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「…リチャード…、ごめん…」
「何を謝っているんですか。貴方が目覚めてくれて良かった」
本当に安心したのだろう、あまり足音を立てずに近づいてきたリチャードは、ホッとした表情でベッドの脇に立った。
「外傷的にはもうほとんど問題ないそうです。目が覚めて検査の結果に問題がなければ、すぐに退院できますよ」
「そうか…」
ここを退院すれば、またいつもの日常に戻る事ができる。夏樹と離れ離れにならなくていいんだ…。
そこまで考えてフと気がついた。
リチャードがいるのに、なぜ夏樹がいないんだろう。
リチャードの背後の扉を見ても、他に誰かが入ってくる気配はない。
「リチャード、夏樹は?…もしかしてセイバーの仕事が忙しい?」
また危険な任務についてないといいけれど…。
そんな願いのまま横に立つ相手を見ると、その顔からは一切の表情が消えていた。
…な…に…?
「…リチャード?…夏樹…は?」
問い掛けても、俺の顔を見つめたまま何も言わないリチャード。
心なしか、その顔は苦渋に満ちているように見える。
何か嫌な予感に、心臓がドクンと大きく音を立てた。
「煌月さん、落ち着いて聞いて下さい。…夏樹さんは、あの時以来、行方不明なんです」
「……え?」
「あの時、相手側もこちら側も、かなりの死傷者が出て…判別できない遺体も多く…。…たぶん、その中に…夏樹さんもいたと…思われます」
悔しさと哀しみを堪えるように、時折唇を噛みしめながら言葉を紡ぐ相手を、ただただ…呆然と見つめた。
…どういう事かわからない。…いや…、わかりたくない…。
「…嘘だ…、嘘だ…、……嘘だ!!!」
拳をギュッと握り締めた。
一ヶ月の間に伸びた爪の先が手のひらに食い込んだけれど、その痛みは全く感じない。
感じないというより、そんな身体的痛みよりも心の痛みが大きかった。
「…ぅ…っ…、く…」
覚めたくなかった…、あの夢から覚めなければ夏樹と一緒に幸せな日々を過ごせたのに!
「…なんで!…なんで…あのままいたらダメだなんて…言ったんだよ…」
現実のほうが、こんなに哀しくて…苦しくて…辛いのに…。
「どうして!」
握った拳をベッドに叩きつけた。
溢れる涙は、次々と真っ白なシーツに吸い込まれていく。
「追いかけるって…言ったじゃないか…。…嘘吐き…、嘘吐き!……………もう一度…もう一度夢に戻りたい…。…永遠に覚めない夢でいいから…夏樹と一緒にいられるなら…っ…」
もう、どうでもいい…、そんなヤケな思いで言葉を呟いた、その瞬間。
耳元でバシッという音が鳴り響き、その衝撃と共に頬が熱くなった。
のろのろとした動作で頬を押さえて顔を上げると、そこには涙を堪えているような顔をしたリチャードがいた。
…殴られた…?
「馬鹿な事を言わないで下さい!そんな事をして、夏樹さんが喜ぶと思ってるんですか?……あの時、煌月さんの命だけでも助けたいと思った夏樹さんの思いを、貴方は踏みにじるんですか?!」
「…リチャード…」
リチャードの碧い瞳から、涙が一粒零れ落ちた。
…そうだった…、リチャードは夏樹の幼馴染だと聞いた事がある。
俺よりも、もっと長い年月を共にした相手を失ったリチャードは、俺なんかよりもっと辛いはずだ。
…それなのに馬鹿な事言って…俺…。
夏樹を失った哀しみに、周りが全然見えていなかった。
「…ごめん、リチャード。心配かけたあげくに、こんな情けない事言って取り乱すなんて…。本当にごめん…。もう、馬鹿なことは言わない」
目元に残った涙の名残を手の甲でグイっと拭い、無理やりにでも泣くのを堪えてそう言うと、リチャードの顔にも、悲しみを堪えた後の微かな笑みが浮かんだ。
「いえ、俺の方こそすみません。…俺にとって貴方は弟みたいなものなんです。貴方までいなくなったらと思ったら…俺は…」
「リチャード…」
彼の言葉を聞いて、改めて自分の発言の馬鹿さ加減に気がついた。
耐えるのは辛い。夏樹の後を追ってしまえば、辛さはなくなる。
でも、その選択肢を選んでしまったら、全てが消えてしまう。
夏樹の想いも、俺の想いも、リチャードの想いも…。
それは…、してはいけない。
夏樹の事を想うなら、俺は生きなければいけない。
「リチャード。先生呼んできてくれる?…早く検査して、退院したい。そして、また日常に戻ろう」
「…煌月さん…。…はい、わかりました」
俺の決意が伝わったのか、ニコリと優しい笑みを浮かべたリチャードは、担当医を呼ぶべく部屋を出ていった。




