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千石大名のアンビバレント!!な生活  作者: いばらぎとちぎ
第一章 物語は始まった
3/7

二人の気持ち

 珍しく午前中に外を出歩いていた大名は、制服のブレザーに身を包みクアッと大きく欠伸をした。

 頬には大きな紅葉の跡が一つ。ランニング中のお姉さんのお尻があまりに素晴しかったので、引き寄せられるように後ろを走っていたら張り倒されたのだ。尻の……いや、腰の入ったいい張り手だった。

「春に紅葉もいいもんだってか……」

 そんなことを言いながら校門を通り過ぎ、西洋のお城と似た外観を持つ校舎へと進んでいく。

 春秋学園高校は春秋学園大学の付属高校で、大名の家から徒歩二十分ほどの場所にある。全校生徒は千人を超え、普通科ABCDクラスと様々な専門クラスが合わさり一学年おおよそ一〇クラスで編成されている。専門クラスの有名どころでは商業科から芸術科、被服科、情報処理科で、珍しいところでは史学科や農学科が創られていた。

 生徒の自主性を重んじるという名目の放任主義のため、生徒会など、生徒自身の権力が強いのが校風となっている。

 そういう場所であるから生徒の学力もピンからキリまであり、特に普通科の場合は、入学試験の点数によって入学時点から選別されていた。ABが上位三割のみ入れる通称アッパークラス。CDが普通からそれ以下でノーマルクラスといった具合に。

 そして二年生になると、Aが理系アッパー、Bが文系アッパー、Cが文系ノーマル、Dが理系ノーマルとなる。全国模試などで優秀な成績を残すことができれば、進級時にノーマルからアッパーへとクラスアップすることができる。その場合、アッパーの下位成績者がところてん式にノーマルへと落とされる。要するに下剋上が可能なのだ。

 アッパーには春秋学園大学への優先的な進学、学費免除、先進的な授業など様々な特典があるため、ノーマルからアッパーに行きたがっている者も存在するし、アッパーに入ったものは落ちないように必死に努力をするのである。

 まるで生徒間の競争を煽るかのようなこの制度に、教育現場で一体何をやっておるか! と一喝してやりたい大名であったが、それは卒業後の楽しみに取っておくことにしていた。まぁ、一年時にCクラスの下位グループ、ノーマルですらないボトムクラスだった大名には、関係の無い話しだし実際のところ興味もないのだが。

 校門からしばらく歩き、交差した階段の下をくぐる。正面から見ると×の字に見えるので別名“×の字階段”と生徒から呼ばれていた。そこから噴水と花壇のある中庭へ入り、右手に見えるアーチを通り抜けて真直ぐ数十メートルほど歩いた所が今日の目的地だ。

 鉄筋コンクリートの校舎よりも随分と古い木造の建物、ここの二階に大名の所属している演劇部の部室があった。

 軋む階段を上がって行く。大掃除をしてからまだ二週間と経っていないのに、窓のレールにはもう埃が溜まり始めていた。

「ちわっす。遅れてすいません」

 ドアを開き集合に遅れてしまったことを詫びる。

 一番奥の端に職員が使用するような大きい机が設置され、古ぼけた教室全体を見渡せるようなっている。その斜め前、教室の中央より少し奥には純白清楚なテーブルクロスに覆われた長机が二つ向かいあい、机の中央には綺麗に盛られたお菓子がちょこんと置いてあった。

「あれ、他の二人はまだっすか?」

 大きい机に座っている人物に話しかける。後ろで無造作に束ねてある黒髪は腰まで届きそうなほど長い。

 窓から覗く梅の花を眺めていたようで、大名が声をかけると憂鬱そうに目を伏せた。

「そうなのよ……」

 組んでいた足を解いて立ち上がる。身長は大名よりも高く、長く伸びた手足による立ち振る舞いは優雅で、日本人とは思えぬプロポーションをさらに引き立ていた。

 思わず一歩引きさがる。相手が悠然と歩み寄って来たからだ。

 その垂れた目じりからは内面の温かみを感じさせ、整った鼻筋に厚みのある、しかし下品ではない唇は愛情の深さを直感させる。それらが絶妙なバランスで混ざり合い、初めて見る人なら誰もが美しいと褒め称える容姿をしていた。

「話し、聞いてくれる?」

 大名が緊張したように頷く。この人に微笑みかけられた時はいつもこうだ。この妖艶な笑みに背筋を冷たくさせられる。



 こう、怖気的な意味で。



「ありがとぉー! もうぅ、ひどいのよぉ、昨日携帯が壊れっちゃってぇ、誰にも連絡が取れなくて困ってたのぉ。よかったわぁ、大ちゃんが来てくれてぇ。もうっ、ご褒美のハグハグしちゃう!!」

「ヤ、メ、ロー!? 髭が擦れるだろうが! 離れろっ、 この変態ぃぃ!!」

 突然抱きつかれた大名が恐怖の声を上げる。見た目とは裏腹に発達した大胸筋と上腕二

 等筋が大名を締め上げた。

「あら、失礼ねぇ。髭ならちゃんと剃ってきたわよ。ほら、つるつるよぉ~」

「ひっ、ひあぁぁ~」

 頬を擦りつけられそうになった大名が逃げ出そうと必死にもがく。今やその絶叫は日本語にすらなっていなかった。

 この心底嬉しそうに頬ずりしている見た目こそパーフェクトなきれいめマッチョは、名を磐井乙巳いわいいっしと言い、演劇部の部長であだ名がテンチョー、そしてオカマだ。

 今もよく見ると、ブレザーの上からハートとレースをあしらったフリフリのエプロンを着ていた。

「は~、これで奏さん成分を少しは補給できたわ~。ほんと、何だかんだ似てるのよねぇ。さすがは姉弟」

 目から光を失った大名の額を指先で軽くつつく。よだれとともに半分ほど魂が抜けていた大名は、それで意識を取り戻した。

「っていうか、本人で補給しろよ。ただでさえ男にまとわりつかれてんのに、こんな仕打ちあんまりだ! いい加減俺だってキレるぞ! 窓ガラス叩いて回るぞ!!」

「なぁによ~。いつもよりちょっと激しかったからって。怒るこたぁないじゃない」

「怒ってんじゃねぇ、泣いてんだ!」

 口にハンカチを咥えてヒステリー気味に引っ張ると、そのまま長机に突っ伏してしまった。

「まぁまぁ、落ち着きなさいな。あなたのお嫁ちゃんのことね。奏さんから聞いてるわ」

 宥めつつテンチョーは洗練された動きで紅茶を入れ始める。カモミールのあまい果物のような香りが匂ってきた。

「奏姉から? また飲みに行ったのか?」

「そうよぉ、昨日の昼ぐらいにふらっと現れてね」

「おい、それならさっきのは何だったんだ。補給って、昨日会ってんじゃねぇか」

「分かってないわねぇ。会うほどに恋しくなるもの……会えない時間が一秒であろうと永遠であろうと、感じる切なさに違いはないのよ~」

 テンチョーが自分を抱きしめて身をくねらせているとタイマーがなった。ティーポットから温めておいたカップへと紅茶を注ぐ。

 大名はそれを受け取ると香りを楽しんでいるテンチョーを見つめた。

  ――そうか、今は休みだから昼もやってんのか。

 テンチョーは部活を終えた夕方から夜中まで“アケボノ”というノン・アルコール・バーを開いていた。法的な問題などはよく知らない。ただ看板を出していないので予想はできる。客はここら辺のはみ出し者ばかりで色んな年齢の人が来るらしいが、未成年も多いため酒類は一切出さないというのが店の方針だ。

「それで、そのお嫁ちゃんは今日はいないの?」

「あいつなら奏姉と買い物に行ってるよ。昨日まともに買えなかったんで、残りの買い出しに行ってる。俺は部活だからって逃げてきた」

「あら、そんなに買うものが多かったの?」

 テンチョーが尋ねる。よくぞ聞いてくれた。大名はこれ見よがしにため息をつくと、昨日の出来事を語り始めた。




「おう、嬢ちゃんたちが揃ってどうしたんだい」

 サトミタウンの二階。奏と小町は婦人服売り場にある呉服屋を訪れていた。

「親父さん。僕は男だと言っているだろう。昨日は男に見えるって言ってたじゃないか」

 小町が頬をふくらます。親父さんは快活に笑うと楽しそうに膝を叩いた。

「おう、そうだった、そうだった。それで、昨日渡したプロテクターの調子はどうだい?」

「うん、普通に生活するには問題ないのだが、動くと少し違和感を感じるな」

「そうかい、そしたらもう少し調整してみるか。ちょっと、肩を上げてみな」

 言われた通り肩を上げる。親父さんは肩のあたりから背中にかけてぺたぺたと触ると、うんうんと頷いた。

「どう? なんとかなりそう?」

 隣にいた奏が尋ねる。武道家にとって少しの違和感でも大敵だ。特に桃山流にとっては致命的と言ってもいいかもしれない。

「ふーむ、これで違和感を感じるとなると……坊主、さらしは問題なかったんだあなぁ?」

 小町が頷いた。

「そうかい。なら、肩にかけるんじゃなくて胴に巻くようにすりゃいいってことだな。それでいて成長を邪魔しないようにすると。自分で調整できるようにもせにゃならんし、こりゃ、大仕事になるな」

「僕は別にさらしのままでもいいのだが……流行りにも興味ないし」

「ダメ、ずっと押さえつけるなんて身体に悪いし、とにかく、ダ、メ、よ!!」

 やる気の無い小町の肩を掴みジトっと睨みつける。奏の方が下にいるのにこの威圧感はなんなのか。

 ゴクッと唾を飲み込み、小町はしぶしぶ頷いた。

「おっし。それじゃぁ、親父さん頼めるかしら。もうすぐ学校も始まるし……そうね、二週間でどう?」

 奏が親父さんに視線を向ける。すると、親父さんは一瞬気を間の抜けたような顔をしたあと大笑いし始めた。

「か~、はっはっはっ、奏の嬢ちゃんには敵わねぇなぁ。これを二週間ときたか」

「無理かしら?」

「いいや、いいや、百年続く轟屋を舐めんじゃねぇよ。その依頼、きっちり二週間で受けようじゃぁねぇか!」

「さっすが! 男前なんだから! どうせだから鉄砲も防いじゃうくらい凄いの造ってよ!!」

「かぁ~、はっはっはっ! よかろう! よかろう!」

 調子乗った奏の無茶苦茶な要求に笑い声を膨らませる親父さん。奏も冗談で言っているのだろう。二人の快活な笑い声が店外までも響いていた。

 その様子を小町は困った顔で見つめる。早く買い物を終わらせて大名に会いたい。

 悩ましげにため息をついて暖簾の外へ視線を向けたのだった。




 お菓子を砕く音が教室に響く。大名は口に含んだお菓子を紅茶で胃に押し流すと、深く息を吐いた。昨日のことを語り始めてから数十分。話しの内容は小町をどう扱えばいいのかということに移っていた。

「正直どうしていいか分からん」

「でも、可愛いんでしょう?」

「そりゃ見た目はな。初めて見たときはこんな美少女がこの世にいるのかと我が目を疑ったさ。でも男だ。いくら可愛くても、お、と、こなの~!!」

「何が問題あるってのよ。男の子でも大ちゃんのこと愛してるんでしょう。それに、十年前の約束を胸にここまできた健気さ! なんの問題もないじゃな~い」

 悔しそうに机を叩く大名に、テンチョーが理解できないと首を振る。

「大ありだよ! 俺は、ホモが嫌いなんだ!!」

「あら、差別だわぁ。お仕置きしちゃおうかしら」

 メリメリ。立ち上がったテンチョーの筋肉が膨らみ制服とエプロンが悲鳴を上げた。

 わさわさと触手のように動く指が近づいてくる。横に広がったハートの刺繍が威圧的だ。

「まずはひんむいて、足の指の間から……ブツブツブツブツ」

「ちょっ、ごめんなさーい!」

大名は飛び上がると素早く椅子の下に隠れる。縮み上がって念仏を唱える姿は、そのトラウマがよほどのものであることを物語っていた。

「……人を何だと思ってんのよ。冗談、冗談よ。私は奏さん一筋なんだから、いくら血を分けた弟とはいえ手を出したりしないわぁ」

 椅子の下に手を突っ込むと、情けなく震えている大名を引きづり出す。大名は猫のように背を丸め、目を固く閉じたまま必死に祈っていた。

 テンチョーは大名から手を離すと席に戻っていく。

「でもさぁ、大ちゃん。正直なところ、そのお嫁ちゃんのことどうするの? このままじゃ、いくらなんでも可哀想じゃなぁい?」

「急急如律にょ……へっ?」

 陰陽師の呪文を唱えようとしていた口が止まった。大名はのろのろと椅子に座り直すと、机の上に顎を乗せ、正面に腰掛け澄まし顔で紅茶を傾けているテンチョーを見上げた。

 不貞腐れたように尖った口は、内心の後ろめたさを隠すためだろう。

「どうするって、俺はその時の記憶すらないんだぜ……それに、もう修行止めてるし、あいつが思ってるようなやつじゃないしな。なにより――」

「他に好きな人がいるしって、こと?」

 セリフをテンチョーが先に言ってしまう。大名は神妙な顔で頷いた。

「委員長ちゃんのことね。それならなんでお嫁ちゃんのことを引きとめたりしたのよ」

 テンチョーが呆れたような瞳で見つめる。大名は目を逸らし黙り込んでしまったが、しばらくして観念したように口を開いた。

「その時は男だって気づいてなかったし、何より、その……見た目が天使だったから」

「相変わらず、ゲスねぇ」

「うっ、うるせー! それだけじゃねぇよ、なんかあいつが泣いてる顔見たら我慢できなかったんだ。なんとかしてやらなくちゃって、守ってやらなくちゃっ……て……」

 反論していた大名の顔色が反転する。恥ずかしそうに頬を染めていたのに一気に青くなった。自分が口走っている内容が、まるで小町を恋愛対象だと宣言しているようなものだということに気がついたのだ。

「あー! 俺は何を言ってるんだぁぁぁ! 違うっ、確かに可愛いけど俺は女の子がすきなんだ! そうだ、きっとこれは庇護欲に違いない。母性だ。マタニティだ。家族愛、隣人愛だ!」

 頭を抱えて絶叫する大名。そんな大名を見てテンチョーは頬を緩めた。

「でも、面倒なことになったわねぇ。私はお嫁ちゃんに正直に話した方がいいと思うけど」

「相手は男だぞ!?」

「でも気持ちは本物なんでしょう? 誠実に応えてあげるべきじゃなぁい?」

 かちゃり――カップを置く音が響く。大名は口元に手を添えて白いテーブルクロスを見つめる。真剣に考え込んでいるようだ。

「そうだな、その方がお互いのためにもいいのかもな……」

 答えが出た。大名は肩から力を抜くと、憑き物がとれたような笑顔でテンチョーに礼を言った。

 それにテンチョーも微笑み返し、ゆっくりと口を開いた。

「それよりあんた、そのナンパ癖どうにかしなさいよ」

「ダメだ、ナンパは希望だ。人は希望がなくちゃ生きられねぇ」

 今日一日の中で一番毅然とした態度で返した大名であった。




 多くの女性で賑わう店内。食欲とは別の場所を刺激する甘い香りと、白、黒、茶色、ピンク、色とりどりにデコレートされ視覚も楽しませてくれる三角形と四角形にカットされた宝石たち。買い物をすませた奏と小町は近くのケーキバイキングにやってきていた。

「いやー、食べた、食べた。美味しかったわねぇ、こまっちゃん」

「はい、僕も久しぶりにケーキを食べましたがこんなに美味しいものだったかと改めて驚いてます」

 買い物袋を手に提げ往来する人々が見える窓際の席。ほとんどの種類のケーキを食べつくした二人は、口直しにコーヒーを飲みながら呑気に話しをしていた。

「久しぶりって……最後に食べたのはいつなの?」

「たしか、父に聞いた話で二、三歳だから十三年ほど前ですか」

 それはもう初めてと言ってもいいのではないか。そんな言葉を奏ではコーヒーと一緒にのみ込む。

「クマ……じゃなかった、お父さんとの修行は楽しかった?」

 尋ねる。小町の母マリーからの手紙によって、おおよそのことは知っているが、本人から詳しくは聞いていなかった。

「はい、たしかに厳しい修行でした。死にかけたこともあるし、怪我を負うなんてことはしょっちゅうで。でも、ふと見上げた夜空は美しかったし、苦労してつくった食事は美味しかった」

 小町が笑顔になる。彼女の中では今、山で父と暮らした十年の映像が細切れに映し出されているのだろう。

 奏はその様子に軽く目を見張ったが、何も言わずにそのまま耳を傾けた。

「父上の背中は大きかった。結局、山を降りるまで一撃かすらせることがやっとでした」

「それだけでも大したもんだわ」

 小町が微苦笑する。

「何度も、何度も、挑んでは負けました。正直、僕には桃山流を極めるどころか、技を受け継ぐことすら無理なのではないかと思ったことが幾度となくあります。でも、そんなとき、挫けそうなとき僕を救ってくれたのはいつも大名と交わした約束でした。この十年、いつも僕の心の中にあいつはいてくれた。励ましてくれた」

 “約束”の記憶は、今も心の中で色鮮やかに息づいている。例え十の年月を経ようとも、大名自身が忘れてしまっても、決して色あせない。小町の優しく反らされた赤い唇は、静かにそう主張していた。

 湿り気を帯びた深青の瞳が奏を捉える。同じ女性である奏までもが言葉を失うほどに美しい。

「大名は僕にとってのヒーローなのです。弱い僕をいつも助けてくれた。それは、なにも約束のことだけではありません。彼はたしかに僕より弱かった。でも、あの弱気を助けようとする心、強くなろうとする姿勢、一緒に修行したのは短い時間でしたが、その記憶のすべてが未熟な僕を支える力になってくれました。だから、例え僕のことを忘れていたとしても、側にいられるだけで幸せなんです」

 そう締めくくった小町の言葉を聞き終え、奏はテーブルに腕を突いた。

 空になったコーヒーカップが小さく音を鳴らす。

 

 ――あっ、愛が重い……


 自分に向けられているわけでもないのに、あまりの重さに上半身が潰されそうになるのを感じて小さく呻いた。

 しかし随分と過去を美化したものだ。たしかにあの頃の大名は今よりも素直だったし、修行にも真面目に取り組んでいたものの、小町を助けるなどせいぜい薪割りとか、皿洗いとかを積極的に手伝ったぐらいのはずだ。それなのに、この入れ込みようはどうしたことか。もしかして、二人の間には奏も知らないこと何かがあったとでもいうのか。

 そこまで考え、奏は黙って首を横に振った。小町が何も言わない以上、気にはなるが無理矢理聞き出すわけにはいかない。もちろんその必要もない。

 それにしても……奏は口に残ったコーヒーのほろ苦さに顔を顰めた。今はその様な疑問より、小町の中に存在している美化された大名像がある意味で正しい、いや正しかったということの方が胸につかえた。

 山での修業を終えてからの大名の努力は凄まじいものがあった。才能は欠片もなかったがそれでも日々確実に強くなっていたし、得た力を正しく使おうと人助けをするために街の巡回も行い、それを十四歳のあの事故までおよそ七年間続けたのだ。

 奏も幼かったためになぜ正義の味方のようなことまでするのか疑問だったが、今思えば大名も小町に相応しい男になろうと必死だったのだろう。記憶を失くすまでの大名は真面目で、爽やかで、情に厚く、困っている人見過ごせない熱血漢といった、まさに小町の理想像としての道を歩んでいたのだ。

 なのに今は見る影もない。一度記憶を失くしてからというもの、今まで我慢していたものがすべて溢れ出したように反転してしまった。

 しかも約束のみならず小町は自分のことまで忘れられ、本当ならショックを受けて実家に帰ってもよさそうなものなのに、それでもまだ大名のことをヒーローだと言い切っている。

 まだ三日とはいえ小町の期待を裏切るには十分な時間だったはずなのに……奏は正直驚きだった。

 ――あんな顔で語られちゃ、もしあのバカが記憶を失くさなかったらと思わずにいられないわね……仮定の話しは好きじゃないのだけど……

 奏がずるずるとソファーへ身をゆだねる。小町は「少し喉が渇いたので、失礼します」と席を立った。耳まで真っ赤にしていたので、大名への気持ちを吐露したことが少し恥ずかしかったのかもしれない。

 それを見送る奏の表情は少し複雑そうである。初めは二人の様子を楽しく傍観しているつもりだったが、どうもそうはいかないらしい。大名が変わってしまったのは、何も小町との約束を忘れてしまったことだけが原因ではない。少なからず自分にも責任がある。

 それに――

「何か気になるのよねぇ。あの話し方まるで……って、まったく」

 そこまで呟いて唐突に立ちあがった。ドリンクバーのすぐそばで、数人の男に声をかけられ困っている小町が見えたからだ。

 気になることはあるがまだ判断するには材料が足りない。そのうちハッキリしてくることだろうし、正直自分が考えを巡らしたところで意味が有るのか甚だ疑問だが、これも性分だからしかない。とりあえずは社会のルールから、手始めに男に声をかけられた時のかわし方から教えることにしよう。

 奏は男の手を取ると冷ややかに微笑んだ。




 夕方、部活を終えた大名は一人家路についていた。

「ったく、テンチョーのやつ。連絡する日にちを間違えてたなんて。オチとしては弱過ぎるぜ」

 呟き足元にあった石を小突く。結局部活には二人しか集まらなかったのだが、どうやらそれは、テンチョーが残り二人に間違った日にちを連絡していたからということが分かった。いくら待っても来ないからおかしいなと言い合っていたら、テンチョーが急に「あら、そういえば」などと連絡ミスしていたことを思い出したのだ。

 その結果、次に集まる日取りはまた調整するということになった。新入生の勧誘もあるのにこんなことで大丈夫なのだろうか。一人は確定だから潰れることはないだろうが、それでもメンバーが足りないのに。

 部の将来に不安を感じた大名であったが、すぐに気持ちを切り替える。

「それよりも今はテンチョーから言われたことをきちんと伝えねぇとな」

 玄関の前に立つと、瞳を閉じて、伝えるべき言葉を思い浮かべた。

 ――俺、好きな人いるんだ。だから、お前の気持ちには応えられないんだ。

 単語にして二十八文字。すべて発音するのに三秒もかからない。

 よしっと、気合を入れて扉を開けた。目の前にはいつも通り長い廊下が続いている……ハズ?

「なんで足の裏?」

「このっ、浮気者ー!!」

 けたたましい叫び声とともに大名の顔面が跳ね上がる。そしてそのまま玄関の外に弾き出され尻もちをついた。

「いてて、何だいきなり……」

 鼻の頭を押さえながら状況を把握しようと顔を上げる。が、今度は腹の上に何かが飛び乗った。小町だ。すぐさま大名の襟首を持ち上げるとガクガク揺さぶった。

「なにが流行の挨拶だ! ただのナンパじゃないかぁ! この嘘つき!!」

「ちょっ、ちょっと、待てって。何があったかしらんが勘違いしてもらっちゃこまる。ナンパは紳士の嗜みだ。男にとっては挨拶みたいなもんなんだ!!」

「何を抜かすかぁ! 」

 大名は必死に弁解するが烈火のごとくに怒る小町には通じない。立ち上がった小町は側にあった庭石を掴み、幼児ほどもあるそれを振りおろさんと頭上高く持ち上げた。

「お前を撲殺して僕も死んでやるー」

「ちょーっ! 話せば分かるー!!」

「待て、正々堂々裁きを受けろぉ!!」

 振りおろされた石を紙一重で避け、這いつくばったまま逃げる大名を小町が追いかけていく。

「だれかっ、たすけてくれー!!」

 帰ってきて早々まさかの生死を賭けた追いかけっこに、伝えたかったことなど完全に記憶の彼方に吹き飛んでしまった大名であった。


 


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