教室へ
2階の階段の前で千夏ちゃんはギュウッと両手で私の手を握って「じゃあね、凛花ちゃん。また後でね」と、今にも泣きそうな顔をしていた。
私は「うん。後でね」と返すのだけど、千夏ちゃんは手を離してくれる気配が無い。
教室の配置の都合で、私たちのクラスは三階、千夏ちゃんのクラスは二階なので、ここで分かれるのは当たり前なのだけど、何故だか今生の別れみたいな雰囲気になってしまっていた。
まあ、ここが作られた世界だからと言うのもあるだろうけど、私たちの横を通り過ぎる生徒はいないし、教室から顔を出してこちらの様子を見るような生徒もいない。
とはいえ、刻一刻と時間は過ぎているので、さすがにずっとこのままと言うわけにはいかなかった。
「おいおい、チー坊、いつまでもそうしてたら、リンリンが遅刻しちゃうだろ?」
私の横から顔を出したユミリンの発現に、千夏ちゃんは「うっ」と呻く。
ようやく千夏ちゃんの手が離れて、その顔に寂しそうな表情が浮かんだ。
別に、何かをしたわけじゃ無いけど、その表情を見るだけで、もの凄く罪悪感が湧いてくる。
懸命に頭を働かせて、私は自分の左右の耳の上で結ばれた髪の房に触れた。
「千夏ちゃん」
私が呼びかけると、千夏ちゃんの顔が上がり私の方へ向く。
ツインテールに触れながら「お昼は一緒に食べよう!」と告げた。
すると、千夏ちゃんは自分の、私と同じ髪型のツインテールに触れて「うん」と頷く。
それから、目をウルウルとしながら「また後でね」とバッと両手を左右に広げた。
多分、間違っていなければ、ハグを求められているんだろうなと察して、私は歩み寄ると千夏ちゃんの方から抱き付いてきて、想像が間違っていなくて良かったと安堵する。
その後で、千夏ちゃんだけに聞こえるように声を潜めて「それじゃあ、後でね。千夏お姉ちゃん」と、昨日の双子ごっこの延長のつもりで声を掛けた。
すると、私に抱き付いていた千夏ちゃんの腕に力がこもる。
しばらくそのまま抱きしめられた後、千夏ちゃんの腕が解かれた。
「何かあったら、ちゃんと凛花ちゃんを護るのよ?」
千夏ちゃんは片手を腰に当てて、人差し指をユミリンに向けながらそう言い放った。
ユミリンは苦笑しながら「学校で護るような事態が起こるとは思わないけど……わかった」と返す。
その返事に満足したのか千夏ちゃんは「ホント、任せたからね」と小さく呟いてから、後ろ向きに数歩下がった。
「じゃあね、凛花ちゃん……ユミもまたね」
ユミリンの呼び方が変わったことにちょっと驚いたけど、きっと千夏ちゃんの心境に変化があったんだろうなと思い、敢えてスルーして「うん」と返して手を振る。
ユミリンも「後でなー」と返して、私たちは三階へと向かって昇り階段に向かった。
朝の喧噪はあるのに、廊下には生徒の姿は無かった。
途中にある教室の前を通りすがるタイミングで中を覗けば、既に皆が席に着いていて、授業中かとちょっと焦る。
ただ、時間はまだまだ始業には時間があるし、リーちゃんが『情報量が多くなった結果、処理しきれなくなってきているのかも知れぬ……例えるなら『処理落ち』じゃな』と見解を示してくれたことで、意識をそちらに向けられたからか、落ち着くことが出来た。
最初は掃除の時の男子だけだったけど、今日の校門の先生方との会話や今の教室の状況を見るに、この世界の人を勝手に動かせるだけの余裕がなくなってきているのかもしれない。
この状況に対するリーちゃんの『処理落ち』という表現は、実像を的確に捉えている気がした。
『ねぇ、リーちゃん』
『何じゃ、主様?』
『このまま、この処理落ち状態が続いたら、世界は止まってしまう?』
私の不安に対して、リーちゃんは『まるで確証があるわけでは無いのじゃが……少なくとも主様に何かを見せる目的がある可能性が高い故、その何かに係わる者に関しては大丈夫ではないかとは思うの』と言う。
『そもそも、主様を取り込むだけならば、この世界を作る必要も、過去を再現する必要も無いわけじゃ。それこそ、元の世界で、東雲の小僧に、主様が深い愛情を注がれる状況を……』
「すとーーーっぷ!!!」
思わず、声に出してしまったことで、ユミリンが「なに? どうしたの、リンリン」と驚いた様子で振り返ってしまった。
「あ、いや、えっと……」
上手く言い訳が思い付かず、シドロモドロになってしまう。
結果、ユミリンが眉を寄せた顔を近づけながら、私の様子を覗ってきた。
「な、何でも無い、何でも無い……よ?」
自分でも全く説得力の無い言葉にユミリンが納得するわけも無く、ジッと目を見られてしまう。
ここで何か説明しようとしても、成功する気が全くしなかったので、私は荒技を使うことにした。
「さあ、遅刻しちゃうから行きましょう!」
ユミリンから逃げるように教室へ向かって歩き出す。
「ちょっと、ストップって言い出したのはリンリンだよね?」
その通りですと、心の中で頷いて申し訳ない気分になりながらも、私はリアクションをせずに教室に向かって突き進んだ。