エイミーとして
ベスの深刻そうな顔から漏れた『怖い』という言葉を耳にした私は、思わず「怖いって、何が?」と聞いてしまった。
私の問い掛けに目を様寄せてから、ベスは溜め息交じりに「その……ローレンスさんが……」ともじもじしながら言う。
その様子を見て私も溜め息を吐き出してしまった。
「ほんと、ベスの人見知りにも困ったものねぇ」
私がそういった直後、普段のベスからは考えられない速度で視線がこちらに向く。
振り向く勢いと視線の鋭さに、声が飛び出ないようにキュッと唇を噛んで、どうにか踏み止まった。
私と視線がかち合ったベスは「じゃ、じゃあ、エイミーは、怖くないの?」と上目遣いで聞いてくる。
「こ、怖いわけ、無いじゃない……お、お隣さんだもの」
なるべく声が震えないように、ベスに疑われないように、全力で断言して見せた。
「なら、エイミー、一緒に行って頂戴」
必死な表情でベスにそう言われて、私は頭の中が真っ白になってしまう。
私がすぐに返答できなかったからか、ベスは「お願いよ」と言って顔を近づけてきた。
上目遣いの人見に少し涙がにじんでいるように見える。
その顔を見てしまった以上『もちろんよ!』と返して、ベスの笑顔を引き出したいという思いがこみ上げてくるのだけど、思いとは裏腹に声が出なくなってしまった。
理由は考えるまでもない。
「ご、めん、ベス」
私の言葉を耳にしたベスは首を傾げた。
無理もない、急に謝罪されて意味がわかるわけが無い。
恥ずかしい気持ちで、頬が熱くなるのを感じながらも、私はベスと一緒にローレンスさんの家に出向く姿が想像できなかった。
その代わり、はっきりと自覚できたのは、私もローレンスさんが怖いということである。
ベスに付いていってあげたいけど、正直、私には無理だ。
だから「ゴメン、ベス、私もローレンスさんが怖い……かも」と素直に告白する。
直前と真逆のことを言ってしまった情けなさで、私は視線を落とした。
私が視線を落として少し、ベスは「そう」と小さく呟いた。
そのたった二文字が、チクリと胸に痛みを感じさせる。
何か言わなきゃと思って、顔を上げたタイミングで、バッチリとベスと視線が交わった。
「本を見せて、わからないと転がったのでしょう?」
視線の先にはいつもの優しいベスで、その顔には怒りも呆れも浮かんでいない。
ただただ普段通り過ぎて、私は「どうして?」と聞いてしまった。
「ん?」
首を傾げるベスに、私は「だって、その、ローレンスさんの家に、ピアノを弾きに行きたいんじゃ無いの?」と尋ねる。
ベスは「弾きに行きたいわ」と頷いた。
「それなら……」
私がそう口にしたところで、それを遮るように首を左右に振ったベスが「でも、エイミーは怖いのでしょう?」と言う。
「それは……」
ちゃんと答えなくてはいけないのはわかっているのに、様々な気持ちが混ざり合ってしまったせいで、それ以上声を発することが出来なくなってしまった。
そんな私に、ベスは「ローレンスさんがいい人なのもわかっているし、お孫さんの代わりにピアノを弾いて欲しいと言ってくれたことも、何よりあの素敵なピアノに触れられることも嬉しいけど……やっぱり、怖いなって思ってしまうのだもの、仕方ないわよね」と困った顔で言う。
「目的もやりたいこともある私がそうなのだから、エイミーが怖いと思うのもわかるなと思ったの」
どこか悲しそうに言うベスに私はキュッと胸が苦しくなるのを感じながら「それじゃあ、諦めるの?」と力になれそうにない自分を申し訳なく思いながら尋ねた。
すると、ベスは「ジョーに頼もうと思うの」と言う。
確かにジョーならローレンスさんを怖いなんて思わないだろうし、ベスに付き合うのも嫌とはいわないだろうなと思った。
最良の解決策だと思う心のどこかで、その役を務められなかったという事実が苦い。
唇を噛んだ私を見ながら、ベスは「ありがとう、エイミー、それとごめんね」と優しく声を掛けてくれた。
それだけで泣きそうだというのに、ベスは柔らかく笑いながら私に掌を見せる。
「さ、本を見せて頂戴」
ベスの底なしの優しさに、私の胸はもの凄く締め付けられた。
「ベスの方が向いていると思ったけど、エイミーの方が入り込めてたみたいね」
オーディションが終わって最初に声を掛けてくれたのは千夏ちゃんだった。
春日先輩の合図の拍手で、凛花へと意識を切り替えることは出来たのだけど、どうやらエイミーの感情を引き摺ってしまったらしい。
自分が情けなくて、力不足が悔しくて、視界が涙で歪んでいた。
横から見てもそれがわかるのだろう。
千夏ちゃんは自分の身体が壁になるように私の前に立ちながらこっそりハンカチを手渡してくれた。
それから私の耳に口を寄せて「プロの女優さんでも、演じた人物の気持ちが抜けきらないことがあるみたいだから、仕方ないよ」と囁いてくれる。
「それに、私だけじゃなくて、皆もわかっているから、気にしないで、ね」
千夏ちゃんはそこまで言うと、微笑んで距離を取った。
結果、皆の視線を遮っていた千夏ちゃんが下がったことで、私に向く優しさに満ちた眼差しに気付かされる。
急に温かな視線を目にした戸惑いと、わかって貰えている嬉しさと、反面、状況が筒抜けだという事実の恥ずかしさで頭が真っ白になってしまった。




