35th BET 『本懐に狂う来訪者たち』 6
戦況は完全な五分。一進一退の攻防が繰り広げられていた。
生徒(地の精霊使い)たちの質問は止むことがなく、それを受ける鈴の返答にも一切のよどみがない。
彼らにしてみれば、今まで考えもしなかった理で世界の有り様を語る鈴の存在は、極めて稀有であった。
それこそ異端者として吊るし上げられかねないが、ここはそもそも邪教徒たちの集落である。
信心深い彼らであったが、鈴の説明は丁寧で筋が通っており、なにより実践的だった。
そこに疑念をはさむ余地はない。しかも、彼らは信心深いだけでなく極めて素直でもあった。
先入観もなく、目の前の事実を淡々と受け入れていく。
「磁石の原理は分かったかしら。NとSの二つがあって、NとSは引かれ合い、同じもの同士は反発する」
「それに、磁石を近づけると、今まで磁石じゃなかった物も磁石になるんですよね?」
生徒が手を上げて鈴に意見を飛ばす。
鈴は満足そうにその声に頷くと、先ほど見せた方位磁石にもう一つ、別の金属片を近づける。
その細長い金属片は、磁石ではないことを示すように糸に吊り下げてあった。
何度か金属片の表面を磁石でこすり、再び糸に吊り下げる。
するとどうだ。先ほどまでだらしなくぶら下がっていた金属片が、何かの意思に従うようにその向きを変える。
「「「おおおおお!!!」」」
どよめきがテントの中を支配する。
その声を噛み締めるように、鈴は一人でフルフルと身震いしていた。
「……快……感……!」
《よく分かりませんが、これほど幸せそうな主の声は早々聞けるものではありません。私も嬉しく思います》
「これが磁化と呼ばれる反応よ。磁石と言うのは、こうして外部から磁場をかけることで作ることができるの」
「なんてすごい力だ……」
「こんなことができるなんて……」
感動のあまり声を震わせているのは生徒たちも同様であった。
そのリアクションの良さに、鈴もついつい調子に乗って舌を滑らせる。
「それじゃあ、次の質問よ。この磁石を真っ二つに折ったらどうなるかしら?」
「それはもちろん、NとSの二つに分かれるはずです」
いつの間にか、壮年の男性ですら鈴に敬語を使っていた。
彼らが鈴に向ける視線は、尊敬を超えて畏怖の念に到達しつつある。
「ふっふっふ、それでは、実際にやって見せましょうか」
獲物が罠にかかったハンターのような不敵な笑みを浮かべ、手品師のような大仰な仕草で金属片を二つに割る。
そして、二つに割った金属片をそれぞれ糸に吊り下げて質問者に手渡す。
「あなたの仮説が正しければ、あなたの右手にはN極、左手にはS極が収まっているはずね?」
念を押すように質問者に問いかける。
質問した男性は、何度もその問いに頷きながら、手元の一対の金属片を期待に満ちた目で見つめていた。
「では、この磁石を近づけてみるわよ?右手にN極を、左手にS極を近づけるわ。あなたの仮説通りなら、これらは反発しあうはずよ」
「……ゴクリ」
生唾を飲み込む男性。
男性の緊張を楽しむように、たっぷりと時間をかけて磁石を近づける鈴。
すると、
「うわっ!?くっついた!どうして!?」
素っ頓狂な声を上げる男性。
両手にぶら下げた金属片は、ともに鈴の手にある磁石に吸い寄せられていた。
「これが磁石を作るもう一つの方法よ。二つに割れば、磁石は単純に二つに増えるの。乱暴に言えば、磁石というものは無数の小さな磁石がひと固まりになったものをいうの。故に、モノポール(単極)というものは原理的に存在しないわ」
「「「「おおおおおおおおおおお!!!」」」」
世紀の大魔術を見ている観客のようなどよめきが再び起こる。
快感のあまり立ち眩みを起こしたようで、鈴が軽くこめかみに指をやる。
あろうことか、その瞳には一筋の涙が浮かんでいた。
「あたし、こんなに幸せでいいのかしら……?」
《我が主よ、少し落ち着かれてはいかがでしょうか?先ほどから少し、羽目を外し過ぎておりませんか?》
ヘスの声など耳にも入らぬ様子で、鈴は講義を続ける。
「磁石を作る最もシンプルな方法は、また今度にしておくわ。簡単なんだけど、あなた達に電磁力の関係を理解させるには電気の存在から解説しなくちゃいけないものね」
「どこまでも小さくなっても磁石のままか……まるで俺達が操る砂の粒みたいだな……」
最初に鈴に精霊術を紹介していた男性が漏らした呟き。
鈴はそれを聞き逃さない。
「いい着目点だわ!そこに気づくなんて、センスがあるわ」
「は、はい。光栄です!」
感極まった声を上げる青年。
事実、彼の指摘は的を射ていた。小さい粒子で、互いに引かれ合い、反発しあう。これはまさに磁石の性質そのものともいえる。
「でも、おそらくその可能性は低いわね。見てなさい」
鈴はその場にしゃがみ込み、その小さな手に僅かばかりの砂を握りこむ。
瞬間、手の隙間からうっすらと虹色の光が漏れ出る。
確信に満ちた表情で鈴が手のひらを開けると、そこには一塊の透明な結晶が転がっていた。
予想が的中し、満足そうに鈴は独り言をつぶやく。
「やはり、これは見た目通りの砂。ヘスの能力が作動したのが何よりの証拠」
結晶を生徒たちに向けて、説明を続ける。
「この砂の主成分はシリカ。二酸化ケイ素よ。磁石になり得るのは、鉄などの一部の金属元素だけ。つまり、この砂を操れるあなた達の精霊術は、磁力ではない何かを操っていることになるわね」
淡々とした表情で結晶をもてあそぶ鈴。
砂の粒をヘスの能力で結合させ、大きな結晶へ変化させたのだ。
砂と水晶は、実は同じ成分でできている。違いは、結晶になっているかいないか、ただそれだけである。
砂と水晶の結晶構造の違いが頭に入っており、加えてヘスの使い方にも慣れてきた鈴にとっては当たり前のことであったが、周囲の人間にとってはそうではない。
本日一番の歓声が沸き起こる。
「なんだ、今のは!?砂粒が宝石に変化したぞ!?」
「これが科学の力なのか!」
「科学ってスゲエ!!」
沸き立つ観衆。科学と言う言葉が完全に独り歩きしつつあった。
「ちょっと、勘違いしないように。今のは科学の力じゃないわ。このヘスの能力……!」
「科学バンザイ!」
「あなたは科学の神、いや、女神様だ!」
「女神様、バンザイ!」
鈴の声を覆い隠すように、巨大な歓声が鳴る。
もともと信心深い彼らは、どんなものにでも神を宿す癖があった。
《やれやれ、天使様の次は女神様ですか。我が主も、隅に置けないですね》
「ちょっとヘス。からかうのもいい加減にして頂戴。こんなふうに言われたって、あたしはちっとも嬉しく……」
頭を抱えそうになった鈴に、生徒ちの熱を帯びた声が届く。
期待に満ちたその声に、鈴の目が不意に大きく見開く。
「女神様!次の講義を!」
「もっと科学を教えてください!」
「私も科学を勉強したい!」
彼らの純粋な目を見ると、昔を思い出した。
科学が万能で、どんな夢でも叶えてくれるに違いない。そんな希望を抱いていた昔を。
多くを学び、多くの失敗と挫折を経験した。そしてそれと同じ数だけどん底から這い上がってきた。
科学が万能ではない事はすぐに分かってしまったが、その奥深さはどれだけ経っても色褪せることなく、むしろ輝きは強くなった。
今、目の前で新しい世界に門戸を叩こうとしている彼らには、無味乾燥な事実よりも、色鮮やかな可能性を見せてやりたい。
鈴は目を細めて、微笑を浮かべた。
ヘスはそれを見て、女神が本当にこの世に存在するのだと思った。
「いいわ。それじゃあ、あなた達が満足するまで、いくらでも講義してやろうじゃないの!」
「「「「「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」」」」」
大歓声が巻き起こる。
邪教徒の集落に、女神の科学信仰という怪しげな教団が立ち上がった瞬間であった。
しかし、さらに次の瞬間。
遠くから、鐘の音が鳴り響く。
大気をあまねく揺らす、均一でムラのない、統制の取れた音。
しかし、集落全体を揺らすほどに重く、全てを突き崩すほどに豪放な音。
それは、この集落の終焉を告げる、滅びの音色であった。




