シェルピンク
ひらひらと、目の前を花びらが飛びすぎていく。ぼんやりとそれに目を奪われていると、肩を軽く揺さぶられて振り向いた。
シェルピンク
「ん、なに?」
「いや、何ってか…。大島、ぼーっとしてっから」
ちゃんと前見えてるかなと思って、と笑われて、彩葉はふくれっ面をする。
「見えてるよぅ。もー、シマちゃんひっどいなぁ」
ふいっと顔を逸らすと、さっきまで後ろにいたシマ―…島田隆平が横に並ぶ気配がした。機嫌を伺うように顔を覗き込まれて、ため息が出そうになるのを慌ててせき止める。べえっと舌を出してから、彩葉は廊下を走り出した。
4月の第二月曜日の今日は、彩葉の通う県立堀川高校の始業式である。始業式だからといって別段何か変わったことがある訳ではなく、段取りは去年と同じだろう。違うのは天気ぐらいのものか。―…去年は、
「…去年はすっごい雨だったのにねー…」
「ん?」
階段の窓から見える上天気に思わず呟くと、緩んだ顔で隣を歩いていた隆平が首を傾げた。
「去年はさぁ、始業式、雨凄かったよなぁ、って思ってたの」
とりあえずそう答えると、隆平はあぁ、と納得したように言って頷く。たん、たん、という階段を降りるクラスメートの足音が、やけに大きく感じられた。
「季節外れだし、KYって思ったの、俺覚えてるわ」
「今年は晴れて良かったよね。――特に何かあるわけじゃないけど」
「まあな。始業式って言っても」
「話聞くだけだしね」
他愛もない話をしながら階段をひたすら下りる。階段などすぐに終わってしまいそうなものだが、これが意外と長い。2年生は一番体力があると見なされているのか何故か最上階である5階に教室があるのと、各階から詰め掛ける生徒たちで階段がごった返しているのが原因だろう。教師もいちいち私語を慎めと注意などしないため、階段は少しざわざわと騒がしい。おまけにそもそもが列をなして移動しているわけではないので本当に進まない。だからこそ出席番号も違えば同性ですらない隆平が彩葉の隣を歩けているわけだが。誰か改善すべきだとは考えないのかと、彩葉は心の中でメガネの生徒会長とがっしり体型の校長を呪った。
「……で、3組の河合が同じクラスの狭山さん好きなんだってさー」
「カワイ…ってバスケ部の?」
「そうそう。大島、狭山って知ってる?」
「あー…、結花ちゃんねぇ、他校に彼氏いるらしいよ」
「うわぁマジで?アイツ結構本気みたいだよ、かわいそ」
意外と、こんな短そうな時間でもつもる話が出来てしまう。新たに情報を仕入れつつ相槌をうっていると、さっきまで上機嫌に話をしていた隆平がふとこちらを向いた。なんとはなしに体がぴくりと跳ねる。
「そういやさ、大島は彼氏とかいんの?」
やはりそう来たか。敵を迎え撃つ司令官のような、けれどそれよりもややげんなりとした気持ちになりながら彩葉はぱちぱちと二、三度瞬きをした。
「いやー、全然。出来る気配もないかなぁ」
苦笑しつつも目だけでじっと様子をうかがっていると、隆平は同じ様に苦笑して襟首を軽くかく。しかしその目にうっすらと喜色が漂うのを見て―…奇妙な優越感のような感情と共に、嫌悪感に近い、ぞわりとするような何かが身体を走り抜けていった。
「まぁ、そうだよなぁ。―…大島だし」
「うわ超失礼」
口元を引きつらせると、ごめんって、と言いながら軽く肩を組まれる。距離感を考えろと振り払いたくなるがどうにか押さえて彩葉は口を開いた。
――隆平が何か言おうとしたのを無視したのは、もちろん故意である。
「でもまぁ―…うち、今は恋愛する気無いし」
好きな人もいないしねぇ、と小さく笑うと、左肩にかかる力が少しだけ揺らいだ。
「なんだよ、枯れてんなぁ」
「あははー、よく言われる。…でもいいんだ。今はホント、友達と遊んでる方が楽しいから」
いつの間にかざわめきは中庭と繋がる渡り廊下にさしかかっていた。ここまで来れば体育館はもうすぐだ。
「しゃあねぇな、じゃあ俺も友達として寂しい彩葉ちゃんと遊んでやるよ」
「はは、うん。遊んで遊んでー。てか奢ってよ」
「ムリ」
「えぇケチー」
笑って、ふと顔を上げると真正面に枝が迫っていた。中庭から渡り廊下にまで伸びてきたらしい。随分成長熱心な枝だと思っていると、左手をぐいっと引っ張られた。
「っぶねぇな、何ぼーっとしてんの」
「あ、ごめん…」
「まったくだ」
ハーッと溜め息をつく隆平の言いようが可笑しくて思わず笑う。――別に助けて貰わなくとも大丈夫だった、という事実は仕舞っておこう。そうでなければ上手に笑えそうにない。…そんな風に思われているとも知らず、隆平は彩葉を微笑ましげに、けれど切なそうに見つめていた。
ざぁ、と風が吹く。
突風にあおられ、ソメイヨシノの花びらがひらひらと飛んできた。
――また、風が吹く。
「わー、すごい風…」
「大島、…―」
少年が呟いた言葉は、生徒たちのざわめきと4月の風に消されてしまったことにする。
「……あぁもう、これはこれでほんとに面倒…」
ため息混じりに呟かれた少女の言葉も、薄桃色の風に吹かれて誰の耳にも届きはしなかった。
(シェルピンク)
(――回避する好意)