お誕生日おめでとういちじく
誰もいない静かな部屋で、誕生日がおとずれるたびに、わたしは二つのいちじくをこつんとぶつけてこう言うのだった。「お誕生日おめでとういちじく」と。
皮をむくのは昔から苦手だ。身にへばりついた皮は爪の先でむいている途中で必ずぷつんと切れてしまう。しかも、ようやくむき終わっても、口に含んだ瞬間に思うことはきまっている。「青臭いな」と。
だが次の瞬間には、いちじくはどんなお菓子よりも甘く感じるのだった。ミルクたっぷりのチョコレートよりも、生クリームをふんだんに使ったケーキよりも。
いちじくには幸せな思い出が凝縮されていた。
母の大好物がいちじくだった。だからわたしはいちじくを食べると母を思い出し、また、母を思い出すといちじくを食べたくなった。
それでも誕生日のいちじくは特別で、母のことを懐かしく思うとき、決まってわたしは十歳の誕生日に食べたいちじくの甘くとろける舌触りを思い出すのだった。
*
我が家は母一人子一人の、分かりやすいくらいに貧しい家庭だった。母は朝から晩まで働いていたが、それでも生活はかつかつだった。朝、母はわたしの登校に合わせて家を出て、そして夜はわたしが一人お留守番をするのに飽きた頃に戻ってくるのだった。
ドアを開けた母がまず言うことは決まっていた。
「ただいま。遅くなってごめんね。お腹すいてない?」
それにわたしが返す言葉も決まっていた。
「ううん。大丈夫」
すると母は見るからにほっとした表情になるのだった。ようやく肩の荷が下りた、といった具合に。母にとって、外で金を稼ぐこととわたしにご飯を食べさせることは、どちらも同じくらいに大事なことのようだった。
だが当時小学四年生のわたしは嘘をついていた。
本当は空腹でたまらなかったのだ。
小学生の胃は小さいし、体育なんかした日には母が帰宅するのを今か今かと待ち構えていたのである。
もちろん、貧しい我が家にもおやつはあった。だがそれは自分でレンジをチンして蒸かした芋とか、食パンにマーガリンを塗ったものとか、そんな食事の延長のような簡素なものばかりだった。
当時のわたしは幼いながらに外の世界が少し見えるようになっていた。たとえば日本が世界有数の恵まれた国で、自分の家は世界レベルで見ればやはり恵まれているということを知っていた。しかし、この国において我が家は相当に貧乏なことも知っていた。同級生とは生活レベルが違うこともはっきりと自覚していた。
たとえば、おやつ。
パリパリのポテトチップスや甘くてほろ苦いチョコレートは当時のわたしにとっては夢の世界の食べ物だった。だが同級生はその夢の世界の甘美な食べ物を大したありがたみもなく腹に収めていた。日々の会話の端々から得られるそれらの情報はわたしのやわな心をちくちくと刺した。だから空腹を満たすためだけの食べ物をむなしく思うようになってしまったのは仕方のないことだった。……そうあの頃の自分をかばってやってもいいだろうか。
*
帰宅した母はお決まりの会話をすると、まずたるんだ黒のカバンを靴箱の上に置く。次に何年も着ている色のあせかけた黒のジャケットを脱ぐと、これまた着古したシャツを腕まくりして台所に立つのだった。といっても、母が用意する夕食は簡単なものばかりだった。特に平日はそれが顕著だった。
まず週末に煮付けておいたもの、魚か根菜が必ず出た。それにさっと湯がいただけの葉物だ。ほうれん草だったり小松菜だったり。そうでないときは水菜とか、キャベツの千切りとか、きゅうりとか、つまり緑色の生野菜がでた。あとは肉か豆腐だ。肉といってもハンバーグすらめったに出ない。鳥の胸肉、豚の細切れ、そういったものだ。
他に、週末に炊いておいたご飯を冷凍庫から出してレンジで温めて、数日に渡って使いまわす汁物の鍋に火をかけて、夕食はあっという間に完成するのだった。
それらを母はテキパキとちゃぶ台の上に並べるのだった。
「遅くなってごめんね」
座りながら母が同じ台詞を繰り返すのもいつものことだった。
そういう時の母の眉は必ず少し下がっているから、やはりわたしは空腹を押し殺して「全然大丈夫」と答えるのだった。
しかし幼いわたしの心は正直で、目の前に置かれた代わり映えのしない食事にがっかりしていたことを覚えている。こんな食事を口にしなくてはいけないなんて自分はかわいそうな女の子だ、とも思っていた。けれど、
「じゃ、食べよっか」
そう言う母は決まって笑顔で、わたしも負けじと笑ってみせるのだった。
夕食中の話題もこれまた判を押したように決まっていた。
「美子ちゃん、今日は学校はどうだった?」
どうだったか。
親にそう聞かれて本当のことを言える子供がいるのだろうか。
そんな悪態を心の中でつぶやきつつ「楽しかったよ」と答えるのが当時のわたしだった。それに見るからにほっとする母のことをわたしは内心小馬鹿にしていた。母に好きとか愛しているとか、そういう感情以外のものも持てることを知ったのもこの頃だ。
「勉強はどう?」
「大丈夫だよ」
「お友達とはどう?」
「仲良くやってるよ」
しばらく当たり障りのない会話をしつつ、わたしはすかすかの胃に緑色の野菜と茶色の煮物を詰め込んでいくのだった。母はわたしの模範返答にいつも満足そうにしていた。
母には特技があった。それは何をするのも早いということだ。
食事を作るのも早いが、食べるのも早かった。ものの五分で完食し「ごちそうさま」をしてしまう。まだわたしが半分も食べ終えていないのに、だ。そして母は食器を台所にひとまず置くと、わたしが学校から持ち帰ったプリント類をちゃぶ台の空いたスペースに並べ、一つずつチェックしていくのだった。
たとえば算数のドリルの丸付けすら、母は後ろの方に載っている回答を見ることなくすらすらとこなしていった。小学四年生に戻れたら、きっと母は優等生としてもてはやされたことだろう。そんな馬鹿げた想像をし、母を少しかわいそうに思ったりしたこともある。
ただ、そんな母でも動きが止まる時があった。それはお金が必要な時だった。毎日のプリント類の中には、不意打ちのように金銭を要求する文書が紛れ込んでいたからだ。それを見つけるたびに母は手を止め何やら考えこむのだった。
社会の様々なことが見えるようになってきた当時のわたしには、母の考えていることはすぐに分かった。小学生はとにかくお金がかかるのだ。
給食費はまだいい。だが裁縫セットとか定規とか、彫刻刀とか、いちいち新品を学校経由で買わなくてはいけない雰囲気が当時はあったのだ。今はどんなふうなのかは知らない。だが、わたしが小学生の頃は、兄弟がいるからといってお古を持ってくる子供は皆無だったのだ。たかが数百円、数千円くらい出せるだろう。そう顔の見えない誰かに暗に脅されているかのように。
それでも、まだ当時のわたしは社会のことを少しずつ理解していく途上にあった。つまりまだ幼かったのだ。人と違うことに恥を覚え、母に寄り添うことをしようとも思わなかった。だから母の悩まし気な表情を見るたびに「そのくらいどうにかして工面してよ」と、わたしは不満を覚えたのだった。
ある日の夕食で、母が普段と違う話題をふってきた。
「そういえば、そろそろ美子ちゃんの誕生日よね。何か欲しいものある?」
わたしは思わず母の顔を見つめていた。
母はわたしと視線を合わせると柔らかく笑った。
きゅん、とわたしの中にある子供の心が震えた。
「じゃあ、チョコレートが食べたい。板のチョコレート」
実はわたしは板チョコというものにずっとあこがれていた。
スーパーのレジ前にわざとらしく並べられている赤や黒のパッケージのシンプルな板チョコ、百円ちょっとの板チョコに一度でいいからかぶりついてみたいと、淡い欲求をずっと抱えていたのである。レジ待ちの行列で、お手軽な買い物のように板チョコを掴んでカゴに入れる人々をいつもうらやましく思っていた。
誕生日と言えば普通はケーキだろう。だが我が家ではどう転んでもケーキは無理だった。いや、一個百円の冷凍品の特売ケーキならなんとか買ってもらえる。だがそんなものはもう見たくもなかった。誕生日にそんなケーキを食べるほうが恥ずかしかったからだ。
冷凍ケーキとほぼ同額の板チョコであれば母は買ってくれるだろう。そう思って言ったのだが。見れば、母は悲し気に眉をひそめていた。
しかしそれは一瞬のことで、母はにっこりと笑うと「分かった。じゃあ週末に一緒に買いに行こうね」と小指を伸ばしてきた。
「指切りげんまん嘘ついたら……」
楽し気に歌いだした母とは対照的に、わたしはすっかり冷めていた。母は百円ちょっとの板チョコすら買うのが惜しいのだと分かったせいだ。
小指を離し、わたしはご飯茶碗を顔の前にあげて一気に納豆ご飯をかき込んだことを覚えている。ごはん茶碗で隠さないと涙がぽろんとこぼれ出そうだったからだ。
*
それでもわたしは週末が来るのを指折り数えて待った。
母がどんなに悲しそうであろうと、わたしは自分の誕生日が楽しみだったし、板チョコを食べるのが楽しみだったのだ。
やっぱりミルクチョコレートかな。いかにもチョコレートって感じがいい。だけどビターチョコレートもいいな。もう十歳になるんだし大人っぽいお菓子を食べてみたい。そうそう、前に一度食べたホワイトチョコレート、あれも捨てがたい。すごくすごく甘かった。ほっぺたが落ちそうだった。でもアーモンド入りのチョコレートもいいな。少し高くなるかもしれないけど、十歳の誕生日プレゼントなんだから、少しくらい我がままを言ってもいいと思う。普段我慢を強いられている分、誕生日くらいいいではないか。
分かりやすく浮かれているわたしに、隣の席の男子が気づいた。確か名前は……そう、安達だ。安達くんという男の子だった。休み時間、ふんふんと鼻歌を歌いながら頬杖をついて窓の外を眺めていたら、安達くんの方から話し掛けてきたのだ。
「どうしたんだよ、最近やけににやにやしてるな」
当時の男子といえば半数は丸刈りにしていた。安達くんも例にもれず一センチにも満たない髪で頭上をハリネズミのように覆っていた。
そしてこの頃の小学四年生といえば、異性とはあまり親しく話をしないのが普通だった。何歳も年下に思えるような下品なふるまいとか、わざとらしい破廉恥な発言とか、好んで近づきたいとは思えない異次元の人種のようだった。
だけどはずむ心がその日のわたしの口を珍しく滑らかにした。
「実はね、来週わたしの誕生日なの」
「へえ」
軽く目を見開いた安達くんが「誕生日プレゼントは何もらうんだ」と訊いてきたので、わたしは興奮を押さえつつ正直に答えた。板チョコだと。
それに安達くんがさらに目を丸く見開いた。
そしてぷっと笑った。
「板チョコ? それだけかよ」
さあっと、血の気が引いた。
それなりに生きてきたいい年のわたしだが、あれほど恥ずかしい思いをしたことは指折り数えるほどしかない。そしてこれが生まれて初めての「死にたくなるほどの悲しみ」だった。
ぶわっと、涙があふれた。
もうすぐ十歳になるというのにこんなことで涙をこぼす自分に嫌悪し、するとますます涙は止まらなかった。
ぼろぼろ、ぼろぼろ。今思えば急いでトイレに逃げ込むくらいすればよかったのかもしれない。落ち着くまで個室に閉じこもっていればよかったのだ。だけど当時のわたしはそんなことまで気が回らず、座ったまま、安達くんの方を向いたままおいおいと泣き続けた。
普段おとなしく口数の少ないわたしが急に泣きだしたことで、教室内がざわめいた。
「ごめんよ、ごめん」
安達くんが申し訳なさそうに言うその表情すら馬鹿にされているようで、同情されているようで、わたしはより一層激しく泣いた。ひっくひっくと、呼吸が苦しくなるくらいあえぎながら泣いた。鼻水もいっぱい出た。それをハンカチで拭いながらわたしは泣き続けた。
おせっかいな同級生が呼びに行った担任の先生が駆けつけるまで、安達くんはわたしに「ごめん」を繰り返し、わたしはひたすら泣き続けた。
*
その日は家に帰って畳に寝転がるや、ぐっすりと眠ってしまった。泣きすぎたせいもあるし、そのあと教室でいたたまれなかったのもある。とにかく疲れていたのだ。
もう誕生日なんてどうでもいい。こんな悲しい思いをするくらいなら、自分のみじめさを確認させられるくらいなら誕生日なんてなくてもいい。夜、起き抜けの頭でわたしはそんなことを思った。
ちょうどその時、ドアに鍵が差しこまれる音がし、続けてドアががちゃりと開いた。
「ただいま、遅くなってごめんね。お腹すいてない?」
普段どおりの母が急に憎らしくてたまらなくなった。
わたしが今日どれほど苦しんだかも知らずに今日ものんきに同じことを言うのか、と。
むっとしたわたしの表情に気づいた母から笑みが消えた。
そして悲しげに目を伏せた。
「今日、担任の先生から電話があったよ」
かあっと、頬が熱くなった。
泣き止まないわたしの代わりにと、おせっかいな女子が数人がかりで担任の先生に一部始終を話していたのは聞こえていた。
『先生、安達くんがひどいんです』
『誕生日プレゼントが板チョコだけだって木下さんのこと馬鹿にしたんです』
その時の女子の声音も表情も、明らかに板チョコ一枚しかもらえないわたしに同情するものだった。
母が何か言いかけた。
だがそれよりも早くわたしは言った。
「わたし、もう誕生日プレゼントいらないから」
「美子ちゃん?」
「もう一生いらない。大きくなったら自分で働いて自分の好きな物を買うから。そのほうがお母さんもいいでしょ? お金ないんだし」
あの時の母の表情は今もずっと瞼の裏に焼き付いている。
これまでどんなに悲しそうな表情をしていても、母は少しの時間をおくと笑みを取り戻していた。母は何をするのも早かったが、気分を切り替えるのもとてもうまかった。だけどこの時の母はずっと眉を寄せ唇をきゅっと結んでいた。泣くのをじっとこらえているような、そんな表情だった。
大人が、母がそんな表情になったところをテレビ以外では見たことがなくて、わたしはすぐに気がついた。言ってはいけないことを言ってしまったことを。
だが気づいただけだった。わたしはそっぽを向いて膝を抱えてうずくまっただけだった。母はそんなわたしに何も言うことなく、いつものように手早く夕食を用意してくれた。それをわたしは黙ってすべてたいらげた。胸がつかえてなかなか思うようにご飯が喉を通らなかったけど頑張って食べた。
週末、母に「スーパーに行こうか」と誘われたけど、わたしは無言で首を振った。
母は一人でスーパーに行き、いつものように作り置きをするための材料を大量に買ってきた。袋の中には特別な物は何も入っていなかった。それを横目で確認している自分にまた幻滅したことを昨日のことのように覚えている。
*
そして十歳の誕生日。
年齢が一桁から二桁になる、人生でたった一度の特別な誕生日。
目が覚めたら母がにっこりと笑って「お誕生日おめでとう」と言ってくれた。そしてぎゅっとわたしの体を抱きしめてくれた。だけどそれだけだった。
いつもどおり、かりかりのトーストと温めた牛乳、それにバナナの朝食をとり、いつもと同じ時間に家を出た。わたしはいつもの着古したトレーナーとズボンだったし、母もいつものくたびれた黒のカバンと黒のジャケットだった。
角で別れ際、母に「今日はなるべく早く帰るからね」と言われた。それにわたしは答えることなく、一目散で小学校へと走っていった。
教室に行くと、なぜか同級生が全員勢ぞろいしていた。男子も女子も、全員だ。今日は何か特別な授業でもあったかと頭を巡らしていると、女子の一人が前に進み出てこう言った。
「おはよう木下さん。お誕生日おめでとう」
それに合わせて全員が「お誕生日おめでとう」と声を揃えて言った。
突然のことに頭が真っ白になっているわたしにかまわず、その女子が「じゃあ歌うよ、せーの」と大きく手をあげた。その手が大きな三角を描くのに合わせて、同級生による大合唱が始まった。
「ハッピーバースデー、トゥーユー」
「ハッピーバースデー、トゥーユー」
「ハッピーバースデー、ディア木下さん」
「ハッピーバースデー、トゥーユー」
わたしの背後、廊下には他のクラスの子が何人かずっと様子をうかがっていた。
「二組は何やってるの?」「誕生日だって」「誰の?」「木下さんって子」「二組って朝に誕生日を祝う習慣があるのかな」「そんなの聞いたことないけど」
ざわざわ、ざわざわ。
注目を浴び、わたしは秋だというのに全身汗でびっしょりになっていた。きっと顔も真っ赤になっていたことだろう。
こんなのうれしいわけがない。恥ずかしいだけだ。かわいそうな木下さん、みんなきっとそう思っている。かわいそうだから祝ってあげないと。かわいそうだから祝ってあげないとね。ねー。だって木下さんって、板チョコも食べたことがないんだよ? かわいそうでしょ? そうでしょ……?
誰にともなく怒りが沸いてきたことを覚えている。誰が言い出したことなのか。この場を仕切っている女子だろうか。そんなことを考えながら、同級生が大きな口を開けて歌う様子をうつむき加減で観察していた。
すると歌い終わったところで、周囲の幾人かに小突かれるように安達くんが前に出てきた。片手でいがぐり頭をなでながら。もう片方の手には緑のギンガムチェックの紙袋が握られていた。大きさと薄さからきっとノートだ。それによくて下敷きか。
安達くんが無言でわたしに紙袋を差し出してきた。
それをわたしは素直に受け取った。
本当は欲しくなんてなかった。いや、新しいノートと下敷きは前からほしかった。だけどこんなふうに同い年の人間から施しを受けたくはなかった。誕生日プレゼントを施されるほどみじめなわたし、そういうレッテルを同級生に貼られた瞬間だった。
けれどその袋を叩き落すことも逃げ出すこともできなかった。安達くんの後ろに立つ同級生はみな期待のまなざしをわたしに向けていたからだ。早く受け取れ、そして「ありがとう」と言えと。それに真っ向から反抗することなどできるわけもない。
するとちょうどそこに担任の先生がやってきた。いや、偶然ではないだろう。きっと現れるタイミングを狙っていたのだ。担任の先生はにこやかな笑顔を浮かべてわたしの肩に手を置いた。
「よかったな、木下」
「……はい、よかったです」
そう言ったところで担任の先生にしばし無言で見つめられた。その視線の意味を察し、わたしは同級生の方を向いて小さく頭を下げた。
「みんなありがとう」
それに同級生が満面の笑みを浮かべた。
そしてそれぞれが自分の席に戻っていった。
次の休憩時間にはこの朝の出来事も、わたしの誕生日のことも、誰の記憶からもすっかり忘れ去られていた。
*
いつになく重く感じるランドセルを背負って家に帰ると、ドアに鍵がかかっていなかった。
まさかと思って開けると、「おかえり」と母が現れた。まだ明るいのに母が家にいるなんて。しかもすっかり普段着になっていた。
「どうしたの?」
このところ険悪な雰囲気になっていたことも忘れて、わたしはつい母に問いかけていた。
「だって今日は美子ちゃんの誕生日でしょ? 早く帰るねって約束したもの」
そういえば朝、別れ際にそう言っていた。だがまさかこんなに早い時間に帰るとは思ってもいなかった。どきまぎとしながらランドセルを下ろすと、ちゃぶ台の上に赤い包装紙に包まれた板チョコがあることに気づいた。
「……これ」
「うん。板チョコ。美子ちゃん、いらないって言ってたけど。でも買ってきちゃった。食べてくれる?」
母に不安そうに見つめられ、わたしは小さく「食べる」と答えると、座って包装紙をはがした。銀の紙もはがすと、甘い香りとともに、四角い茶色のピースが並んだチョコレートが出てきた。
「お誕生日おめでとう」
母の声には答えず、わたしは端の方をそっとかじった。ずいぶん久しぶりのチョコレートの味だった。甘くて、ちょっと苦くて。とろんと蕩ける夢の国の味だ。それがなぜかしょっぱく感じて、わたしは残りを包装紙で包みなおした。
「もういいの?」
驚いた顔をする母に「うん。少しずつ食べる」と答えると、母が急に「ごめんね」と言った。
「ごめんね、美子ちゃん。いつも我慢させて」
そんなことを母に言われたのは初めてだった。
言われた瞬間、わたしはすごく悲しくなった。安達くんに馬鹿にされたときよりも、朝に同級生総出で誕生日を祝われた時よりも悲しくなった。涙もなにも出てこなかったけれど、とにかくすごく悲しかった。そして母の表情を見たら分かった。わたし以上に母こそが悲しいのだと。
わたしはかぶりを振った。
母はしばらく黙っていたが、やがて立ち上がり冷蔵庫を開けた。戻ってきた母の手にはいちじくが三つ入ったパックがあった。
「美子ちゃん、いちじく好きでしょ。今日スーパーで買ってきたの。美子ちゃんと一緒に食べようと思って」
うれしそうに笑う母にわたしはおかしくなった。
「お母さん、こういう時は普通ケーキを買うんじゃない?」
母があっという表情になった。
「そっか。そうだよね。ごめんね、いちじくのことしか頭になかった。今朝ちらしを見て特売だったから」
しょげる母を見ていたら、わたしはようやく素直になれた。
「ううん。わたし、ケーキよりもいちじくのほうが好き。だからいちじく買ってきてくれてうれしいよ」
パックにはバーコードが貼り付けられていた。値段も書いてあった。いちじく三つで二百四十八円。確かにいちじくにしては安い。でも冷凍ケーキよりも高いのに母はいちじくを買ってきてくれたのだ。板チョコと一緒に。わたしのために。
二人でいちじくの皮をむいていたら、母はわたしのいちじくを取りあげて器用にむいてくれた。母はやることなすことなんでも早い。つるんと果実があらわれたそれを「はい」と手渡してくれた。
「ありがとう」
さっそくかぶりついたら、薄緑色の果肉の中から紅色の部分が現れた。いちじくはバナナみたいに甘くもないし、リンゴみたいに香り高くもない。それどころか、薄緑色のところなんか少し青臭くて、果物というよりも野菜に近い。だけどわたしは気づけばいちじくが好きだった。
なんでいちじくを好きになったんだろう。そう思いつつ少しずつかじっているうちに、母は自分のいちじくもむき終えた。そしてわたしのかじりかけのいちじくにコンと合わせてきた。
「お誕生日おめでとう」
何度も同じことを言われているのに、その途端、たまらなくうれしくなった。でもそこまで素直になれるほど幼くもないわたしは、母の真似をしていちじくをコンと合わせた。
「お誕生日おめでとういちじく、だね」
照れ隠しに言うと、母がふふっと笑った。
「それいいね」
いちじくをそっと口に運んだ母がふわりとほほ笑んだ。その時ようやく気がついた。ああ、母がいちじくを好きだから、だからわたしもいちじくを好きになったんだ、と。
少し赤くなった顔をうつむけてちびちびといちじくを食べていたら、母はあっという間に自分のぶんを食べ終えた。そして残るいちじくの皮をむき、当たり前のことのようにそれをわたしにくれた。
「はい。お誕生日だから特別ね」
「『お誕生日おめでとういちじく』だもんね」
わたしはそれを遠慮なく受け取った。そのほうが母が喜ぶと分かっていたからだ。
それでも母に言った。
「来月のお母さんの誕生日もさ、こうしていちじくで祝おうよ」
それに母がほほ笑んでくれたことを、わたしは今でも覚えている。
母はそれからわたしの誕生日に決まって三つのいちじくを買ってきた。誕生日プレゼントとは別に三つのいちじくを。一つは母の分、そして二つはわたしの分だ。それをわたしは幸せな気持ちで毎年受け取った。母が買ってくるいちじく、むいていくれるいちじく。一緒に食べるいちじく。「おめでとう」と「ありがとう」を言い合えるいちじく。いちじくには幸福の味がした。
自分でお金を稼ぐようになってからは、母の誕生日にはわたしがいちじくを四つ贈った。誕生日プレゼントとは別に四つのいちじくを。二つは自分の分、そして二つは母の分だ。三つだと母は絶対にわたしに多くくれるから、四つ。それを受け取る時の母は決まってほほ笑んでくれた。
*
母はやさしい人だった。一生懸命働き、どんなことでもそつなくこなし、やることなすことが早い人だった。貧しかった。だけど本当にやさしい人だった。母の愛はいつでもわたしを温かく包んでくれていた。
母とのエピソードは数え上げればきりがない。あれもこれもと語りたくなる。それでも、決まって必ず思い出すことといえば、わたしが十歳の時の誕生日のいちじくだ。
あんなにおいしい物を食べることができたわたしは幸せだった。
貧しくても世界一幸せだったのだ。――今もずっと。