最終話 魔天の行進
雲の上に浮かぶ文明都市。その雲が晴れることは決してなく、そこから地上を見ることは出来ない。
「ここで一旦降りましょう」
ラーナが灰色の床に降りた。まだ根っこは上に向かって伸びている。
「棘の付いた根につかまるのも嫌ですし」
わたしも足を床に落ち着ける。当たり前だが、床は丈夫で、乗っても抜けて落ちたりしない。乗るときは心配だったのだが。
「……建物なんかは全て破壊されていますね」
柱だけが残っている家屋が幾つも見られる。
「丁度そこら辺に階段があります。それを登っていけば、天に座す悪魔の顔を拝むことができるでしょう」
わたしたちの上にも分厚い雲がかかっている。ここは雲と雲に挟まれたような空間だ。なので暗い。
「……英雄に妹がいるのは知らなかった」
「ええ、そうでしょうね。私は八歳の頃に病気で死にました。それでなかったことにされたのですよ。だから私は、ハイライアにとって扱いやすい奴隷だったのでしょうね」
「ひどい話だ」
「ま、世の中そんなもんですよ」
会話が繋がらない。話すべき話題も持っていない。
「……」
「アイゼンディーテさん、自分の運命について、どうお考えですか?」
「……これも英雄の子孫としての使命だからな。まあ、死ななければいいだけだ」
「今は何も考えない方がいいですよ」
わたしたちは滅びに向かって歩みを進めている。逃れることのできない運命だ。……本当に逃れられないのか? 運命は覆せないのか?
「アイゼンディーテさん、お腹すいてませんか?」
「こんな時に何を言う」
「いいえ、こうして話ができるのがこれが最後かと思うと……」
「何を言っておる。わたしが死ぬとでも?」
「……いえ」
またしばらくの間沈黙が続く。壁も手すりもない階段を上るのにも飽きてきた。
……いつものラーナたちだったらきっと、わたしを突き落とすようなことを言ってくるに違いない。そうやって冗談を言い合う心さえも、滅びてしまったのだ。
少しずつだが、雲の天井に近付いてくる。植物の根っこは有り得ないほどに太い。
「……わたしには、まだやり残しているピアノのレッスンがあったな。早く家に帰って、今までサボっていた分を取り返さないと……」
勉強はまだ微分積分が終わっていない。歴史も世界史の途中だ。
……いつも隣に仲間がいるというのは、本当に安心する。わたしは自由だ。どこにだって行ける。何だってできる。仲間のおかげだ。わたしはこいつらと共に遥かなるマイトスヒューゼンを越えた。砂漠を歩いて渡り、溶岩洞窟を生きて脱出した。そして今、ここにいる。家出した当初は、誰にも頼らずに独りで生きていくつもりだったのだが。そんなものではつまらない。
「……やはり、独りでは生きていけない」
……最上層についた。体の疲れなど微塵も感じない。
「……諸悪の根源」
大昔に滅びたはずの古代樹が、灰色の床を占領する。
古代樹は朽ち果てている。朽ち果てている樹だ。幹はボロボロだし、全体が真っ黒になって腐っている。それでもなお生命活動を続けようとしている。太い幹は不気味に脈動していて、別の生き物であるかのように見せる。真っ黒な樹は時々赤紫色にも見える。
根からは水を吸っている。天高くのびたアタマは、今にもこの世の全てを呑み込んでしまいそうだ。
「……正直、ここまで来るとは思わなかった」
「私もです」
「まさかあっしみたいな一山賊が、ねぇ」
「死にに来たわけじゃないからな。全力で戦わせてもらうとしよう」
背後に何ともいえない不思議な気が満ちている。結界とかの類であろう。
テールドルトが太い幹にハルバードを叩きつける。腐りきっている生きた樹にはよく入る。
続いてわたしが槍で切れ込みを入れる。……何だか悲しくなる行動だ。どうしてわたしたちは生き物を傷つけているのか。
古代樹が違う動きを見せた。枝が四本ほどちぎれ、地面に落ちてきて深く刺さった。ちぎれた部分がまた伸びてきて、樹に繋がった。
テールドルトが枝を壊そうとするが、硬いようでなかなか砕けない。わたしの風の球の力をもってしても壊れない。
樹は何かを吸っているようだ。充分に吸い終わると、古代樹の枝が光り出した。
樹の枝から紫色の光が発せられる。光は直進して、ずっと下にある雲を突き破る。雲が散って晴れ、地上が見えた。町から離れた所に、わたしの家がある。
古代樹に真っ赤な実がついた。樹が狂った人間のように枝を振り回し、実を落とす。邪悪な果実は地面に落ちると爆発を起こした。
……その果実のひとつが、地上へ向かって落ちてゆく……。
「あっ!!」
その実に向かって刃を飛ばし続けるが当たらない。諦めるものかと、穂先を取り外して中の宝玉をすべて出し、強風を起こしてみる。手が震えて全く当たらない。自分の立ち位置がどんどん後ろに下がってきて、風が届かなくなる。果実の軌道を変えることが出来ない。再び穂先を取り付けて風の刃を飛ばす。しかし的が遠すぎる。ひどすぎる! なんだ! わたしはこんな遊びに付き合うために来たのではないぞ!! ああ馬鹿馬鹿しいっ!!
悪魔の果実は気流の影響を全く受けずに、山に囲まれ、閉ざされた草原へと落下していく。空に満ちた邪悪な気をいっぱいに吸った実は、草原全体を巻き込む大爆発を起こした。その空間は煙に満たされる。その煙の中に、わたしの生まれ育った屋敷の姿は無い。
壊れた。ツァプフェンクロイツ邸は跡形もなく消え去った。全ての出発点はそこであり、全ての終点もそこであるというのに。
だけど、ゼールのときのように錯乱してはいない。至って冷静だ。わたしは残った電力を枝にぶつけた。風が止まると共に、枝が折れた。だがまだあと三本ある。
「アイゼンディーテさん! 残りの宝玉です! 受け取って!」
燃えるような深紅の球が投げられ、続けて澄んだ碧色の宝玉が飛んでくる。火の球と水の球だ。わたしは床に転がっている宝玉と、受け取った二つの宝玉を槍の空洞部分に入れ、穂先を取り付けた。手からとてつもない力が伝わってくる。
本能に従い、槍を上に向ける。するとわたしの周りから七色の光が出てきて、上に昇っていく。光は一点に集まり、白い塊となった。
塊がどんどん肥大化していく。体が痺れるような衝撃が、空間を震わせる。白い光は太陽の代わりに、この文明都市を照らす。地上にまで光が漏れる。焼けたツァプフェンクロイツ家の敷地がよく見える。
直径が目の前の古代樹の幹の太さと同じくらいになると、白い光の塊は樹に突進する。ぶつかった瞬間、視力が失われるかと思うほどの強大な光を放ち、悪魔の植物を破壊する。まず表面が剥がれ落ち、次に中身が砕け散り、樹の芯が折れ、宝玉の力によって塵と化す。
辺りは眩しすぎて何も見えない。全ての物質は全ての色の光を反射する。受け取ることができない。
地面が大きく揺れ動く。砕けるような音も聞こえた。浮かんでいくような感じがする。
上昇する速度は上がっていくが、どこまで昇ったのかは全く解らない。
……上昇はある場所で急に止まる。それと同時に、人の視力が回復する。
灰色の雲の中だった。上も下も、周りも全て暗い雲に囲まれている。だが全体が均一に光を受けていて、目で見ることができる。
床は相変わらず灰色で、いかにも大昔らしく、ジグザグの線が入っている。
目の前に大きな影がある。それは雲の中にいて、真っ黒で、それが何かということを認識するのは難しい。境界線が不明瞭で、その形すらも正しく脳に伝わらない。
「……あれこそが、【破滅への誘い】ハルグドリオンです。私たちが先ほど破壊したのは、そのごく一部に過ぎません」
雲の中から赤銅色のパイプが二本、現れた。続いて、パイプの上、双方から等しい距離にある一点を中心とした巨人の顔。
悪魔の口がゆっくりと開き、蒼紫の衝撃波が走る。
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『…………この地にて沈む……。
……我滅ぼさんとする者、緑の大地にて果てる…………。
……汝等、……我を封印せんとする、愚かなる者……、我に、滅びを与えんとする者等……。
……汝等が力、我に遠く及ばず……。
…………我、万物に滅びを与えども、地上の者等、我に滅びを与えること……、適わざる事也……。
……我、この地に復活せん……。そして汝等に、……避ける事あたわざる、滅びを与えん……。
……森羅万象、我の前には塵と同じ……。
…………我が名はハルグドリオン……。……この世の支配者にして、……滅びを司る、絶対神也……。
…………世は終わりを迎え、新たなる地を創る……。
……今こそ地上を蹂躙し、破滅の煉獄へと導くべし…………』
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巨人の手から地獄の業火がほとばしる。炎は直線状に地を走る。左に避けて直進し、怪物に近付く。槍を振ってみると、手は槍が届く範囲にあった。手は思ったより柔らかい。金属質ではない。
手が引かれ、口から無数の火球が吐き出される。果ての球のおかげで助かる。右左左後右屈前左。もう一歩前に出る。
悪魔が手を振り上げると、雲の天井から光が落ちてきた。雷は追いかけてくるように落ちてくる。逃げ回るように走る。
巨人が再び開口する。わたしに向かって白い空気が放出された。ギリギリで右にかわす。冷気のようだ。冷気は空気中の水蒸気を凍らせ、六本の巨大な氷柱を形成した。そのせいか、急に気温が下がった気がする。高速で飛んでくる氷柱の間を抜けて回避する。その後砕けるような音がしたので振り返ってみると、テールドルトが真っ向勝負を挑んで勝利したのであった。
手が繰り出され、炎を走らせる。手の横に回りこんで槍で斬りつける。三回ほど斬ると、怪物が手を引っ込めた。
巨人が口を開くと、そこに真っ黒な空間が形成された。その穴から黒球が発生し、追いかけてくる。数十の球体の間を縫って移動する。ぶつかりそうになったら身体を屈める。
閉口し、片方の腕を伸ばしてきた。円柱状の腕はフィールドの端に叩きつけられた。そしてわたしたちから見て左側から転がってくる。槍を地面に突き立て、その勢いで高く跳躍し、腕を飛び越える。テールドルトとアルヒェルは言うまでも無く、持ち前の高いジャンプ力のおかげで助かり、ラーナは古代魔法か何かで切り抜けたようだ。
腕を引くと、巨人の頭上に巨大なエネルギーの塊が発生した。それは光を伴って物凄い速さでこちらに向かって猛進してくる。左方向に向かって走ったが、エネルギー弾の衝撃で前方に転ぶ。
間もなく、手が繰り出される。急いで起き上がるが、攻撃範囲外に逃れるのが遅れ、火の粉が腕に降りかかって火傷を負った。軽いものであるから心配は要らない。手に近付くまでの時間が惜しいので、風の刃を飛ばす。二発ほど命中させると、巨人は急に手を引っ込めた。顔は苦しそうな表情をしている。
……赤銅の巨人が崩れてなくなっていく。今まで猛威をふるっていた両腕も、大顔も、空気中の塵と同化した。しかしその中から新たな身体が出現する。漆黒の翼を生やし、相手を射殺すような眼差しを持ち、吸い込まれるような闇の色の鱗に全身を覆われた、巨竜だ。翠色に光る左目は、憎悪による殺意に満ち満ちている。真っ赤に周囲を照らす右目には、絶えることのない闘志が宿っている。もうひとつ、額に目があった。黒みがかかった紅紫色の目玉で、見つめられていると不快な気分になる。溢れ出る破壊衝動を感じる。
竜が翼を羽ばたかすたびに強風が起こる。その黒き風は地上の物にも影響を与えている。山の木がみるみるうちに枯木色に染まってゆく。
この邪竜こそ破壊神ハルグドリオンそのものであり、害悪の象徴だ。大昔に、迫り来る隣国の兵士どもを一人残さず焼き払った竜。それは守護神ではない。自らの召喚主を喰らった死神である。もしも、ハイライアが生きていたのなら、ディートリッヒのように殺されてしまったのだろうか。
『……汝等、汝等は死を望むか……』
竜が空を揺らす咆哮をあげた。終わった後でも耳が痛い。
『…………汝等に破滅を与えん……!』
竜が天高く上昇したかと思えば、急降下してくる。広場の端に避難したが、空前の衝撃に身体が耐えられず、吹っ飛ばされて結界に激突する。
立ち上がったときにはもう尻尾を振り回し始めていた。棒高跳びの要領で飛び越す。走って距離を縮め、足に槍を当てる。何度か斬りつけると足を振り上げた。一旦後退し、身構える。竜が足踏みをすると、灰色の床がめくれ上がった。軽く跳んで衝撃を減らす。
竜が飛び上がり、その翼を大きく羽ばたかせ、強風を巻き起こした。風によってめくれ上がった床が剥がされ、結界にぶつかって砕ける。しかし不思議なことに、わたしたちは風圧を全く受けていない。
「……小障壁です。長い間はもちませんが、前方からの攻撃なら何でも防ぐことができます」
竜の翼からいくつかの岩が出現し、こちらに向かって飛んでくる。岩はなくなった床を再生させるように造り上げた。
ハルグが再び急降下してきた。地面に突き立てた槍につかまって跳び、少しでも吹き飛ばされる力を軽減する。それから近寄り、槍で斬りつける。だがこんなものではいつまで経っても相手を倒すことはできない。
「ラーナ! 先ほどの宝玉の力は、二度目も使えるのか!?」
「ええ、ですが、二度目を使ってしまうと宝玉が壊れてしまいます!」
チャンスは後一度きり、というわけか。
『…………滅せ……!』
足を斬りつけていると、ハルグドリオンが飛び上がり、後退した。そしてこちらに向かって凍てつく冷気の嵐を吹き付けてきた。それと同時に体が動かなくなる。石化だ。猛吹雪は長く続いたので丁度良かった。終わった直後に石化が解ける。
竜が大口を開けて突進してきた。豪快に音が轟き、床にひびが入った。今しかないと思い、竜の顔に強風を放つ。実は床が上昇する時にこっそり電池を取り替えていたのだ。
フィールドに噛み付いた竜の口から、橙色の炎が見えた。そのすぐ後に、ハルグが噛み付いている側の半分の床が爆破された。爆発は閃光を伴う激しいものであった。そして竜が離れる。
竜の足の爪の先から、赤紫の電気が発生した。電流は空気中を流れ、消し飛んだフィールドの半分を元通りにした。
ハルグドリオンが上昇を始める。わたしたちの真上を陣取った。ためしに風の刃を飛ばしてみる。刃は翼の膜に命中し、竜はバランスを崩して背中を下にして落下する。このままでは押し潰されてしまう。決戦場のどこに逃げても助からない。わたしはつぶされる前に果ての球の竜巻を起こした。他の宝玉と反応しているのか、威力が高まったような気がする。
ハルグドリオンが地に落ちる前に潰されそうだ。これでは落下の衝撃は凄まじいものとなるだろう。待っていてもどのみち助からない。
上で金属同士が擦れ合う鋭い音が聞こえる。体にかかる圧力は全く減らない。まずい、押し潰されるっ!
……目を閉じたが、いつまで経っても意識がとばない。目を開けて上を見てみれば、ハルグが宙を駆け回っている。ラーナの障壁に守られたのか。
闇黒の邪竜は灰色の床の下に潜り込んだ。
「……何をする気だ?」
『……大いなる闇、汝等を呑み込まん……!』
浮き上がるような感触があった。見れば、床が割れている。床の下から現れたのは、巨竜だ。
「……落ちないように気をつけて下さい!」
結界は壊れたようだ。
わたしたちは世界の終わりを告げる邪竜の背中に乗っている。想像を絶するスピードだ。ほんの少しでも気を抜いたとしたら、数百メートル下の地面に真っ逆さまだ。
竜が上に向かってオレンジ色の炎を吐いた。ハルグが前に進むため、私達が炎の中に突っ込むような格好になる。だが、ここに下手に動けば転落死だ。
ラーナが障壁を張った。疲れたような表情をしている。今にも倒れてしまいそうだ。
炎は防ぐことができたが、次の試練が待ち構えていた。巨竜が雲の中に入ったのだ。氷の粒が強く当たる。四滴ほどの血の雫が滴り落ちた。頬が切れたようだ。
雲を抜けると、竜はまた火を吐いた。障壁を張ることはもうできなさそうだ。ラーナが翼の根元につかまった。わたしは尻尾の付け根につかまる。すぐ後ろを燃え盛る炎が通過した。
翼から離れて背中の上に戻る。
竜の背中の上から、アルヒェルが矢を五本連続で上下に大きく振れている翼の膜に命中させた。すると竜が急停止する。
ハルグドリオンが下に向かって黒い光線を放った。すると黒いエネルギーが空中に灰色の舞台を造った。わたしたちはその後振り落とされて床の上に乗る。
『……ぬぅぅぅ……! …………人間等、……我の力の前に臆さぬ、……我を畏れぬ、愚かなる者等……、決して赦すまじ……!! ……汝等が死をもって、この世界の終末を告げん…………!!』
闇緋蒼の波動が空を振動させる。
ハルグの三つの眼がかっと見開かれた。両翼の爪から巨大な黒い気の塊が現れる。塊はだんだん肥大化していき、最大の大きさになると、それが多数の小さなものに分散してこちらに送られてきた。床に均等に散らばり、留まっている。
遠くの黒球に風の刃を当ててみると、球体が弾かれて翼の先の爪に戻っていった。このままにしておくのも危ないので、近くの球体も槍で突いてみる。風を当てたときと同じように爪に集まっていく。黒球は全部で二十個あった。テールドルトの広範囲に影響を及ぼす薙ぎ払い、アルヒェルの連射の功績もあり、残り五個まで減らすことができた。しかし……、
『……消し飛べ……!』
巨竜から真っ黒な炎が吐き出される。灼熱の炎はフィールドの中央を走り、黒い球体をいくつか焼いた。すると球体は爆発を起こし、その衝撃につられて他の球体も爆発する。翼に蓄積された黒球も炎を上げた。邪竜が暴れ、翼から煙が昇る。
ハルグが再び黒球を飛ばした。対処法が解っているので楽だ。わたしは残っている電力を全て使い、強風で球体を弾き飛ばす。仲間たちの協力もあり、灰色の床に残っている球体は無い。
翼の先に最大エネルギーの黒い気が集まると、それらが大爆発を起こす。翼の主要部分が爆風によって破壊され、体の重みを支えることができなくなって落下する。しかし敵もさるもので、生き残っている後ろ足で灰色のフィールドにしがみつく。体勢を立て直し、フィールドの上に這い登ってきた。
『…………ぐぅぉぉぉぉ……!! 破滅より逃れる事、不可能也……!! 闇黒き波にて砕け散り、この忌まわしき惑星と共に、滅びよ!!!』
立っていることも出来なくなるような邪悪な闇黒の波動が押し寄せる。それは光であり、音であり、熱気であり、冷気である。体が破裂しそうだ。
「アイゼンディーテさん! 今です! 巨大エネルギー弾を!!」
返事をしている暇など無い。わたしは、仲間の指示に従い、一点に意識を集中させた。
……一度目よりも凄まじい力が昇っていく。朱、蒼、翠、黄金、白銀、碧、漆黒……、焦熱の七色が天高く上昇し、その光を絶大なるひとつの力に変換する。……白銀き光は太陽の輝き、漆黒き闇は月の煌き……聖十字の雷光は全てを貫く……。
巨大なエネルギー弾の衝撃が雲を退け、天地を照らす。地上には、上を見上げている人々が何百人もいる。再び天に昇ってしまった王城の姿が、遥か遠くに見える。
赤茶色い山肌を見せるマイトスヒューゼン峡谷が近い。わたしたちが今まで歩いてきた道が一望できる。奥部に大樹がそびえ立つ森、真っ白な雪を被った霊峰、国の最北端にある時計塔、忘れられた砂漠、灰色の煙を上げている火山、真下にある青い海、人がかたまっている町、そして、荒野となってしまった、ツァプフェンクロイツ邸の庭。
瘴気の嵐は消えてなくなっている。
真夜中であるのに、まるで昼間のようだ。白銀の光が希望を与える。
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「あなたは国を救った勇者の血を引いているんですから、そろそろご自分のことはご自分でなさっていただきたいものです」
「しつこいなぁ。勇者勇者と言っておるが、実際に戦ったのは一代目だけであろう? 現在の勇者など、ただの飾りでしかないのだよ。肩書きだけのエセ権力者だ。それなら自由な暮らしをしたほうが良い。そうは思わんのか?」
「アイゼンディーテ様、そんなことでは先代の皆様に対して失礼なのでは」
「既に死んだ者のことなどどうでもいいではないか! それにわたしを誰だと思っているのだ! 四十八代目ホフンティア、アイゼンディーテ・ベルゾルド・ツァプフェンクロイツだぞ! 召使いのお前がそのような偉そうな口をたたくな!」
「夜にやって来る埃魔族のタネだ。決して冗談で言っているわけではないぞ」
「冗談にしか聞こえないけど」
「な、なんどとっ!? ホフンティアであるこのわたしがわざわざ洞窟まで言ってやったのだぞ!!」
「そうですか、よく頑張りました。はい、これご褒美」
「あ、見てよ。向こうのほうに集落が」
「出口といった所か。やっとこの気味の悪い空間を抜けられる」
「たまには森林でのんびりするのも良かったのではないですか?」
「何がのんびりだ! 道に迷って魔物に追いかけられて、散々だったではないか! こんな自然だらけの場所なんて二度と来るか!」
「よし、私も行ってやろう。暇だしな。お前たちだけだと危険そうだし」
「……確かにその通りだ。その通りなのだが……」
「礼はいらないぞ」
「別にお前に感謝などしていない!」
「あっはっは、素直じゃないなぁ」
「うるさいな! ついて来るならさっさと歩いてこないと置いてゆくぞ!」
「さあね。何だと思います? それよりあなたたちは一体何を?」
「貴様にわざわざ会いに来てやったのだよ。せめて貴様の名だけでも聞いて帰らないとな」
「はっはっは、そうでした。まだ名乗っていませんでしたね。私の名はハイライア・ヒンメルシュラーク・エルンスト。ハイライアと呼んでくだされば結構ですよ」
「それでそのハイライアとかいうやつが何しに来た」
「……解っていませんねぇ。知りませんか? この真下には、大昔に栄えた大都市が眠っているのですよ。そこに何があるのかご存知で?」
「水の球は海底都市に、火の球は火山に、空の球は塔に、氷の球は雪山に、果ての球は谷底に、そして風の球はこのマイトスヒューゼンに。地の球はお前たちが所持している」
「……宝玉集めか。それはご苦労なことだ。だがな、貴様ごときに地の球を渡すわけにはいかないのでな」
「武力交渉か」
「それ以外に方法がなければ」
「石鳥と戦うこともできないお前たちが、この俺に挑むと?」
「……貴様の目はちゃんと機能しているか? こちらには三人いる。貴様一人で、わたしたちを潰そうなどと考えないことだなっ!」
「私はここでお暇させてもらうよ。当分お前たちには会えないが、元気にやっていてくれよ」
「何だお別れか? すぐに終わる用事かと思っていたが」
「それがそうもいかなさそうでね。寂しくても我慢しててくれや」
「別に寂しくなんてない」
「冷たいヤツだなぁ。まあいいや。そろそろ出発だ。達者でな」
「アルヒェルさん、さようなら。また会いましょう」
「ああ。ラーナも元気でな。雪山で死ぬんじゃないぞ」
「元気でー」
「そこの山賊も、遭難するんじゃないぞ」
「じゃあなアルヒェル。再び対面する日が訪れんことを願う」
「ああ。お前も、ラーナやテールドルトの足手まといにならないようにせいぜい頑張れよ」
「死神がいるせいで氷の球は無理そうだ。お前も、死なないうちに山を降りろ」
「氷の球を諦めるのか?」
「諦めたわけじゃない。また今度の機会に」
「次はないぞ。わたしが戴いてゆくからな」
「じゃあ次回は氷の球を取りに来たついでにお前の墓を作ってやるよ」
「なかなか言うではないか。だがな、わたしはそれほどでは死なんぞ」
「そうかそうか。本当にそうだといいがな。俺はこの辺で退散する。無理するなよ」
「……さあ、戦闘再開だ。ほら、立てよ」
「……何故助けた?」
「貴様と決着をつけるためだ。別に善意があったわけではないぞ」
「あの時点でもう決着はついたようなものじゃないか」
「……そんな勝ち方、面白くない」
「わたしにはもう、生きている資格などない」
「……今あなたには、何が見えますか?」
「何が見えるか? はっはっは、そんな馬鹿げた質問があるか? わたしには何も見えない。真っ暗闇だ。この闇を照らす光など持ち合わせておらぬ。そのようなものは不要だ」
「今あなたの目の前には、大口を開けて待ち構えている悪魔がいます。それでもあなたは飛び込めますか?」
「……わたしはわたしの好きなように生きて、好きなように死ぬだけ」
「目をよく開いて、周りをもっとよく見てください。あなたが持っているのはただのビー玉ではないのですから」
「なあツァプフェンクロイツ、この弓に見覚えがあるだろ?」
「ああ、ゼールフェルデの五弦弓だな」
「私の仕事、何だか気になるだろ?」
「ああ。今まで何をしていたのだ?」
「この際だから教えてやろう。戦死者の武具を回収する、それが私の使命だ」
「滅茶苦茶な内容だな。そんなこと、誰に言われた?」
「お前らがよく知る人物だ。私は、お前らがゼールフェルデの命を奪って、どうしようかと悩むだろうと思ってな、あの門番に寝る場所と食事を提供するよう、言っておいた」
「……」
「ほら、ぼーっとしていると食い殺されるぞ」
「……すまんな、迷惑かけて」
「今は戦いに集中しろ」
「本当はあなたたちを巻き込みたくなかったのですが、こうなってしまった以上、わたしにはどうすることもできません。塔が破壊されたとはいえ、強い結界が張ってあって抜け出すことができませんから」
「ハルグは……」
「誠に残念ながら、最大の力をもって、現世に蘇りました。誰もその悪魔を止めることはかないません。できるのは、ここにいる四人のみ」
「アイゼンディーテさん、お腹すいてませんか?」
「こんな時に何を言う」
「いいえ、こうして話ができるのがこれが最後かと思うと……」
「何を言っておる。わたしが死ぬとでも?」
「……いえ」
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『汝のその忌むべき輝き……、白銀の、聖十字…………、ぐ、……ぅぁ……、…………おおぉぉぁぁぁぁぁぁぁ!!!』
その光景を想像できた者はいないであろう。全てを焼き尽くす閃光、何もかも粉砕する衝撃波、万物を切り裂く正義の刃、世を扶け悪を滅する大地の咆哮、永遠の眠りを与える神の息吹、世界を包み込む聖なる風、そして、滅びの運命さえも呑み込む闇黒の影。双方の矛盾を打ち消しあい調和する三組の輝きと、それらを纏める一つの輝きが、邪悪なる災禍の根源【破滅への誘い】ハルグドリオンを、破滅へと導く。黒い鱗が剥がれて散り、その体を粉々に砕く。轟音をあげ、魔神が崩壊してゆく…………。
三つの目玉を載せた首だけが、灰色のフィールドの上に残った。しかし、悪竜はまだ死んでいない。訪れた静寂を破ることのできない邪竜は、首元から再生を始めている。何という恐ろしい生き物なのだ! 地上のものを脅かす悪魔どもの総統、そうとしか言いようがない。破滅そのものを形容するべき他の言葉が見当たらない。
宝玉はもう使えない。魔神の再生は腹まで達している。
『ぐぬぬぬ…………、こうなれば、我が身体ごと、汝等が世を、滅ぼしてくれる!!!』
ハルグドリオンから黒紫の光が発せられる。わたしたちが引き寄せられていく。こいつはこの惑星ごと吸い込んで、自爆しようとしているのだ。
「ラーナ、石化魔法は!?」
「無理ですよ! 地球全体にかけろというんですか!? そうでなくても、私の持つ魔力ではハルグドリオンの爆風には耐えられません!!」
……そうか。いつまでも、他人に頼ってばかりでは、いけないのだったな。
踏ん張るのをやめ、自ら黒い光に向かって歩いてゆく。
「っ!? 何をしてるんですか! やめなさい!!」
「どうせ、助からないのだろう。なら、試してみてもよいではないか。わたしはディートリッヒ・ツァプフェンクロイツの末裔だぞ。この魔神を封じることくらい、できるかも知れぬのだぞ」
「だからって……、それに、私だって英雄と同じ血を分けています!」
「……わたしは、この冒険の中で、生きる権利を失った。このまま何もしないで死んだのでは、天国にいるゼールやルッヒェルに顔向けができぬ。……ああ、わたしが行くのは地獄か。地獄の底で、ハイライアと喧嘩しながら過ごすとするかな…………」
もうすぐで取り込まれる。わたしは槍の中から小さなノートを取り出し、ラーナに向かって投げた。
「アイゼンディーテさん?」
「これは、旅の中で書き記した体験を纏めたものだ。これまでのことが全部記されておる。もし、世界が助かったら、ここに書いてあることをよく読んで、誤字や脱字が無いかよく確認して、本にして世に出せ。あと、わたしがこれを投げた後のことを、わたしの視点で書き込んでおくのも忘れないように。……法螺吹きだと言われてもいい。今と同じようなことを、数千年後の未来に起こして欲しくない」
「待ってください! アイゼンディーテさん!!」
「勝手にいなくなるなんて、酷すぎるよ!!」
「戻って来いツァプフェンクロイツ!! お前だけ死ぬなんて都合が良すぎる!!」
「……もういい。もういいよ、お前ら。短い生涯だったが、後悔はしていない。あ、ひとつくらいはあるな。ゼールとルッヒェルを殺してしまったことかな」
闇の光の中に吸い込まれていく。
「さて、そろそろお暇させてもらおう。最後に言っておく。わたしが、四十八代目ホフンティアのアイゼンディーテ・ベルゾルド・ツァプフェンクロイツがこの世に存在したことは忘れろ。わたしは要らない存在だ。そう思って忘れてくれ」
………………遠くで叫び声が聞こえる。ああ、もう何も見えない、何も感じない。
…………わたしには、還るべき“家”がある……。