失念と記載
「それじゃあ、申請用紙に記入して、原稿を見せて貰えますか?」
スーツの先生にそう言われて、私たちは思わず顔を見合わせた。
そう、台本の複製に来たというのに、よりにもよって原稿を持ってきていなかったのである。
誰かが言わねばと思ったところで「篠田先生、これです」と言いながら、まどか先輩が紙の束を手に姿を見せた。
「天野さん、見せて貰って良いですか?」
篠田先生と呼ばれたグレーのスーツを着た先生は、まどか先輩にそう言いながら手を差し出す。
「これ、書き直しが必要ですか?」
まどか先輩は持ってきた紙の束を手渡しながら、そう尋ねた。
篠田先生は紙束を確認した上で「この程度白ければ、印刷は出来ると思います。多少潰れは出るかも知れませんが」と返す。
「ということだけど、それで良いかな?」
まどか先輩が私たちを見ながらそう尋ねて来た。
この場で責任者と言えば、やはり二年生のかなで先輩だろうと思って視線を向ける。
すると、かなで先輩は「説明は私がしますから、姫さまの好きなように決めてください!」と切り返してきた。
何を言っても駄目そうなキラキラと輝く目に、助けを求めるように茜ちゃんを見る。
「私も姫様の選択を指示しますぅ」
笑顔で断言する茜ちゃんに、私は半ば諦めて、ニコニコしてこちらを見ているまどか先輩に視線を戻す。
一旦、持ち帰って、金森先輩達に相談するという選択肢もある……が、ここは独断で決めてしまうことにした。
「文字が潰れてしまっても、そこは原稿と比較しながら、後で部内で共有するので、印刷をお願いしても構いませんか?」
視線を向けつつそう尋ねると、篠田先生は「わかりました。それじゃあ、印刷機使用の申請書を書いて貰って良いですか?」と言うので、私は「はい」と答える。
印刷室の中に戻っていった篠田先生は、間をおけずに印刷申請書と題された用紙を手に戻ってきた。
「えっと、原稿の枚数は……」
申請用紙を見ながら私がそう呟くと、かなで先輩が「まどか先輩、枚数数えるんで一旦預かっても良いですか?」とまどか先輩に尋ねた。
「もちろん」
笑顔のまどか先輩から原稿用紙を受け取るなり、かなで先輩は素早く枚数を数え始める。
上級生と下級生という本来との立場との逆転ぶりに、思わず指摘しそうになったけど、どうにか踏み止まった。
篠田先生を待たせているのもあって、書類をまずは完成させようと思い、まどか先輩に質問をする。
「まどか先輩、何部あればたりるでしょうか?」
「あー、そうだね。複数人で回し読みするのを前提に10部くらいかな」
「ありがとうございます」
「いやいや、わからないことは遠慮なく聞いてよ。後輩の疑問に答えるのは、先輩にとっては当たり前の事だしね」
まどか先輩に笑顔でそう言ってもらえた私は「ありがとうございます」と返して、記入を進めていった。
「えっと、まどか先輩」
「なにかな、姫?」
少し身体を反らして書いている書類を見せながら「申請者はお姉ちゃんとかにした方が良いですか?」と尋ねてみた。
「いや、今回は姫の名前で良いよ」
サラリと返してきたまどか先輩の発言に、私は少し慌てて「いや、印刷室に着た人間の名前を書くと言うことなら、まどか先輩とかかなで先輩の方が良いんじゃ無いかと思うんですが!?」と返す。
対してまどか先輩は、かなで先輩に振り返りつつ「と、姫は行っているけど?」と話を振った。
「私は、ただの姫さまの付き添いなので、姫さまのお名前を記載して、全く問題ないと思うのですが?」
真顔でそう言い放つかなで先輩の言葉からは、冗談の気配は感じられず、本心で言っているというのがもの凄く伝わってくる。
更にチラリと茜ちゃんを見れば「私も、姫さまでいいよぉ~」と呼び方まで便乗してきた。
ここで、ごねても仕方が無いので、篠田先生に「あの、私、一年生何ですけど、名前を書いて問題ないでしょうか?」と確認してみる。
「申請に着た代表者がわかれば良いので、学年は気にしなくても良いですよ」
篠田先生からそう返答を貰ったので、申請者に私の名前と、所属組織に『演劇部』と記載して、更に申請理由に『新人戦用演目選定のための、過去上映作品の台本の複製』と書き込んだ。
「おー、申請理由も過不足なさそうな表眼だね」
私の記入内容をのぞき込みながらまどか先輩がそう言って笑う。
「書類も完璧だなんて、スゴイですね、姫さま!」
かなで先輩がもの凄く声を弾ませ、茜ちゃんが「優秀なクラスメイトを持つとなんだか自分のことのように鼻が高いねぇ」と何故か満足げに熱の籠もった息を漏らした。
最後にかなで先輩に数えて貰った拳固雲母枚数を記載して、書き上げた書類に抜けが無いことを確認する。
そこに原稿を重ねて、篠田先生に手渡した。
「篠田先生、これで確認お願いします」
すると、篠田先生は書類を確認すること無く「それじゃあ印刷をするので、中へどうぞ」とドアを開く。
「あの、書類のチェックは良いんですか?」
チェックしなかったことに少し驚きながら尋ねると、篠田先生は「描いているところを見せて貰っていたので、問題なしですよ」と、フッと柔らかく笑って見せた。




