとつかつかと二人のそばまで歩み寄ってきた。

「ひっさ、つ」


 八木の手はまだいろりばたの胸についている。




「SHOW TIME(掌底)!」

 嬢の細腕とはいえ、あごにスマッシュヒットした張り手は執事の脳を揺さぶり、哀れな男は一撃で昏倒状態に陥り、水色のタイル床に沈む。

「私は、女は殴らない」

 

 嬢はしかし、ショックでへたり込んでいるいろりばたの細長いコック帽をなぎ払った。


「けれどはたちゃん、君はクビだ。同級生だったからって、なにもかも許されるわけじゃない」

 思いもよらないときにかけられた厳しい言葉に、いろりばたは放心してしまい、あとはもう床のタイルを見つめているのが精一杯だった。


「八木いつまで寝ている、就業時間は終わったぞ。先生の時間だ。おや」


 嬢は床に落ちたメイド服に気付いた。


「裁縫は得意なようだな」


「げほげほ……、今日は家庭科ですか」


「宿題がある」


「手伝いませんよ。自分の力で……」


「『人脈は力だ』と母親に習わなかったか? たったそれだけで、この件は水に流してやろうというのだから、寛大な主だろう。笑ってよろこべ」

執事は口元を上げたが、目は笑っていない。

「かしこまりましたお嬢さま」


「それと、執事長に新しいコックを探すように言っておけ」











 という出来事が一週間前にあったにもかかわらず、その一週間後に嬢の前に現れた新しいコックは、何の因果か再びいろりばただった。




「今日からこちらで働かせていただくことになったいろりばたといいます。よろしくおねがいしまーす」


「執事長おおおぅ!」


「お呼びで」


「求ム状況説明」


「おや丹羽ちゃんも一緒」


「これは何の野望だ陰謀だ。まさかそういった特殊な性癖か。あの男ですらかからなかった色仕掛けに、あなたともあろう人が」


 執事長は興奮している嬢を制すと、持っていたカップラーメンをテーブルの上に置き理由を話しはじめた。お湯が少しこぼれた。

「とんでもない。この大日九生、陽花嬢様以外の人間の色仕掛けに墜ちることなど無きにしもあらんこともなく、ただただ新しい人材を募集したり、面接したりするのが七面倒くさかっただけですあほらしい」


 執事長はずり落ちた眼鏡を所定の位置に戻しつつ、私を見くびらないでいただきたいと言って説明をしめくくった。



「この子は規則を破ったんだけど」


 当然、嬢は納得するはずもなく妙に自信たっぷりな大人に対して、もごもごと反論する。しかし現実は非情であった。




「お嬢様、今日のレッスンです」


 執事長は嬢の両肩に手を置くと、空よりも深くすがすがしいその瞳で少女の目を真っすぐ見据えて言い放った。


「きまりは破るためにあるのです」




 ぽかんとおおきく口を開けている嬢を残し、一仕事終えた執事長はカップラーメンを持って応接間をあとにした。庭師の丹羽に内蔵された原子時計は、寸分の狂いもなくきっかり三分数えていた。


「そーいうわけなんで、はるちゃんこれからも末永くよろしくね」


「あれいろりちゃん、なんでいるの」

 

 まぬけ面を下げた執事がやってきた。手にはカップ焼きそばを持っている。


「あっ八木さん、いいところに。実はあれからこないので結婚してください」

 

 一瞬、場の時間は停止したが嬢の「うそつけ」という発言によって再び回りだした。


「うんウソ。でも結婚してほしいのはホントかな」


「職場恋愛は認めない」


「大丈夫。八木さんのことが好きなわけじゃないから」


 執事は少し泣きそうになった。


「だったらなおさらだよ。雇い主としても友達としても、はたちゃんのパパとママに申し訳できない」


 はじめて聞く嬢のシリアスな言葉に、いろりばたは放心してしまい、あとはもうふかふかのソファーに深々と沈みこんでいるのが精一杯だった。




「だ、だいたい『来ない』と言ってもなにが来ないのか分からないし。主語が抜けているんだ。その文は」


 今度こそ完全に場は凍りついた。嬢の空気を読んでいない言葉ですら取り繕うことはできず、焼きそばの麺が伸びきろうと、執事もコックも大浴場にあるお湯を吐き出すライオンよりも動かない。





 あわてふためく嬢をよそに、庭師の丹羽だけはどのタイミングで「八木、今日の授業は保健体育だぜ!」と言おうかと温めていた。


 しかし世の中にはその怜悧なCPUでは演算しきれない出来事が存在するというのもまたまぎれもない事実なのだった。





おしまし


登場人物紹介


・執事:八木やぎ ひつじ

 主人公兼執事兼引きこもり。一人称は私。ビジュアルイメージは『みえるひと』の轟。


・コック:いろりばた(いろり はた)

 名前を漢字で書くと少々アレなため、学校でいじめられた末、不登校になった。名字を変えるためだけに早く結婚しようと考えている。「味覚は歳が近いほど似ている」とのことで、嬢が暇な彼女を強引な方法で雇用した。 


・メイド:三宅めいどの みやけさん

 本編未登場。訛りが強すぎるため誰も彼女の言葉が理解できず、したがって本名も謎。


・嬢:むらさき 陽花はるか

 八木に使う態度はなにかで見た、「引きこもりにはスパルタ」という言葉をもとにしたもの。


・執事長:大日おおにち 九生くしょう

 カップ焼きそばは焼いてないから嫌い。人としてわりと最低なところがある。


・庭師:丹羽にわ

 美少女が装着している、美少女が未来から操縦している、果ては変形すると可憐な美少女になるなどと八木が断固主張して止まない庭師ロボット。おそらく、ロボットと呼ぶと自爆するような少女らしい繊細な一面を持つところからそう言っているのだろう、と丹羽は考えている。


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