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千石大名のアンビバレント!!な生活  作者: いばらぎとちぎ
第一章 物語は始まった
2/7

買い物へ行こう!

 太陽が薄闇にまだら模様を浮かび上がらせるころから、千石奏の一日は始まる。目を覚まし、顔を洗い道着に着替え母屋の隣にある道場へと向かう。

 春の香りが漂い始めたとはいえ日も昇り切っていないこの時間はまだ冬の気配を強く残しており、屋根しか付いていない渡り廊下のスノコは、思わず声を出してしまいそうなほどに冷たい。

 奏は廊下の中央で立ち止まり顔をほころばせた。目の前に紫の空が広がる。

 一番高く輝く昼よりも、役割を果たし眠りにつこうとする夕よりも、太陽が今から立ち昇るのだと感じさせるこの空が一番好きだった。だからこそ日の出に合わせて起きる生活が身に着いたのだろう。

 道場の扉を開け、南に祭ってある神棚の前に座り一拍おいて礼をする。そして、そのまま精神統一に入った。

 若干十六にして師範代の認可を受けてから四年。若き天才は、休むことなく昇る太陽のように日々の研鑽を続ける。



「……随分と待たせちゃったわね」

 瞑想を初めて二時間ほど経ち奏は口を開いた。彼女が道場に入ってから物音一つしなかったというのに、一体誰に話しかけているのか。三十畳ほどの板の間には誰にもいないように思える。

「すいません、義姉上の邪魔をするつもりはなかったのですが」

 しかし、それは常人の感覚。研ぎ澄まされた奏の感覚は狩りを営む野生動物のそれだ。

 声がした方角――渡り廊下につながる扉のすぐわき――に昨日からの同居人、桃山小町が申し訳なさそうな顔で座っていた。

「あぁ、いいのいいの。気にしないで。こまっちゃんのウキウキした気を受けて、私もなんだか楽しかったから」

 まぁ、それはそれでまだ未熟ってことだけどね。呟き、立ち上がると道着の帯に指をかけ小町の前まで歩を進めた。

「試したいんでしょう。自分の力量」

 手を差し出す。小町の顔がスイッチを押した電球のように明るくなった。まるで新しいおもちゃを前にした子どものような反応だ。

「ありがとうございます。義姉上。全力で胸をお借りします!」

「……その義姉上っての止めない? 私は“お姉ちゃん”の方がいいんだけど。昔みたいにさ」

「いえ、夫のお姉さまをそのように馴れ馴れしく呼ぶわけにはいきません。親しき仲にも礼儀ありです」

 急に表情を締めた小町を見て、奏では頭を抱えた。

「これは大変だ……さあて、どうするか」

 考え込んだまま道場の中央へと移動する。小町はその後に黙ってついていった。

「よし、ならこの勝負が終わったらお姉ちゃんって呼ぶこと。決定!」

「終わったら? 勝ったらではありませんか?」

 立ち止まり背伸びを始めた奏に小町が尋ねる。尤もだ。勝っても負けても奏の利になってしまったら賭けにならない。

「あらあら」

 しかし、その言い分に奏は心底意外そうな声を出す。

 振り返ったその表情はまるでモノを知らない子どもに諭すような優しい笑顔だった。

「私とあなたで賭けが成立するとでも?」

 自信たっぷりの一言に小町の片眉が吊りあがる。そして、大名を襲った時以上の闘気を発して奏を見据えた。

「義姉上といえど、それは聞き捨てなりませんね。いいでしょう、僕の願いはあなたに勝ってからゆっくり考えることにします」

「それは負けフラグよ。フ・ラ・グ。分かる?」

 向き合う互いの背を比べれば、小町の方が十センチは高いだろうか。素人目に見ても、それだけで小町の方が有利ではあると分かるが、奏の余裕は揺るがない。

 小町の視線に力が入る。その態度が舐められているように感じ気に入らない。確かに奏は強いだろう。立ち振る舞いを見るだけで伝わってくる。しかし、自分とて桃山流の後継者としてこれまで厳しい修行に耐えてきた自負がある。正直、劣っているとも思わない。

 わなわなと震えていた小町の手が、それを押さえるように固く握られた。もうこれ以上の言葉はいらない。あとは拳で語るのみ。

 始めの合図もない。小町は短く息を吐くと、しなやかに筋肉を駆動させた。




「トメさ~ん。朝飯残ってる?」

 残り一週間となった春休みを十二分に楽しむために、ゆっくりと起床した大名は朝食を取ろうと居間に入った。

「こら大名! もう十時半だぞ。いつまで寝ているんだ」

「あっ?」

 久しぶりに起きる時間で注意される。一体誰だと寝ぼけ眼で振り向き、固まった。

 そこには前髪をゴムで止め、淡い紫の着物に白いレースのエプロンをかけた和風メイドがいた。着物なのに膝はしっかり出しており、ニーソなのがあざとい。

「まったく、仕方ないな。とりあえず座るんだ。今ご飯を用意するから」

 大名は無言のままギクシャクと席に座る。小町はお盆に載せてご飯とお味噌汁、そしておかずの卵焼きを持ってきた。

「今日のお味噌汁はトメさんに習って僕が作ったんだ。どうだろう?」

「んっ、うまい」

 心配そうにお盆の影から様子をうかがっていた小町が恥ずかしそうにはにかむ。まるで新婚夫婦のような状況に大名は心が温まるのを感じ、身体の硬さも少しずつとれていった。

 ――そうか、昨日からこいつも一緒に住むことになったんだよな。うん、安易な流行りに乗って洋風メイドを選ぶより和風メイドを選んでいるところは、さすが俺の嫁なだけはある。青い目とのギャップがまた可愛い……

「……って、ちがーう!!」

 何やら悟った風な顔をしていた大名だったが、すぐに正気を取り戻すとテーブルをひっくり返した。

 頭上高く舞い上がるテーブル、そしてそれが落ちてくる前に、蜂のように鋭く大名の頭上目がけて振り落とされた鈍器。

「何すんのよもったいない」

「あでっ」

 正面でテレビを見ていた奏のかかと落としだ。テーブルと同時に飛ばされたご飯、味噌汁、卵焼きをしっかりキャッチしてからの行動である辺り、その天才ぶりをいかんなく発揮している。

 ゴンッ。そして、最後にテーブルがダメ押しをして顔が畳にめり込んだ。

「ん、ぐぐ。ちっ、ちくしょう。あまりに自然過ぎて違和感に気がつかなかったぜ……おいっ、お前その格好は何なんだ!? 男だろ」

 顔を上げ、叫ぶ。小町は不思議そうな顔で自分の格好を確かめた。

「似合ってないか?」

「いや、そりゃ、思わず二度寝した息子が起きるほど似合ってるけど、違うだろ? そりゃ、おまえ、あんまりだろう!」

 その仕草がまた可愛らし過ぎて何やら混乱してしまった大名は、滝のような涙を流して抗議する。男泣きである。

「大名の言っていることはよく分からない。お姉ちゃんが似合うからと着せてくれたのだが……それに、男は着るものにこだわらないものだろう?」

 が小町には伝わらないらしい。男に対して間違った認識をしている気がするが、元々長い間山に籠っていた小町にとって格好など特に気にすることでもないのかもしれない。本気でどこがおかしいのか分からないといった表情をしている。

「……奏姉」

「あによ。可愛いんだからあんただって嬉しいでしょ」

 向けられる非難の眼差など歯牙にもかけず、奏は卵焼きを頬張る。

「顔立ちは日本人なのに、あの青い瞳がなんだか官能的よねぇ。ぺったん子だけど足長いし綺麗だし、さすがクオーターだわ」

 ご満悦だ。

 しかし大名は素直に喜んでなどいられない。四つん這いのまま、がさがさと近づくと奏の腕を強く掴んだ。

「お願いしますよ、おねぇさまぁ。俺がマジでホモはダメだって知ってんだろ?」

 涙を垂れ流したまま懇願する。かつて大名は修行という名目で三日三晩ホモの柔術家と組み手をさせられて以来、それは酷いトラウマを抱いているのであった。

「ホモがダメって……あんた磐井いわいくんと仲いいじゃない」

「テンチョーはオカマだけど、奏姉にぞっこんだからいいんだ」

「あら、あんた知らないの? 彼はバイよ。私とあんた似てんだから、欲求不満が溜まってその内食べられちゃうかも」

「いい加減付き合ってやれよ! 弟のバージンの危機だぞ!!」

「知らないわよ。自力でなんとかしなっ、さい」

 奏に蹴飛ばされ、小町の目の前へ転がった。

「うぅ、鬼や、畜生や……山姥や」

「誰が山姥だっ! ったく、そんなことより。ほらっ」

 丸まって悲嘆にくれていた大名の前に奏が何かを置いた。起きあがって覗いてみるとそれは茶色の封筒だった。

「……なんだよこれ?」

「いいから開けてみなさい」

 訝しげに思いつつも、言われるままに封筒を開けてみる。

「ここここここっこれは!?」

 するとそこには諭吉が五枚。偽物かと思い透かしてみるが本物だ。日本銀行より発行された、縦七十六ミリ、横一六〇ミリのE号券。

「あんたにやるわ」

「えぇ!?」

 思わずのけぞる。この守銭奴が一体どういう風の吹き回しなのか……茫然自失とした大名をよそに、奏は呑気に熱いお茶を啜った。

「ただし、全部じゃないわよ。今日一日こまっちゃんの買い物に付き合ってあげなさい。学校に通うのに必要なものとか、詳しいことは封筒にメモが入ってるからそれを見ること。それで、余った分は駄賃としてあんたが貰ってもいいわ」

 まさかの発言に大名はマジマジと姉の顔を凝視した。

「信じらんねぇ……今朝は快便だったのか?」

 バシャッ。

「あっぢぃぃぃぃぃ!」

 口は災いのもと。熱々のお茶を顔面にかけられ悶絶する大名を一瞥して、奏はそっと小町に耳打ちした。

「お金、一円も残さないでいいから思いっきり楽しんでらっしゃい。まだ、街には慣れてないでしょ?」

 小町の肩が軽く跳ねる。振り向くと奏は快活に笑っていた。

「はい。お心遣い感謝します。義姉……っと、お姉ちゃん」

 小町は少し恥ずかしそうに笑うと、のたうちまわっていた大名の首根っこを掴んだ。

「では、早速行ってまいります!」

「気をつけてね」

「へっ? ちょっと、待って、せめて顔だけでも洗わせてぇぇぇぇ」

 その細腕のどこにそんな力があるのか、もがく大名を軽々引きずって行く。

「まぁまぁ、若いっていいですなぁ」

 玄関が閉まる音とともに大名の断末魔が聞こえなくなったころ、台所からトメさんが顔を出して来た。楽しそうにニヤケている。

「しかし、お嬢様、あのお金はどこから?」

「あぁ、マリーさんにこまっちゃんが世話になるからってもらった分。あの白いナップサック一杯に札束が入ってた」

「それじゃぁ、小町さんのじゃありませんか。それを勝手に坊っちゃんに上げる約束をするなんて感心しませんね」

 トメさんが顔をしかめる。基本は家事手伝いが仕事だが、必要があれば苦言を呈すことも自分の役割だと認識していた。

「大丈夫よ。メモに書いてある通りに買い物すれば、お金なんて千円も残らないわ。それに大名と仲良くなれるほうが、こまっちゃんにとってはお金よりも価値があるはずよ。違う?」

「そりゃ、そうでしょうが……ふぅ」

 しかしそんな苦言はどこ吹く風。いつまでも姉にいいように操られる大名を、少し哀れに思ったトメさんであった。




 大名の住む町は若者が多い。周りに学校が多いからだ。公立の小学校、中学校、高校、大学、そして同じように私立の学校。これらが、地下鉄の沿線上にひしめき合っており、一人暮らし用のアパート、マンションが至るところに出来ている。

 そんなわけだから、“ナンパは趣味であり呼吸だ”と豪語する大名にとって、ここは天国であり、愛すべき場所なのだ。それはもちろんこの街に住む人にも適応される。特に女の子には。

「声かけるなら、もっとマシな格好してきなさいよ」

「あと、顔も洗ってくることね。髪と同じ色した目クソがついてるわよ」

「きゃはははははは! なにそれ、ひっどーい! マジはっさく!」

「やだー、おやじくさーい」

「「きゃはははは!」」

 そして今日もナンパは実らない。愛が必ず伝わるとは限らないのだ。

「顔なら洗ったよ。 熱々のお茶でな! 最先端だぞ、ちくしょう」

 女子高生を見送った大名は負け惜しみを言い、思い切り鼻を吸い上げた。隣にあった店の窓越しに自分の姿を確認してみる。ボサボサの頭に黒に白い文字で“きわみ”と書かれた千極流入門特典のシャツと紺色のジャージ。完全に寝巻だ。

「今のは知り合いか? あの言い方、何やら大名を馬鹿にしているように感じたが?」

 小町が尋ねる。その瞳はもし馬鹿にしていたのなら許さん、とでもいうように険しく細められている。が、如何せんサマになっていない。なんせ和風メイドのまま出てきたのだからまるでコスプレだ。

「ちげぇよ。あれはジョークだジョーク。都会ではああやって、互いにジョークを言い合いながら挨拶を交わすのが最近のトレンドだ」

「とれんど?」

「流行りということだ。初対面の相手でも仲良く交流を交わすことによって、最近問題になっている若者のコミュニケーション能力の不全を正しているのだ」

 女子高生を追いかけられても困るので、テキトウに誤魔化す。そもそもここが都会だということ自体に無理があるのだが、山から降りてきて、さほど経っていない小町に真偽を判断することはできない。

 小町はその嘘を聞きながら真剣に頷いた。あまりに真面目に聞いてくれるので、大名も段々調子に乗ってしまう。殊更厳めしい表情を作るとさも真実の如く話しを続けた。

「昨今は草食系男子が増えているなどといわれているが、その実態は肉食にもかかわらず草しか食べることができないというのが本当のところであり、それに甘んじているのは、腹は減っても高楊枝という日本古来の精神である武士道が深く関わっていると……ってあれ?」

 辺りを見回す。いつの間にか隣にいたはずの小町がいない。歩きながら話していたため置いて来てしまったか。大名が後ろを振り向くと、なんと、ガラの悪そうな男に囲まれていた。

 男は三人。金髪に鼻ピアスとダボダボのズボンをはいたニット帽、そしてスキンヘッドで指に銀色のアクセサリーをジャラジャラ着けた、普段の大名ならば絶対に関わり合いたくない人種だった。

「ねえちゃん、かわいいねぇ。それコスプレ? そういうお店の店員さん?」

「そんな足出してたらまだ寒いだろう? 俺たちと一緒にあったかい場所に入らない?」

「うひあはうひあは!」

 三人が話しかける。いかがわしいことを行う気が全面から透けて出ているのだが、小町はまったく頓着する様子もなく、なにやら眉を寄せて真剣に悩んでいる。そして、しばらくすると三人をそれぞれ指さした。

「えっと、あなたはアレだ、少し前にテレビで見たどこかの部族に良く似ている。その鼻につけた輪っかなどそっくりだ。もしくは、牛かな。うん、とっても男らしい。そして帽子を被っているあなたは、とても足が短い。太っているあなたは……どこかの絵本に出てなかったか? 猫を襲うやつ。どちらにせよ人間とは思えない」

 沈黙する時間。隣を通る車の音でさえ地球の裏側から聞こえているようだった。

「おーい、大名。これでいいのか? 上手く挨拶できたか?」

 そんななか、ただ一人だけ自由に動く小町。固まっている男三人の横をすり抜けて大名の側に寄って来た。顔が達成感で輝いている。

 大名は目の前で止まる小町の肩に右手をおいた。優しく微笑み、左手で華麗に前髪をかき上げると、流れる様な動作で小町を脇に抱え込んだ。

「……逃げるぞ」

 そう言って駆け出す。

「まぁてコラー! てめぇら、ぶっ殺してやる!!」

「短足だと、これはそういうファッションなんだよ。人が気にしてることをよくもぉ!」

「ふぎがはがぁ!!」

「ひえぇぇぇぇぇ。ごめんなさーい」

 意識を取り戻した三人が烈火のごとく怒り狂い追いかけてきた。

「なんであの三人は怒ったんだ? 流行りの挨拶なのだろう?」

「あぁ、もう。 終わり。流行終わり! 都会は流行り廃れが激しんだ!!」

「そうなのか……都会は流動的だと母上が言っていたが、これがそうなのか」

 抱えられた小町が妙に納得したように頷く。しかし大名には、はもはや突っ込む余裕すらなかった。




 逃走劇が始まってから数分。元々体力など備わっていない不良三人組は、入り組んだ路地裏で完全に二人を見失っていた。

「ちっ、ちくしょう……あいつら、このままですむと思うなよ」

 金髪は壁を殴ると携帯電話を取り出した。




「巻いたか?」

 一方、上手く逃げおおせた二人は他所の庭に隠れていた。生垣からそっと道路を覗く。もう誰も追ってきていないことを確認して大名はほっと胸を撫でおろした。

「すまないな、僕が流行に疎いせいで大名にまで迷惑をかけてしまった」

 隣にしゃがんでいた小町が申し訳なさそうな顔をする。それには大名も胸が痛んだのか半笑いで顔を背けた。

「……気にすんなよ。ただ、男が傷つくようなことはこれから言ったらダメだからな。男心は繊細なんだ」

「大丈夫だ。僕も男だからな。よく心得ている。同じ間違いは二度としない」

 そして、その言葉にガクッと肩を落とした。

 ――そうだ、こいつ男だったんだ。なんで俺が身を危険に晒してまでヤローを助けにゃならんのだ……

「それでは、相手も巻いたようだし買い物に行くか」

 大名の落ち込みもなんのその。立ちあがった小町よっぽど楽しみだったのか、両手を元気よく振って庭から出て行こうとする。

 大名が小町の襟首を掴んだ。

「ちょっと待て、お前その格好でまた出歩く気か? あいつらが諦めてなかったらすぐに見つかるだろうが……って、お前その傷どうしたんだ?」

 大名が尋ねる。引っ張られて露出したうなじに赤い火傷をしたような跡があった。

「あぁ、今朝、お姉ちゃんと勝負した時についた傷だろう。負けたんだ」

 小町は首だけで振り返ると事も無げにそう答えた。なるほど、なぜ突然お姉ちゃんなどと言い出したのかと思っていたらそれでか。どうせ自分が勝ったらそう呼ぶように賭けでもしたのだろう。大名は一人納得した。

「しかし、お姉ちゃんは強いな。まったく触れることすらできずに一撃で動きを止められてしまったよ。僕も負けじと鍛えなくては!」

 両手を握ってガッツポーズを作る。どうやらリベンジする気満々のようだ。

「鍛えるって、はっきりいっとくがあの女は人外だぞ。ほんとうに山姥クラスだ。赤い髪振り乱しながら盾と斧持って暴れまわるやつらに交じってても違和感ないレベルだぞ。なぜかおおかなづちを落とすアレだ。目指すだけ無駄……」

「そんなことはない!」

 言葉が終わらぬうちから小町が叫んだ。大名は思わず襟首を離してしまった。

「いくらお姉ちゃんが化生の類いであろうと桃山流を極めれば倒せないことはない。桃山流こそ最強なのだから!」

 小町は睨みつけるとそう反論した。その瞳は思わずたじろいでしまうほど強い光を放っており、同時に妄信に近い危うい色も映し出していた。

「極めるって、お前桃山流を極めたから山を降りたんじゃないのか?」

 しかし大名は気がつかない。相手の瞳で内面を感じ取るには鈍すぎたのだ。

 それ故に剣幕に少し驚いただけで普通に質問を返した。

「いいや、技を継いだだけだ。それらを実戦で使いこなし、さらに研鑽したその先に極めるということが見えてくる。僕はまだ全てを使いこなすには到底至っていない。極めるなんて夢のまた夢だ」

 小町は少し落ち着いたのか残念そうに空を見上げた。

「……俺には理解できねぇな」

「んっ、何か言ったか?」

  大名の呟きは小町には届かなかったらしい。何でもねぇと、手を振る。

「とりあえず、話しを戻すぞ。今の問題はあいつらに見つかると大変ってことだ」

「いいじゃないか。見つかったら今度は叩きのめせばいいのだろう?」

 あっけらかんと言い放った小町に思わず大名は絶句してしまう。たった今逃げてきたばかりなのに、こいつは何を言っているのだ。大名は思いっきりため息をつくと、肩を掴んで言い聞かせるように話しかけた。

「ここは法治国家なの。それに次の世紀末にはまだ早いの。とりあえず着替えるぞ」

「じゃぁ、一旦家に帰るのか?」

「いや、その途中で出くわしたらヤバい。よって服を借りる」

「借りる? どこで?」

「ここで」

 大名が指さす。一体いつからいたのか、玄関の前でガーデニング道具を持った武蔵がサングラス越しに二人を見ていた。



「恩に着る、いや恩を着るかな。なんせ服を借りるんだからな! あははは」

「……」

 親父ギャグを言って笑っている大名に武蔵は無言で薄手のパーカーを手渡す。サイズが違い過ぎるが、まぁ大丈夫だろう。

 今大名がいるのは武蔵の部屋だ。六畳ほどの部屋なのだが、武蔵が大き過ぎるためその半分以下の広さに見える。物も多くない。あまり置き過ぎると寝るスペースがなくなるのだそうだ。

 ちなみに小町はここにはいない。さすがに武蔵のサイズだと無理があるので、六年生になる弟の部屋へ服を借りに行っているのだった。

「しかし参ったぜ。あんなジョークを真に受けるなんて。田舎者恐るべしだな。おまけに世紀末肩パッド並みの脳筋ときた」

 袖を巻き上げ、両手を上げてみる。やはり随分と丈が余ってしまう。しかも下はジャージのままなので、やはりパジャマ、良くて部屋着という段階からは一向に抜け出せそうになかった。

 それでも何とか格好良く見えないかと鏡の前でポーズを取っていると、小町が戻ってきた。

 小町はジーパンに少し厚めの長袖を着ており野球少年といった感じの服装になっていた。

「うん、僕にもぴったりだった。かたじけないな、小太郎くん」

「あぁ、うん」

 小町が一緒に入ってきた小太郎に頭を下げる。小太郎はもじもじしながら横目で小町をうかがっていたが、微笑みかけられると顔を真っ赤にして部屋から出て行ってしまった。

「どうしたんだ……あいつ。いつもならゲームしようぜってせがんでくるのに。お前なんかしたのか?」

 大名が尋ねる。

「いや、服を借りたついでに着替えもさせてもらっただけだが」

 不思議そうな顔をしてお互い見合った。



「それじゃぁ、突然悪かったな。この借りはまた返すからよ」

 玄関に立った大名が軽い調子で告げる。一方、隣にいる小町は深々と頭を下げていた。どこか似ているようでこの二人は対照的だ。武蔵はそんなことを思いつつ二人を送り出し居間に戻る。ガーデニングの続きをする前に少し喉が渇いたのだ。

「……」

 すると居間では顔を真っ赤にしたままの小太郎が座っていた。ギギギッと首を動かす。

「兄ちゃん。おれ、大人の階段登っちまったよ」

 この弟に小町のことをなんと説明しようか。結局、一番面倒なことを置いていかれた武蔵は牛乳を一気飲みしたのだった。




「あぁ、買い物するとはここでだったのか」

「どこだと思ってたんだよ、お前」

 ミサトタウンに着いた二人は自動ドアをくぐって中に入る。広く顔が映るほどに磨かれた廊下は、今日も多くの人々が往来していた。

「腹減ったな……」

 入口のすぐそばにあるパン屋からバターと甘い香りが漂ってきた。朝飯を食べていない大名には刺激的な香りだ。引きずられてきたため携帯も時計も持っていないが、おおよそお昼を過ぎたころだろう。

 大名はメモを確認してさっさと買い物をすませようと決意した。余ったお金で美味しいものを食べたかったし、何よりあの三人組のことが気がかりだった。あのようにプライドだけは高そうな奴らは、異様にしつこいことを経験上よく知っていたのだ。

 今だって悪目立ちこそしていないとはいえ、それでも小町を見て振り返る人は多い。みんな男の子か女の子か確かめているのだろう。酷い人はあらかさまに二度見していったくらいだ。いくら少年風な格好をしていても、素の容姿がどうしても女顔なうえに、そこら辺の人よりは頭一つどころか二つも三つも抜けだしているのだから仕方ない。

 これで本当の女の子だったらと思わずにいられない大名だったが、ため息が出るばかりなのでそのことはもう考えないことにした。


 大名と小町は二階の衣料品コーナーに上がった。二階は婦人服が主なため周囲は十代向けの可愛らしい服から、シニア向けの落ち着いた服まで様々だ。ただ、どの店も華やかであることは間違いない。しかし、その一角にどう見ても毛色の違う店があった。

「おう、千石の鼻たれ小僧じゃねぇか」

「だれが鼻たれだ。顔に似合って洒落た内装しやがって。なんで婦人服の階にあるんだよ、この店は」

 濃紺の暖簾をくぐるとカウンターから角刈りの親父が話しかけてきた。ここは昔から続いている呉服屋の支店だ。本店は街の北の方にある。生産も請け負っており、衣料品の類いであれば何でもござれといった具合で、“きわみ”Tシャツも練習で使う道着もここに注文している。もはや呉服屋の範疇を超えているのだが、それでも呉服屋を名乗るのはプライドの問題なのだそうだ。

「おっちゃん、本店置いといていいのかよ。てか、知恵ちえさんは?」

「知恵はもう腹がでけぇからな。本店でのんびり留守番よ。でっ、どうしたんでい。一応ここは婦人用だぞ」

「一応な……」

 大名は辺りを見渡す。着物から洋服、道着、上半身を覆うプロテクター、アニメのコスチュームに侍なり切りセットにまである。あの各国軍服セットは女性が買うのだろうか。

「大名、僕は男だぞ。勘違いされてしまっては困る」

 大名の影から小町が出てくる。不愉快そうに眉をひそめていた。

「わぁってるわ。ったく、おっちゃん、こいつに春秋高校の制服頼む。あと、男だからそいつ」

「むっ、なんだ。最後の取ってつけたような言い方は」

 小町がむくれる。すると親父さんは大声で笑った。

「わかっとる、わかっとる。どっからどう見ても立派な男じゃねぇか、おい! わしの若い頃にそっくりだぁ」

「ホントか親父さん! いや、僕も角刈りにしてみようかと思っていたんだ」

「いや、そりゃないだろ」

 大名が突っ込むが小町はまったく聞いていない。女に間違われなかったのがそんなに嬉しいのだろうか。まぁ、女顔がコンプレックスということはよく聞く話なのできっと小町もそうなのだろう。大名は肩をすかすと店内をテキトウにぶらつき始めた。親父さんと小町はまだ何か話しをして盛り上がっている。

「おい小僧、ちょっとかかるからお前さんはどっかで時間潰してきな」

 親父さんから店の奥にいた大名に声がかけられた。小町も試着室へ移動したようなので、大名はそれならと言われたままに店を後にする。先ほどから腹が鳴っているし、ハンバーガーぐらいなら先に食べても罰は当たらないだろう。

 エスカレーターに乗って一階へ向かう。すると、反対側、登りのエスカレーターから人相の悪い男が上がって来た。携帯を耳に押し当て大きな声で話しをしている。

「おい、例の二人組見つかったか。ちがうっ! 裸エプロンじゃねぇ、和服エプロンだ。何回言わせんだこの風船ヤロー! あぁ、そうだ。青い目の女と茶髪の男だ。さっさと見つけ出せ。そうじゃねぇと、俺たちが酷い目に合わせられるぞ。いいか、三人がアレに行っている間に見つけ出すんだ」

 まるでどこかの不良漫画みたいなことを言う。大名はなるべく離れるように思いっきり階段の端に寄った。手が擦れて痛いがそれどころじゃない。やはりまだ諦めていなかったのだ。

 ダラダラと汗が流れる。アレが終わるまでがタイムリミットだと言っていたが、アレとは何のことなのだろうか? 不良たちの集会とかだろうか? 話しを聞いている限りは随分と恐れられているようだし、もしチーム内でのクラスが上の奴らだったら、もっと多くの追手を集めている可能性もある。

 ……かなりまずい状況なのではないか。大名はどうやって逃げるか悩みつつハンバーガー店に入った。まずはお腹を一杯にしておこう。いざという時に力が出なければ仕方がない。

「いらっしゃいませー。ただいまこのチキンとハンバーガーのセットがお得になっておりますがいかがですか?」

 店員さんの爽やかな声が聞こえる。俯いていた大名は、とりあえず百円で頼めるものにしようと顔を上げた。

「いや、こっちのチーズバーガーをですね……あっ」

「おう?」

 店員さんと目が合う。目の前にいたのはお店の制服に帽子を被った金髪で鼻に牛みたいな輪っかをした男……

「ん、てぇめぇ!」

 金髪が大きな声を上げる。

「どうした?」

「うひぃ?」

 奥からハンバーガーを作っている短足、ポテトを揚げているスキンヘッドも出てきた。二人とも造りかけのハンバーガーとポテトを握って間抜けな顔でカウンターへ近づいてくる。

 見つめ合う四人。

「あははは、スマイルお願いします。三つで」

 大名が震える手で指を立てた。

 三人は顔を見合わせる。そして、それは素敵な笑顔を見せてくれた。やっと獲物を見つけた的な。

「さいなら!」

 大名は再び脱兎のごとく逃げ出した。

「まてやこらぁ!」

「バンズに挟んでやる!」

「ふがぁぁぁぁ!」

 そして、カウンターを飛び越えると追いかけてくる三人組。買い物客が行きかう平和な場所は、一気に阿鼻叫喚の地獄と化した。

「アレってバイトかよ!? アンハッピーセットでも売る気か? キャラ考えろよな!」

 ぶつかりそうになる人を避けながら全速力で出口に向かう。後ろでは怒声が上がっているので、三人が誰かにぶつかったのかもしれない。

 ――誰もケガなんてすんなよぉ。心の中で謝りながら先を急ぐ。あと少しで出口だ。

「はやくはやく開け」

 ぶつかるようにして自動ドアの前に着いた大名は、開き始めた時点で身体をねじ込む。とりあえず外に出てしまえば、後は大丈夫だ。足の速さと体力なら自信がある。

「ざまぁ見やがれ、これでもう俺の勝ちだ!」

 ねじ込んだ身体を引き抜き。一気に距離を進む。後ろを振り返れば、三人はやっと自動ドアの前にたどり着いたところだった。もう息が上がってしまっているのか、立ち止まってドアが開くのをゆっくり待っている。


 ――なんだ。諦めたのか……いや、ちがうっ!?


「おっと、ここは通さねぇよ兄ちゃん」

 大名の胸に衝撃が広がった。一瞬息が止まったままひっくり返った大名は、背中をしたたかに地面へと叩きつけられた。目の前に現れた二人の男にラリアットをくらったのだ。

「おいたが過ぎちまったなぁ。へへへ」

「ちっ、ちくしょう」

「おらっ、見せもんじゃねぇんだ。散れ、オラァ」

 なんとか膝をついて身体を起こした大名を不良たちが取り囲む。ざっと見ただけで十人はいるだろうか。周りの野次馬も男に怒鳴られると一気に散ってしまった。

「へっ、へっ、意外とタフじゃねぇか。でも、残念だったなぁ兄ちゃん」

「女はどうした? 一緒じゃねぇのか?」

「うひひひ」

 そして後ろからは、黒の帽子に白を基調とし胸に赤と黄色のラインが入ったハンバーガー店の制服を着た三人が歩いてくる。左胸の“S”というロゴが三人の顔と同じように楽しそうに歪んでいた。

「悪りぃな。ちょうど今、別行動中だ」

 大名は足を押さえてなんとか立ち上がり気丈に笑って見せた。ふらつきながらも三人を見据えた視線には力がこもっている。

 その態度が気に入らなかったのか金髪は地面に唾を吐くと大名に近づいた。腹へと蹴りを入れる。

「ぐっ、はぁ」

 身体がくの字に曲がる。膝をついた大名の頭を隣にいた短足が掴んだ。

「兄ちゃんよう。俺たちは正直言ってお前にはあんまり興味はねぇんだ」

「そうそう、用があるのはバカにしてくれたあの女だけだ。たっぷりとつけを払ってもらわねぇといけねぇんでな」

 二人の後ろでスキンヘッドが下卑た声で笑う。大名は壊れた笛のように喉を鳴らしながら金髪を見上げた。

「だからよ、あの女を俺たちに渡さねぇか? 俺たちのところに連れてくるだけでいい。お前はそれで許してやるよ。な?」

 金髪が手を差し出す。この手を握れば自分だけは助けてやると、これ以上辛い目にはあわせないと、そう言っているのだ。

「へっ、だれが、ぐはぁ!」

 しかし、大名は拒否する。同時に腹へもう一発蹴りが叩きこまれた。

「おっと、吐くんじゃねぇぞ。へへへっ」

 短髪が大名の頭を引っ張る。息が止まったのか、それともあまりの苦痛に耐えられなかったのか、反射的に腹を抱え込もうとしたが、髪が引っ張られそれすらも満足にできない。

「カッコつけるなよ。もう息するのがやっとだろう? なぁ、次はもっとひでぇぞ。胃液どころか内臓ごと吐き出したくなるぜ」

 金髪が威嚇するように顔を近づけ、もう一度手を差し出してくる。

 恐怖と苦悩と混乱が入り乱れた瞳で金髪の手を見つめる。ヒューヒューと喉が鳴り、口の脇からは涎が垂れていた。なぜ自分がこんな目に逢わなければならないのだ。こいつらの言う通り、挑発したのは小町であって自分ではない。それにあいつは男だし、なにより自分よりもずっと強い。ここは小町を売るふりをして逃げ出すのが正解だ。そうすれば、後は勝手に小町がこいつらを潰してくれるだろう。

 そう、自分はこの手を迷いなく掴めばいいのだ。それが最もリスクの少ない最良のやり方法だ。

 大名は顔を歪めると少しずつ手を伸ばした。

「へっへっ、いいぞ兄ちゃん。賢い奴は好きだぜ。これで俺らも仲間だよ」

 金髪がにやりと笑い短足も手を緩めた。大名も調子を合せるように弱々しく笑う。虚ろな瞳の裏には嫁に来いと伝えた時の小町の輝くような笑顔……

 大名は奥歯を噛みしめると差し出された掌を無視して金髪の胸を掴んだ。

「って、んなわけあるかぁ!」

「ごへ、えぇぇ」

 鈍い音とともに金髪が地面へと倒れこむ。不意に胸元を掴まれ困惑した金髪の隙をついて、思い切り顔面へ頭突きをかましてやったのだ。掴んだ胸倉を引き寄せ足のばねまで使った一撃に金髪は白目をむいて気絶してしまった。

「な……てめっぐぁ!!」

 続いてすぐさま突然の出来事に唖然としている短足を蹴り飛ばし距離を取る。大名の頭から手が離れていた短足は蹴られた勢いで後ろに居たスキンヘッドの足元まで転がって行った。

 その様を横目で確認した大名は、金髪の蹴りでついた埃を落としながら見せつけるように余裕を持って立ち上がった。

「俺が賢いだと? いくら昨日であったばかりだとはいえ、家族になったやつを売るかバカヤローが。いや、でも、家族つっても嫁じゃなくて、どっちかっていうと弟ってことだからなうん。いくら可愛いからって勘違いするなよ。うん」

「なっ、あの靴で蹴られて何でピンピンしてられんだ。アレは鉄板仕込んだ特注品だぞ!?……ばっ、化け物か!」

「ぐひぃ!?」

 何事もなかったように立ち上がった大名を見て驚愕の声を上げる短足とスキンヘッド。周りからも「うそだろ」「俺は一発で一週間は動けなくなったぞ」など驚きの声が上がり始め、俄かに辺りが騒がしくなる。


「えぇぇい、静まれぇい!!」


 そこに大名からの一喝が入った。

 男たちは一瞬で静まりかえると緊張した面持ちで、不敵に笑う大名を見つめた。

「まったく人が大人しくしてりゃぁいい気になりやがって……いいか! 耳の穴かっぽじってよく聞きやがれ! 俺は世界最強の武術千極流が後継ぎ、千石大名だぞ。てめーら、素人の蹴りなんて例え鋼鉄で造られた靴でも屁でもねぇ。俺を倒してぇんなら、ダイヤモンドの靴でも持ってくるんだなぁ!!」

 両手を斜めに広げ、まるで歌舞伎役者がするようにでも大見栄を切る。すると、その空気に飲まれたのか、男たちは一歩、また一歩と後ずさった。

「せっ、千極流って聞いたことがあるぞ。千石って名前も……たしか、三年前のあの事件のとき、ここら辺一体の不良どもを根絶やしにした春秋高校生徒会の一人に、その武術と名前を使う奴がいたって話しだ」

「あの事件って、アレか!? 今でも語り草になってるヤッ、ヤクザまで噛んでたんじゃないかって噂されている最悪の抗争事件……」

「おっ、俺も聞いたことある。たしかその抗争事件の時に、あまりの強さと恐ろしさに鬼子母神とまで言われた奴。でもありゃぁ女だって聞いたぞ!」

 不良たちが火に煽られたかのように一気に浮足立つ。大名は話していた二人に視線を送ると余裕たっぷりに笑いかけた。

「説明ご苦労。そうだ、それは俺の姉だ」

「姉ぇ! ってことは、もしかしなくてもあんたは鬼子母神のお……弟!?」

「いかにも」

「ひっ、ひえー、だめだ、勝てるわけねぇ!」

「俺はまだ死にたくねぇ!!」

 大名が頷く。男たちは悲鳴を上げながら蜘蛛の子を散らすように逃げ惑った。

「こらっ、てめぇら、逃げんじゃねぇー!! 後でどうなってもいいのか!?」

 腹を抑えた短足が叫ぶが効果はない。

「ふざけんな! あいつの後ろには鬼子母神がついてんだろ?」

「そうだ、そうだ、噂では皮をはがされて、肉まで抉られた奴までいるって言うぜ。お前らだけで何とかしろよ!」

 むしろ逆に罵声を浴びせられてしまう始末だ。スキンヘッドは、金髪を抱きかかえたまま怒りに拳を振りまわしている短足の後ろでブルブルと震えていた。鬼子母神伝説によっぽどトラウマでもあるのだろうか。

 大名は取り残された二人にゴキゴキと指を鳴らしながら近づいていく。短足とスキンヘッドの肩が飛んでいきそうなほど動いた。

「さぁて、さんざんやってくれたなぁ。てめぇら、皮剥がれるぐらいですむと思うなよ……」

 大名が上から見下す。その顔には嗜虐の笑みが浮かべられており、血走った眼は狂気に染まっている。汗で顔に張り付いた茶髪が、余計におどろおどろしさと凄味を演出していて、まるで本当の鬼だ。

 短足とスキンヘッドが息を飲んだ。金髪を間に挟むようにして、抱きつき合いプルプルと震えている。

 大名がゆっくりねぶるように近づいてくる。

 そして、頭から齧り切ってやるとばかりに大きく口を開いた。

「――悪りぃ子はいねぇーがぁぁぁぁぁぁぁ!!」

「ひっ、へっ、ごめんなさーい!」

「ふがががぁー!」

 二人が竦み上がった。言っていることは意味不明だが十分に効果があったらしい。短足とスキンヘッドは梯子のように金髪を抱え、砂埃を巻き起こしながら逃げて行った。

「ふっ、正義は勝つ」

 全員が周りからいなくなったことを確認した大名は、澄まし顔で地面にへたりこんだ。今さらになって冷や汗が身体中を伝う。

「助かった~。今回ばかりは人外を姉に持ったことに感謝だなぁ」

 しかし、奏姉のやつどんなことしやがったんだ。あの恐れようは尋常じゃなかったぞ。大名は高校生時代の姉のことを思い出す。たしかにかなり破天荒だった気はする。まぁ、今は考えてその破天荒さを発揮するあたり性質が悪くなっている気がするが。

 それにしても……ため息をつく。今日はあの三人組のおかげでまともに買い物ができなかった。メモに書かれた内容の半分も達成できてない。まだ時間はあるものの、あれだけ目立っておきながらこのまま呑気に買い物するのも気が進まない。まさか、いくら奏といえども買い物が出来なかったくらいで本当に皮剥を剥いだりしないだろう。大名は一抹の不安を抱えつつ立ちあがった。

 不良たちがいなくなったので、野次馬が戻ってきたのだ。警察を呼ばれているかもしれないし、このまま座り続けるのは得策ではない。

「あっ、大名。いつまでも戻ってこないと思ったらこんなとこにいたのか」

 後ろから声が聞こえた。小町だ。自動ドアをくぐりぷりぷりと怒りながら近づいてくる。

「それに親父さんの店のものを勝手に持ち出しただろう」

「あぁ、これね。服がぶかぶかだったおかげでバレなくてすんだぜ」

 大名がパーカーを捲り上げる。すると胴体にはプロテクターが着けられていた。

「軽いのにかなり丈夫だなこれ。さすが親父さんが作ってるだけある」

「確かに、僕ももらったのだがかなり軽いな。すごい技術だ」

 小町が興味深そうにプロテクターをなぞる。黒光りした表面は改造ブーツで蹴られたにも関わらず僅かな跡もついてなかった。

「お前にプロテクターを? なんで?」

「さぁ、よく分からんがそういうのが男子の流行りらしい」

 小町の言葉に大名は眉根を寄せる。そんな流行りなど聞いたことはないが、もしかしたらシニア世代での流行りかもしれない。今日の例にもれず最近は物騒だ。

「それはともかく、早く親父さんにプロテクターを返しに行くぞ。商品を無断で借りるなんてダメじゃないか。常識だぞ」

 大名が頷いていると小町がズイっと顔を向けてきた。途端、大名の顔が不機嫌になる。

「お前が、常識を語るな」

 そう言ってデコピンでもしてやろうかと手を伸ばして、

「はぁ!」

「ぐへっ」

 見事投げ飛ばされた。その後は流石に立ち上がれなかったため、小町が親父さんに商品を返し、「修行が足りないぞ」などと小言を言われながら家まで支えてもらった大名であった。





 日も沈み夜の帳も降りたころ、自室で休んでいた大名の耳にドアをノックする音が聞こえた。コンコン、コンコンと四回ノックされたことから相手がトメさんであることを察し返事を返した。これはトメさんから教わったことだが、ノックは相手によって行う回数が決まっているらしい。初めて訪れるところや礼儀が必要な相手には四回、友人、知人に対しては三回、トイレでは二回らしい。

 礼儀を払う相手として見られるのは何だがむず痒いので止めて欲しいとも思うのだが、「それではただのおばあちゃんになってしまう」というトメさんの意向を尊重して受け入れている大名であった。

「ぼっちゃん、夕食ができましたよ」

 その言葉に大名はいそいそとベッドから這い出す。何だかんだとあったせいで結局朝から何も食べていない。思い出すと余計に腹が減ってきたので足早に部屋から出ていく。

 大名の部屋は西側に建てられた離れにある。母屋よりも後に建てられたため床もフローリングで洋風の部屋だ。まだ使用人が数人いた時代に彼らにあてがわれていたのだが、今は人数も減り、トメさんも年を取ったため母屋に移動してもらった。その空き部屋を大名が自室として使っていたのだった。

 年頃の男の子にとって、母屋から渡り廊下だけで繋がっている離れは非常に魅力的だったのだ。

「おぅ、何で今日はこんなに豪華なんだ?」

 居間に入った大名が目を輝かせる。テーブルには肉に鉄板、そして大好物であるちらし寿司が置いてあった。

「なにって、こまっちゃんの歓迎会に決まってるでしょう。それに少し早いけど入学祝も」

 すでにビールに口をつけていた奏が答える。その隣では小町が涎を垂らしそうになりながら料理を見つめていた。どうも肉が好きらしい。そこら辺は野生児ゆえかもしれないが、身体の方にあまりに肉がついていないのはどういうわけか。

「げっ。そうか、お前うちの学校通うんだったな。入学式には間にあうのか?」

「入学式には間に合わないわよ。思ったより手続きがめんどくさくってね。少し遅れると思うわ」

 答えたのは奏だ。 大名は胸を撫で下ろすのと一緒に腰を下ろした。進級して早々今日のように振り回されるのは避けたかった。

 そんな大名の様子を気に入らないのが小町だ。下唇を突き出して目を細めている。

「げっとはなんだ。夫婦そろって同じ学校に通えるのだぞ。喜ばしいことじゃないか」

 ついでに形の良い眉も顰める。昨日の態度を見ているにもう少しクールな性格をしているのかと思ったが、どうやらそうでもないらしい。紙芝居のように変わるその表情はまるで幼子のようだ。

「はいはい、いいから肉焼きましょ肉。トメさん始めるから座って」

「大名のコップには僕がつごう。妻の役目だからな」

「そりゃ、どうも」

 嬉しそうにお茶を出して来た小町にコップを差し出した。いつもなら激しく拒否するところだが、今のところは大人しく受けておく。お腹の危機具合の方が尋常じゃないからだ。

 四人は乾杯すると小町とトメさんが鉄板に肉や野菜を入れ始める。焼け色を変えるカルビが鳴らす音と脂が焦げる香りが、視覚、聴覚、嗅覚を刺激し激しく食欲を誘ってくる。

 皆が鉄板の上の肉を凝視するなか奏が今日のことを小町に尋ねた。小町は楽しそうに語り始め、奏もうんうんと耳を傾けている。こうしていると、まるで姉妹のように見えてくるから不思議だ。

 ――男だけどな。心中で突っ込む。大名は何となく肩身が狭くなったような気分になりながら、先に好物のちらし寿司を頬張ることにした。

「どうですか?」

 トメさんが聞いてくる。

「ん、すげー上手いよ。ちゃんとした店にも負けてない、てか俺はこの味が一番好きだ」

 トメさんの料理にまずいものなんてないのだ。それが大好きなちらし寿司となれば尚更だろう。

 答えながら軽快に動く箸を見てトメさんは実に満足そうに頷いた。

「だ、そうですよ。お嬢様、時間をかけた甲斐がありましたねぇ」

  奏がビールを吹きこぼす。

「なぁ、それは言わないって約束じゃないの! 裏切ったわね」

「はて、最近は耳も遠くなりましてね。まったく聞こえませんでした」

 口元を袖で隠しあくまでとぼけるトメさんに、奏はぐぬぬと歯を喰いしばった。顔が赤いのは、無論、酒が回ったからではない。彼女はざるなのだ。

「奏姉……」

「まぁ、あんたもバカなのに無事進級できたしね。それに短い春休みの一日をただ働きで終わらせるのも可哀想でしょ。役には立たなかったけど」

 奏では顔を顰めると飲みほしたビールを音が鳴るようにわざと強めにテーブルに置いた。

 鬼のかく乱か。まさかの姉からの労いの言葉に、大名は身体を乗り出した。どうしても言っておくべくことがあったからだ。

「この寿司……人間の皮とか入ってねぇよな? 散らし寿司なだけに人の命散らし、ぐふっ!」

 大名のボディに凶悪な一撃が叩きこまれる。この後、池まで吹き飛ばされ、したたかに後頭部を石にぶつけた大名は意識をブラックアウトさせてしまう。そして目を覚ました時には肉のほとんどを小町に食べられるという悲劇に見舞われたのだった。

大「ところであのメイド服は誰のだったんだ?」

小「トメさんの」

大「え゛!?」

というやり取りがあったそうです。

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