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5th BET『精霊の支配する世界』 3

 彼女にとって、果てしなく長い夜がようやく明けようとしていた。創造主によってこの世に生み出されてからずいぶん経つが、これほど長く、つらい夜を過ごしたのは初めての経験だったかもしれない。


《うううう……》


「ヘス、聞いてるの?この数式の変換が一番面白いところなんだから」


 ヘスの新しい主となったこの女性は、この調子でかれこれ数時間以上も熱弁をふるい続けている。

 150cm程度しかないであろうその小柄な体の、どこにこれだけのエネルギーが蓄えられているのだろうか?

 講義が始まる直前、ヘスは『あなたの能力のエネルギー源はなんなの?』と問い詰められたが、今では同じ問いを返したい気持だった。

 もちろん、そんなことをすれば講義の時間が長くなるだけだ。ヘスは不意に沸いたその疑問を全力で押しとどめた。


 新しい主は、名前を逢沢鈴あいざわ りんと言った。鈴の講義に対する熱意はすさまじいもので、ヘスが理解するまで何度でも繰り返された。


 何よりも恐ろしいと思ったのは、その執念、というかしつこさである。説明した内容をヘスが理解していないと一瞬で看破される。そして、どこが理解できていないかを見抜くと、説明のレベルを一つ下げ、相手が理解するまでそれを繰り返すのだ。


 初めは量子化学の基礎を解説し始めたが、だんだんと説明のレベルを下げられ、いつのまにかリンゴの数の足し算までに貶められていた。


 同じことを何度も説明するのは骨が折れるだろうに、鈴にはそんなそぶりは全くなかった。相手が理解していないとしても、落胆や相手への侮蔑などは一切ない。

 ただ、愚直に相手に理解してもらえるまで説明のやり方を変えるのだ。何度でも。


 それが、かえってヘスの心労を重くした。

 ヘスは道具として、主との意思疎通するための機能を与えられている。鈴が今求めているのは、彼女の有する知識の理解と習得だ。

 しかし、ヘスはその要求に満足に答えることができないでいた。そしてそれは、道具としての自らの機能不全を証明するようなものだった。


 しかも、相手を貶めるような意図も悪気も鈴には全くない。それが余計にヘスを苦しめた。

 道具であるがゆえに、ヘスには休養も睡眠も必要ないはずだった。

 しかし、ヘスは自らが消耗していることを、初めて実感した。


《どうやら……これが私の機能の限界のようですね……》


《何を甘えたことを。儂のように一晩中火あぶりになってからそういうことを言え》


《あなたはそうやって主のお役に立っているじゃありませんか。私は、主の要求にこたえることが全くできていないんですよ!?神器失格です!》


《火あぶりのどこが役に立っとるというんだ!?》


《主の暖を取る役に立っているではありませんか》


《そんなもの、剣の役割ではないわい!!》


《役に立てるだけマシです!!》


「ちょっと、ヘス!?聞いてる?」


《あああ……すいませんんんんんん……》


 情熱をいささかも陰らせることなく、説明を始めようとする主の姿に、ヘスは底知れぬ恐怖を抱いた。

 しかし、明けない夜はない。長い夜からの解放者が、ついに目覚めたのだ。


「逢沢先生よ。まさか俺が寝てる間中、その講義をやってたのか?」


 彼女たちのもう一人の主が、ようやく目を覚ましたのだ。

 名前は冴木凛さえき りん、神剣エクス=ディンガーの主だ。


「あら冴木君、もう目覚めたの?」


「もう……って、これだけ眩しけりゃいくら眠くても目が覚めちまうだろ」


 驚くべきことに、周囲はすっかり明るくなっていた。夜が明けていたのだ。

 主と同じく、ヘスの認識能力にも限界がある。己のリソースのすべてを講義への傾聴に費やしていたため、周囲への注意が完全に霧散していたのだ。


「本当だわ、講義をしているといつも時間がたつのが早いのよね」


《さ、さあ!朝になったことですし、お約束されたとおり、先日の湖に行かれてはいかがですか?》


 強引に話題を変えるべく、ヘスが全力で提案を始めた。

 長い付き合いだが、ヘスがこれほど強引に何かを勧めることは非常に珍しい。

 すこしだけヘスへの同情の気持ちが芽生えた。しかし、どちらにしても彼の目的もヘスとは一致していた。


《そうじゃの、いつまでここにおっても仕方あるまい?》


 二人の神器の提案に、凛も賛同する。


「確かに、約束は約束だ。それに、あらぬ疑いは晴らしておきたいしな」


 気絶している間に、びしょ濡れになった鈴の服を脱がせたことは本当だったのだが、成り行きから嘘をつく羽目になったのだった。


「そうね……確かに講義も重要だけど、その湖のほうが気になるわ」


「それじゃ、出かけてみっか」



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 昨日、二人が墜落した湖はそう離れてはいなかった。

 気絶し、頭を強く打っているかもしれなかった鈴を担いでは、そんなに長い距離を歩けなかったのが一番の理由だった。

 夜を明かした場所から、数分も歩くとその湖は姿を現した。


「よくよく見まわしてみると、結構大きい湖だったんだな」


「それに、気味が悪いくらいに澄んでいるわ」


 二人は湖のほとりに立つと、周囲をくまなく観察した。

 凛は外観を大雑把に眺め、鈴はすぐさま湖水に手を入れて観察を始めた。


「この湖、何も生物が生息していないんじゃないの?」


「そうかもな。きれいな割に何も見えねえや」


 鈴の指摘の通り、湖水はまるでガラスのような透明度で、底まで容易に見渡せる程だった。


 昨日は、はるか上空からこの湖に落下したのだ。その深さは身をもって知っている。

 しかし、それほどまでに水深のある湖の底まで見通せるというのは、尋常な透明度ではなかった。


「確かに、見た目は普通の湖じゃなさそうだ。でも、実際に試してみた方が納得できるんじゃないか?」


 そういうと、凛はその辺にあった木の実を湖に放り投げた。

 手元を離れた木の実は、湖面に触れると、音も波紋も立てず、まるで飲み込まれるように水の中に落下していった。

 落下の前後では、ほとんど木の実の速度に変化はなかった。


「確かに、これなら落下の衝撃は最小限になったでしょうね。あたしたちが助かったのもうなずけるわ」


「だろ?俺の言ったこと、本当だったろ?」


 ついでと言わんばかりに、凛は自分の服を脱いで湖に浸した。軽く絞ってみせると、服はあっという間に乾燥した。


「あなたの言ってること、信じるわ。疑ってごめんなさい」


「いや……わかってくれればいいんだよ」


 素直に謝る鈴に対して、凛は少しばかり罪悪感を覚えた。結果的に嘘をつき通して相手を騙したことになってしまった。

 普段の凛ならば『騙される方が悪い』と気にも留めなかったが、今回だけは何故か胸が痛んだ。


 鈴は再び湖水に手を浸しながら、ヘスにこう尋ねた。


「ヘス、さっきから私はずっとあなたの力を使おうとしてるのだけど、これは……そういうことで合ってるのよね?」


《その通りです。確かに、あなたは私の力を発動させています》


「先生よ、いったいどういう意味だ?」


 湖水から手を引き抜きながら、鈴は少しだけ困惑したような表情を浮かべた。


「最初に湖水に手を浸した時から、私はずっとこの水を凍らせようとしていたの。サンプルを持ち運びたかったから。でも、この水は()()()()()()()()()()()()()


 その言葉に反応するように、凛は急に立ち上がって周囲を見回した。そして、鈴に説明の続きを促した。


「確か、その腕輪の力は触れたものを何でも結合させる、だったよな?」


「ええ……ただし、触れたものを()()()()()()()()()()()()前提になるわ」


「つまり、この湖水はただの水じゃないってわけだ……!」


 言葉と同時に、凛は鈴の体を無理やり立ち上がらせて、自分の背後に押しやった。


「急にどうしたの?」


「わからねえか?さっき、周囲の虫の声が急に消えた。それに、木の実を投げた時からどうにも違和感があったんだが……」


 どうやら、凛も鈴と同じように違和感を覚えていたようだ。ただし、着目していたのは全く別の場所だった。


「この湖、()()()()ぜ……!」


 その言葉を待っていたかのように、湖の中心が鳴動を始めた。

 鳴動とは言ったが、実際には音はなく、先ほど放り投げた木の実を逆再生するような滑らかさで、『それ』は湖面から浮き上がってきた。


「透明な……蛇?」


 湖面から抜け出てきたその姿は、湖水と同じく非常に透明度が高かった。ガラスのように光のほとんどを透過するような物質であっても、ここまで透明になれないだろう。

 つまり、姿があまりにも朧だったのだ。


『我を呼んだのは貴様らか』


「いや、呼んだつもりはなかったんだけどな……」


 頭を掻きながら、凛は答えた。


『我が住処をこれだけ荒らしておいて、用がないなどとは言わせぬぞ』


「ああ、そういえば昨日はもっと派手にここを荒らしたんだっけな。ワリイ。あんたがいるなんて思ってもいなかったんだ」


 さらに頭を掻きながら、凛は軽く会釈をして相手に詫びた。


『詫びて済む問題ではないわ!この水の世界を支配する精霊ウンディーネの住処をここまで汚しておいて、ただで帰れると思うな!それに、我は蛇ではない!水龍である!』


「おいおい、なんだか怒ってるぞ、あの蛇」


「あなたが無礼な物言いをするからでしょ?」


「でもよ、相手は蛇だぜ?そんなにへりくだる必要ないだろ?」


「あなたねえ、人様の家を荒らしておいてその発言は失礼じゃない?」


「人様じゃないって、蛇だよ、蛇!」


 怒れる精霊を無視して口論を始めた二人だったが、ウンディーネは一方的に話を進めようとしていた。

 湖面から、またも透明な湖水が飛び出してきた。今度は水上に鎮座することはなく、ものすごい勢いで二人に襲いかかってくる。


「あぶねえ!」


 凛は慌てて鈴を突き飛ばした。こういう時の危険には凛の方が敏感に反応できた。

 代わりに、襲いかかってきた水流は凛に正面から激突する。


「冴木君!?」


 激突した湖水は、激突の衝撃を全く凛に感じさせなかった。しかし、凛の周囲をくまなく覆いつくし。瞬く間にその自由を奪い去った。

 凛は顔から下を完全に拘束され、あとわずかで陸上にいながら溺れるところだった。


『我を呼び出した以上は、契約に従い対価を払ってもらう』


「対価って、なんのことよ!?」


 慌てて凛のもとに駆け寄るが、鈴がどれだけ引っ張っても凛の周りの水流は振りほどくことができなかった。

 もちろん、ヘスの力も通用しない。


(急がなければ、下手したら冴木君が窒息してしまう……!)


 動揺する鈴をよそに、凛は涼しい顔で水流の中に立っていた。目くばせだけで鈴に合図をする。

 どうやら、『俺に任せろ』と言っているつもりらしい。


「契約をするって、どういうことだい?条件を聞こうか」


 一歩も動けない状態だったが、凛はポケットに手を突っ込んだまま飄々とした表情を浮かべていた。

 そして鈴は、その表情がすみやかに消えていく様を目の当たりにした。完全なポーカーフェイス。目の前の水龍にも負けじと劣らずの透明な表情だった。


 しかし、眼だけが異常にぎらついている。相手の一挙手一投足を見逃さないスキのない目線だ。ギャンブラーとしての直感が、勝負の気配に沸き立っているようだった。


『我ら精霊は、対価を差し出した相手と契約を結び、力を貸し与える。貴様たちは我を呼び出したのだ。契約を結んでもらわねばならぬ』


「対価ってのは、具体的にどんなものを?」


『それは、契約を交わした者にしか教えられぬ。それなりの苦痛はあるだろうが、代わりに人の身では成しえぬ偉大な力を貸し与えよう』


「それじゃあ、俺の対価はこいつだ」


 そういって、凛は懐からライターを取り出した。


『ふざけておるのか?そんなもの、我をここに呼び出した対価にもはるかに見合わぬわ!』


「俺のとっておきの幸運のお守りなんだがなあ……高級キャバクラの指名料にもなりやしねえってか」


 肩をすくめ、凛は別の提案をした。


「対価を払おうにも、あいにくと手持ちがなくてね。命を上げてもいいんだが、他にも何かあるんじゃねえか?」


 不敵な笑みで相手を貫く。


『確かに、契約を結ぶ以外にも我を従える方法はある。我と勝負して勝てばよい。ただし、その土俵に上がるにもそれなりの対価は必要となるぞ?』


「いいねえ!盛り上がってきたじゃねえの!!!だが、勝負に勝てば対価は支払わなくていいんだろ?」


『…貴様、この我を支配するつもりか?』


 凛の瞳が狂気の色に染まる。


『我らを使役するのならば我らと勝負せよ。勝てば対価は要らぬ。ただし負ければ、その代償は大きいぞ!?』


「OKだ!その勝負、乗った!!」


『では、貴様の命を懸けて……』


「おっと、ちょっと待った!」


 盛り上がりかけた場の雰囲気を凛は急に崩した。浮かべた笑みは、いつもよりもさらに意地悪く、不敵に歪んでいた。


「今思い出したんだが、ライター以外にもお値打ち品を持ってることを思い出した。今回はそいつを賭けさせてもらうぜ」


《お主……まさか……》


 道具にも直感はある。神剣エクス=ディンガーは、冴木凛と出会ってから3度目の悲運の気配を嗅いだ。


「俺が賭けるのはこれだ!とにかく頑丈で、時々何でも斬れる、おまけに会話も可能!まさに神剣の名にふさわしい逸品だろ!?」


 はるか昔に創造主に生を与えられ、邪神を打ち滅ぼすべく鍛えられた神剣は、新たな主に呼び起されてからというもの、


 山頂から落とされ


 焚火にくべられ


 今度は借金のかたにされようとしていた。




もっと面白い話を書くため、ご協力をお願いします

率直な印象を星の数で教えていただければ幸いです


つまらなければ、遠慮なく星1つつけてやってください


感想も、「ここが分かりにくい!」「科学には興味ない!」など厳しい意見をお待ちしています



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