登校
採血は痛いか、痛くないかで言えば、少し痛かった。
とはいえ、声を出したり泣いたりするほどではない……要は我慢できなくは無い。
渡された脱脂綿を採血された腕の付け値にあてて、待合室に戻ってきた私は空いていた背もたれの無いソファに腰を降ろした。
診察が長かったこともあって、渡辺さんを含めたお婆さん達は既に帰宅してしまったらしい。
看護師さんが教えてくれたのだけど、念押しとばかりに交流会を楽しみにしてたと言っていたので、私は曖昧な笑顔で頷いた。
そうこうしているうちに、お母さんがこちらにやってくる。
「お母さん」
「支払いも終わったし、行きましょうか」
「うん」
ソファから立ち上がると、私は話しかけてくれた看護師さんや受付の看護師さんにありがとうと伝えて小森医院を後にした。
採血の検査結果は、専門の機関に送るらしく、3日後くらいにわかるそうだ。
まだ携帯電話も無い時代なので、メールだとか、コミュニケーション系のアプリが存在するわけも無く、何かあれば自宅に電話をしてくれるらしい。
特に問題が無くても、すれ違いが起こらないように、電話はくれるそうで、やはりメールなどの無い時代故なんだろうなと勝手に納得した。
診断結果としては特に問題なしということだったのだけど、念のために栄養剤のような錠剤や点滴を処方できると先生は言っていたが、今の状態で様子を見たいと伝えて断わったので、この後、点滴の淳鉢をしたり、称されたクスリをもらいに薬局に出向く必要も無い。
そんなわけで、お母さんが「それで、凛花、この後はどうするの?」と聞いてきた。
ユミリンやお姉ちゃんも心配してくれているだろうし、私は「すぐに学校に行くよ。受けれる授業は受けたいからね」と答える。
もちろん、私が元の私と入れ替わったときに、授業内容を記したノートが欠けるのを避けるという目的もあった。
なので、私的には少し急ぐ気持ちがあったので、もうお母さんにいいたいことが無いなら向かおうかと思っていたのだけど、思いがけない提案がされる。
「お母さんもついて行こうか?」
「えー……と」
考えてもいなかった提案というか申し出に、言葉に詰まってしまった。
ただ、言葉に詰まったとはいえ、フリーズしたわけではない。
「心配……かもしれないけど、大丈夫だと思う」
お母さんにも家の仕事があるのに、学校まで付いてきて貰うのは申し訳ないなと思ってそう伝えた。
対して、お母さんは「でも、一人は……」ともの凄く心配そうに私を見るので、考えを改める。
「それじゃあ……付いてきて貰っても良い?」
私がそう口にすると、お母さんはニッと笑って「もちろん」と頷いた。
お母さんと一緒に歩く通学路は、それほど会話を交わすわけじゃ無いのもあって、昨日以上に、私の中の『いつも』との違いに気が付いた。
通学路自体は元の私の世界と同じルートながら、見える家の屋根がこの世界では河原だったり、壁が木の板だったり、塀もコンクリートじゃ無くて樹木だったり、郵便受けの横にMILKと書かれた木箱が置いてあったり、道もアスファルト舗装されているところだけで無く、土が露出していたり砂利がまかれていたりと変化の種類は数多い。
出来れば、間違い探しみたいなこの感覚を誰かと共有したかったけど、リンリン様とは簡単に連絡が取れそうにないので、諦めるしか無かった。
ただ、私の想定というかイメージした内容とは違ったけど、お母さんが昔はここに何があったとか、ここは畑だったとか、今よりも更に昔の時代との違いを教えてくれる。
私自信は今の状況も新鮮というか驚きの多い光景なのに、更に昔を聞くのは面白いというか、不思議な感じがした。
ただ、同時に三つの……いや、京一の記憶も含めれば、四つの光景を重ねてみているような感じがして、かなり特殊で特別な体験をしているんじゃ無いかと、テンションが上がってしまう。
そうして気が付けば、お母さんの学生時代の話を聞くことになった。
お母さんも私の来ているのと同じセーラー服を着ていたり、今はマンションになっている場所が、昔は空き地で、紙芝居屋さんが来ていたという話もしてくれる。
金属のボウルを抱えてお豆腐屋さんを追い掛けた話とか、お爺ちゃんがメンコの達人だったとか、少し昔の日常も教えて貰った。
資料でしか知らなかったことを、生の言葉で聞けたということに、私はもの凄く興奮してしまう。
お母さんが笑いながら「ちゃんとお話ししてあげるから、落ち着きなさい」と言うくらいだったので、だいぶ暴走してしまったみたいだ。
けど、自分の知る街の昔は思った以上に魅力的で、お母さんの臨場感のある語りもいけないと思う。
私がその事を指摘すると、お母さんは「あら、人のせいにしてはダメよ、凛花ちゃん」と切り返してきた。
「むぅ~」
言葉に詰まって唸った私の頭をサッと撫でて、お母さんは「でも、凛花がお母さんの子供の頃に興味を持ってくれたのは嬉しいかな」と言う。
そして、一拍置いてからお母さんが続けた言葉が何故か、ズンと心に響いた。
「誰かが知っていてくれないと、ただ消えていってしまうだけだからね」




