20th BET 『もう一日待って!』 3
前回までのあらすじ
光の町に隠された秘密とは、魔物との残虐な殺し合いに賭けるコロシアムだった。
絶望的なオッズに、しかし凛はわずかな勝機を見出す。文字通り、命を賭けたギャンブルが幕を開けた。
トロールと真正面に対峙して、凛は改めて自分が異世界に召喚されたことを実感するのであった。
敵は、いわゆる"魔物"である。
異形の姿を持つ、人外の力を有する生物の総称。
鈴のように厳密な定義を好む者に言わせれば、おそらくそのように表現されるのだろう。
凛の倍はある身長。体重は10倍以上はあるに違いない。全身を覆うコブのような筋肉の塊は、脈打つように蠕動を続けていた。
先ほどの試合で右腕に受けた傷は、すでに完治していた。傷の治りが早い二人のリンと比べたとしても、破格の回復力である。
「本日最後の試合は、まさかのSランクハンターの参戦だ!Sランクにも関わらずこんな無謀な勝負に挑む命知らずの名前は、冴木凛!」
歓声に応えるように、軽く手を上げる。
凛は元々人前に出ることが苦手なのだ。気恥ずかしそうに顔を赤らめている。
「本当に……性に合わねえことしてるよなあ……」
軽くため息をつく。
実況者は、続く対戦相手の紹介を始めた。
「対するは同じくSランクモンスター。本日2戦目にも関わらず、その闘志と体力は尽きるところを知らない!30戦無敗……"ボストロール"!」
真正面に立つ異形が咆哮を上げる。その声に、観客のボルテージはさらに高まる。
《やれやれ、敵の方が役者じゃのう。盛り上げ方というものをわかっておるわい……》
「別に、観客の投票で勝ち負けを決めるわけじゃねえんだ。無駄に盛り上げたって、虚しいだけさ」
《それよりも、わかっておるんじゃろうな?儂の斬撃は1度きり。一撃で決めねば、お主は死ぬぞ?》
「わかってるって。わざわざ念を押すんじゃねえよ」
凛の手にある黄金の長剣。銘は《神剣》エクス=ディンガー。
《神剣》の名に違わず、無類の切れ味を誇る伝説の武器である。その能力は『乖離』。森羅万象、あらゆるものを斬り裂くことができる。
しかし、使い手の凛に言わせれば荒波仕様の木偶の棒である。
彼の指摘する欠点は二つ。
まず、認識できないものは全く斬れない。
金属だと勘違いして、粘土の塊を斬ろうとしても何も起こらない。
使い手の認識が間違っていた場合は全く作用しないのである。
そして、極めつけは二つ目の欠点。一度斬撃を繰り出した後は24時間は完全ななまくらと化すのである。
無論、それは斬撃の成否によらない。認識違いであったとしても、やり直しはきかないのだ。
「勝負はもう始まったんだ。今更降りることはできねえ……!」
「それじゃあ、試合を始めよう」
気の抜けた声が号令をかける。
弾かれたように飛び出すトロール。凛は足に力を込めて身をかわす準備をする。
先ほどの試合を思い出す。敵は、恐るべき回復力で傷を治して見せた。下手に傷をつけても意味がない。
慎重に相手の正体を見極め、一撃で決着を付けなければならない。
《しかも、『相手を殺さずに』などという制限までつけて……つくづく無理ゲーじゃのう》
凛の信条は『不殺』。誓いというよりも、ゲン担ぎなようなものだ。殺生をすると運気が下がると、本気でそう信じているのである。
(いざとなったら、相手を一刀両断にするのよ。死んだら、何の意味もないんだからね)
(わかったから、しっかり敵の動きを観察してくれよ!)
嘆願する凛。目の見えない彼にとって、敵の攻撃を察知する手段はそう多くない。
遠くから観察している鈴からの情報が何よりの頼りなのだ。
(任せておきなさい。狩りの経験で、随分と観察眼が鍛えられたもの……!)
鈴の言葉に偽りはなかった。
以前よりも正確に、素早く敵の情報が伝わる。獲物の次の動作を予測する能力が、飛躍的に向上している証拠だった。
「おおっと、アブねえ!」
敵の動きはそう俊敏ではない。動きが読めれば、躱すのはそう難しいことではなかった。
しかし、問題はその先にある。
(先生、敵の弱点は分かったかよ……?)
(……まだよ……あの回復力の秘密がわからなければ、おいそれと手出しはできないわ)
鈴は一心にトロールの皮膚を観察していた。そして、同時に記憶を掘り起こそうとしていた。
あの驚異的な回復力に、見覚えがあったのだ。
(秘密って言われても、結局はそう言う生き物ってことじゃねえのか?)
(冴木君……世の中には不思議な力は存在するわ。でも、不条理なものを認めるのなら、それは科学者を廃業する時よ。不思議なことも、何か理由があってそうなっているの。それを解き明かせれば、きっと戦い方も見えてくるわ)
心の中でそう呟きながら、瞬きする時間も惜しんで鈴は観察を続ける。
時間を稼ぐため、広大なコロシアムの中を駆け回りながら、いつのまにか凛は壁際に追い込まれつつあった。
会場がさらに沸き立つ。哀れな挑戦者が追い詰められる様を見て興奮しているのだ。
トロールはさらに咆哮を上げ、会場のボルテージをより一層盛り上げていく。
"魔物"とは言われているが、敵は高い知性を有している。狡猾に敵を追い詰める手腕、そして会場の空気を支配する能力は大したものだ。
「って、感心してる場合じゃねえ!イチかバチか、やるか……!」
凛が自棄を起こしかけた、その時。トロールの動きがぴたりと止まった。
何かを恐れているように後ずさりをする。
目の見えない凛には、何が起こっているのか理解できない。しかし、鈴ははっきりとトロールが恐れたものを見抜いていた。
(冴木君!あなたのすぐ後ろにある"松明"よ!奴は、火が怖いに違いないわ!)
「わかった!」
指示に従い、背後の松明を手に取る。
確かに、火に怯えてトロールの気配が後退していくのが分かった。
(さあ、これで時間は稼げた。それとも、このままこの火であいつを焼き尽くすか!?)
(そんな小さな火で焼き尽くせるなら苦労はないわ。それより、そのまま火をかざしていて頂戴)
凛が松明を掲げると、トロールの体中を埋め尽くしていた筋肉のコブに変化が現れる。
まるで光を恐れるかのように、コブはトロールの背中側に移動していくのであった。それはまるで、トロール本体とは別の意思を持った生物のようである。
その動きを見て、ようやく記憶の底から該当する生物を引っ張り出すことができた。
鈴は、敵を倒すための策を凛に告げる。
(動き方から推測して、その魔物は間違いなく内骨格構造を持っているわ。つまり、筋肉の内側に骨があるの。あなたが狙うのは"それ"よ!)
(大丈夫かよ?骨が折れても、再生する可能性はないのか?)
(あいつの再生能力のカラクリは読めたわ。あいつが再生できるのは、筋肉だけ。骨を再生する力はないわ!)
凛は右手の剣を強く握りしめた。
他人の予想に安易に乗ってギャンブルで大敗することはよくある話だ。
しかし、凛は鈴の予想に絶対の信頼を置いていた。
それは、『絶対に間違えない』という信頼ではない。
凛が信頼しているのは、もしも予想を外しても、諦めずに次の策を考え抜くに違いないという『鈴の諦めの悪さ』である。
覚悟を決めた凛の意思に従い、神剣から虹色の光が迸る。
「さあ、イチかバチか!これで決着だ!」
長剣ではあるが重くはない。振りぬくのにそれほどの力は必要なかった。
凛のイメージ通り、《神剣》から放たれた虹色の光がトロールの両足骨を切断する。
「……ガッ!?」
自分の身に何が起きたのか、トロール自身は理解できなかっただろう。
《神剣》の斬撃は認識したものだけを斬り裂く。はた目には一切の外傷が無いようにしか見えないのだ。
骨による支えを失ったトロールは、その鈍重な体を筋肉だけで支えることはできない。
なす術もなく、その場に崩れ落ちるしかなかった。
その光景に、観客全員がどよめく。
「これは一体どういうことだ!?"ボストロール"が急に倒れこんだ!」
「……カウントを……始めようか……10……9……」
ざわめきの中で響くレムの声。凛の耳は、その声のわずかな強張りを聞き取っていた。
(やっぱり、バレたかな?)
(目の前で能力を使ったんですもの。さすがにあなたが《神剣》の使い手だと気づかれたでしょうね)
(さあ、この後が楽しみだぜ……!)
強がる凛だが、今だけは安堵したように肩の力を抜いていた。
何はともあれ、目の前の危機は脱したし、得られた対価も破格だったのだから。
「1……ゼロ……10カウント終了。勝者は、冴木凛。おめでとう……」
レムの宣言に、場内がどっと沸きたつ。
「まさかまさかの、超大番狂わせだ!Sランクモンスター、"ボストロール"を下す大金星!しかも、傷一つつけずに勝っちまうなんて、この男はいったいどんなイカサマを使ったんだ!?」
興奮する実況者をよそに、凛はそそくさと出口に向かって退散する。彼は、心底目立つことが嫌いだったのだ。
しかし、その途中でふと思い立ったように向きを変える。
彼が向かった先には、支えを失って地面に横たわるトロールがいた。
音だけを頼りに大雑把な顔の位置を確かめると、そっと小声でこう囁く。
「あんたには助けられた。あんたが正々堂々と戦ってくれたおかげで、俺にも勝機が生まれたんだ。その気になれば、いくらでも確実に勝つ方法があっただろうにな……。認めるよ、あんたは生粋のエンターテイナーだ」
うつ伏せに倒れたトロールの顔が、むくりと凛の瞳を捉える。
トロールにみなぎる生気を感じると、凛はその場で立ち上がり、観客席のレムに向き直る。
「おいレム!まさか、戦えなくなったこいつを殺したりはしねえだろうな!?」
大声を張り上げる凛。
次の瞬間、水を打ったように静まり返る観客。
トロールに対する凛の気づかいに心打たれたわけではない。レムを呼び捨てにしたことに、呆気に取られていたのだ。
「まさか、あの男……今、レム様のことを呼び捨てにしなかったか……?」
「俺もそう聞こえたぞ……」
「冗談だろ?命知らずにもほどがある……」
ざわざわと波打つ観客席を制するように、レムの穏やかな声が響き渡る。
「安心してください。このコロシアム以外での命のやり取りは、最大の"禁忌"としています。それに、ベッジ君はその程度の怪我で再起不能になったりはしません。しばらく休めば、すぐに復活しますよ」
「それを聞いて、安心したぜ。それじゃあ、ベッジ。今度あった時は、また別の勝負をしよう。こんな直接的じゃない、もっともっと熱い命賭けのギャンブルをな!」
筋肉の塊のような顔面が、不意に歪んだ気がした。
凛には何となくだったが、彼が笑ったように感じたのだ。
観客の悲鳴がこだまする。凛がベッジを下したのは、紛れもない『超大金星』言い換えれば、それは超大穴の番狂わせを意味する。
トロールの30連勝に賭けていた観客の大勢が、悲痛な叫びをあげる。
もちろん、凛に賭けた者がいたとしたら、破格の報酬を受け取っているに違いない。
コロシアムを立ち去った凛を、大量のチップを抱えた鈴が迎えてくれた。
「……お疲れ様……」
腕いっぱいに抱えたチップで、足元がふらついている。顔すら見えないほどだ。
「その様子じゃ、随分と儲かったみたいだな。命を賭けた甲斐があったもんだぜ……って、まさか、チップを全部受け取ったのか?」
「……受付に行ったら手渡されたの……落としていないか、心配だわ……」
「いや、こういうところって大量のチップは保管してくれるはずなんだが」
「そ、そうなの?」
「そうでもなきゃ、一億枚ものチップを持ち歩けるわけねえだろ」
呆れるというよりも、どこか楽しむような口調で凛は笑う。
目の前の女性は、おそらく賭場に足を踏み入れることすら初めてだったのだろう。いつもは何でも知っているような口ぶりの鈴が、こうして戸惑う様子は微笑ましいものがあった。
「それじゃあ、どこに預ければいいのよ?」
「それは、僕がご案内しましょう」
いつものように唐突に背後に気配が現れる。
同時に、周囲から悲鳴が立ち上る。悲鳴とは言ったが、歓声を超えた歓喜の悲鳴である。
突然姿を見せたレムに、賭場の客たちが色めき立つ。
「なんだ、まだいたのか?それに、今は姿を消してないみたいだな」
「ここは特別な場所でして、姿を消したままにはできないんですよ。それにしても、見事な勝利でした。それに、こんなに驚かされたのは長い人生でも久しぶりです」
賞賛の声で、凛の勝利を祝福する。
驚いたという言葉に嘘はないようだ。声が少し上ずっている。
「まさかあなた自身がコロシアムに出場するなんて思ってもいませんでしたからね。しかも、その《剣》……」
大勢の前でその名を口にすることを躊躇ったようで、意味ありげな表現だけに止め置いてくれた。
もちろん、その意図はしっかりと二人に伝わっている。
「やっぱり、分かっちまうんだな」
「変だとは思ったんですよ。あなた達に会ったのは、いつもこのエリアに人が迷い込んでくるのとは違う曜日でしたし。何より一度に二人は聞いたことがなかった。あなたたちがどこから来たのかも、凡そ理解できましたよ」
「それじゃあ、俺たちの目的については……?」
「そればっかりは、僕の口からは言えません」
「……あたしたちを、どうするつもり?」
鈴の問いかけに、レムは肩をすくめるだけで何も答えなかった。
おそらく、何かするつもりであればとっくに仕掛けていただろう。ここにこうして姿を現したこと自体が、敵意のないことを証明している。
(まあ、この木偶の棒の特性を知ってりゃ、今姿を見せても平気だとタカをくくってるだけかもしれねえがな……!)
そう言いながらも、凛の第六感はレムが殺意を持っていないと告げていた。
「ところで、僕にも教えてくれませんか?あの瞬間、あなたは何を斬ったんですか?」
「あいつの『骨』だよ。先生が言ったんだ。ベッジの野郎は骨までは再生できねえってな」
「そうなんですか?」
驚いたような声を上げるレムに、鈴はため息をついた。
「……あなた、自分が使役している魔物のことくらいはもう少し知っておきなさいよね」
「使役なんてとんでもない。僕は、単純にみんなに好かれているだけです」
「あっそう」と、興味なさそうな視線を送りつけると、鈴は説明を続けた。
「……あの傷の治りの速さはさておき、治る過程には違和感があったの。まるで傷口自身が意志を持って塞がっているように見えたわ。そこで、あたしは一つの仮説を立てたわ」
若干息苦しそうな鈴の声。
「寄生虫のような、別の生き物が体内に住みついて怪我を治している。傷口を埋めるように、分裂・成長しているのではないか、とね。全身を覆う筋肉の動きも、よくよく観察してみればトロール自身の動きとは無関係に脈打っていたしね」
狩りで培った観察眼がここでも生きていたようだ。鈴は、生き物の行動と筋肉の動きを連動して把握する術を身につけていた。
「松明の炎を怯えたのも、きっとそのせいね。光を嫌う性質を持つのは、おそらくプラナリアじゃないかしら?微生物の中でも群を抜いた再生能力を持つプラナリアなら、あの理不尽な傷の治りも説明できるわ」
プラナリアというのは、体長2~3cmの微生物の一種である。
地上最強と言われる復元能力を持つと言われている。体を200に切り刻まれたのちに、そのすべての破片から再生を果たし、結果的に200体に分裂したという逸話を持つほどである。
負の走光性という、光を嫌う性質をもった変わった生物。
「当然ながら、微生物には骨を修復する能力はない。行動不能にするだけなら、骨を斬るだけで十分でしょう?」
「"肉を切らずに骨を断つ"ですか……!」
「なかなか面白いこと言うじゃねえか……」
一しきり説明を聞き終えると、レムは満足したようにその場を立ち去ろうとした。いつもはもっと長居するはずなのに、ここでは勝手が違うらしかった。
そんなレムの背中を、鈴が呼び止める。
「……ちょっと待ちなさい」
「ハイ!」
鈴に呼び止められるとは思っていなかったようで、レムが嬉しそうにこちらを振り向いてくる。
何かを期待するような顔に、鈴はむしろ懇願するような声を続ける。
「……早く、このチップを預ける場所を教えて頂戴。そろそろ持っているのも限界なの……」
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率直な印象を星の数で教えていただければ幸いです
つまらなければ、遠慮なく星1つつけてやってください
感想も、「ここが分かりにくい!」「科学には興味ない!」など厳しい意見をお待ちしています




