オレンジベージュ
予想外に長め。
最終話より長いという衝撃
オレンジベージュ
彩葉の所属する心理学研究同好会の部室は、四階の東階段横にひっそりと存在している。同好会だけあって大した広さではなく、普通教室より二回り小さい程度のものだ。それでもたった5人、しかも幽霊部員を除けば2人しか来ない部室は、真ん中に大きな机を置いてもいつも持て余すくらいである。
中学ではテニス部に入っていた彩葉ではあるが高校でも忙しく毎日を送る気など更々なく、ほとんど帰宅部のこの部…同好会に入った訳だ。実際活動は週3日のだらだら加減で、大体活動といっても月に何度かちょこちょこと論文を書いて互いに見せ合って、いいかなと思ったらきちんとした審査の場に出す。その程度のことしかしていない。したがって部室に行かなくてもいいのだが…、彩葉にはついそうしてしまう理由があった。
「……おはようございます」
「ん?―…あぁ、おはよう」
ドアを開けて軽く頭を下げながら微笑むと、回転イスに座って本を読んでいた人影が顔を上げた。そもそも日本人とは骨格が違うからなのかやたら長い足を軽く組んで、イスから立ち上がりテーブルの傍に腰を下ろす。いつものことながら彩葉以上に完璧な笑顔を浮かべる彼女に、彩葉は少し困ったように眉尻を下げながら向かいに座った。
「あ…。すいません、読書の邪魔しちゃいました?」
そう言ってそろりと見上げると、相変わらず柔らかく微笑んだまま彼女は首を傾げる。
「いや?そもそも君が来たらのんびり話でもしようと思っていたからね。気にしなくていいよ」
言いながらマグに入れ直したお茶をこくりと飲んで、先輩は意味もなく頷いた。彩葉がとりあえず荷物を脇に寄せて振り返ると、先輩は何故かまた立ち上がっていた。
「……ハル先輩?」
「君を見ていたら重大なことを思い出した。ちょっと待っていてくれ」
奥の方に向かう足を止め、振り返っていたずらっ子のように薄く笑みを浮かべる。来年のミスコン最有力候補と言われる容姿の端麗さだけでなく、こういう所があるのはズルい。…というのは、クラスメートの一人が言っていたことだけれど。確かにみんなに優しく真面目に接するように見えて、茶目っ気があるのはちょっとしたギャップかもしれない。
*
「……えぇと、」
その意図を図りかねて、彩葉は戸惑いがちに視線をあげた。視界に入るのは、得意げに腕を組む先輩…ハルだけである。部に入って一年以上が経つが、未だにハルの考えていることの全貌は分からない。人の考えを汲むのは割と得意なのだが、やや電波の入ったこの先輩にはそれがなかなか通用しない。まぁ今回はたかがしれてるがと思いながら、彩葉はそっと口を開いた。
「みかん…ですか」
「あぁ、そうだね。正しくはみかんではなくorangeだけれど」
「6月に?」
「冬でなくてはならないという決まりはない。だいたいorangeに冬のイメージを持つのは日本だけだろうさ」
まぁ、それはそうか。地中海なんかで採れるオレンジは、むしろどちらかというと夏のイメージだと思いながら、再び机上のみかんに目を戻す。しかしオレンジをそんなに発音よく言う必要はあったのだろうか。それから、
「……こんなにたくさん、ですか?」
机の上にどどんと存在を主張するように置いてある球体の山をちらりと見て、またハルに視線を上げた。戸惑いの視線を物ともせず、ハルはさっそく山から一個取り出して皮を剥き始める。
「向こうのね、祖父母が送ってきてくれたのだよ。どうせ果物の方は片手間というか、趣味の範囲だからと。家にはあとこれが5箱ほどある。腐ってしまうともったいないと言って母が持たせてくれたんだ。……君も、お望みなら半分ほど持ち帰って構わないよ?」
まだ家にたくさんあるからね、とみかんを口に放り込みながら言う先輩に溜め息を吐きたくなる。いくらもったいないにしてもこの量は多すぎだろう。モデル体型で座高が低いとは言え、反対側に座る先輩の顔が見えるギリギリくらいの高さのピラミッド。というか、旬でもないのにどこからこんなにみかんを貰ったのかと思ったら、生産地は日本ではなかったわけだ。
「じゃあ、あの……。いただきます」
「あぁ、いくらでも」
「………」
そんなに食べませんよと言おうかと思ったが、さすがにそれは失礼なので唇を軽く噛んでなんとかせき止めた。
「…でも、先輩。早く消費しちゃいたいなら、クラスで配った方がいいんじゃないですか?」
山から適当に目についたものを一個取って、ふと湧いた疑問をぶつける。彩葉とハルの二人だけで食べるより、そちらの方が遥かに効率がいいし喜ばれるだろう。そう考えての台詞だったが、ハルからの返事はなく沈黙が続く。不思議に思って顔を上げると、ハルは妙な顔をしてぱちぱちと瞬きをしていた。
「……先輩?」
眉を寄せ首を傾げると、ふむ、と頷いたハルが感心したような目でこちらを見る。
「そうか、考えつかなかった…。やはり君は賢いね」
………。
ええと、失礼だが、馬鹿じゃなかろうか。ふむふむと頷くハルを一瞥して、そんなことないですよととりあえず呟いておく。
「うち、別に成績良くないですし、極々平均ですよ」
そういうことを言いたいのではないのは分かっているが、そう言って溜め息を吐くしかない。大体、日本に来てまだ6年でしかも両親共にギリシャ人の癖に、日本語が上手いどころか古典やら数学やらも熟すハルに言われたところで、なんの嫌味だという話だ。
「いや…。どうもわたしはそこら辺が抜けているらしくてね。我ながら将来が心配だよ」
と言う割には大して不安そうな顔もせず、ハルはコーヒーをすすった。――無論、ただの部室に本来給湯設備などあるはずはないのだが、いつの間にかハルがガスコンロとヤカンとインスタントコーヒーを持ち込み飲むようになっていて、彩葉もしょっちゅうその恩恵に預かっている。ただのインスタントコーヒーで満足するハルを見かねて、母が働くコーヒーショップから偶に良い豆と機械を持ってくるようにはしているが、それらの費用はほぼハルの自腹だ。毎回のように飲んでいるとやはり罪悪感が湧くが、彩葉が持ち込む豆に幸せそうな笑みを浮かべるハルに、そんな小さなことはどうでもいいかと思えてしまうのは困ったことだ。
さすがに西洋のオレンジだけに皮が厚い、と思ってしかめっ面をしながら固い皮と格闘し、ふとハルはどうやっているのだろうと気付かれないよう視線を送る。
……オレンジに対するハルは、かなり真剣な顔をしていた。
「……、」
――――完璧な笑顔、周りへの気配り、世渡り上手。異文化にすんなり馴染みすぎだと呆れたくなるこの器用な先輩はどうにも彩葉と似ているが、しかし、決定的に違う所がある。それは、…―
「―…はぁ、」
たかがみかんの皮むきに真剣になるハルに、しかしまざまざと自分との違いを突きつけられた気がして、彩葉はまた溜め息を吐いた。
決定的な、違い。
それは、
(――オレンジベージュ)
(貼り付けた笑み)
備考
ハル---ハルキュオネ・アローズ(仮)
一つ上。現在6月設定なので、まだ引退していません。ギリシャ人。普通に中学生くらいまでギリシャにいた。




