第二話 彷徨の森
昨日は、番兵から貰った金を使って宿をとり、今まで一度も食べたことのないようなまずい安っぽい飯を食った(金の節約のため)後、疲れていたのでぐっすり眠ってしまった。今朝起きたらなんと部屋の入り口で寝ていた。体中が痛い。
「あ、おはようございますっす」
「……ああ、おはよう。起きるの早いな」
「いや、今日はちょっと寝坊したんだけど」
時計を見るとまだ七時である。誰かに起こされずにこんな時間に起きたのは初めてだ。だが眠気はない。疲れてはいるが。
「今日はどうする?」
「とりあえず食いぶちを探さなければならんな。あとちょっとの金しか残っておらんぞ。あの番兵め、足許見おって」
「きっと金持ちだからこれだけでいいだろって思われたんすね」
「確かに金持ちの家系だけど、わたしは今はもうツァプフェンクロイツではない。ただのアイゼンディーテ・ベルゾルドだ」
「それだと名字がベルゾルドみたい」
「ベルゾルドは祖父の名前だったんだがな」
「へえ。あんたの祖父ってどんな人?」
「……さあな。会ったことがない。わたしが生まれてすぐにころりと死んでしまったようでな」
一番安かったこの部屋には水道がついておらず、仕方がないので近くの川まで行って顔を洗ってきた。歯ブラシがないので石で歯を磨き、ついでに川の水で頭を洗った。「流石」を見事に表現しているただの貧乏人だな。
「こんな贅沢な生活をしたのは初めてっす。最高の気分♪」
「……こんな情けない体験をしたのは初めてだ。最悪」
どちらがいいのかまるで解らない。
「とりあえず金くれそうなヤツ探そう」
「情けなさ過ぎて涙が出てきそうなのだが」
「あ、それと対人苦手だからあんたよろしく」
「おい! そんなんでよく山賊として生きてこれたな、じゃなくて、わたしはしないぞ、そんなこと」
「『貧しい貧しいホフンティアにお金をお恵み下さい』とか言っとけばちょっとくらいくれるって」
「言えるか!」
人助けでもして金取るしかない。目的はあくまで金を手に入れることだからな。別に世のため人のために行動しようなんて思っていないんだからな!
「あ、見てくださいよ。あんなところに格好のカモが」
「どこが格好のカモだ! 金髪のチビではないか!」
わたしより小さい女ではないか。そんなヤツがくれるほどの金銭を持ち歩いているはずがなかろう。困ってそうな顔してるけど。
「あいつの親からたかってきやしょう」
ああ、ホフンティアの権威が失墜しそうだ。とか思ったのだが、よくよく考えてみれば既になくなっているな。それでもよくない。
テールドルトはそいつに近寄り、何事か話しかけた。おいおい、聞こえないぞ。わたしはもう少し近くに寄ってみた。
「何か困ってることでもある?」
「ありませんよ」
(一部推測)
おい! 何やってんだ!
「あ、そうだ。森に行こうと思っていたところなんです。良かったら一緒に行きませんか?」
「え、あ、森? まあいいや。じゃあ一緒に」
おいちょっと待て! 何か勝手に話が進められているぞ。
「アイゼンディーテさん、なんか森に行くことになっちゃったみたいっすよ。どうする?」
「……解ったよ。暇だから付き合ってやろう」
「わあ、お二人とも、ありがとうございます」
何に対して感謝しているんだ。共に行動するだけではないか。
「私、ラーナといいます。よろしくお願いします」
普通っぽい名前。
「あ、森には変な生き物が山のようにいるらしいので気をつけてくださいね」
だろうな。もし危険な生物が目の前に現れたならば、この無駄装飾のついた槍でなぎ倒してやる、というヤツがいたら同行してくれ。女三人ではまるで戦力にならぬ。しかもこの槍、殺傷能力が低い。なんといっても昔、国を救った英雄が使ったとされる槍……の劣化コピーだからな。自分でも何を言っているのか解らん。
「なあ、森の中で魔物が現れても対応できんぞ」
「そんなこともあろうかと、弓と矢を持ってきました。扱いは下手くそですが」
「いや、まだ魔物出てきてないからな。今出さなくていいから」
心配なんだけど。
「ちょっと訊きたいのだが、お前、金は持っておるのか」
「いいえ、全然」
まあいいや。森へ向かおう。で、森ってどこ? ついて行けばいいか。
……あれ? 何か建物の裏のほうに怪しい影が。気のせいか。
「こっちが森です」
「うわー、木が生い茂ってる。解りやす」
「そういうもんだろう」
だって木が生い茂ってなかったらそれは森ではないのだし。どちらみち気持ち悪いのに変わりないが。
「変な植物も生えてると思うんで、下手に食べると死にますよ」
「食べないから」
逆にお前が食いそうで怖い。そうなったらわたしたち迷子確定だから。しっかりしてくれ。
ということで森に突入。薄暗い。当たり前か。道もある。親切な森だな。
……あ、道が二股に分かれている。どちらに行こうか。
「ここは右でしょ」
「いいえ、左だと思うのですが」
「あっそ。じゃあ左で」
山賊弱っ! 自分の意見を貫き通すこともできないのか。
おや、また分かれ道だ。
「左かなぁ」
「ここは右ですね」
「じゃあ右で」
「あ、ここも分かれ道ですよ。三股に分かれてます」
「レッツ直進!」
「いえ、ここは左で」
「左? まあいいや」
「やっぱり右にしましょう」
「じゃあ右で」
お前進行方向決める気ないだろ。
そんな調子で迷った。そりゃそうだ。誰か助けてくれ。広い所に出たのだが、行き止まりだ。残念。
幸い今まで何も出てこなかったが、このまま脱出できなかったらどのみち死ぬしかない。と思っていた矢先――
大地を震わす轟音がして、上から何か落ちてきた。黒とも茶色ともとれる巨大な塊。地上のもの全てを凌駕する、地獄からの死者……、これはさすがに盛りすぎか。
「うわっ! 何だあれ!」
「甲虫魔族ですね。大丈夫です。硬い硬殻に覆われていてほとんどの攻撃が通らないだけですから」
「それのどこが大丈夫なのだ!」
この子の感覚絶対おかしいって。さっきから思ってはいたが。
それよりこのカブトムシどうしよう。逃げさせてはくれなさそうだし。戦う気満々って感じがする。
「どうする?」
「戦うしかないでしょう」
「本気で言っておるのか?」
「もちろん本気ですよ」
「……踏まれて死んでもわたしは知らんぞ」
とりあえずこの使えなさそうな槍を構える。折れるかも。ラーナも赤い弓を出し、あの虫に当たったら砕け散りそうな矢を番えている。山賊のほうは……
「お前武器出せ!」
「あ、宿に忘れてきちまいました」
「バカ者!」
生きる気あるのか? いやないだろ。
っと、あの巨大なカブトムシが突進してきた。しかも歩行で。飛ばないの?
「わあ危ない!」
ぶつかった木が数メートル吹き飛んだ。とんでもない野郎だ。そこでラーナが弓を引き絞り、虫に向かって放つ。砕け散ったけど。
「おいアイゼンディーテ! こいつの脚の関節軟らかそうだよ!」
「関節!? 狙いにくっ!」
じゃあ攻撃できるか? 無理でしょ、っていう冗談はおいといて。とにかくやってみよう。死ななければ何でも試せる。
だがこの無駄装飾が重い。満足に動けないぞ。当てられないでしょ。
また突進してきた。大木にぶつかる。見事に倒れた。よし、今だ。槍を脚に向けて突き出すが、全く効いていない。岩にぶつけるような感じだ。というか刃欠けたし。
「関節硬いぞ!」
「じゃあそこは関節じゃないんだよ」
「そんなわけあるか!」
確かに関節だったぞ。曲がってたし。
「うわっ! いきなり飛んだ!」
飛行モードか。勝てる気がしない。
急降下してきた。私たちは風圧で押され、地面には窪みができた。うわー、まともに食らったら砕け散るな。さっきのラーナの矢みたいに。
……矢か。そういえば、甲虫魔族の羽は薄いんだったな(ついこの前生物の勉強でやった)。羽に矢を射ち込めば落とせるのではないか?
「おいラーナとやら、あいつの羽に先程の矢を放て」
「羽に、ですか?」
「いや無理でしょ。当てられないって」
「人に関節狙わせといてなんだその言い草は!」
「確かに無理でしょうね。冗談も休み休み言ってくださいよ」
「やーい、アイゼンディーテのバーカ。だから家出なんてしちゃうんだよ」
「くそこいつら腹立つ! 誰のおかげで今の平和な国があると思っておるのだ!」
「そうですよ! 初代ホフンティアのディートリッヒ・ツァプフェンクロイツさんのおかげですよ!」
「それでお前はどちらの味方なんだ! 自分の都合がよくなるように乗り換えるな!」
叫び疲れたのだが。逃げられなくて死んでしまうぞ。そうなったら真っ先にラーナを呪い殺してやる。道に迷ったのも、この巨大カブトムシに追い駆けまわされているのも、元はといえばこの金髪のせいなんだからな!
「いいからさっさと羽に穴を開けろ!」
「はいはい。解りましたよ」
例のヤツは飛んで急降下を繰り返している。困難じゃまともに近づくこともできないし、矢を放っても当たらない。ましてやあの羽に当てるなど不可能だ。
ラーナは矢を番え、引き絞り、虫の動きをよく観察している。狩人気取りか。そう思って見ていると、ついに矢を放った。その瞬間、黒い塊は地面に落ちてきた。ひっくり返っている。
テールドルトもわたしも黙って見ているしかない。何が起こったのか、全く理解ができなかった。一秒より短い間だったからな。だがよく見てみると、白い羽に小さな穴が開いているのが見えた。そうしてようやく、高速で動く的に命中させたのだと解った。
「みなさん、何眺めているんですか! 起き上がってこないうちに逃げますよ!」
「あ、ああ」
わたしたちは倒れた大木のある方向へ走り出し、そのまま道に沿って逃亡した。虫が米粒くらいの大きさに見えるくらいまで走り、それから近くの岩に身をもたせて休んだ。
それにしても、意外なところに弓の名手が隠れていたものだ。弾丸のように高速で移動する虫の羽に穴を開けられるとは思わなかった。
「おいラーナとやら、お前、一体何をした?」
「はい? 矢から手を離しただけですけど」
「お前、ただの子供ではなさそうだな」
落ち着いてきたころにまた歩く。
「あ、見てよ。向こうのほうに集落が」
「出口といった所か。やっとこの気味の悪い空間を抜けられる」
「たまには森林でのんびりするのも良かったのではないですか?」
「何がのんびりだ! 道に迷って魔物に追いかけられて、散々だったではないか! こんな自然だらけの場所なんて二度と来るか!」
ああ、早く町に戻りたい。