「アイリーンの導きあれ」~ジレルの説法~
ようこそ。アイリーン教会へ。
寄進でございますか?これはこれはご奇特なことで。
ありがとうございます。
これで、幾人かの孤児たちが救われます。
こちらへどうぞ。
たいしておもてなしもできませんが、お茶でも飲んでいってください。
私ですか?
アイリーン神官戦士を務めるジレル・バーグと申します。
ほう。神々についてお知りになりたいのですか。
茶飲み話程度のものでよろしければ、私がお話ししましょう。
まず、この中央大陸は多神教です。
崇拝する神は国によって違いますが、異国の神を悪魔として貶めるようなことはしておりませんし、信仰を強要したりもいたしません。
信仰心は、ひとりひとりの人の心にあるのですから。
アイリン王国に住んでいるからといって、バール神を信仰してはいけないという理由もありません。
ですが、大聖堂はそれぞれの国にございますから、礼拝するのには不便かと思います。
さて、それではまずは、我が至高神アイリーンのことから。
アイリーンが女神なのはご存じですか?
美しき女神がつかさどるのは、公平さ、誠実さ、親愛、優しさ。このようなものです。
したがってアイリーン神官たちは、それらに至上の価値をおきます。
面白いのは、アイリーンの教えでは「嘘をつくこと」は悪とは見なされないということでしょうか。
もちろん、すべての嘘偽りを容認しているわけではありませんよ。
ただ世の中には「優しい嘘」もある、ということです。
人を癒し、傷つけないための優しい嘘であれば、アイリーンはお許しになります。
他者を許す寛容さ。
他者を思いやる優しさ。
それこそが、アイリーンのご意志なのですから。
「できぬ勘弁、するが勘弁」という言葉もあります。
普通に許せるようなことを許すのは、言わないのです。
とうていどうやっても許せないことを許すからこそ、許すという言葉を使うのですね。
アイリーンには兄がおりまして。
これを、混沌の神アイルと申します。
彼がつかさどるものは、怯懦、堕落、背徳、快楽。そんな感じです。
あまり良い意味のものはないようですね。
アイルは、優しくて聡明な妹を憎んでおりました。
そのせいか、モラルを嘲笑し、誠実さを否定します。
何かを成すための努力を、ひたすら忌避するのがアイルです。
ちなみに、アイルの教会は中央大陸のどこを探しても存在しません。
野心の神バールがつかさどるのは、文字通り野心です。その他、向上心や大志などもそうですね。
バールは「長いものにヘ巻かれろ」という考え方を好みません。
自分の未来を自分で切り開き、野心のためには自らの身も心も灼いて悔やまない人を、彼は愛し庇護します。
バールの神官たちがよく口にする言葉は、
「少年よ大志を抱け」
だといいますが、真偽のほどは判りません。
バールの大聖堂は、バール帝国にありますね。
知識の神ルーンは、アイリーンと最も仲の良い神です。
つかさどるものは、知識、知恵、探求心など。
世界で使われている共通語の母体になったのも、ルーンの言葉です。
ルーン神官が人々に教えるのは、創意工夫。考える、ということに価値をおいています。考察と思考こそがルーンの教えだからです。
ものを考えない人間は、ルーンにことのほか嫌われますよ。
ルーンの大聖堂があるのは、ルーン王国です。
ドイルは豊饒の神です。
つかさどるものは、豊作や豊漁、慈愛や自然の恵みなどですね。同時に自然の厳しさも教えます。
ドイルの神官たちは、自然に寄り添って生きることを人々に説きます。
洒落た言い方をすれば、ナチュラリストというところでしょうか。
ドイルの大聖堂は、ドイル王国にありますね。
豪壮な建物ではないです。
むしろ質素で素朴で、訪れた人は本当にここが大聖堂なのかと疑うそうですよ。
戦の神として知られるのは、セムリナです。
セムリナはアイリーンと同じく女神ですね。
つかさどるのは、文字通り戦と勝利ですが、それは無用に好戦的であるいう意味ではありません。
セムリナは大義名分のない無法な戦いを嫌います。
彼女が庇護するのは、自衛の戦いであり、生きるための闘争であり、自らの権利を守るための戦です。
セムリナの神官たちは、人々に説きます。
「大切なものは自分自身の手で、命がけで守るのだ」と。
また、セムリナは神々の中にあって、比類ない用兵巧者とされています。
人間の軍略家が、セムリナを師と呼ぶのは、それが語源ですね。
ちなみに、大義名分のない無法な戦を「無名の師」といいます。
これも語源は同じです。
使い方は「主君に無名の師を勧めるとはなにごとだ」とか。
そんな感じです。
セムリナ神の大聖堂は、セムリナ公国です。
最後は、海と商売の神フレグですね。
陽気で豪快な神です。ただ、フレグの大聖堂は中央大陸にはありません。
東方大陸はフレグ帝国内に、それは建っています。
フレグがつかさどるのは、航海の安全と商売の成功です。
金運それ自体も庇護していますね。
フレグの神官たちが教えるのは、金銭と物質の大切さ。
変ですか?
そうでもないんです。
金銭には、けっしてできないことがあります。
死者を蘇らせること。才能を手に入れること。
他者の尊敬を受けること。信頼できる友を得ること。
他にもまだまだありますが、これらは絶対にお金では買えません。
ですが、金銭によって世の中の不公正を、幾分かは減らすことができます。
金銭があれば、孤児院を建てることができます。
スラムで生活する人々に教育を与え、社会復帰させることもできます。
人々のための施設を作ることだってできるのです。
金銭や物質を蔑んではいけませんよ。
と、少しお説教がましくなってしまいましたね。
退屈な話だったでしょう。
そうでもなかったですか?
それは、ありがとうございます。
こんな話でよろしければ、いつでも聴きにいらしてください。
そろそろ礼拝の時間ですね。
どうです?ご一緒に。
またの機会になさいますか。それもまたよろしいでしょう。
それでは、お気を付けて。
アイリーンのお導きがあらんことを。