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東洋の不沈艦 東洋ミドル級王者 海津 文雄(1934-1990)

作者: 滝 城太郎
掲載日:2026/01/08

海津は世界を獲れなかったこともあり、輪島、工藤、竹原あたりと比べると評価は低いが、重量級の外国人選手と数多く手合わせしており、勝つためには手段を選ばなかったフィリピンやタイのハングリーな強豪たちとの修羅場も経験してきているので、クリーンファイト慣れしている現代の日本の重量級より精神的にもずっとタフで根性もあったように思う。

 新潟県西蒲原郡分水町地蔵堂出身の海津文雄は、中学卒業と同時に大工になるために上京したが長続きせず、伯父の紹介で魚河岸の手伝いをしていたこともあるが、最終的には父の旧友が経営する電気器具の会社に、兄とともに勤めることになった。

 当時の海津はボクシングにはほとんど興味も関心もなく、もっぱら会社の野球部で汗を流していた。父が町議を勤める恵まれた家庭の次男坊として育った彼は、子供好きののんびりとした性格で、血と汗の世界など全く無縁だったのだ。

 それから二年、平穏無事な生活が続く中、体力を持て余していた海津は、新聞記事で読んだ同郷のボクサー金子繁治の活躍に心を魅かれるところがあり、金子が所属する笹崎ジムに何度も足を運んでは、通りから窓越しに練習を眺めていた。

 当時の東洋チャンピオンは、今日の世界チャンピオンを凌ぐ人気があり、その中でも「東洋無敵」を謳われた金子はプロ野球の川上(巨人)や大下(西鉄)に匹敵するスポーツヒーローだった。それほどのスター選手が自分の実家からわずか4kmしか離れていないところの出身と知ると、強い親近感を覚えた。

 TV中継で試合を観戦しているうちに「金子選手と同じジムでボクシングをやりたい」という思いは日増しに募り、ついに笹崎ジムの門をくぐると、何と会長まで新潟県西蒲原郡出身だった。まさに運命の導きだったのかもしれない。

 一勝一敗のアマチュア戦績を残した海津がプロデビューを果たしたのは昭和三十二年八月のことである。

 入門して間もない頃の海津は、同じジムで練習していた金子がほとんど覚えていないほど印象が薄い凡庸なボクサーだった。

 前座時代の六勝三敗(一KO)という成績を見る限り、重量級にしては非力な印象しか伺えない。事実、笹崎会長も一ヶ月遅れでデビューした長身のボクサーファイター、斎藤登(後に日本ミドル級チャンピオン)の方に期待を寄せていたほどだ。

 日本の重量級は層が薄かったおかげで、デビューから五連勝を続ける不二拳のホープ前溝隆男(後の日本ミドル級チャンピオン)をKOで下した海津は、いきなり日本ランキングに名を連ね、三十四年五月二十一日には、早くもミドル級の絶対王者、辰巳八郎との日本タイトルマッチがお膳立てされた。

 経験不足の海津は、老獪な辰巳のテクニックに翻弄され、ベテラン王者に通算十三回目のタイトル防衛を許してしまうが、試合終盤に疲労困憊した辰巳に執拗に食い下がる健闘ぶりが認められ、メインエベンターとしてのオファーが次々と舞い込むようになった。

 前溝との再戦こそ引き分けたものの、スティーブ・トニー、ラモン・ゴメス、石橋堅之進相手に三連勝し、十一月十六日には東洋ミドル級タイトルへの挑戦が決定した。

 東洋チャンピオンのダウソン・シンガロップ(タイ)は二年前に辰巳から東洋タイトルを奪ったテクニシャンである。まだ経験が浅いため、長丁場になると不利と見られていた海津は、笹崎会長の指示通り、試合開始のゴングと同時にラッシュをかけた。

 すると身体の温まっていないシンガロップは、海津のスピードについてゆけず防戦一方になり、わずか一分四十二秒でマットに沈んだ。十二勝四敗(四KO)一引き分けという平凡な成績の北陸男児は、ついに東洋最重量級の頂点に立った。

 昭和三十五年は海津の年だった。三月三十一日の東洋初防衛戦でラッシュ・メーヨン(タイ)を試合開始からわずか四十八秒でKOし、東洋タイトルマッチの最短KO記録を樹立すると、後のライバル権藤正雄を二ラウンドKO、二度目の防衛戦で辰巳を判定で返り討ち(十月二十一日)し、「東洋無敵」の重量級として一躍、日本ボクシング界を代表する人気ボクサーとなった。

 年度の東京ボクシングクラブによる表彰では、前年の殊勲賞に続き、KO賞を受賞している。

 翌月、会長夫妻と故郷に錦を飾った海津は熱狂的な歓迎を受けた。まだ地方にテレビが普及する前だけに、海津の試合を見たことのある住民は皆無だったが、これを機に海津家がテレビを購入すると、試合が放映されるたびに軒先には黒山の人だかりが出来たという。


 金子の引退後は、矢尾板、米倉、高山が世界挑戦に失敗するなど日本のボクシング界は閉塞感が漂いつつあったが、重量級のスーパースターの登場により、軽量級のテクニック主体の試合から派手な倒し合いに注目が集まるようになった。

 NHKがゴールデンタイムに海津の試合を中継するほどその人気は傑出していたが、ミドル級の選手層が薄いため、時にはウエルター級に下げてでもリングに立たなくては好カードが組めないというジレンマもあった。

 昭和三十六年三月一日の沢田二郎戦は、かつて史上最年少で東洋王座に就いたこともある現役の日本ウエルター級チャンピオン対東洋ミドル級チャンピオンという話題のカードだったが、落ち目の沢田に東洋無敵の男を倒せるはずもなく、六ラウンド負傷棄権という冴えない結果に終わっている。

 これで辰巳に敗れて以来、約二年間負けなしの十二連勝(九KO)と破竹の快進撃を続ける海津だったが、その人気ぶりとは裏腹に、対戦相手の質の低さはいかんともし難く、このことが海津の成長を阻んだとも言える。

 例えば、四十八秒でKOしたラッシュ・メーヨンなどは、とても東洋ランカーとは思えないほど身体がダブついており、スピードも素人なみだった。

 一部の関係者からは「ヤラセ」とまで酷評されたこの一戦にしかり、対戦相手が二線級でも豪快な倒しっぷりばかりに目がゆき、ボクシングスキルの向上に言及されることはほとんどなかった。

 左右のストレートと返しの左フックのコンビネーションは、多くの対戦相手をマットに這わせたが、防御の甘さと攻撃の単調さが改善されることはなかったのである。

 沢田戦から一ヶ月後に行われた権藤正雄とのノンタイトル戦では、権藤のラフファイトをさばき切れず、人生初のテンカウントを聴くはめになった(二ラウンドKO負け)。これで自信を喪失したのか、七月十三日の四度目の防衛戦では、タイの強豪サマート・ソンデンに判定負けし、無冠となった。

 三ヶ月後のリターンマッチではラッキー気味のパンチでソンデンを逆転KOに屠り、王座返り咲きに成功したものの、KO負けの後遺症か、一ラウンドから倒しにゆく豪快な試合ぶりは次第に鳴りを潜め、三十七年二月七日にはまたしても権藤に判定負けを喫してしまった。

 パンチ力は一級品でもボクシングが荒削りな権藤は、勝ったり負けたりの繰り返しで中々ビッグチャンスは巡って来なかったが、海津に連勝したことでようやく東洋への挑戦権を手に入れた。

 四月九日の東洋ミドル級タイトルマッチは、権藤の強打に大きな期待が寄せられたが、見かけと違って気が弱い権藤はガチガチにあがってしまい、蓋を開けてみれば海津のワンサイドだった(五ラウンドKO勝ち)。

 昭和三十八年二月二日に韓国の英雄、康世哲に判定勝ち、七月二十七日にケオワン・ヨントラキット(タイ)を一ラウンドで沈め三度目の防衛(第二次王座)に成功した頃までが海津のピークだった。

 年が明けた一月二十日、ライバルの権藤に判定負けを喫し、東洋タイトルを失った海津は、八月三日の再戦では、初めて故郷から両親を呼び寄せるなど、決死の覚悟でこの一戦に臨み、判定勝ちで三度目の王座復帰を果たすも、四十年一月十日にローマ五輪のミドル級銀メダリスト、金基洙に六ラウンドKO負けし、初防衛に失敗する。

 後に韓国初の世界チャンピオンとなる金は、同国人であるプロレスラーの力道山や大木金太郎に可愛がられ、日本でも在日韓国人の間で絶大な人気を誇っていた。

 再戦でも金に判定負けした海津は東洋タイトルを諦め、日本タイトルを奪取するが、限界を悟ったのか四度目の防衛に成功後、尊敬する金子に倣って王者のまま引退を表明した。

 宿敵の金はJ・ミドル級の新設が追い風となって世界王座に就いたが、防衛に失敗してからは番狂わせ屋の南久雄に敗れるなど取りこぼしも多く、とても世界ミドル級で通用する器ではなかった。

 引退後の海津は、夫人の叔母が営む金融業を手伝っていたが、後輩のムサシ中野がジムを開いたのを機にトレーナーとして後進の指導に当たった。晩年は神奈川で機械工として地道に働いていた。

 生涯戦績 五十四勝十九敗(二十三KO)二分

 

















































海津の訃報は新聞の片隅に載っていた。まだ52歳という若さだっただけに、ボクシング界に復帰して指導者としてもう一旗あげてほしかった。

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