3:【satanic tale1】『エナ』【1:狂人Sの手記】
※本題始まる前に、いきなり登場人物2名ほどお亡くなりになります。ご注意下さい。
唯、好きなだけじゃだめなんだろうか。
人はすぐに名前を付けたがる。そしてそれを一から説明するために、分類し、境界を設ける。その内と外。内側ならセーフ、外側ならアウト。
私はその身勝手な境界により、大切な友人を失ったのだ。
憎しみを捨てることが出来ないのは、私がまだ人間の心を捨てきれない証。
私は人間を止めたいのだ。獣になりたい。一生懸命生きて死にたい。それが失った親友の分まで生きることだと思った。
好きだと言われたその言葉を私は普通に受け止めた。
今だから思う。私もエナと同じだったのだ。だから駄目だった。それを彼女は解らなかった。彼女はある意味で人間を逸脱していたけれど、それ以外の思考はとても人間らしい人間だった。分かり合うのが無理だったと……今ならそう、言えるのかもしれない。
当時の私はそれを人間達の軽口の一つだと捉えていた。過剰反応するのは人の輪で生きにくくなる。適度な協調性も必要妥当と考えていた時期がちょうどその頃。中二病とはよく言ったものだ。私の幼なじみは、それの重病患者だった。それに私とエナが巻き込まれた。私から見れば彼女の考えは手に取るようにわかったのに、彼女は自分が見えていなかった。無意識ほど恐ろしいものはない。彼女は私を全然好きでもない癖に、私を世界の誰より愛していると、痛々しい勘違いをしている女の子だった。
*
「私は、あなたが好き。大好き。一番好きなの」
「わたしも好きだよ?愛してる愛してる」
「ちょっと、こっちは真面目に話してるのにっ!」
私の適当な返答に、頬を膨らませるのは私の幼なじみ。長い付き合いの友人だ。
彼女は特に美人というわけでもなかったが、模範的な女の子らしい女の子。それなりに男連中からはモテてたみたいだ。うちの親からも彼女を見習えと幼い頃から口を酸っぱく言われてきた。
対する私は女っ気の欠片もない女だ。そういう柄じゃないというか何というか。
だからこの年代の女の子同士のベタベタした友情とかそう言う付き合いが煩わしくて仕方がなかったのは確か。だって、本当……面倒臭い。
女ってのは面倒な生き物。何かを縛り付けたがる。独占欲と嫉妬の塊。それはある種の支配欲なんだろうかな。
要するに私は生け贄だったわけだ。彼女の目に留まる良い感じの男の子が見つからないから、その代用品として自由を奪われ拘束されている。言うなれば籠の鳥?いやいや、私はそんな可愛らしいものではなかった。儚いというよりふてぶてしいとかそういう形容のが似合うと自負している私だ。そんなものを拘束しても楽しいはずがないだろうに。
優しく家庭的な典型的な女の子。しかし何でかなぁ。彼女の目に留まったのはたまたま近所に暮らしているってだけの私だった。
子供は親を選べず、家も選べない。もし生まれる家が選べるならば、彼女とは違う地域に生まれたかった。要するにまぁ、私は彼女が好きではなかった。彼女の作る料理は好きだが、性格がどうしても苦手というか。餌付けされたと言われたら聞こえは悪いが、もらえるものはもらっとけ精神の私はもらえるものはもらっといて尚かつ懐かないという技を披露していた。そもそもそれは迷惑罪への慰謝料みたいなものだ。私は悪くない。むしろ足りないくらいだ。
思い起こせば、彼女は昔から分かり易い子だった。
変わり者の私はいつも一人でだらだらと怠けていた。お飯事に混ぜられても真っ先に隠居じいさんの役を買い、「死んだばぁさんが迎えに来たぞぃ」とか言いながら戦線離脱、昼寝に走るというやる気のなさばかりみせていたせいで、女の子連中からは相手にされなくなった。男の子達と走り回って遊ぶのもそれなりに楽しくはあったが、女の子から要らん嫉妬を買うのも煩わしく、一人でだらけることが一番楽で楽しいことに私は気付いた。その頃には私は周りから変わり者という称号を張られていた。そしてそれを別段気にすることもない私はやはり変わり者だった。
そんな私を追いかけ回し、面倒を見る彼女。端から見ればそれはこう映る。あんな変な子に優しくするなんて、あんな変わり者の友達になってやるなんて……あの子はなんて優しいんだろう。
彼女は私を出汁にして、天使とか聖母とかそういう人格を周りに植え付けることに成功。
そのステータスを保ち続けるためには、私は適度に変人で、そして彼女以外に親しい人間を作ってはいけない。そういう掟が彼女の中に作られていた。私のことなのに、何故か彼女がそう決めていた。
彼女が私をこんな所に呼びだしたのは、そもそもそれが原因。
彼女は気に入らないのだ。私が勝手に友達を作ったこと。
「千里は親友の私より、あの子を……エナが好きなの?」
親友ねぇ。学校の勉強が出来てもこの子は辞書の読み方も知らないようだ。
「エナはそういうんじゃないって。興味ないし恋愛とか」
女と男が一人ずつ仲良くつるんでいるだけで、何でもかんでも彼氏彼女にしようっていう女の子脳がわからない。そりゃあ勿論私はエナが好きだ。大好きだ。
彼女に言ったような適当な気持ちじゃない。だって彼女は一緒にいてもつまらない。苦痛でしかない。
でも彼は違う。
エナは面白い。楽しい。一緒にいると世界とか自分とか、そういうのが広がっていく気がする。彼は私に……上手く言えないけど、何かを教えてくれる、与えてくれる存在なのだ。それが私の独りよがりとか一方通行ではないことを、私は知っている。彼は真っ直ぐに伸びた剣。磨かれた鏡のような心の美しさ。一見冷たいようにも見えるけど、彼は誰より純粋だ。
こんな人間が居るのかと、私は驚いたね。だから興味を持った。
興味って言っても人間的な意味で、の方だ。女の子達の言うようなそういう関係になりたいとは微塵にも思わない。
「嘘。男の子なんてみんな狼なんだって姉さんが言ってたわ。男なんて下半身に脳みそが付いてるやることしか考えてない生き物だって」
「あんな可愛い顔しててもあの子も男の子なの!近づいちゃ駄目なの!私は千里を守りたいのよ友達だから!」
「あー大丈夫大丈夫」
「何が大丈夫なの!?」
「んーとそれじゃあ私もエナもEDなんだ。これで解決解決、そんじゃあね」
「え、そうなの……って千里!勝手に帰らないでよ!一緒に帰るって約束したのに!」
んな約束しとらんがな。女の子の考えることは私には解りませんって。登校も下校も昼飯も手洗いもどこでもいつでも一緒が当たり前って何考えてるんだか。あれか?女の子らしい女の子って言うのは頭の中にスポンジでも詰まってるのか?スポンジしかないのか?化粧品やらピンク色のメルヘンな小物とか買う暇合ったら中身買って入れ替えて来い……と思う私は少数派、所詮あっちサイド。変人でも変態でも好きに呼べばいいさ。
人間サイドの視界に映るのは、友達想いの尽くし系の健気な彼女役を演じる彼女。変なフィルター掛かってこれで人気も鰻登りと。うわぁ、馬鹿みたい。
それをする方も、それに騙される方も。本当に下らない。
幼なじみを呼び出された屋上に置き去った私はピョンピョンピョンと階段を飛び降りる。三段四段抜かし。いやぁ、楽しいねぇ。あの子から離れられるってだけでこんなに心が躍るなんてね。途中すれ違った担任に、スカートとか見えてるぞとか怒鳴られたが気にしない気にしない。今度文句言われたら学ラン登校してやる。もしくはジャージ履く。
スカートって登るときはいいんだよ。三段抜かしとか余裕だし。
でも寒いんだよね。冬場とか。腰のギリギリまで降ろして暖を取っていた私の邪魔をしたのもあの幼なじみ。「あなたどこの不良!?今時そんな子いないわよ!スカートは膝上!」
担任は膝下って言ってたし、自分はちゃっかり膝下の癖に、私には膝上を強要する理不尽さ。今に見てろ。冷え性とかリュウマチなったら訴えてやる。そんなことを考えている内に、もう一階。上の方から待てとか名前を呼ぶ声がしたが、聞いてやる義理はない。
さっさと校舎を飛び出して、裏山へと私は走る。
何処にいるか、何をしてるか。
彼との付き合いの中で、それが私にも解るようになってきていた。だから今彼はそこいる。
走り抜けた先、暗い暗い森の中。そこにぽつんと彼はいた。
彼は何でも屋。人外専用の。彼らの願いを叶えるそれこそ天使みたいな存在だ。外見もそんな感じ。小柄で中性的で。顔だけならあの幼なじみの何倍も何百倍も愛らしい。十人が十人見ても、彼の容姿にけちを付けられる者はいない。それくらい彼は整った顔立ちをしている。
それでも悪い意味で人間は顔じゃないを体現しているのが彼……エナだ。彼は人間らしい人間から見れば、異常としか思えない奇妙な行動ばかりとる。いわゆる奇人、変人という類の人間だ。
彼が引っ越してきたとき私の幼なじみは、最初私から彼に乗り換えようと思ったようだった。私以上の変人。そしてその容姿。自分のステータスのレベルアップを図ろうとしたんだろう。
けれどエナは彼女の手に負えるような子じゃなかった。しかも何故か私とエナが仲良くなってしまった。そこで彼女は気付いた。
私という所有物で付属品がエナに奪われたような錯覚に陥ったのだろうことは容易に見当が付く。独占欲と依存。それを恋と錯覚する間抜けさには飽き飽きだ。そんな勘違い茶番に付き合って人生棒に振る気は毛頭無い。そそくさと退散した私は正解だ。薄っぺらい癖にねちっこいあの人間関係もそろそろ蒸発してくれと切に願う。
エナの姿はホームルーム前に消えていた。ああ、呼ばれたんだなと気付いた私は「女のこの日で早退しました」と適当にフォローしておいた。勿論これは冗談で、その後に腹痛と言い直しておいた。彼はふらりと姿を消すことが多いので、彼の友人である私にその消息を尋ねる者は多い。主に担任とかだが。
彼の仕事に師匠がないよう、口先三寸で毎回誤魔化している内に、彼は病弱設定と言うことになった。今はそれを疑う者もいないくらいの分厚い嘘だ。やっぱり美形って徳だな。唯何も言わず下向いてたり、ぼーっとしてるだけでも儚げに見えるんだから。姿を消したエナが向かうのは、毎回違う場所。それを探し当てるのが私の部活動。
エナの白い頬を塗らす色。彼の唇を赤く染めるのは口紅何かより綺麗な血化粧だ。それは綺麗でとても価値のあるものだ。それは命の輝きだから。
彼の仕事には迷子の犬の飼い主捜しとかほのぼのとしたものも多いが、そうとは言えない者も多い。今回は後者の方。今日の仕事は意味付け。無意味な死に意味を与える仕事。もっとも、これを普通の人が見てもそうは感じない。この過程を全て無視し、結果だけを見るなら、彼は狂気の沙汰。
でも本当はそうじゃない。私にはエナのように動物たちの悲鳴は聞こえないけれど、私と同じで泣けない彼の悲しみが、私にシンクロするのだ。
遠く離れた場所で彼が悲しんでいるなら、ズキズキと。それが近くならチクリと針で刺すような痛み。私は痛みの消える方向へ向かえば彼に出会える。
逆もあった。最初はそうだ。私の悲しいを、彼が近づき消してくれた。その時からだ。こんな共感を感じるようになったのは。
「エナ……その子、なんて言ってた?」
「ぽかぽかの日溜まりで昼寝をしたいって。この森は暗いから」
今回の依頼人……意味のない無慈悲な死を与えられたのは一羽の鴨だ。落ちている羽根でそれがわかった。エアー銃かルアーか知らないけど、それでその子は鳥として生きられなくなった。餌を取れないものは死ぬしかない。羽根も大分変色している。川の油で飛べなくなったんだろうな。ああ、これでルアーの線は消えたか。いい的だったに違いない。
エナはその声を聞いた。悲鳴だ。辿り着いたその時まだ息があったか無かったか。そのどちらでもエナはその子に意味を与えただろう。彼はその子を喰らったのだ。その子がどんなに人界の毒に冒されていても、その子を喰らった。自然界では意味のない死は存在しない。食物連鎖により全ての命は廻るのだ。けれどそこに人間というものが入り込むと、それが崩れる。意味のない死を彼らに与えるのは人間だ。
しかし、エナとてその人間。
十分な調理もせず生でそんなモノばかり喰らっているエナは長くは生きられない。最初、こういう場面を見たとき、そう思った。けれど彼はそれごとその子を受け入れた。
彼は癒す者なのかもしれない。
人間の毒により傷付けられた自然を取り込み、毒を封じる希望の箱だ。箱である彼が人間という限りある器だから、人の罪全てを購うことは到底無理。彼だって何でもかんでも出来るわけじゃない。わかっているのだ彼だって。
それでも彼は廻らせる。自らを人の枠から外させて、獣の世界に身を置いて、救われぬ魂を廻らせる循環者。
「昼寝……か」
「うん」
一滴も無駄にはしないよう、口元の血を手で拭い舐めながら彼が答えた。
「そっか。それじゃ……もうちょいぐうたらして行こうよ」
「……うん、そうする」
外はまだ明るい。帰宅部の私達には時間もあるし、日が暮れるまでまだまだ余裕。昼寝日和といえば昼寝日和。背中が汚れるのも気にせず、私達はごろんと草地に背を預けお昼寝タイム。
「千里、遅かったね」
「はは、ごめん。でもどうせ待ってなかったでしょ?」
「うん、待ってなかった」
「うわー酷ー」
「君も酷い」
互いに文句を言ってはいるが、私も彼も口元には微笑が浮かんでいる。
「いや、ごめんごめん。モテる女は辛いぜって奴?でもなー女にモテてもねぇ」
「どっちでも振る癖に」
「まぁ、そりゃそうだって。ありゃ、住む世界が違うのさ。人種が違うって言うべき?」
私が彼女に釣れなくするのは、別にそれが理由ではない。その下らない舞台に組み込まれるのが嫌なのだ。
男だろうと、女だろうと。そんな風に生きて楽しいのだろうか。楽しいのなら結構。勝手に楽しく暮らしてくれればいい。唯、私を巻き込まないでくれたらそれでいい。
男女間の友情が成り立たないってあの幼なじみは言うけれど、現に私達はそれが成り立っていた。人間としてそれが不能だとか非科学的とかそんなことはどうでもいい。欠陥品上等。
唯、一緒にいたい相手とおもしろおかしく馬鹿騒ぎするのは、そんなに人から逸脱していることだろうか。
唯こんな風に、一緒に見る景色がいつもより素晴らしいもののように見えて。それまでどうでも良かった毎日が、怠けるのが勿体ないくらい楽しくて仕方がない。自分一人の昼寝は怠け。でもこうして二人で惰眠を貪るのは、怠惰とは違う何かのような気がした。たぶんそうなんだろう。一人の時は何時何処でそんな風に授業をさぼったとかなんて覚えていないけれど、エナが一緒だったというだけで、その場面は記憶の一頁へとちゃんと残っているのだから。
*
「……千里、私達って友達よね?」
否定は許さないという強い意志の感じられる質問。それはもう疑問文の意味を成さないと私は思う。
彼女はいつも私にとって彼女が一番でなければいけないらしい。こっちはお前のペットじゃねぇよってのが正直な感想なのだが、女の子は面倒臭い。先に泣いた方が勝ち。泣けない私はクラスという集団の中、四面楚歌。投げやりに彼女の望む言葉を言うしかないだろう。ここが人間の檻の中なら。私も、まだ完全にこの檻から抜け出せたわけではないのだ。それがどんなに嫌いなものでも、私はそこで生きているのだ。
「おーともだちともだちー」
「何その棒読み」
これが棒読みにならないでいられるか。言葉は嘘をつけても表情や声までは嘘をつけない。獣寄りの私はその辺りは正直で分かり易い人間なのだ。
しかし何というかこの子はどうしてこうなんだろう。いちいち確認なんかすると薄ら寒いというか薄っぺらいというか。
私はこんなに心配してるのにというのが見え見えだ。敢えて人の多い昼休みにそういうことを教室の中で言うから問題になる。
娯楽の少ない学舎では恋や喧嘩は。クラスのマドンナみたいな(洗脳)彼女と、(彼女曰く)仲の良い親友である私が揉めるとなれば、そりゃあ食い付くだろう。本当、実にあほらしい。
どうせあと一、二年でもして高校でも入ればさっさと彼氏作って迷惑なのを気にしないで「貴方もそろそろ恋人を作るべき」と三十路を過ぎた娘の世話を焼く母親みたいなイメージが音速越えで目に浮かぶ。
正直私はそう言う方面に全く興味がない。そんなもん作る暇があるならだらだらと怠けていたい。そもそも人間じゃなくてマケケモノあたりに生まれたかった。進路希望調査票に第三志望までナマケモノ科を綴っておいたら担任にこっぴどく叱られたのもまだまだ記憶に新しい。
私的にはこの辺で疎遠になっておきたいというのが彼女に対する感情だった。
「この際だからはっきり言う、気持ち悪いっ!もう止めて!あんな子と一緒にいたら、千里も変な目で見られちゃうよ!?わからないの!?噂で聞いたの!町外れの公園であなた達っ……い、犬をっ」
「ああ、鍋のことか」
エナは小食だ。一日に何回もそういう仕事ばかり続くと彼一人では分解しきれない。困ったときに力になるのが友人の務め。幸い私は胃袋がでかい。小学時代から伊達に悪魔の胃袋の名を押しつけられてはいない。
しかし私はエナのように生で食べられるほどまだ自然帰り出来ていないので、きちんと調理する。まだ生きている場合は、エナが止めを刺してくれる。流石にまだ生きてる子は私も捌けないから。
私みたいながさつな女が料理なんか出来るのか?出来ないだろう。それが他人からの私の認識。もっとも真実は異なる。家ではそれなりに自炊もするし、単に面倒臭いから作らないだけで、私は料理が出来ないとかいうわけでもない。味さえ付ければ大抵食える。エナと付き合うようになってから鞄に調理器具と調味料一式を入れて持ち歩くようになり、私の教科書は毎日教室にお泊まりだ。あの日の依頼人は捨て犬だった。捨て犬……というよりは野犬?結構大きかったし凶暴だった。
「ほ、本当にやったの!?そんな……信じられない。どうしてそんな可哀想なこと」
よくそんなことが言えたものかと感心する。エナはここにいるのだ。同じ教室にいるのだ。そこで人外を哀れむ振りをして、人間のエナを傷付ける。
犬畜生一匹にまで哀れめる私って優しいアピールお腹いっぱいです。おいおい信者どもこんなの信じるのか?信じるのか?目、曇りすぎだろう。待て待て待て。確かに人外の命を尊べるのは良いことだよ。でも、でもその前提がおかしい。
その前提は人間が一番の高見に位置していて成り立つ式だ。
《人間って言う素晴らしい身分の私が下々の存在である動物に慈悲の心を持っている。ああ、だから私はとても優しく、素晴らしい存在なのだわ》
そんなことを言っておきながら、同じく素晴らしい人間という身分のはずのエナを貶める。その高見から突き落とす。犬は哀れめて、彼は駄目。犬とエナが同じ階級なら、この式はおかしなことになる。そう、彼女はプラスマイナスゼロ。もしかしたらゼロ以下だ。
だから優しくも素晴らしくもない。それが可哀想などと口にするなんて。吹き出しそうになった私に罪はない。
「可哀想……?何処が?」
「何処がって……そういうのは保健所が」
「薬で殺されて、燃やされて埋められるのが幸せ?」
風や土が葬ってくれるならそれでいい。けれどそれでは意味にならない。
命の終わりが定められた者なら、そう分解されるのも正しい形だ。
けれど人為的により与えられた死。それにはもっと大々的な理由と意味が求められる。
生きるために殺されたのではないものを、生きるために食し葬る。それなら他者が生きるためにそれは死んだ。そういう意味を与えられる。
「常識的に考えて、の話!もしかして飼い主の居る子だったらどうなるの!?見つかったかも知れないじゃない!それなのに勝手にそんなことして!残された人が悲しむとか思わないの!?」
彼女の言葉は一見一つの生命を重んじるようでいて、結局は人間の尊厳という場所に収まる。死んだ犬などどうでもいいのだ。それを失った人間が可哀想。人間が。
結局の所彼女はその犬がどういうことをされてきたのかも知らないし、そんなことはどうでもいいのだ。常識的に考えて。その一言で過程をすっ飛ばし、結果でエナを悪とし狂人扱い。彼女は知ることもない。その犬が間際に彼に礼を言ったことも知らない。
エナがどうやって止めを刺したかも知らない。
道具なんか使わない。それは人間の武器だから。
彼は一匹の獣として挑む。退化した人間の爪と歯。牙ほど鋭くもないそれで。
理不尽に殺すんじゃない。あれは決闘だ。
誇りを守るため、生きるため、互いが本気で殺すつもりでやり合う。
エナだって無傷じゃない。しょっちゅう傷だらけになる。
彼は感じたことだろう。
ああ生きてる。生きていた。立派に、必死に、無我夢中で俺は生きた!生き切った!そして意味を手に入れた!生きた証!死ぬ理由!
だから彼はエナに礼を言ったのだ。
「……何のために生きているか、考えたことある?」
「え?な……いきなりそんなこと、言われても」
「……それじゃあ、何のために死ぬか、考えたことは?」
私の二つの質問に、彼女の口が塞がった。
彼女は何も考えていない。生きてるから生きていく。自堕落的に永続的に。いつかそれが途切れるまで、誰かを縛り縋り貶めて、自分の優位を味わいそれが幸福、生きることだとはき違えたまま存在し続ける。
「……薄っぺらい」
私の吐き捨てた呟きに、びくりと彼女の肩が鳴る。これ以上付き合ってるのも馬鹿らしくてそれに私は背を向けた。
吐き気がする。そんな風なのが当たり前で、普通と分類されているこの場所が。
だから痛い。胸が痛い。キリキリと痛む。悲鳴を上げる。
「千里……ご飯」
ずいと私に片手を差し出す一つの手。それが私の肩に触れる瞬、私の痛みを半分引き受け癒し……風化させる温かさ。エナだ。
「僕の分、手伝ってくれる?」
「ああ、うんうん手伝う手伝う。エナの姉さんの美味いから嬉しいし!」
背中の向こうで聞こえた歯ぎしりの音。
美しいとは呼べないその音は、時折私の脳裏に甦る。ギリギリとギリギリと。その音は悪意を孕み始めていった。
*
エナと私が出会ったのは中一の頃。厄介な幼なじみは別のクラスだったから、私にも一応そこそこの友人はいた。排除されない程度の浅いつきあいの。そんな友人達から見ても、私とエナの組み合わせは歪に見えたようだった。
「エナと私がどうかした?」
「そうそ。あの子って凄い変わってない?どうしてあんたみたいな平凡な子が友達やってんの?釣り合い取れてないって思わない?あんたにはもっと普通の男のが似合うよ」
「んー……私があの子のこと好きだからじゃ納得してくれない?」
「そりゃあ顔は悪くないけど悪趣味じゃない?だって彼……なんか電波出てるじゃん」
「あー……そういう好きじゃなくてね」
その電波なところが気に入ってる。なんて言ってもきっと納得してくれないんだろう。
ああ、面倒くさいな女の子って。どうしてそういうこといちいち気にするんだろう。別に私とエナは付き合ってないし、お互い恋愛感情なんかないし、普通に気の良い友達なんだって。
顔良し頭良し中身電波の変人がっくり。顔目当てで話しかけてその会話のかみ合わなさに失望した女子は星の数。それ以来女子の間でエナは、頭良すぎてむしろおかしいつか狂人だろ認識。
散々影では陰口ばっか。危ない奴とかいいながら?
これと言って取り柄のない私が仲良くしてるのが気にくわないとか本当面倒くさい。羨ましいとか何それ。意味不。
たまたま生物学上別存在がつるんでくっちゃべってるだけで誰でも何でもくっつけたがるのか。どうしてそういう短絡的な思考回路を働かせるのかな。あー、面倒臭い。
「あー……誤解されたなありゃ」
これで私もめでたくクラスの輪からはぶられることになるだろう。ま、いいけどね。
学校……いやこの街すべての人間と仲良く付き合うより、エナと話している方がよっぽど楽しいって私は知ってるから。つか、私しか知らない。
みんな勿体ないよな。常識に囚われすぎ。エナはエナだからいいんだよ。
「エナの前って本当楽」
嘘を吐く必要がない。自分を偽らずにいられる場所ってとっても悪くない。むしろ良い感じ。
「僕も楽。君は変わってるから」
「あは。変人と狂人でバランス取れてんのかもね」
「本当……人間にしておくのが惜しいくらい」
彼がそう言って私に笑う。これは彼が人間相手に送る最大の賛辞だ。普通に嫌味にしか聞こえない人はエナを全然理解していないんだろうな。
私とエナの出会いは不思議なモノだった。元々同じクラスに変わった子がいたことは知っていた。それでも私は対して興味がなかった。他の子が関心のあるモノは、私の興味の範囲外。つまりどうでもいいことだったから。そんなことより今日の夕ご飯は何だろう。そう考える方が余程私の心を揺さぶった。私は動物に近い思考を持っている人間らしい。だからエナに心を読まれた。
私は地面に座り込みぼうっと空を見上げる。
あの頃は、嫌なことがあったときは大抵そうしていた。
その青さが私の瞳を虚ろにさせる。ずっとそれを見ていたら吸い込まれそうになる。このまま空に堕ちて行けそう。そうすれば……きっともっと楽になれるんじゃないか。そう思って私は唯、空を見上げる。ああ、まだ堕ちていけない。
いつもはそこで日が暮れて、青が消え……諦めて家に帰るのだけど、その日は違った。
人の声がした。
「……あれ?」
そんな私を前に彼はおかしいな、と一言首を傾げる。
「今日は人間なんだ」
彼はぶつくさと不思議なことを言っていた。
「…………不快、でもないな。君、どうかしたの?」
そう尋ねてくるのは全てを見透かすような空色の瞳。彼は私が何かを言うより先に、小さく頷いた。
「そうか。君は悲しいだけなんだ。それでも君は泣かないのか」
何も答えられない。その一言の中で、彼は私を理解していたから。
「だからかもしれない」
なだめるような優しい声。心地良い声。
「人間は、悲しいことがあると復讐する。悲しみを怒りや憎しみにすり替えてね。だから悲しみを悲しみのまま受け取ることが出来るのは……ある種の才能なんだ」
「動物だって悲しいと思うことはある。そう感じるだけの心をちゃんと持っているんだ。でも彼らは泣かない。それはどうしてだと思う?」
ぼうっと彼を見つめる私に彼は微笑む。
「彼らは死より生を取る。一瞬一瞬を生きて居るんだ。生きるための殺しはしても、意味のない残酷を彼らは行わない。だから復讐なんかしない。悲しみは悲しみのまま心の内に貯められていく……いつか死ぬその瞬間
「涙ってのは結局自分のためだけにしか流れないモノなんだ。他人のためと思って流れる涙だって突き詰めて考えれば自分のエゴの塊」
「僕は彼らのために生まれたエゴ。その悲しみを外へ発散させる装置が僕……」
ぎゅっと握られた手。そこから私の内にため込まれた涙が吸い取られていくようだった。私を憂鬱にさせていた空の青さも……今は唯、綺麗なだけ。
そこからだ。私が彼を視界に入れるようになったのは。
でも今は、どれだけ目を開けても、そこに彼はもういない。
*
彼のお墓の下には死体がない。
三年前、彼は死んだ。そこを私は見た。
けれど犯人達は捕まらない。だって、死体が見つからないから。
私の証言だけでは足りないのだ。
目の前で死体が消えたなんて、誰が信じるだろう。我ながら馬鹿げている。
それでも。事実は変わらないのに。彼が彼を殺したことも。彼が殺されたことも。
私はようやく理解した。彼の言うように、この世界は歪んでいる。
人の作った法律。それは真実を裁けない。
罪は境界の中にあるんじゃない。罪の花はその外側にだって咲いているのに。
闇に投げ込まれた罪。光の当たることのない罰。裁かれない罪人達。それが人間。人が人を裁けないのは、人が人でしかないからだ。
「千里ちゃん……今年も来てくれたのね」
墓の前の佇む私に話しかけるのは、彼のお姉さん。
「はい……友達、ですから」
変わったと思う。彼が死んだ後、彼女も随分窶れた。彼にそっくりだった顔も痩せこけたように感じられる。
彼の死後、私も変わった。もしかしたらそれ以前から……彼と出会った頃から少しずつそうなっていたのかもしれない。今の私は人間側に位置していない。その境界を完全に越えてしまったのは……やはり彼の死が原因だろう。
だからこの世界の醜さがよくわかる。彼の死の不条理さも。
いっそ殺してしまおうか。獣になり果ててあいつらを。
「駄目よ」
静かな……それでもきっぱりとした口ぶりで彼女は私を制止する。
「だって!おかしいじゃないですか!?悔しくないんですか貴女はっ!」
"どうして殺すの?"彼は言った。生きるためでもない殺し。彼は解剖に涙した。
"この子は何にも悪いことをしていないのに"。私は頷くしかない。だって彼も何も悪くなかったんだから。
「千里ちゃん。それでも私も貴女も、人間なのよ」
法律に縛られなくてはならない。それが人の宿命なのだと彼女は言う。
彼とそっくりの顔で、彼女は別のことを言う。それがとても、残酷だと思った。でも、もっと酷いのは彼女が私を抱きしめたことだ。きっと、彼ならそうしない。
「"守ってあげて。あの子の守りたかったものを、あの子の分まで"」
葬儀の時に彼女に言われた言葉。それがあの子の心残りだろうから、なんて。その言葉で私はなんとか立っていられたんだ。その一言に私は救われ、今もまた……それに縋ってしまう。獣の咆哮のような、私の泣き声。それに彼女は優しく目を細める。しばらくして私が落ち着くと、彼女は小さな包みを取り出し私に手渡した。
「これ……部屋を片付けていたら見つかったの。たぶん……貴女に渡して欲しいんだと思うわ」
古ぼけ変色したそれには、見覚えがあった。
「これ……ノート」
「あの子が止めてたのね、ごめんなさい」
ページを捲る度、懐かしさが胸を襲う。
最初は相互理解のための訳のわからない言葉の押収。そのうちただの交換日記になり、半分を超えたあたりから私たちの物語が。
彼が人間に対し興味を示したのは、文化。人間の作り出すモノなら彼は好きになれると気付いたのだ。だから私たちは作った。リレー小説と言えばいいだろうか。どうして忘れていたんだろう。こんなに……楽しかったこと。
私が書いて、彼が書いて……最終的にはわけのわからない話ばかり出来た。今見ても、よくわからない。むしろ自分が書いたことの方がわけがわからない。文才なさ過ぎにも程があんだろちくしょー……
「……あれ?」
ページが増えている。私が書いていないページ。
これは彼の筆跡だ。
かなりの量。もうそろそろ、白紙のページがなくなってしまう。
私が彼に手渡したのが彼の死ぬ一日前。一日でここまで書けたなんて思えない。じゃあ、これは何だろう。
試しにパラ読みをしてみると、どうやらこれは物語。戦いの話だ。人間の滅んだ世界の話。いちいち設定がグロい。このグロさは彼の好むモノだ。手がない人間だの、足がない人間だの……想像するだけでちょっと無理。私なら絶対に書かないジャンルの物語。
「何、これ……」
でも、これ……インクがおかしい。濁った茶色。かすかに感じとれる錆びた鉄の臭い。
「……っ!?」
「どうかした?」
私が青ざめていくのを見て、彼女は理由を私に問いかけた。
でも、私になんと答えられただろう。
私の見ている前で、そのページは血文字に染めれていくなんて。
*
異種人と呼ばれる人々。彼らは不完全な人間。五体の一部が欠けている一以下の存在。神は彼らを互いに殺し合わせ、その最後の種族を完全な人間にする約束をした。
そんな戦いの最中、その世界に迷い込んだ人間がいた。彼は彼らに命をねらわれた。完全な人間。それを食せば完全になれると彼らが思ったからだ。
彼は神に助けを乞い、神は彼を助けた。
亜種人達は神の怒りを買い、体の半分を獣に変えられてしまう。その時知性も低下した彼らに神は完全の貴さを刻み込み、彼らは人を襲わなくなった。代わりに彼らは完全を崇拝し、人になりたいという欲が大きく膨れあがる。
どうして人間になりたいのか。その理由も忘れて、彼らはただ人間になりたいと願い続け……戦いは再開された。
その観戦を共に愉しもうと言う神に反感を抱いた人間は、神を殺してしまう。
彼らが人間になれる力を持つのは神だけ。その神が死んだ後、彼らはどうしただろうか。
人間は戦いの無意味さを説いたが、亜種人達は約束を信じていた。神が消えた後も、約束は消えず、呪いは解けると信じていた。
嘘か真か。それは誰にもわからない。神が消えた今、真も嘘にかわったかもしれない。そもそも最初からすべてが嘘だったのかもしれない。
彼らは争い続けるだろう。すり込まれた憧憬のために。
それでも最後の一人は知るだろう。少なくともひとつ。世界の悪意を。
*
初見 珱那。彼はクラスでも浮いていた。その理由を挙げたらきりがない。例えばその名前。エナ……常識的に考えて男につける名前ではないだろう。女でも、ちょっとない。今ならあるかもしれないけれど、私たちが生まれた頃は~子やら~美やら~恵ったのが普通だったから。つか、それ以前に男の名前じゃないか。
次にその外見。顔は可愛かったな。私何かよりはずっと。お姉さんによく似てるってくらいだから、凄い女顔。あと目の色が私たちとは違った。男子にはからかわれてたけど女子には人気あったかな、最初の内は。それがどうしてあんなことになったかっていうと一番の問題は、彼の中身。彼はどこかずれていたというか、全部おかしかった。彼の言う常識が私たちには理解できなかったんだ。私はそれがおもしろいと思った。だから近づいた。でも、知れば知るほど彼の常識外れっぷりが見えてきた。
その独自の感性を、私はすごいと思ったな。なんだか、圧倒された。こういう人もいるんだと頭の中でぼんやりと思った。変だとか思うより、別の人間?……なんて言うんだろ。人間じゃない……っていったら失礼なんだけど、人間じゃないもの。もしくはその代弁者……そんな風に思ったね。
試しに聞いてみたこともあった。「もしかして、動物とか花の思ってることわかったり……」なんて。そうしたら彼はなんて言ったっけ。
確かこんな風に首をひねって……あ、全然似てないわ。悔しいけどもっとかわいかったな。「どうして君はわからないの?」と逆に聞いてきたんだ。超能力者かよって思ったけど……そういうのじゃないんだよな。
彼は私たちより、あっち側。動物とか……自然側にいる人間なんだ。だから彼らのことがわかる。だから私たちのことがわからない。
言語を通じて言葉がわかるから、人間と話すことは出来る。でも理解は出来ない。
言葉はなくても同じところに立ってるから、動物たちの気持ちがわかるから、理解することが出来る。要はその違い。なんだか、可哀想だと思ったよ。生きているのが苦しそう。辛そうなんだ。そういったらそれが彼への侮辱になると思ったから言わなかったけど。
お弁当も変わっていたな。栄養ドリンクとかサプリメントとかそんなのばっかり。仲間を食べたくないってのはよくわかるよ。でも「食べたいときは戦って勝ち取るべき」とか言って熊の住む山に単身で乗り込もうとしかけたときはさすがに止めたね。放っておいたら最終的にそこら辺の放し飼いの飼い猫を猫鍋にしかねない勢いだったから。そんなんなったら異常者としてすっぱ抜かれるし。彼はどう思ってたか知らないけど、私は彼を友達だと思っていたからそんな風にはなって欲しくなかったよ。彼に悪意はないんだ。純粋に、人の社会から逸脱している。もしかしてオオカミにでも育てられたんじゃないかなんて思ってしまうくらい。
天候初日から、それは爆発していた。彼のファンクラブは初日に出来て三日目で自然消滅したらしい。人間顔って言うけど彼は悪い意味でそれを覆した人間だ。顔じゃなくて中身だよなって彼のお陰で彼女をゲットした男共もちらほらいて、彼らには見下されながらも感謝されていたみたい。なんだかなぁ……
そうそう何時だったかな。彼は授業中、いきなり教室から飛び出したんだったな懐かしい。あの頃の私は彼を視界に入れるようになってはいたけど、別に仲が良いってわけじゃなかった。でも興味はあった。だからいいきっかけだったんだろうね。
「……どうしたんだ、初見の奴」
突然立ち上がり教室を飛び出す彼に、教師も首を傾げた。
「せんせー私も具合悪くなったんで病欠しまっす!」
「千里!お前は明らかに仮病だろ!」
「んじゃ、女の子の日ってことで~」
教師の言葉を待たずに私は彼の後を追いかけた。それがはじまり。
思えば最初から、彼は変だった。
冴えない担任から紹介された時は女共が浮き足立って黄色い悲鳴をあげたけど、彼女たちはすぐにそれを忘れるようになっていた。触らぬ神に祟りなし。賢い生き方だよまったく。でも私は違った。祟り見たさに神でも触れる。好奇心は猫をも殺す。要はそーいうこと。
「優しいんだ」
振り返った彼の青白い顔。元々白いけど、今は死にそうなくらいの青白さ。
瞳に浮かぶのは涙。そうしていると今の今まで凄い音で嘔吐していた人間だとは思えない。
奇声を発しつつ教室から逃げ出したことも忘れそうになる。
「むしろ繊細?苦手だった?あーいうの。運悪かったよね、あいつ担当の解剖あたるなんて。隣のクラスじゃ煮干しのビーカー煮、お向かいはサンマ解剖して焼い食べたらしいけど、蛙はちょっとねぇ……」
「……」
「しかし解剖用の蛙持ち逃げするなんて思わなかったよ。見かけによらず大胆。ってうぉっ!そ、そんなん手に持って平気なの!?」
「?かわいいよ?」
「そ、そう?」
「見てよ。この目のあたりとか、指先のフォルムとか、この緑色もとても綺麗」
「ん~……言われてみれば確かにつぶらな瞳してるかも。動物好きなの?」
「うん」
「は虫類とか両生類もいける系?」
「何でも大丈夫」
だってかわいいから。そういってほほえむ彼の方が絶対かわいいと思う。その時、初めて笑った。教室ではずっと仏頂面だったから。
でも彼はそんな笑顔でとんでもない発言をかましてくれた。
「人間以外なら、何でも好きだよ」
「あ、……そうなんだ~」
言われてみれば少しずつ、私との距離を離している彼。そんなに嫌いか。
「でもそれ言ったら学校なんか危険物質の宝庫じゃない、大丈夫なの?」
「帰りたい。引き籠もりたい。でも前いたところに比べれば過疎地だし、自然も多いし」
意外と素直だ。その土地の人間の前ではっきり過疎とか言う遠慮のなさになんだか好感が持てた。
「前も思ったけど、君……人間?それにしては人間らしくない」
褒めてくれているようだが、あまり嬉しくないような。これ、遠回しに野性的な女って言われてるに等しいよね。
「嫌な感じ、あんまりしない」
「嫌な感じ?」
「あそこは凄く、嫌だ」
教室のことを言っているのだろう。この場合の嫌な感じとは、居心地の善し悪しのことか。
「どうして殺すんだろう……意味なんか、ないのに」
「殺すなら意味がなくちゃけない。理由も必要。この子を殺したいのなら、あの人達はこの子達を食べなければならない。生きるための殺しなら意味がある」
あまりの極論に、私は言葉を失った。それでも彼の悲しげな様子から、それが冗談などではないことがわかった。彼は本気でそう思っているのだ。だから私は、彼を否定できないまま、曖昧に頷くだけ。
普通ならそこで距離を置くよね。悲しいことに私も普通じゃなかったわけだ。
彼は私の知的好奇心を……って言えるほど私は頭なんかよくないんだけど、まぁそんな感じのモノをくすぐった。話してて楽しかったんだよね。彼は私に普通を押しつけない。もしかしたらそれが楽だったから私は彼に傍にいたのかも。
そんな彼ももういない。彼は向こう側の存在。人間ではない。
人が人を殺すのは罪だ。でも人が動物を殺すのは罪じゃない。狂人は人間じゃない。だから殺してもそいつは裁かれない。
彼は線引きされた向こう側にカウントされた。彼はこの世界の境界では異常者、狂人だ。だから殺されたことを私が知っていても誰も信じちゃくれない。
狂人が死んだ。どうして死んだか。それは狂人ではない私達人間には理解できないこと。きっと何か特別な考えがあって死んだんだろう。それならそれは自殺だね。
そんな風にまとめられた。私の証言は誰も信じてくれない。狂人の狂人は類友。私もそこで異端判決。
何やっても、何やらなくても私は変人扱いされる。それなら何もしないより、何かして言われた方が百倍マシだと思った。だから私は彼の意志を継いだ。私がエナとして……エナの分まで生きようって決めた。
そして三年が経った。三年ぶりに私の元返ってきたノート。でもそれは普通のノートじゃなかった……ことはもう解ってるか。
書かれた文字は年表のようなモノだった。
視覚情報の隙間を縫って聞こえてくる幻聴。それを語るのは、彼の声。目をとめた文章。その出来事を物語る声。
仕組みはよくわからなかったけど、お姉さんには何も見えていないし聞こえてもいないようだった。
一年ごとに大まかな出来事が書いてあり、それが千年以上。
墓地で加わった数行。それが新しい一年分に含まれる。
それに気付いたときはゾッとした。彼が死んだのは三年前。その間に閏年が一回あったから日にちにすると1096日。数えたら、その年表は1000と96年分あった。これは一日で一年分の歴史が増えていくノート。
確証を得たのは、徹夜でノートを監視していたから。何時間かおきに少しずつ文字が増えていくのだ。わけがわからない。
それでも形見として大事にしていた。
いつの間にか楽しみにもなっていたのだ。今日の歴史を見るのも。彼の声を聞くのも。
でもねぇ……はじまりあれば終わりってのも必ずあるもんでさぁ。それが絶たれた時は少なからずショックを受けた。ページがなくなったのだ。年表がとぎれ、私は未完成の物語の前で歯がゆい思いを抱える。
最後に記されたのは1111年。
出来事は……"仮面の戦い"。そう言い残し……彼の声が消えた。それまで聞こえていた声機能もそれっきり。既読部分の語りもしてくれない。
*
「あははは!何こいつ!きもいきもい!」
「新種の宇宙人じゃね!」
「宇宙人に旧型なんかいるのかよ!」
「とりあえず石でも投げようぜ!」
「こらガキ!いくらこれがキモいからってそれはあんまりじゃない?」
「愛護乙……じゃねぇ!こいつあれだろ?やべーまじやべー逃げんぞ!」
「えー女一人じゃん。年上だからってひるむとかありえないし」
「こいつまじありえねーんだって!」
「目には目を。歯には歯を。知ってる?あーまだ習ってないか。とりあえず投げられたら投げ返せ!人生何事もそういうことさ」
「何あいつ!ばばばばばば化け物かよ!」
「だから言ったろー」
「あ、おいてくな!」
ちょっと大きめで鋭利そうな石抱えたくらいでなんだっていうのかしら。か弱い女の子相手に傷つくわ。とか言ってみたりみなかったり。
大人げなくも無事悪ガキを撃退した私は視線を猫にあわせ、私は目を細める。
「大丈夫だった?」
「みゃー」
「はぁ、どうしたもんかな」
自分がおかしいことくらいもうわかっている。
「しかしあんたもついてないわね。犬も歩けばみたい」
「失敬な。我が輩はあんなこうるさい毛玉ではない」
「やっぱあれ?不細工に生まれちゃったから?」
「我が輩の先祖はかの高潔な王室の飼い猫ぞ!侮辱するのも大概にせよ!!」
「冗談だってば、かわいいかわいい」
「目が笑っておらぬぞ」
「うん、この肉球とかぷよぷよしてる下っ腹のあたりなんか最高ー」
「口惜しや!セクシャルハラスメント法はなぜ我が輩を守ってくれんのだ!」
「あはは」
エナが死んでから、私は聞こえるようになってしまった。動物だけってのがまだ救いだけれど……毎日毎日喧しくて敵わない。だから助ける。それがきっと復讐なんかよりエナが喜ぶって思うから。それでもこのやかましさだけは何とかして欲しい。こんなんに囲まれて幸せそうに笑ってたエナはやっぱり凄いと思う。
「そりゃ、寂しくないよね」
「何の話じゃ?」
「んーこっちの話」
人間の友達なんかいなくても彼にはたくさんの友達がいたんだから。私の価値観という物差しが彼を不幸だと思っていただけで。
(私は……寂しいよ)
変人でも奇人でも、エナは私にとって……大切な友達だったんだ。
そういう風になってから、それまで付き合っていた友達も少なくなった。エナに近づくほど、私の友達は私から離れていった。
少し残った人たちも、私の方から離れた。一緒にいても苛つくことが多くて、苦痛にしかならなくなったから。
彼らは私を哀れんでいる。親友のエナを失ったから。人を殺されるところを目撃したから。頭がいかれたと思ってるんだ。噂には尾ひれがついて、悲劇のヒロイン扱いされたり本当にやってらんない。私は完全に狂人扱い。
お情けで付き合ってやってる。可哀想だから優しくしてあげてる。そんな自分はすばらしい。優しい。そんな自己満足のための関係、こっちからお断り。
私は可哀想なんかじゃない。
可哀想なのはエナ。殺されたあの子。
(私は……悲しいだけだから)
「まぁ、その……礼の品だ」
「ん、何これ?」
「裾分けじゃ。馳走になれ」
しずしずと猫が差し出して来たのはどこからか捕まえてきたらしいネズミ。それを受け取りながらどう料理するか考える私。
「生は危ないしなぁ。まぁ折角だし焼いて食うか。砂糖とバターと醤油あたりかければ結構いける?いや……むしろここは丸焼きにして焼き鳥のたれあたりなんかも……」
まぁ、こういうのも悪くないけどさ。
空き地を通りかかった買い物帰りの主婦×2。
「あら嫌だわ。月代さんところの娘さんまたあんなところに座ってスカートであぐらなんかして。はしたないったらないわ」
「昔から男勝りな子だったけど最近酷いわよねぇ」
「男勝りってものじゃないわ!もう野蛮人、原人レベルじゃないこと?あの片手に持ってるのネズミじゃない!不潔だわ!知ってる?ネズミって病原菌を……そうそうそういえばあの子が、犬やら猫やらに話しかけてるところをよく見るわ」
「まぁ、寂しい子ねぇ。友達いないのかしら?それでもせめて彼氏の一人や二人……まぁ無理よねぇ」
「素材は悪くないのにもったいないわ。でもあれじゃあ仕方ないわ。そうねぇ、私が男の子でもお断りだわ」
「うわーうぜー、私が男でもあんなおばはんと付き合いたくないわーいっそ舌かんで死んでやる」
「うむ。煩わしいのぅ、これだから品のない庶民は困る。高尚な趣味を極める財力がない故、あのようなうわさ話に花を咲かせることしか出来ぬ、実に愚かな」
「仕方ないよ。私聴力なんか知らないけどいいし。視力も2,0だし」
「ふむ。それでは一キロメートル先に落とした針を……」
「や、さすがに無理かも。ま、世間の目とか常識とか、そんなん必要なんかないしどうでもいいけどね」
「その方が生きやすいじゃろ。そういうことじゃ。わが輩達が人間に甘んじて従っているのも愛玩されていた方が楽だからじゃ」
「そのわりにあんた迫害されてるよね」
「現代人の美意識の低下、許すまじ」
うん。確かに楽しいよ。彼らは正直だ。エナに似ている。
それでも。それでも、エナにはなれない。
「そういえばお主、何用でここに?」
「んー……家にいてもさ、いいこと何にもないから散歩と称して正義の味方ごっこ。十六の娘のやることじゃないとはわかるけどねー暇なの」
「私は、何もしなくていいんだって。学校もやめさせられちゃったし。ほんとは家に閉じこめられなきゃいけないんだけど、やってらんないから抜け出してきたところ」
「家猫には家猫の幸せがあるというが……外猫が家に閉じこめられるのは苦痛でしかないからのぅ」
「お、わかってるじゃん我が輩」
「それは我が輩の名前ではない!教えたじゃろう我が輩は……」
「だって長いし覚えられないよ。我が輩でいいじゃん」
「…………仕方あるまい。我が輩が懐の大きな猫で良かったのぅ」
家にいてもつまらない。
あの人達は、こうなってしまった私を愛さない。私は家の恥。だから外に出て欲しくないんだ。ほんとう、おもしろいよ。境界を越えてしまえば、もうルールなんか持ち出せない。狂人は人間じゃない。だから私には人権がない。飼い猫と同じ。
昔はへつらったり媚び売ったりかわいい猫らしく振る舞ったこともあったけど。私の変化はは私の中の偽りに耐えられなくなった。今までの常識がいかに歪んでいたか知ってしまったから。
「ね、我が輩の家は?」
「家なぞない」
「どうして?野良?」
「主は死んだ。たまに帰るが、まだ借り家で腐っておる」
「げ、またこのパターン」
「なんだ?」
「いや……じゃ、埋めてもらおうよ。」
「我が輩達に埋葬の風習はない」
「あ、そういやそうだね。どうして?」
「無意味だからじゃ」
猫は淡々と語り出す。
「いつか我が輩が死んでも墓など誰も作らない。それでいいのじゃ。朽ちるとはそういうこと。我が輩は何かの餌になり、廻る。お主に食わせてやっても良いぞ?」
「じゃ私が先に死んだら食べてもいいよ?なんちゃって」
私たちは笑う。我が輩は死に関して淡泊だ。その潔さが、なんとなくいいなと思った。そして我が輩の言葉に私は安堵していた。
無意味さに意味を求めようとする愚かさ。それが人間。
(そっか。じゃ……私はまだ人間なんだろうな)
だって、死者に縋ってる。
「飼い主さん、どんな人だった?」
我が輩の思い出を聞く。
どうやら優しい人だったようだ。最初が捨て猫だったあたりは何となく察した。やっぱり顔か。
「それじゃあやっぱり埋めてもらおう。人間だったなら、たぶんその方が喜んでくれるよ」
*
予想していた。
それでも痛いものは痛い。
彼女は怒っている。
ひとつ、勝手に外に出たこと。
ふたつ、また死者を見つけたこと。
みっつ、私が普通の女の子じゃないことだ。
そんなこと言われても私は私なんだし……ねぇ。言葉遣いを女の子らしく。立ち振る舞いを女の子らしく。
普通の女の子。普通って何さ。普通って言う理由でスカートはけだの字は綺麗に可愛らしく書けだの言葉遣いはああしろだの色はピンクを好きになれだの何から何まで私を縛る。この私ってのも嫌いなんだよね。女ってだけで何もかもが縛られる。そのくせ最初っからさ、誰も“私”なんか見ちゃいないんだよ。常識って言う先入観と偏見で9割以上の私が構成されている。
普通の女の子って……?そこら辺の適当にチャラついてる男と遊んで彼氏作って適当に大学入って適当に就職して適当に結婚して子供生んでくたばれって?そういうの、私の趣味じゃあないんだよね。
枠から外れた私は狂人。誰もがああしろこうしろ上から目線。
まぁ何言われても傷つくような繊細な精神持ってないし?図太い分平気っちゃへいきだし。言葉は私には効かない。でもさ、私も悲しいことに人間なんだよね。殴られれば痛いし、ひっぱたかれれば怪我するわけだ。ああ、クソつまんねぇ。
エナだけだったんだ。私を人間扱いじゃない……私扱いしてくれるのは。
私を叩いたのと逆の手が、私にぶつける袋があった。それを開けろとこの人は言う。
命の重さがこんな音しかしないなんて。そんなに軽いモノだとこの世界は言いたいのか。
(……よっつ目)
彼女はまだ怒っていた。私がそれを話したことを。
そこには首が一つ。私はサロメじゃない。こんなもの欲しくない。そんな風に誰かを好きになったり私はしない。
そこにいたのは我が輩だった。昼間別れた猫がどうしてこんな所にいるのか。
ああそうか……私と話したばっかりに、殺されてしまったのか。エナと同じように。
「……あんた、また外に出たのね。こんな気持ちの悪い猫相手に喋ってたって!しかもいい年して子供虐めたって!何考えてるのあんた!」
「……母さんこそ何考えてるの?」
「あんたのことよ!こんなんじゃ貴女の将来どうなるの!?お嫁さんにだってなれない!誰ももらってくれないわこんな子!」
「食えよ」
怒りに声が震えることはない。そんな生温い温度、とっくに越えてる。私の唸る低い声。獣の咆吼。
「殺したんなら食えって言ってんだよ!」
私の声にこの人は後ずさる。私の異常さにおびえてやがる。
どっちが以上だってのさ。あんたは何もしてないこの子を殺した!生きるためでもなく、この子を殺した!この子の死を、無意味で終わらせるのか?そんなの……私は許せない。理由もなく意味もなく命を奪って良いはずがない。
詰め寄る私に彼女が吼える。人間はいつもそうだ。何かを誰かのせいにして逃げるんだ。人間は嘘を吐く。真実をそうやって塗り潰す。
「あんたのせいで!お母さん達がどれだけ苦労してるかわかってるの!?あんたが普通の女の子じゃないから!変なことばっかりするから!近所からどんな目で見られてるか知ってるの!?知ってるんでしょ!?」
「それじゃあさ、母さんは私も殺すわけ?」
私のたぶん最後の微笑み。それがどう映ったかはわからない。
けれどそれは彼女の逆鱗。人間は衝動的に殺戮の出来る生き物だ。感情を逆撫ですれば、それはこんなに容易いことで。
「あんたみたいな子……生まれてこなければ良かった」
「そっか、奇遇だね」
「私だって生まれたくなんかなったよ」
衝撃。痛み。歯を食いしばれ。私は獣。
獣の誇りを忘れるな。獣は泣かない。どんなに痛くても、誇り高く生きよう。死のう。
笑いながら、微笑みながら私は静かに目を閉じた。
所々既視感。“僕”もそれを感じているはず。
主人公のエナと千里が既にお亡くなりという一話目。二話目からは『エネアロイア』という異世界に飛びます。エナと千里の関係は親友です。男女間を越えた友情というか奇人と変人の友情。どっちも人間嫌いってところが共通しています。
エナは自分が動植物寄りだと考え、千里はフリーダム人間。千里は女の子らしい心を持たず、かといって男らしいかと言えばそうでもない中性的?な心を持ってます。その軋轢に悩まされている感じ。エナに毒され……いえ影響されてそれがおかしな方向に行ってしまったみたいですね。