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「煤臭い役立たず」と離縁された私ですが、窯主は一椀の粥を食べきるまで求婚の返事を待つそうです

作者: 冬野 しほ
掲載日:2026/08/30

「妻にしたい」


 聞き違いだと思った。


 私は窯の卓へ、煤の染みた仕事着と離職願を置いたところである。求婚される手順ではない。少なくとも、離職願の記入欄に「妻として採用希望」はなかった。


「……誰をですか」


「ティメアを」


「職人が一人減るから?」


「違う」


 窯主フォティオスは即答した。火加減なら半刻は黙って見極める男が、恋愛だけは前置きを焼き損なう。


「職人を引き留めるためではない。あなたを妻にしたい」


 私の手元で、紙の端が震えた。


 まずい。求婚の等級を決める前に、検品する側が粉々である。


「離職願を読んでください。理由も書きました」


「読んだ」


 紙には、自分の手で、役立たずにつき離職を願う、と書いた。


 エヴァンゲロスが仕事着を戸口へ投げ出したとき、その服には私の稼ぎで買った家の鍵が載っていた。


『煤臭い役立たずを養う余裕はない』


 私の稼ぎは家計へ消えていたので、養われていた覚えはない。だが、腹が空きすぎると反論にも薪が要る。私は仕事着と一緒に婚家を出て、一刻ごとに目を覚ます夜を二晩越し、ここまで歩いた。


 窯主は離職願を出荷台帳の上からどけた。台帳には窯ごとの焼成日、俵数、判定者の名を書く欄がある。役立たずには眩しすぎる紙だ。


「受け取れない」


「求婚を断る前に、離職くらいさせてください」


「どちらの返事も、今は受け取らない」


 窯主は卓の脇にあった黒い片手鍋を火へ戻した。


 中身は麦と刻んだ根菜の粥だった。湯気が立つまで木杓子で混ぜ、木椀へ移し、匙の柄に布を巻く。私の指が裂けているのを見ていたらしい。


「どうぞ」


「求婚相手に粥を出すものですか」


「酒より適切だ」


 反論の余地が一等品である。腹立たしい。


 匙を握ると、親指の亀裂が開いた。最初の一口は熱かった。二口目で空っぽの腹が驚き、三口目で喉が閉じた。


 私は匙を置いた。


「ごちそうさまでした」


「三口だ」


「数えないでください」


「数える」


 私の胃袋、本日の等級は粉炭である。出荷不可。用途は窯主への嫌がらせ程度。


「これでおわかりでしょう。窯仕事どころか、粥にも負けました」


 窯主は木椀を取り上げなかった。冷めないよう、片手鍋へ湯を張って椀ごと置く。


「判断は、食べて眠ってから」


「いつまで待つおつもりです」


「あなたが一椀を食べきるまで」


 火の向こうから、まっすぐ見られた。


「そのとき、もう一度求婚する」


    *    *    *


「手を」


 湯気の向こうで言われ、私は両手を背へ隠した。


「これは仕事の汚れです」


「裂け目に入った煤は仕事をしてくれない」


「私も仕事をしないので、仲間でしょう」


「ティメア」


 声を低くされると、冗談が二等へ落ちる。私は渋々、卓へ手を出した。


 窯主は火の番の合間に沸かした湯へ布を浸し、私の指を一本ずつ拭いた。黒い筋が薄れるたび、赤い亀裂が姿を現す。汚れの下には傷がある。なんとも景気の悪い発掘作業だ。


 蜜蝋へ薬草を練り込んだ軟膏が塗られた。


「しみます」


「すまない」


「窯主が謝ると、私が我慢のない人に見えます」


「実際、我慢する必要はない」


 その答えは、傷口より沁みた。


 婚家では、煤を落とせ、臭いを残すな、子もできないのに食費だけはかかる、と言われた。井戸水で擦りすぎて裂けた指は、みっともないから隠せと言われた。


 窯主は傷を隠す布を巻きながら、きつすぎないかを二度確かめた。


 換気した小部屋には、乾いた藁の寝台と毛布があった。窯の煙は入らず、火の熱だけが壁を通して残っている。


「ここで休んでくれ」


「窯主の部屋では」


「隣だ。火口へ行くときは声をかける」


「逃げません」


「知っている。倒れるほうを心配している」


 余計に悪い。


 毛布を顎まで掛けられた。目を閉じても、すぐに戸口へ仕事着が落ちる音がした。鍵が跳ね、エヴァンゲロスが鼻を覆う。煤臭い。役立たず。あの声は眠りの浅いところへ何度でも入ってくる。


 それでも、その夜は夜半から三刻、目を開けなかった。


 翌朝、寝台の脇には温め直された粥があった。匙の柄には、昨日と同じ布が巻かれている。


「落としませんでした」


 私は空威張りで匙を掲げた。


「では炭は?」


「まだ折れます」


「折るのは炭です。今日は匙だけ持ってください」


 窯主に炭を一本寄越せと迫り、細いものを選んでもらった。両手で持ち、親指をかける。


 力を入れた途端、右の親指が跳ねた。手首まで細かく揺れ、炭は折れずに床へ落ちた。


 窯主は拾った炭を私へ返さず、壁際の籠へ戻した。


「不合格ですか」


「炭は二等。あなたの復帰は判定外」


「役立たず、と書き直しましょうか」


「その言葉を、あなたの仕事場で使うな」


 叱られたのは私なのに、窯主のほうがひどい顔をしていた。


    *    *    *


 三度目の朝も、黒い片手鍋が火へかかった。


 麦と根菜に、今度は細く裂いた干し肉が入っている。胃袋に相談せず具を増やすとは、窯主はなかなか強引な男である。


「肉はまだ早いです」


「昨日、半椀食べた」


「半椀しか、です」


「三口より多い」


 数で殴ってくる。しかも正しい。反撃不能につき、窯主の等級は暫定一等。悔しいので本人には知らせない。


 食後には湯で首筋の煤を拭かれ、指へ軟膏を塗られ、毛布を替えられた。


「自分でできます」


「昨日、薬の蓋を落とした」


「床が受け止めました」


「床には求婚していない」


「していたら止めます。あの床、節穴がありますから」


 窯主の口元がわずかに動いた。


 笑うなら堂々と笑えばいいのに、この男は火口を開けるより慎重に笑う。


 四日目、粥は半椀を越えた。


 五日目、指の亀裂へ巻いた布に赤い染みがつかなかった。


 六日目には、夜半に一度目を覚ましただけで、そのまま明け方の鳥の声まで眠った。


 毎朝、同じ片手鍋で粥が温められた。毎晩、窯主は火の番から戻ると湯を用意し、私の指から煤を拭った。煤を落とす手つきなのに、汚いものを扱う指ではなかった。


 それがいちばん困った。


 エヴァンゲロスは私の稼ぎを受け取りながら、仕事の臭いだけを嫌った。窯主は私の仕事を惜しみながら、働けない私にも粥を運ぶ。


 比較すれば答えなど出ている。だからこそ、空腹と不眠で傾いた頭のまま返事をしたくなかった。


 拾われたから頷くのではない。


 立てる身体で、立つ場所を決めたい。


「今日は一椀です」


 八日目の朝、私は匙を木椀の底へ当てた。


 あと二口だった。胃袋は半椀を過ぎたあたりから「聞いていません」と抗議している。雇用主への苦情なら窯主に言ってほしい。私は現場担当である。


 最後の一口をどうにか飲み込み、椀を卓へ置いた。


 戸口で炭俵の縫い糸を切っていたカリオピが、こちらを見た。彼女は私の椀を持ち上げ、底を確かめる。


「ようやく一等の食べ方」


「食べ方にも等級が?」


「三口で匙を置く職人がいたせいで、今できた」


 歯切れがよすぎる。縫い糸と一緒に私の逃げ道まで切ってくる。


 私は仕事場へ出た。


 炭棚から一本抜き、親指をかける。乾いた音とともに、炭は斜めに割れた。手首は止まっていた。だが、断面は荒く、粉が掌へ多く落ちている。


「二等」


 もう一本。


 今度は折る直前、親指の付け根がわずかに震えた。目で見なければわからない程度でも、私は知っている。


「今日はここまでだ」


 背後にいた窯主が炭を取り上げた。


「一椀食べました」


「一度だ」


「離職願を破って、春の出荷まで残ります」


 窯主の眉間へ深い線が入った。


「いま決めました」


「判断は、食べて眠ってから」


「食べました!」


「明け方まで眠れたのも、一椀食べたのも一度だけだ。一生分を決めるな」


 む。前より腹が立つ。こちらの身体が戻ったぶんだけ、言葉がきちんと刺さるのだ。


「では、いつなら認めます」


「明け方まで眠れる夜が続いて、炭を折っても手首が揺れなくなったら」


「条件が具体的すぎます」


「窯主だからな」


「求婚にもその精密さを分けてください」


「妻にしたい」


「そういうところです!」


 カリオピが俵へ顔を伏せ、肩を揺らした。こちらは真剣なのに、周囲の判定が容赦ない。


 さらに数日、私は食べて、眠った。


 指の亀裂は細い桃色の線になった。明け方まで目覚めない夜が三度続いた。炭を一本、二本、三本と折っても、親指も手首も動きたい方向にだけ動いた。


 そのころ、一窯が締めの火へ入った。


 春の出荷を左右する窯だ。三十日かけて乾かした薪を詰め、火を入れてから六日。煙は重い白から黄を帯び、ようやく青く薄くなり始めていた。


「上の通風口、半分閉じてください」


 私は煙を見上げた。


 窯主が長い棒を使い、土で狭めた口を調整する。


「これでどうだ」


「まだ速いです。指二本分」


「一本半では」


「一等を焼く気がありますか」


「ある」


「なら二本です」


 恋愛は唐突なくせに、火には異様に慎重である。窯主の中で求婚だけが規格外品らしい。


 夜が深くなると、山の冷気が背中へ入り込んだ。私は火口から三歩離れた石へ腰を下ろし、煙の色と流れを追った。窯主は火床を掻き、赤くなった薪を奥へ送る。


「寒くないか」


「毛布を三枚も掛けられています」


「指先が冷たい」


「火口へ押し込めと?」


「それは止める」


「では仕事をしてください」


 窯主は一度小部屋へ戻り、黒い片手鍋を持ってきた。


「粥は朝だけでは」


「今夜は長い」


「私より窯を甘やかしてください」


「窯は粥を食べない」


 木椀へ半分だけよそわれた。私は煙を見ながら食べた。


 夜半、煙から黄みが抜けた。


「下を絞って」


 窯主が土を寄せる。


「もう少し。そう、そこで止めて」


 火が息を潜め、窯の内側で乾いたものが次々に弾けた。湿った鈍い破裂音はない。耳の奥へ澄んだ響きが重なる。


 明け方、煙はほとんど色を失った。


 窯主は最後の通風口を塞ぎ、土を押し固めた。私もしゃがみ、鏝で縁を整える。手首は揺れない。力を入れた親指にも痛みはなかった。


「できました」


「ああ」


「私の判断を使いましたね」


「使った」


「役立たずの」


 窯主が鏝を置いた。


「その言葉を、二度とあなたの名札にするな」


 火の落ちた口から、名残の熱が頬へ当たる。


「あなたの判断で、この窯は締まった。焼き上がりが悪ければ私の責任だ。良ければ、焼成は私、等級判定はあなたの仕事として台帳へ記す」


 焼けるまでの責任を半分にする気はない。焼けたあとの成果を奪う気もない。


 ずるい。


 そんなふうに扱われたら、役立たずという札をどこへ掛ければいいのかわからなくなる。


 窯を開けたのは、さらに三日後だった。


 冷えた炭を掻き出し、太さを揃えて並べる。黒い表面には硬い艶があり、二本を軽く打ち合わせると高い音が返った。


 だが、音だけで決めれば、湿りを抱えた炭まで紛れ込む。


 私は一俵目から一本を抜き、折った。


 断面は密で、銀色を帯びている。粉も少ない。


「一等」


 二俵目も同じ。三俵目は音がわずかに低い。縄を解き、中央から一本取ると、表面より重かった。折った断面に鈍い色が混じる。


「これは外します。冷却中に湿りを吸っています」


「外側は乾いているぞ」


 カリオピが俵の底へ手を差し込んだ。


「底縄が濡れてる。置き場の端から水が回ったね」


「同じ列の右二俵も開けてください」


 右隣も、その隣も底だけが湿っていた。三俵を外し、乾いた炭と混ぜずに積み直す。


 残った俵を一本ずつ抜き、音、重さ、断面、粉の落ち方を確かめる。途中で親指へ炭の角が食い込んでも、震えなかった。


 三十六俵。


 すべて一等で揃った。


「積むぞ。次便は何俵にする?」


 荷車を寄せたソティリオスは、窯主ではなく私へ尋ねた。


「今日の三十六俵が売れて、戻りに湿りがなければ、次も同数で。外した三俵は乾かし直して別便にします」


「了解。底板を一枚増やす。春先の道は泥を拾うからな」


 彼は返事を聞き終える前に一等俵を担ぎ、荷台へ載せ始めた。


 窯主より先に私へ数を聞く。私の判定で荷車が動く。


 煤臭い役立たずではない。


 三十六俵を正規の値で市へ送る、等級付け職人だ。


 出荷台帳を開く。


 窯主は焼成欄へフォティオスと記し、筆を私へ渡した。


 等級判定欄へ、ティメア。


 字は震えなかった。


「この窯の春の仕事を続けます」


 私は自分の名を見ながら言った。


「職人として、私が決めました」


「受け取った」


「求婚の返事は、卓へ戻ってからします」


 窯主の筆先から、墨が一滴落ちた。


 火の番でも乱れない男の失点である。これは大事に覚えておこう。


    *    *    *


 荷車を見送ったあと、黒い片手鍋がまた火へ載せられた。


 最初の日と同じ麦と根菜の粥。同じ木椀。同じ、布を巻いた匙。


「もう布はいりません」


「熱い」


「指は塞がりました」


「熱いものは熱い」


 窯主は布を外さなかった。


 私は一口ずつ食べた。


 三口を過ぎても喉は閉じない。半椀を過ぎても手は止まらない。窯主は向かいに座ったまま、急かさず、目だけで匙の往復を数えていた。


 最後の一口を飲み込む。


 木椀の底が、すっかり見えた。


「空です」


「ああ」


「離職願を返してください」


 窯主は懐から、四つ折りの紙を出した。


 あの日に置いた煤の指跡も、「役立たず」と書いた文字も残っている。


 私は紙を開いた。


 両手で裂く。


 一度では切れず、向きを変えて、もう一度。細長くなった紙を重ね、さらに破った。自分で書いた言葉が、読めない大きさになるまで。


 紙片を片手鍋の火へ入れようとすると、窯主に手首をつかまれた。


「火事になる」


「最後まで格好がつきません」


「灰が室内へ舞う。紙は外で燃やす」


 求婚の直前に廃棄手順を訂正された。実務に強い男と結婚するのは、おそらくこういうことである。


 窯主はすぐに手を放した。


 卓の上には空の椀と、破れた離職願だけが残った。


「ティメア」


 低い声が、私の名を一つずつ置くように呼んだ。


「私は、あなたを働かせるために何度も、粥を温め直したのではない」


 窯の火が、壁の向こうで鳴った。


「夜ごと指へ薬を塗ったのも、窯主の義務ではない。眠れた刻を数えたのも、炭を取り上げたのも、あなたの判定を惜しんだからだけではない」


 窯主は卓の端を握っていた。


 こちらへ手を伸ばせば届く距離なのに、動かない。


「あなたが弱っている間に、返事を得たくなかった。食べられない身体で、眠れない頭で、行き場がないから私を選ぶことだけは、させたくなかった」


 私の目の縁が熱くなった。


「あなたは今日、自分の足で窯に残ると決めた。私の焼いた炭を折り、三十六俵を一等にした。湿った俵を外し、あなたの名を台帳へ書いた」


 そこで声が、少し掠れた。


「それでも私が妻に望むのは、その手だけではない」


 頬を伝った熱い雫が、煤の残る顎から卓へ落ちた。


「炭を折れる手も。三口しか食べられなかった身体も。夜中に何度も目を覚ますあなたも。窯主へ二等だの粉炭だの言う毒舌も。傷も、煤を拭い切れない顔も」


 一つ言われるたび、捨てられたと思っていた私の一部が拾われていく。


「私が妻にしたいのは、ティメアです」


 声が出なかった。


 口を開くと息だけがこぼれ、もう一筋、頬を濡らした。窯主は待った。椀が空になるまで待ったように、私が自分の声を取り戻すまで。


「代わりはいらない。あなたがいい。職人として必要だからではなく、愛しているから、私の隣にいてほしい」


 目の前の男は、火の番より不器用で、求婚だけは規格外で、私が答える前には指一本触れない。


 とんでもない。こんな選ばれ方をしたら、役立たずだった私まで、丸ごと一等だと信じてしまう。


「……検品し直しても?」


「何度でも、同じ答えを出す」


「私、口が悪いですよ」


「知っている」


「煤もつきます」


「私にもつく」


「子を得られるとは限りません」


「あなたを妻に望んでいる。まだいない誰かの母親を探しているのではない」


 息を吸う。喉が震えて、最初の音が潰れた。


 もう一度。


「フォティオス」


 初めて呼んだ名に、彼の肩が揺れた。


「私も、あなたを選びます」


 空の木椀へ雫が落ちた。


「妻として、隣にいたい。仕事の相棒としても、この窯を一緒に守りたい。行き場がないからではありません。私が、ここへ戻ってきたいから。毎朝あなたと食べて、眠って、自分の手で炭を折りたいから」


「ティメア」


「はい」


「返事を、最後まで聞かせてくれ」


 急かさないくせに、欲しい言葉からは逃がさない。選別の厳しい窯主である。


 私は濡れた頬を隠さず、彼を見た。


「あなたの妻になります。フォティオス」


 卓の向こうから、両手が差し出された。


 私が先に手を伸ばす。


 塞がった指も、煤の入り込んだ爪も、その手はまとめて包んだ。大きな掌は火のそばにいたせいで熱く、震えていたのは、今度は私ではなかった。


 フォティオスは私の手へ額をつけた。


「ありがとう」


 掠れた声が指へ触れた。


 私はその髪に、空いたほうの手を置いた。


「求婚は一等です」


「そうか」


「ただし、最初の手順は等級外でした」


「改善する」


「次があるんですか?」


 彼が顔を上げた。


「毎朝、求婚する」


 どうやら私の夫になる男は、執着だけ大量出荷するつもりらしい。


    *    *    *


 三十六俵は正規の値で売れた。


 湿りを外した判定も市で評価され、次の便もソティリオスは私へ数量を聞いた。焼成欄にはフォティオス、等級判定欄には私の名が並ぶ。窯は二人の仕事として回り始めた。


 婚家から復縁の打診が届いたのは、その春の終わりである。


 封は切らなかった。宛名を見たカリオピが新しい包み紙へ収め、ソティリオスが帰りの荷車でそのまま返した。


 煤臭い役立たずは、もうそこにはいない。


 残っているのは、一等炭を選ぶ職人と、窯主の妻だけだ。


 婚姻後も、フォティオスは黒い片手鍋を手放さなかった。


「空です」


「見ればわかる」


「毎朝確認しますね」


「毎朝確認する」


「求婚は一等でしたが、食事監督は二等です」


「明日も判定を頼む」


 空になった木椀を私が掲げると、炭俵を縫っていたカリオピが鼻で笑った。


「一等を維持しな。窯主が火口へ通さないよ」


 事実だった。


 私が一椀を空けるまで、フォティオスは火口の鍵を渡さない。職人に対する横暴である。抗議すると「窯主権限だ」と返されるので、共同で回す体制とは何だったのか、次の話し合いで追及したい。


 その朝も粥を食べきり、私は炭棚へ向かった。


 三本目を折ったところで、フォティオスの指が頬へ伸びてくる。


「煤がついている」


「仕事中です」


 手を叩く。


 彼は懲りずにもう一度近づき、今度は煤のない額へ口づけた。


「それならいいだろう」


「窯主権限ですか」


「夫の希望だ」


「二等です」


「明日も判定を頼む」


 フォティオスは満足げに窯番へ戻った。


 私は熱くなった額を片手で押さえ、もう片方の手で炭を折る。


 乾いた高い音。艶のある、まっすぐな断面。


 一等だった。

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