第八話 雲の渦
「一応言っておきますが、倒れすぎです」
目を覚ますと、知らない部屋だった。
「無理しすぎなんですよ」
「そう言われてもなぁ。どうしようもない状況だったし」
「はぁ……。あなたはこの家出で一体何を学んだのですか?」
どうやら宿屋で寝ていたようだ。あの雪山からわざわざ運んで来てくれたのか。それはご苦労なことだ。
「あなたの思っている以上にこれは深刻な問題なんですよ」
「解っておる。この国の未来に関わるからな」
「そうではありません。あなたの病的なまでの執着心です。何も、あなたが解決しなくてもいいことなんですよ。それをいい加減解ってください」
「…………」
そうは言っても、家には帰りたくない。それに、国を救った後に帰れば母上や使用人たちもきっとわたしを見直すだろう。わたしは、いつかドヤ顔で帰宅するその日を夢見て生きているのだ。……理由が悲しい。
「……もう諦めましょう。他の人に任せるんです」
「それは嫌だ。ホフンティアとして、国の英雄(の末裔)として、放棄するわけにはいかない」
「あなたも随分と頑固ですねぇ」
とりあえず立ち上がって体を動かしてみる。異常はない。
「さて、次は塔に行くのであろう? お前ら、さっさと準備したまえ」
「挫けないことはいいことですが、挫けなさすぎるのも考え物ですよ」
「うるさいなぁ。いいから戦えるように仕度は済ませておけ。何が何としてもゼールの野郎を叩きのめしてやる」
「あ、それも目的のひとつなんですね」
宿の洗面所を探し、顔を洗う。宿においてある歯ブラシで歯を磨き、十字槍を背負って宿の外へ。
「金は支払ってきたか?」
「もちろんですとも」
「うむ。それでは出発するぞ。やりのこしたことは?」
「いいえ全く」
「……お前らしいな」
山賊のほうも大丈夫そうだ。
「では行くぞ。雪山の先のほうだから、忘れ物とかで戻って来るつもりはないからな」
「最北端の時計塔で合ってますよね」
「そんなのは知らん。なんだ時計塔だったのか?」
「今はもう歯車に油気がなくなって動いていませんが」
どうやら二千年前くらいに建てられた建物らしく、床がめくれていたり階段がつながっていなかったりするらしい。最上層まで行けるのか?
「まあ、エルトラス塔よりはましですよ」
「エルトラス塔? 何だそれは」
「シャルル・アヴェントって頭のおかしい作家が書いた小説に登場する、古代帝国の遺跡の中央にそびえ立つ塔です。中には凶器に満ち溢れた罠や、人を食らう魔物がうじゃうじゃ存在すると書かれていましたね。まあ、虚構の世界ですから」
雪山をスルーして最北端へ。手前に塔が見え、その奥に海が広がっている。
「……この中に入るのか」
「嫌なんですか?」
「嫌だろ。外観からして嫌な雰囲気しか漂ってないし。第一印象最悪だろ」
壁のレンガは崩れ落ちているし、金属部分が所々錆びている。半開きの鉄の扉はこれ以上開きそうにないし、というか触りたくない。もう帰りたい。あ、家にじゃないぞ!
「さあ、扉を開きましょう」
「開くのか? 半開きのままだが」
「解りませんよ。開けてみるしかないでしょう。ほら」
「わたしは触りたくない」
「じゃあその扇風機で扉を破壊してください」
「扇風機言うな! てか無駄使いだろ! 電池の消耗が激しいのだよ! 天然資源の無駄使いに反対反対っ!」
「じゃあご自分の手で開けてください」
「解ったよ! ふっ飛ばせばいいのだろう!」
「随分弱気ですね」
電池を消耗して扉を壊す。扉は奥のほうまで飛んで行った。
「早速中に入ってみるとしますか」
「どうせ薄暗いだけの空間だろう」
「薄暗い時計塔ですよ」
中は暗かったが外から入って来る光のおかげで見えなくはない。
塔の内部は円形になっていて、その空間がずっと上まで続いている。円形の空間の中心に歯車がいくつかかみ合っているものが置いてある。一番端のヤツを動かすことで時計を動かしていたのだろう。今はもう錆びついて動かなくなってしまっているが。
「……昔あった螺旋階段はもう崩れ落ちてなくなっているようですね」
「じゃあいかにして登る?」
「歯車を上って行くしかないでしょうね」
「……帰っていいか?」
「ダメです」
足を踏み外したら最初からやり直し、ってことか。生きていればの話だが。
テールドルトはハルバードを背負っていても移動に少しの支障もないようだ。本当に不思議なヤツだ。ジャンプで登っている。恐るべき跳躍力だな。
「さて、私たちも登りましょう」
ラーナが歯車の上に乗り、その一つ上のものに手を掛ける。
「アイゼンディーテさん、この歯車、少しですが動いていますよ」
「二千年経った今でも?」
「ええ。まだ何かの力が働いているのでしょう」
「何の力だよ」
「恐らく宝玉かと」
「……まあそうだな」
錆びついた歯車などに触りたくはないが仕方がないので登る。意外と高い。
「テールドルトさんなんか跳んで進んでますよ。もたもたしていたら置いて行かれそうです」
「それはあいつがおかしいのだよ。わたしたちは正常だ」
「果たしてどうでしょうね」
「いや議論するまでもなくあちらが異常だ」
三つ登っただけで疲れてきた。最上層までは程遠い。
「どうしてこの塔が二千年も経たないうちに廃れてしまったか知ってますか?」
「知るわけがなかろう」
「宝玉を隠した場所だからですよ。ハルグが封じられたのも二千年前でしたよね。この塔を建てて間もなくです。宝玉が悪用されないように隠したあと、油の補給を完全に止めさせ、階段を壊したんです。崩れた階段はそのままにしておいて、人を寄せ付けないようにして、人々の記憶から消し去りました。ひどい話ですよね」
「せっかく建てた時計塔なのに、建ててすぐに壊したのか」
あの山賊は随分高いところまで行っている。落ちるなよ。
「私たちがこれから挑むのは、そこまでしてその力を封じた化け物なんですよ」
「宝玉を回収しておけば問題ないだろう」
「甘いですね。宝玉が全て揃わなくともハルグドリオンは復活するんですよ」
「何だと!?」
今のは衝撃的だったな。いくつか足りなくても蘇らせることが可能なのか。ここに来て良かった。
「あれ? 知らなかったんですか? てっきり、宝玉目当てかと」
「まあそれもそうだったのだが、最大の目的はゼールを叩きのめすことだ。全部集めなくてもいいなんて話は知らん」
念のため回収しておこう、て感じでいたのだが。
「ほら、あと少しですよ」
「意外と早いものだな」
「二人とも遅いっすよ」
「お前が速いだけだろ」
天井が近くなってきた。その上はどうなっているかというと、中央に穴が開いていて、そこを抜けると終点だ。よくそこまで歯車をつなげられたな。
「この上です。ようやく到着しますよ」
登りきって床に足をつける。やっと安定した足場にありつけた。さて、その奥にいた者とは、
「遅かったな」
「……空の球は?」
「既に我が手の内だ。さあ、奪い取って見せよ」
「言われなくてもそうさせてもらう」
こちらが先に仕掛ける。この前のようにかわされ、後ろから矢が飛んでくる。突然のことだったがすぐに反応できた。この前とは違う。反応の速さもそうだが、相手も本気だ。
ためしに強風を放ってみる。するとゼールは左に動いた。動きが速いが、見えないということは決してない。
横から矢が三本飛んできた。わたしが間をすり抜けると、壁に当たった矢は爆発した。
「これが果ての球がもたらす恩恵だ! その宝玉がある限り、お前は俺に負けることはない!」
「それでは貴様が負けを認めるようなものではないかっ!」
「それはどうだろうな!」
一方的に攻められている。反撃のチャンスがない。このまま疲れてわたしが倒れるか、それともあちらの矢が切れて攻撃手段がなくなるか、どちらかだ。
矢が絶えず飛んでくる。よけるだけでも精一杯なのに攻撃できるはずがない。相手は高速で動き回っているから果ての球を持っていないテールドルトとラーナの二人がゼールの動きを捉えられるわけがない。風の球のせいで本来は目で捕捉することすらできないほどの速さで移動しているのだ。
爆裂弾が襲ってくる。
「アイゼンディーテさん! 聞こえますか!?」
「聞こえている! 集中を切らさないでくれないか!」
「解っていますがその前に言っておきたいことがあります! 相手は風の球の恩恵を授かっていますが、体には大きな負担がかかってます! その調子で回避を続けていれば、ゼールフェルデさんは疲弊し、勝機が訪れます!」
「解りきったことを話すためにわたしを呼ぶな!」
床に数十本の矢の残骸が飛散している。転んだらそこで終わりだ。
ゼールが急に動くのを止め、五本ずつ連続で撃ってきた。今まで気がつかなかったのだが、ゼールの弓には弦が五本ある。
「相当疲れてきているようだなっ!」
「……お前のほうこそ!」
動きが鈍ってきている。相手の撃つスピードも段々遅くなってくる。少しづつ近付いて槍を振る。穂先が敵の肩を掠めた。肩から血が滲んでいる。
これでようやく同等だ。なかなか厳しい戦いになりそうだ。もうなっているが。
ゼールが再び動き出す。来る場所を予測し、槍を振り回す。時々、刃が掠めるが、致命傷には至らない。
遠ざかったのと同時に、矢が飛んでこなくなった。弾切れか?
その次には爆裂弾を連続で撃ってきた。少し前に出ながらかわす。後ろで爆発音が絶えない。
どうやら爆裂弾も切れたようだ。急に何も飛んで来なくなる。これで勝ちはほぼ確定だ。だが、相手がこれからどう出るかまだ解らない。別の攻撃手段を持っているかもしれない。
ゼールが中央の歯車に飛び乗った。その直後、わたしの放った強風が歯車に直撃した。反応が遅れたゼールは、崩れる歯車に乗ったまま落下していくのだろう。
考えるより先に、体が動いた。一瞬だったと思う。わたしは中央の穴にとんで行き、落ちかけているゼールの手をつかんだ。そして引き上げる。いやいや軽すぎだろう! 片手で上げられたのだぞ! お前の原料は一体何なんだ!
とりあえず、助かった。自分でも何故助けてしまったのか解らない。英雄の血がそうさせたのか。
「……さあ、戦闘再開だ。ほら、立てよ」
「……何故助けた?」
「貴様と決着をつけるためだ。別に善意があったわけではないぞ」
「あの時点でもう決着はついたようなものじゃないか」
「……そんな勝ち方、面白くない」
ゼールは立ち上がり、再び弓を構えた。だが撃ち出す矢はもうない。
彼の翠色の目には、もう輝きは残っていなかった。
「……しかし、俺にはもう、お前と戦う資格はない」
「そんなことはない。このわたしが言っておるのだ。それとも、もう攻撃手段が残っていないのか?」
「……言い残したことがある」
「何だ? 言ってみよ」
「アルヒェルとかいう弓使いがいただろう。そいつを先ほど捕らえた」
「何だと!?」
「そうしてさっき砂漠の方へ捨てに行った。人質としても使えなさそうな性質だったし、捕まえたままにしておくのもどうかと思ってな。面倒だったのでな。今頃はあいつは魔物の餌になっているよ」
「……貴様がか?」
「ああ」
「…………」
目の前が急に真っ暗になって、何も考えられなくなった。今、わたしがどういう動きをしているかも解らない。ただ、何かの活動を行っている。それが果たして何なのか。
ただ、聴覚はいやにはっきりしていた。何らかの音が聞こえる。が、それを理解することは出来ない。心の中に灰色の雲が渦巻いているような感覚だ。
こういう音も聞こえてきた。
「やめてください! アイゼンディーテさん!」
頭の中でずっとこの音がこだましていたが、わたしには何の音かさっぱり解らない…………。