15th BET 『もう一つの大地』 2
凛が眠りについて、体感で3時間以上が経過していた。
体温計を睨みつけたまま、それこそ体を張った鈴の看病のおかげで、凛の体温は元に戻りつつあった。
火傷も、幸いにして重症化を免れたようであった。
黒体放射によって発生した電磁波は、一瞬で凛の上半身を焼き尽くした。
しかし、電磁波に晒された時間がほんの一瞬だったことと、電磁波の波長がそれほど長くなかったこともあり、火傷はごく表層だけで収まっていたようだった。
加えて、これは怪我の功名としか言いようがなかったが、ルージュに体温を提供したことが功を奏していた。
火傷の治療の鉄則は、とにかく冷やすことにある。
受け取った熱をそれ以上皮膚の内側に侵入させないように、熱を奪い去る必要があるのだ。
ルージュの精霊術の代償で全身の体温を奪い去られていたため、通常とは異なり『体の内部から』冷却することとなった。
そのおかげで、火傷の進行を食い止めることに成功していたのだ。
「とにかく、これで一段落ね……」
服を着ながら、鈴は一人で大きくため息をついた。
言葉とは裏腹に、心の中には未だに巨大なわだかまりが残ったままであったが、それを口にすることはできなかった。
肩を落とし、空を見上げる。
そこには、変わらず上下ひっくり返った大地が見えていた。
「あれから、一向に夜が更ける気配はない。やっぱり、ここは天界なのかしら……」
こちらに来てから、まだ12時間も経過していない。確信には至らないが、疑惑は徐々に深まっていくばかりだった。
「あの時、あの性悪神は『元の世界に戻す』と言ってたけど、元の場所に戻すとは言ってなかったわね……まったく、どうしてこうも人をおちょくるのが好きなのかしら……」
言ってやりたいことは山ほどあったが、それは次に会った時のために取っておくことにした。
とにかく、今は他にやるべきことが残っていた。
「精霊術の代償から回復した以上、残るはこの火傷をなんとしなくちゃ」
麻酔の効果が続いているのか、凛は未だに眠ったままだった。
傷を回復させるためには理想的ではあったが、火傷の処置は別の者が請け負わなくてはいけない。
火傷を改めて観察して、鈴は二つの事実を確認した。
「やっぱり、火傷の自体はそれほど深くまで届いてないわね。面積がとんでもなく広いけど、傷自身は浅いわ。そして、やっぱり傷の治りが遅くなってる。それでも普通よりはだいぶ早いけど……」
言いながら、自分の指を見つめる。噛み切ったはずの指の怪我は、すでに完治していた。
下界にいた頃であれば、今の凛の火傷であればとっくに治ってもおかしくはないはずだった。
しかし、今はそうはなっていない。
疑問は尽きないが、その謎解きの前にやらなくてはいけないことがある。
「傷口を、消毒しないと」
火傷の治療で、熱の除去を行った後に行うのが、傷口の消毒である。いうまでもなく、火傷は皮膚の炎症である。したがって、細菌やウィルスから身を守るバリアがなくなった状態でもある。
二次被害として、感染症を予防することが重要となる。
鈴は改めて近くを流れる川に目をやった。
相も変わらず、川を流れるのは豊富な水と、そこから放たれる強烈な光であった。
「本来なら、清潔な水で皮膚を洗浄すべきなんでしょうけど……」
ためらうように、川を見つめ続ける。
この世界に来てからというもの、水にはあまりいい思い出はない。
ウンディーネの支配するレプイーリ地方に流れていた川は人体には毒であったし(当のリン達にはその実感はなかったが)、その謎を解くために鈴は散々頭を抱える羽目になったのだ。
ましてや、今目の前に流れている川の不自然さたるや前回の比ではない。
そんな水を使うこと自体がためらわれた。
「あ、そうか……!」
と、そこまで考えて鈴は何かに気づいたように手を打つ。
「ヘスの力で、水だけを結合させて取り出せばいいのよ。万が一違う物質が入っていたら作用しないわけだし。狙った物質だけを単離させられるなんて、本当に便利な能力よね」
本来ならばもっと違った使い道があるはずなのだが、鈴にとっては便利な科学実験の道具にしか見えていないようである。
しかし、なぜか今回はヘス本人は何の反論もすることはなかった。
川の水に手を浸し、能力を発動させる。
「……あれ?」
予想とまったく違った手ごたえに、鈴は疑問の声を上げた。
「おかしいわね。何の手ごたえもないわ。水の精霊の時みたいに、水の物性自体が変化してるのかしら?」
と、ここまで自問をしておいて、鈴はもう一つの異変に気付いた。
こちらの世界に来てからというもの、一度もヘスの声を聴いていなかったのだ。
「ヘス……?聞こえてるなら返事をして頂戴」
両の腕にはまった、銀色の腕輪に声をかける。しかし、一向に返事は返ってこなかった。
代わりに、神剣がその理由を説明する。
『今、訳あってヘスのやつは活動を停止させておる。当面の間は『結合』も『意思疎通』も機能せんはずじゃ。しばらく、そっとしておいてやってくれ……』
「活動を停止?なにかあったの?ここに来た直後は能力が使えてたみたいだけど……」
『その理由については、儂らが語ることは禁止されておる。ただし、今回の機能不全はヘス自身の意思によるものじゃ。まったく、頑固なところは昔から変わらんな……』
いつもであれば相手が泣いて許しを乞うても容赦なく質問攻めにする鈴であったが、これまでの経験から、彼らには絶対に答えられない問いが存在することは理解していた。
そして、心なしか寂しげで、そして憐れむような神剣の声に、鈴はそれ以上質問を続けることができなくなっていた。
「しかし、参ったわね。このままじゃ打つ手がない……」
神器の能力も使えなければ、他に使えそうな道具もない。周囲を見回しても、ただただ広い平原が広がるばかり。
こんな状況では、何の治療も施すことはできそうになかった。
鈴が途方に暮れていると、不意に背後から声をかけられた。
「お困りのようですね。よかったら、力を貸しましょうか?」
「!?」
鈴が青い双眸を大きく見開く。つい先ほど、周囲を見回したばかりだったはずだ。
そんな状況で、急に背後から声をかけられるはずがない。
慌てて振り向くと、しかし確かにそこには声の主が存在していた。
「すいません、脅かすつもりはなかったんですが。何しろ、目立つのが苦手なもので」
まったく説明になっていない説明をして苦笑いをするその男性は、ひとことで言えばいかにも浮世離れした容貌の持ち主であった。
柔らかくカールした金髪に緑色の瞳。色素の薄い肌に華奢な体格。
生まれてこのかた力仕事とは無縁の暮らしを送っていなければ、これほど細くて奇麗な体形を維持することは不可能であっただろう。
一瞬でその印象だけを頭に叩き込むと、鈴は何よりも優先して一つの問いを尋ねた。
「一体どんな手品を使って、あたしの背後に回り込んだの?説明して頂戴」
「おやおや、初対面の相手への第一声がそれですか……まあ、無理もないかもしれませんけどね」
薄い胸板の上に両肩を乗せるように竦めると、男は何かに納得したように柔らかく頷いた。
鈴が警戒するのも無理はない。そして、彼女の溢れんばかりの知的好奇心を刺激したのも事実であった。
「実は僕、姿を消せるんです」
言葉の直後に、男はそれを実践して見せた。何の前触れもなく、目の前の男の姿が消えたのだ。
「なっ……!?」
鈴が絶句していると、数瞬後に再び同じ位置に男の姿が現れた。
「ご納得いただけましたか?」
「できるわけないでしょ?スプーン曲げの方法を聞いたら”超能力です”って答えられたところで”なるほど”という人がどこにいると思うの?」
鈴はいつものように冷静にツッコミを入れた。
男は苦笑するより他なかった。笑いながら、言葉を続ける。
「うーん……確かにそうかもしれませんが、他にどう説明したものやら……」
言葉とは裏腹に、男には至って余裕そうに笑うだけで、それ以上説明することを諦めたようだった。
鈴がさらなるツッコミを入れようとするのを躱して、そっと凛の脇に座り込む。
「とにかく、僕はあなたに危害を加えるつもりはありません。それどころか、この男性の怪我を治してあげようというんですよ?」
凛の火傷に手をかざす。鈴は咄嗟に叫んでいた。
「その人に触らないで!」
凛に伸ばしていた腕を捕まえようと手を伸ばすが、先ほどと同様に男の姿は掻き消え、鈴の手は虚空を彷徨う。
まるで幽霊でも捕まえようとしたかのように、鈴が通り抜けた直後に再び男の姿が現れた。
「やれやれ、あなたにとってよほどこの男性は重要なのですね。さっきまであんなに冷静だったあなたがこんなに取り乱すなんて……」
言われて初めてそのことに気づいたようで、鈴は言葉を失う。
(あたしが取り乱した……?そうかもしれない……けど、冴木君はあの性悪神を倒すための大事なパートナーだから……)
鈴は稀にこういう思考プロセスを踏むことがあった。直感で先に行動し、後でその理由を思いつくのだ。
今回も、なぜ自分があれほど慌てて凛をかばったのか、その理由を後になって考えていた。
しかし、思ったよりもその考察に時間と集中力を取られてしまっていたようで、その隙に男は再び凛の火傷に手をかざしていた。
「あ……!」
鈴が声を上げた頃には、男は何らかの処置を終えたらしかった。再び立ち上がり、柔らかな表情で鈴に事情を説明し始めた。
「虚を突いたようで恐縮ですが、きちんと彼の火傷の跡を見てください。僕が悪いことをしたわけじゃないことが、分かっていただけると思いますよ?」
言葉の示す通り、凛の火傷は以前よりも傷口が奇麗になっていた。
先ほどルージュの見せた『再生の炎』のように、火傷そのものを消し去ったわけではなく、あくまで火傷の化膿を防いだだけのようであったが。
「確かに、これで傷口の消毒も必要なさそうね……」
「ほらね?危害を加えるつもりがないって、分かってもらえたでしょ?」
なぜか嬉しげに笑う男をしり目に、鈴は凛の様子を念入りに確認した。
容体に変化はない。体温も安定しているし、火傷の消毒も済んだ。このまま順調にいけば、ほどなくして回復するはずだ。
火傷の状態の変化を確認しているうちに、鈴は目の前で柔らかく笑う男の正体に思い当たる節ができた。
「あなた、まさか精霊使い?天界にも、精霊が存在するの?」
スプーン曲げの方法を聞いたら"超能力者です”と答えられても納得できないが、この世界では"精霊使いです"と言われれば納得せざるを得なかった。
兎にも角にも、精霊の能力を行使する者たちは、鈴の常識とはかけ離れた理屈で活動しているのだ。
目の前の男も、何らかの精霊と契約を交わした者だとすれば、合点がいく。
しかし、男はかぶりを振ってまたも爽やかな笑顔を浮かべた。
「精霊を御存じとは、あなたは下界からいらっしゃったのですね?ですが、僕は精霊使いではありません。でも、まあ……似たようなものと考えてもらってもいいですよ?」
容姿と、その表情と同様に、極めて曖昧な表現に次第に鈴がいら立ちを募らせる。
「さっきからイチイチ持って回った言い方ばかり繰り返してくれるわね。あたし、そういう迂遠な物言いは苦手なの。いいから、とっととあなたの正体を話して頂戴」
「やれやれ、随分と身勝手なご要望ですね……僕としては、あなたのことをもう少し知りたいと思っているのに……仕方ありません。まずは自己紹介が先のようですね」
しなやかな指を優雅に胸に当て、男は軽く会釈をした後にこう告げた。
「僕の名前はレム。この世界では光の神と呼ばれています。以後、お見知りおきを。可愛らしい青い瞳のお嬢さん」
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