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少し迷ったけれど、脱いだ制服はとりあえず適当に畳んで脱衣所の隅に置き、バスルームに足を踏み入れた。

ジャグジー付きのバスタブに目を奪われながらも、まずはシャワーを頭から浴びる。

全身に熱いお湯を浴びると、やっと起きている実感がわいてきた。


「…ハァ…」


自然と零れるのは、安堵の溜息。

やっぱり日本人は熱いお湯がないとダメだな。

シャンプーを手に取り、髪の毛をワシャワシャと泡立てながらそんな事を改めて確信していると、脱衣所に通じる磨りガラスの扉に人影が映って思わずギョッとした。

手を止めると同時に聞えたのは、扉向こうからの鈴原先生の声。


「タオルと服、置いておくからな。制服は部屋の方に持っていくから『制服が無くなったー』とか騒ぐなよ?」

「あぁ、うん。…ありがとう」


冗談混じりの声にホッとして、再び手を動かし髪を洗い流し始めた。

すぐに出て行くだろうと思って気にせず体を洗いだしたのに、ガラス越しの影は一向にいなくならない。

その様子に、また手を止めた。


「…先生?」


脱衣所の壁に寄り掛かっている態勢に見える影に声をかけると、少しだけその影が動いた。

どうやらこっちを向いたらしい。


「何?」

「…何っていうか…。そこにいられると気になるんだけど…」

「また倒れたら困ると思ってね」

「だ…いじょうぶだよ、もう」

「そうか?それなら俺は戻るけど、何かあればすぐ呼べよ」

「わかった」


そう答えると扉向こうの影は動き出し、今度こそ姿を消した。

暫くボーっとその扉を見つめていたけれど、再度腹の虫が鳴き始めたのをきっかけに、急いで手を動かし始めた。







「お風呂、有難うございました」

「どういたしまして。ご飯もちょうど出来た所だ。…ほら、早く座って」

「…うん」


先ほど脱衣所に置いていってくれた、黒のジャージ上下と白のTシャツ。

まだ濡れている髪から雫が滴るために、肩に掛けたままのタオル。

そんな姿でリビングに入ると待ち受けていたのは、俺が一番大好きなボンゴレロッソのパスタと、シーザーサラダ。それに野菜たっぷりのコンソメスープだった。


「どうした?そんな所でボーっとしてないで、早くおいで」

「…うん…」


たぶん偶然だろう…。俺の好きな物を、この人に教えた覚えはない。


小さな驚きから目を覚まし、言われるままにローテーブルに近づいて、ラグの敷かれている床に直接腰を下ろした。

自分の分のサラダを持ってきた鈴原先生も、斜め前に座る。


「とりあえず煌月の好きな物を作ってみたけど、食べられなかったら無理するなよ?」

「………な…んで、俺の好きな物、知ってんの?」


偶然じゃなかった?鈴原先生は、知っていてこの料理を作ったんだ。

教えた覚えもないのに、何故…。


まるで何かのトリックに引っ掛かった気分で呆然としていると、そんな俺とは逆に、鈴原先生はとても嬉しそうに笑った。


「これは、以前の煌月が好きだった物だよ。…記憶は失われていても、こういう所は変わってないんだな…」


…鈴原先生の知っていた前の俺が、好きだった物…?


目の前に並んでいる昼食を順々に眺め、おもむろにフォークを持ってパスタを巻きつけた。

そして口に運ぶ。


「…うまい」

「それは良かった。俺の作るボンゴレロッソが一番好きだって言ってたからな。…そう言ってくれると嬉しいよ」


言いながら、本人も美味しそうにパスタを口に運んでいる。

時折、唇についたソースを赤い舌先がペロリと舐める仕草に、心臓が“ドクン”と音を立てた。

そんな自分になんとなく焦りを感じて、それからはもう鈴原先生を見る事なく、ひたすら黙々と昼食をたいらげた。








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