二人だけの会話
「そ、そんなに笑うことでしたか?」
少し茶目っ気を込めた返しを大笑いされてしまうのは、流石に恥ずかしいものがあった。
ついつい拗ねた気持ちになってしまう。
「不意を突かれてしまったからであって、別に凛花ちゃんを馬鹿にしたわけじゃ無いわ。まさか西遊記が出てくるなんて思わなかったんだもの」
困り顔で言う松本先輩は「だから、そんなに口を尖らせないで」と続けた。
拗ねた気持ちになっていた自覚はあったものの、態度に出ていたとは思っていなかったので、私は慌てて両手で口元を覆い隠す。
「そういう反応が可愛いのよねぇ」
松本先輩は私の反応を見て思いっきり溜め息を吐き出した。
一方、そう言われてしまった私の方は恥ずかしさで顔がカッと熱を持ってしまう。
身体が熱くなってしまった私に顔を近づけた松本先輩は、声を潜めて「もう言わないから、深呼吸して気持ちを落ち着けて」と言いながら私の頭を撫でた。
口を押さえたまま、やや顔を上げると、松本先輩とバッチリと視線が交わる。
私を見詰めて、松本先輩は「ね?」と柔らかく口元を緩めた。
「周りの言葉に強く反応してしまう凛花ちゃんには、まー子の演技の切り替えが凄く合っていると思うわ」
私が落ち着いたところで、松本先輩はそう断言した。
正直なところ、別人に成り代わることで、自分自身の動揺を抑えるというのは、赤井先輩自身が使っていたある種のテクニックなので、とても頷ける。
とはいえ、それは赤井先輩レベルに昇華していたらの話で、昨日使い始めた私の付け焼き刃では、ほとんど意味を成さない……というか、実用に達してないのだ。
その点を交えながら、私は松本先輩に答えを返す。
「確かに、赤井先輩みたいに自在に使いこなせれば、かなり改善できると思うんですけど……まだまだ、実用性が足りないというか、使いこなせないというか……」
松本先輩は私の話に何度も頷きながら聞いてくれた上で「まあ、いきなりマスターできたら、苦労はないわね」と苦笑した。
「はい。私もそう思います」
頷いた私が顔を上げるのを待っていたのか、松本先輩は視線が合ったところでニッと笑う。
「え?」
思わず声の出てしまった私に、松本先輩は「凛花ちゃんが、自分に合ってて、まーこの切り替えを自分のものにしたいって言うなら、多少は協力できるかもしれないわ」と言って笑みを深めた。
「ほんとう……ですか?」
決して疑っているわけじゃ無いけど、松本先輩がどんな協力をしてくれるのか見当がついていなかったのもあって、聞き返した言葉に疑問符がついてしまった。
松本先輩は「まー子の特訓に付き合ったからね。その時のことを参考にしたら、助けになると思わない?」と言う。
私は気付けば、素直に「思います」と頷いていた。
「じゃあ、今日の練習は、凛花ちゃんの切り替えの技術強化に充てましょう」
サラリと松本先輩の提案に、頷きそうになった私は、その直前で踏み止まる。
「待ってください、松本先輩」
「ん?」
私がストップを掛けるとは思っていなかったのであろう松本先輩は、少し不思議そうな顔をしてこちらを見た。
「あの、私は助かりますし、技術が身につくのは嬉しいんですけど、松本先輩の練習にはなら無いんじゃ無いですか?」
松本先輩は、先輩であって、先生では無い。
演劇部の部員としては先輩で、演技も上手いとは思うけど、自分の練習時間を私に全て割くのは違うと思った。
だからこその質問だったんだけど、松本先輩は驚いた表情を浮かべて固まってしまう。
そこから少し間を置いて、松本先輩は「先に謝っておくわね」と口にした。
「へ?」
間の抜けた声が口から漏れた直後、私の顔は松本先輩のセーラー服の胸元に沈み込む。
「凛花ちゃんに気遣って貰ったって思うと、胸がキュンとして抱きしめたくなっちゃうわ」
そう言って私の後頭部を人撫でしてから、松本先輩はサッと解放してくれた。
「ごめんね急に抱きしめたりして、かなにとダメ出しできないわね」
苦笑交じりに言う松本先輩に向かって「そんなこと無いです」と言って首を左右に振る。
正直、抱きしめられてからの解放が早くて、ちょっと物足りないなと思ってしまった自分を祓い飛ばしたくて、無意味に首を左右に振る動きに力が入ってしまった。
「あの、松本先輩、かなさんはその……」
「三橋かなで、あだ名で適って呼んでるの」
「やっぱり三橋先輩だったんですね」
なるほどと思いながら頷いていると、松本先輩が「ちゃんとフルネームで覚えてるのね……というか、ちゃんと苗字で呼んだ方が良いわね。まー子の時もちゃんと説明しなくて、ごめんなさいね」と申し訳なさそうな表情を見せた。
「あ、いえ、わからなかったら聞きますから、気にしすぎないでください」
「そう?」
「はい」
「じゃあ、お言葉に甘えるわね」
松友先輩はそう言うと軽く咳払いをして仕切り直すのだと示す。
「改めて、さっきの私の練習時間の話をするわね」
そう言えばそんな話の途中だったなと思うと同時に、いつの間にか自分の意識から消えていたことに自分の流されやすさを痛感した私は「はい」と、一言だけ返した。




