千夏ちゃん
『勉強してる範囲がわかれば、のぞきに来たことは証明できるかな?』
私の考えを、リンリン様が『そうじゃのぉ』と緩く肯定してくれた。
『それとも、もう少し様子を覗って、印象的な会話が起こるのを待ってみる方が良いかな?』
『そうじゃのぉ』
リンリン様が全く同じセリフで返してきたことに、思わずジト目になる。
『ちょっと、リンリン様、投げやりになってませんか?』
私の問い掛けに対して、リンリン様は矢山を開けてから『そうじゃのぉ』と同じ言葉で返してきた。
流石に、同なのと思ってしまった私はもう一度名前を呼ぼうとしたタイミングで『主様、自分で判断して欲しいのじゃ』と言われる。
『自分で判断する?』
意味がわからず聞き返すと、リンリン様が『この先を聞くかどうか、未だ様子を覗うかどうか……を、じゃな』と口にした直後、別の人の声が端末から流れてきた。
『あの、凛花ちゃんのお母さん……その、凛花ちゃんは……大丈夫なんですか?』
声は千夏ちゃんのものだった。
学校や帰路で見た快活さは消えてしまっていて、消え入りそうな細い声は、消去法で推測しないといけないくらい別人のように聞こえる。
そんな千夏ちゃんの問い掛けに答えたのは、お姉ちゃんに声が似ているけど、多分お母さんだ。
『千夏ちゃん、心配してくれてありがとう。病院で話したとおり、身体には異常が無さそうよ』
『……そう、ですか』
声しか聞こえてないけど、それでも千夏ちゃんが震えているのがわかる。
聞いているだけなのに、思わず手を差し伸べたくなるような声だった。
それはお姉ちゃんも一緒だったようで『千夏ちゃん……何かあるのね?』と踏み込む。
が、そこで会話は止まってしまった。
『リンリン様?』
何かあったのか、それとも、誰も発言していないのか、あるいは先ほど聞いていた続きを聞くかどうかがこの先のことなのか、いろいろな可能性を思い浮かべつつ呼びかける。
対してリンリン様は『誰も発言していないのじゃ』と簡潔に答えてくれた。
一応、私は『続きをお願いします』と伝える。
リンリン様からは『うむ。止めるときは伝えるのじゃ』と返ってきた。
さっきリンリン様が先を聞くかと聞いてきたのは、内容を聞いたからではなく、雰囲気の変化を読み取ったからのようだった。
お勝手(台所)での水仕事を終えたお母さんが皆にいる居間に入ったことを切っ掛けに、千夏ちゃんは気持が爆発してしまったんだと思う。
そして、どんな感情がどうして爆発したのかが、この先の言葉にあるのだと、私は予測していた。
リンリン様がどこまで読んでいたかわからないけど、千夏ちゃんがこれから口にする言葉は、あくまで居間に私がいない前提で話される。
つまり、常識で考えれば、私は聞いていない話になるので、ここから先、聞き続けるのは、盗み聞きに他ならないということだ。
そうとなれば、リンリン様の提案してくれたここで辞めるという選択もあり得る。
ただ、私も千夏ちゃんに何かあるのならフォローしたいと思うし、知らなければそれも叶わないことだ。
ちゃんと聞いたことを伝えて、謝罪しようと心を定めたところで、丁度千夏ちゃんが『私……』と口を開く。
聞き逃さないように、目を閉じて、消え入りそうなほどか細い千夏ちゃんの声に意識を集中した。
『お母さんが……病気で……』
千夏ちゃんの声に鼻を啜る音が混じり始めた。
『お母さんのこと、思い出しちゃったのね?』
優しい声でお母さんがそう問い掛けると、千夏ちゃんは堰を切ったように大きな声で鳴き始める。
それだけで、千夏ちゃんのお母さんが良い状況でないことがわかってしまった。
ひょっとしたら、もう……ということもある。
鳴いている千夏ちゃんをきっと皆がフォローしてくれているのはわかるけど、この手が届かないのがもどかしかった。
泣いたことで落ち着いたのか、千夏ちゃんは『泣き出したりして、ごめんなさい!』と強めの声で謝罪を口にした。
お姉ちゃんとお母さんが優しく大丈夫と声を掛ける中、ユミリンが『いつもは夜一人なんでしょ? いつも良枝お姉ちゃんのウチに泊まれるわけじゃないんだから、出し切って起きなよ、涙』とぶっきらぼうに言う。
その後で大きな溜め息が吐き出された。
続けざまに『私も泣かせて貰ってから、夜一人でも楽になったから、チー坊もそうしなさいよって言ってるの!』というユミリンの発言で、彼女が溜め息の主だと察する。
と同時に、命令口調なのにとっても優しい言葉に、思わず笑ってしまった。
『事情を全部察せられたわけじゃないけど、ユミリンと千夏ちゃんの距離が近づきそうで安心した……聞いて良かった』
私がそう感想を口にすると、リンリン様から『そうじゃのぉ』という聞き慣れた返しがされる。
リンリン様の返しに苦笑したところで、千夏ちゃんがポツポツと話の続きを口にし始めた。
千夏ちゃんの話によれば、彼女のお母さんは健在らしいのだけど、かなり悪いらしく、その治療のために専門の病院に入院する必要があった為、元の住まいから、父親の実家に近いこの街に引っ越してきらしい。
医療費がかなり高額なこともあって、父親は仕事漬けになっていて、手助けをして貰うはずだった父親の母親、千夏ちゃんの祖母もタイミング悪く入院してしまったらしく、実質一人暮らしになると共に、千夏ちゃんは病院に恐れを感じていたようだ。