アイボリー
アイボリー
「いっちゃーん!」
「なーにー、里緒菜ちゃん」
馴染みのあだ名で呼ばれて、大島彩葉はやっていた課題から顔を上げた。このクラスは仲が良くて、お互いあだ名で呼ぶのが多い。彩葉は本名に近いが、中にはそれとかけ離れた呼び方の人もいる。ちょっと可哀想だけれど、定着してしまったものは仕方がない。そんな事を考えながらじっと里緒菜――稲本里緒菜を見つめていると、彼女はむっと眉間にしわを寄せた。
「いっちゃぁん、リオでいいってば。ちゃん付けって距離感じる…」
「う…、ごめん、やっぱなんか慣れなくて」
しょぼんと眉を下げると、里緒菜がホントだよとむくれたような顔をするので思わず俯く。
しばらくそのまま下を向いていると…小さく忍び笑いする声が聞こえて彩葉はそうっと顔を上げた。
「………里緒菜ちゃん、」
「ぷっ…ご、ごめんー。だっていっちゃんがすごーく情けない顔してるんだもん、おかしくなっちゃって」
くすくすと笑われて、今度は彩葉がむっとして顔を逸らす番だった。
「ごめんってー」
「知らない。…ていうか、里緒菜ちゃん私で遊んでるでしょう」
「だぁっていっちゃん可愛いんだもん」
えい、っと頬を人差し指でつつかれて、真剣に相手をする気も失せてしまう。ちらりと見上げた里緒菜は、実に楽しそうな表情だった。
「……別に可愛くないよ、里緒菜ちゃんのばぁか」
「ひどっ!」
言葉とは裏腹にけらけらと笑う里緒菜に苦笑して、それでどうしたの、と首を傾げる。まさか名前の呼び方についてが用件ではないだろう。そう尋ねると里緒菜は、ん?と顎に指を当て教室の天井を見ながらなにやら思案した後で、あぁ、と手を叩いた。
「なんかねー、1組に編入生が来たらしいんだ」
「へぇ…って、1組って遠くない?」
彩葉と里緒菜が所属するのは8組、校舎の端と端で、同じ階ではあるが1組とはそれなりに離れている。わざわざ話題に出すような距離ではないだろう。里緒菜の用件を推測しながら彩葉が言うが、里緒菜はそれがどうしたの?と言わんばかりに自分の髪をいじっていた。
「まあねー。でも、気になるじゃん?いっちゃん、一緒に見に行こうよ」
また人を客寄せパンダみたいに、と眉を寄せる。口に出したことはないが、里緒菜は少しデリカシーに欠けるというか、無遠慮な物言いをするときがあった。もう少し言い方を考えた方がいいと思うが、前にそれを指摘したクラスメートと喧嘩になったのを知っているしわざわざ言ったりはしない。そもそも編入生など、見に行く程の事でもないと彩葉は心の中で一人ごちた。
「うー…ん、いや、うちはいいかな」
「えぇ、いっちゃん、まさか編入生に興味ナシ?」
しーんじらんなーい、と大仰に言われて、そんなことはないけど、と口ごもる。
「じゃ、なんで?」
「………8組のみんながいれば、私はそれでいいから」
なんだか照れくさい。我ながら恥ずかしいセリフだとしかめっ面をしていると、視界の隅で里緒菜が柔らかく笑ったのが見えた。
「ふふ、そうだね…。もう、そういうことさらっと言っちゃうんだもん、いい子だわ、ほんと」
「なにそ…―わ、わわ、ちょ、髪ぐしゃぐしゃなる!ちょっ……もぅ」
くしゃくしゃにされた髪の毛を軽く整えながらちょっと笑う。これでおあいこだよ、と里緒菜に釘を差して、頷いた彼女とぎゅうっとハグを交わす。すると登校してきた他のクラスメートもわらわら寄ってきて、全員離れる頃には真ん中にいる彩葉と里緒菜は息も絶え絶えになってしまっていた。
「……編入生なんて、関わりたくもないな。このクラスだけで充分面倒臭いのに」
冷たい声音で呟いたのは一体…誰だったのか。
キャッキャと教室ではしゃぎ合う少女たちを、この地域では珍しくもなく降り始めた3月の粉雪が見守っていた。
(アイボリー)
(――受容のような拒絶)