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「大原せんせー、その人ダレー?」
「はい静かに!その人、じゃなくて、今日から新しく赴任してきた英語の鈴原夏樹先生だ。ちなみに、このクラスの副担任も兼任する事になったから、みんな宜しく頼むぞ」
「英語担当、兼、副担任の鈴原です。宜しくお願いします」
そう言って軽く会釈した人物を見て目を疑った。
この人、昨日の夕方、道路で俺に話しかけてきた人だ。
おまけに、夏樹…って…、夢に出てきた名前と…同じ…。
頭の中がミキサーにかけられたようにグルグル回りはじめる。
グルグルグルグル、グルグルグルグル
教室が回りはじめて、みんなの声が歪みはじめて、目に映る鈴原先生の顔がグニャリと歪んだ。
「…お、おい、煌月?!…大丈夫かよ…、煌月!」
誰かの焦ったような声が、何故かとても可笑しかった。
この声はたぶん万里。
なんでそんなに慌ててるんだ?
その顔を見てやりたくて顔を上げようとしたけど、意に反して体は全く動かず。
徐々に暗い闇に覆われた…。
七瀬煌月が突然椅子から床に崩れ落ちた事により騒然とする教室内を、「とりあえず皆落ち着け」と担任である大原が鎮める中、「私が保健室に」と真っ先に動き出したのは鈴原夏樹だった。
しっかりとした足取りで煌月のもとに歩み寄り、床に横たわっているその体を横抱きにして教室を出て行った鈴原。
腕の中にいる煌月を見つめる眼差しが、まるでこの世で唯一の宝を見るかのように心配そうで…、そして愛しげだった事は、誰も気がつかなかった…。
「…ん…、あ…れ…?」
目を覚ました瞬間、視界が全て白に染められている感覚に陥った。
驚いて瞬きを数回繰り返し改めて周囲をみると、その白は、カーテンと天井、そして寝かせられているベッドの布の色だという事に気がついた。
…保健室か…。
自分がどこにいるのかわかって、ホッと体の力が抜ける。
そういえば、朝のHR中、突然目眩がして倒れたんだ。
でも、いったい誰がここまで運んでくれたんだろう。
自分で歩いた記憶なんて全く無い。という事は、大変な思いをして運んでくれた誰かがいるはず。
申し訳なく思いながら視線を上げると、枕元にある窓から陽がサンサンと入り込んできているのがわかった。
11月という時期のせいか、陽の光がとても暖かく感じられて幸せな気分に導いてくれる。
これが夏だったらこの光は地獄だな。
横になったまま僅かに顔を仰向かせ、窓から入り込む光の暖かさを堪能していると、ベッドを囲んでいるカーテンが「シャッ」というキレの良い音と共に勢いよく開かれた。
…といっても、開かれたのは人間が1人通れるくらいの隙間だが。
「目が覚めたみたいだな。もう大丈夫か?」
穏やかな声、優しげな眼差し。
この人は何故こんなにも柔らかな空気をまとっているのだろう…。
「…鈴原…先生」
名を呼んだ瞬間、鈴原先生の表情が少しだけ寂しげに陰ったように見えた。
そう思ったのも束の間、開けられたカーテンの隙間からスルリとした身のこなしでベッド脇まで入り込んできた相手は、もうその顔に穏やかな笑みを取り戻している。
その手が伸びてきたかと思ったら、そっと頬に触れてきた。
親しくもない人間に触られる事を極端に嫌う俺だけど、何故かこの人の手だけは心地良さを感じて、静かに目を閉じた。
「…もう少し眠るといい」
その声に促されるように、また意識が底の方へ沈んでいく。
「…思い出さないほうが、お前の為なのかもしれないな…」
…それは、どういう…。
聞こえた言葉が現実だったのか、それとも夢の始まりだったのか…。
心地良い眠りに支配された俺の意識は、そのまま静かに沈んでいった。