14th BET 『最後の賭け』 3
アルの最後の賭けは見事に的中し、文字通りすべてを吹き飛ばした。
精霊同士の衝突点で起こった水素爆発は、両者に均しく襲いかかった。
しかし、両者には決定的な違いがあった。
ウンディーネの周囲にはまだ蒸発し損ねた水の壁が残っていた。
文字通り最後の力を振り絞ったアルに代わって、ウンディーネが水の保護壁を展開して爆発の衝撃から身を守ったのだ。
一方のイフリートには身を守るものはなにもなかった。地中で身にまとっていたマグマは全て蒸発し、残っていたのは純粋な熱だけだったのだ。
そのような状況で、物理的な衝撃から身を守ることは困難である。
爆発の衝撃をもろに受けた火の精霊は、地表に激しく打ち付けられる。
衝撃を緩和するために、落下した地面をマグマ化させたところで最後の力を使い果たしたようだ。
あれだけ激しく猛っていた赤い光は、呆れるほど弱々しく明滅するだけとなっていた。
再び、大地に静寂と暗闇が戻っていた。
地面に落下する衝撃を、最後の水で受け流したところで、ウンディーネも力を使い切っていた。
干からびこそしなかったが、元の小瓶程度の水に身を浸していた。
それでも、ウンディーネは生き残った。
今までにないほど静かな声で、アルに話しかける。
『小僧……いや、アル。お前は……よくやった。人に使役されるのも悪くない……このウンディーネにそう思わせたのだ。誇りに思うがいい』
「あり……がとう……ウナギさん……ちょっとは、父さんみたいに……やれたかな……?」
術の代償で息も絶え絶えだが、アルは満足そうに笑った。
彼の憧れに、また一歩近づけた。そんな実感があったのだ。
「そうだ……マイヤー様が……!急いで手当てしないと……大やけどしてるんだった……!」
泥のように重くなった体に鞭うって、アルは再び起き上がろうとしていた。
元々、マイヤーを助けるためにこれだけ危険な賭けに打って出たのだ。
ウンディーネと激突するまでに、イフリートの炎に焼かれていたのだ。危険な状態に違いなかった。
「でも……どうすれば……僕には火傷を治す力は……ない」
それでも何とか策を巡らそうとするが、思考に必要な酸素も気力も根こそぎ使い切った状態ではそれも厳しい。
アルが途方に暮れていると、背後から不意に声が聞こえてきた。
「その方の火傷は、私が癒します。あなたは、少し休んでいてください」
どこかで聞いたことのある声だ。
それも、つい最近。
アルが声の主に向き直る。深紅の外套を身にまとった、優しげな表情の女性がそこに立っていた。
「おばさんは……!」
穏やかに笑いながら、女性はスナップを効かせた鋭い拳骨をアルの脳天に打ちおろした。
「オホホホホホ……!一児の母とはいえ、まだおばさんと呼ばれるほど歳は取っていませんよ……!さあ、あとは私に任せておやすみなさい」
言われるまでもなく、女性の一撃は奇麗にアルの意識を刈り取っていた。
目を回して、アルは地面に崩れ落ちる。
「マイヤー、お久しぶりですね。結婚式の招待があったのではるばる来てみれば、これはどういうことでしょう?これほどの火傷、私でも癒しきれるか……。まあ、それでもやってみましょうか。だめなら、その時はその時ですわね」
意識を失った二人を前に、《聖女》カロリーナ=クレメンテは暢気に治療を開始したのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
二大精霊の激戦からしばらく後に、8人はようやく地上にでることができた。
『裁きの炎』を酷使した6人の騎士に手を貸しながら、二人のリンはしばらくぶりの地表の光景を目にし、呆気にとられた。
「なんだ、こりゃ……戦争でも起こったのか?」
凛がそう呟くのも無理はなかった。
イフリートに蒸発させられた高温の水蒸気が地表の建造物をすべて吹き飛ばし、最後にとどめの水素爆発である。
地上は完全な更地になっていた。
「しかも、この熱気……地表に出たイフリートがよほど暴れたみたいね。てっきり、大好物を頬張っておとなしくなるかと思ったのに」
言いながら、鈴は手にしたルーレットの近くに凍らせた酸素を近づける。
この熱で再び超伝導の臨界温度を超える危険性があったためだ。同じ過ちを繰り返すほど、鈴は愚かではない。
「お父様は……?無事なの?」
不安げな声を上げるルージュ。その声に、ようやく地上で待っているはずの二人のことを思い出した凛は、慌てて周囲を見渡す。
「アル!マイヤーさん!無事なら返事してくれ!」
更地になった地表を、うっすらと生暖かい蒸気が霧のように覆っていたため、視界が効かなかった。
もとより視覚を奪われていた凛は、音の反響と、わずかな物音から何者かが近くにいることを嗅ぎ取った。
(近くに誰かいる。でも、なんで俺の声に返事しないんだ……?)
嫌な予感が胸を埋め尽くす。こういう時の悪い勘は、残念ながら外したことがなかった。
凛の示す方向にルージュが霧をかき分けて進むと、その中に3人の人影を見つけた。
「アル君!?……よかった、無事みたい。こっちは……!」
アルは、今は穏やかな寝息を立てて眠っていた。(頭に特大のたんこぶができていたが、ルージュにはそれを確認している余裕はなかった)
残る2人、特に地面に横たわる人影を認めると、ルージュは悲鳴を上げることもできずに絶句していた。
嫌な予感に身を震わせ駆け寄ると、タウは想像もしなかった3人目の人影に声を上げる。
「母上!?どうしてあなたがここに?」
「あら……タウなの?あなたの結婚式があるって招待状が来たのよ?そしたらこの有様でしょ?びっくりしたわ……」
「……母上……結婚するのは俺ではありません。しかも、日にちは昨日。挙句に場所まで間違えてます……」
呆れるようにため息をつくタウ。
その様子に、ビンケルの3騎士はなぜか同情するような視線をタウに向けるのだった。
「お父様!どうして……こんなひどい火傷を……!」
『そやつが手にしている角を見てみろ。それを守るため、生身でイフリートの能力を浴びたのだ』
「私の能力でも、どうにか息を繋ぐだけで精いっぱいだったわ。でも、このままじゃいずれは……」
気絶したままのアルに代わってウンディーネが事情を説明する。
カロリーナの実力をもってしても、即死することを防ぐだけで限界だったようだ。彼女の全身も、すでに氷のように冷たくなっていた。
「嫌!お父様!返事をしてください!!」
「……ルージュか……」
「お父様!良かった。しっかりしてください。すぐに手当てをできる場所にお連れします」
カロリーナの治療の甲斐あって、マイヤーは意識を取り戻すことができたようだった。
うっすらと目を開けて自分の娘を認めると、消え入りそうな声で静かに言葉を紡ぐ。
「どういうわけか分からぬが、まだお前に話をする時間が残っているようだ。なんという幸運だろうか……いいか、今から私の話をよく聞きなさい」
「お父様!?」
マイヤーは、手にしたドラゴンの角を弱々しく持ち上げると、そっとルージュに手渡した。
「これは、お前のものだ。すまないが、皆もそれでよいな?」
同じく凍え切った全身を引きずりながら、ウィリアムがマイヤーの前に跪く。
「俺はこの勝負を棄権した。その角は、お前が命を賭けて手にしたのだ。好きにしろ……」
「ウィリアム……ありがとう……」
「よせ!貴様のそんな弱り切った声など聞きたくなかったわ!」
踵を返すウィリアム。
マイヤーは、再びルージュにやさしい視線を向ける。
「その角は、お前の好きにしなさい。武器を作れば、その火産霊神以上の名刀となる。きっと、騎士としてのお前の役に立つだろう。そして、あれを見なさい……」
視線だけでマイヤーが示した方向を見やると、ドラゴンの角が空けた穴があった。
「この不毛の地にあっても、その角を肥料とすれば作物は豊かに実る。領主として、民のために使うこともできる……」
穴の淵には、早くも緑が芽吹き始め、花が咲いていた。荒野に、自然と花が咲くことなどリーチェでは絶無と言ってよかった。
わずかに溶解した角の成分が地表に行き渡り、熱した水蒸気で温室となった環境で、急激に植物の生長を促したのだ。
「これが……私がお前に遺してやれる、最後だ……」
「お父様!そんな…やめてください!」
縋りつき、涙を流す。
こんな形で別れがやってくるなどとは、思いもしなかった。
結婚式のことを思い出す。
大事なものは、失う直前になるまで気づかない。
そして、先ほどの凛の言葉を思い出す。
明日が最後の日になるとして、今やるべきことは何か?
「私……お父様に死んでほしくない……そんなの……嫌です……」
「わがままを言うな。私は、こうして最後の言葉をお前に伝えられただけでも、十分に思っている」
「嫌です……嫌です……」
他の言葉を忘れたかのように、父を引き留めるための言葉を繰り返すルージュ。
その場にいた誰もが、それを叶えられる力を残していなかった。
懇願の声が静寂に響く。
神でも悪魔でも良い、そんな悲壮な声を聴いたものが、その場にもう一人だけいた。
『その男を……救いたいのか……』
霧の向こうから声が聞こえる。しかし、霧が覆っているのは地表の僅か表層。声の主は、雑草ほどの高さに霧に隠れるほどに小柄だった。
「その声は、イフリートか?」
『いかにも……力をすべて使い果たし、今では見る影もないが……』
突風が霧を晴らす。
炎の魔凰の、本体が姿を見せた。
「……ヒヨコ?」
鈴がポツリとつぶやいた。
イフリートの正体は、手のひらサイズの黄色いヒヨコだったのだ。
『我の力の源は、食事。先ほどのウンディーネとその使い手との戦いで、残った栄養をすべて使い果たしてしまったわ……』
鈴は、大地に寝そべるアルの表情を見やる。
満ち足りたその寝顔に優しく微笑みかけると、再びヒヨコに向き直る。
結論を急ぐ必要があった。彼らには、時間が残されていない。
「手短に言いなさい。ルージュのお父さんは、そんなに悠長な時間は残ってないの」
『食欲に負け、角を追って鉱洞の外に出たため、我は鬼ごっこに敗北した。つまり、貴様らは我を使役することができる』
「そうか!あんたを使役すれば『再生の炎』が使えるわけだ!」
『その通り。ただし、能力の代償はそのまま。我の能力は"熱の移動"故、人を癒す元の熱源は変わらず人でなくてはならん。そしてもう一つ……』
ヒヨコが、小さな羽をルージュの懐に向ける。
『使役する精霊の力が弱まっていては、『再生の炎』の力もたかが知れている。逆に、我が満腹となれば、かつてない精度と速度で、いかなる傷を癒すことも可能となろう』
「つまり、マイヤーさんを助けたければ、そのドラゴンの角をよこせ、と」
『……』
沈黙は、何よりも雄弁な答えとなった。
ルージュは手にした角を見て、視線を凛に向けた。
答えを求める目線ではない。凛には、それがよく分かっていた。
だから、確認するように、念を押すように、賭けの条件を提示した。
「最強の剣か、最高の実りか、それとも……?さあ、好きなものにBETしな……!」
涙をぬぐい、決意の視線で凛に応える。
握りしめた角を掲げ、高らかに宣言する。その声には、もう迷いはなかった。
「我が名はルージュ。プレスコット家最弱の精霊騎士。そして歴代で最悪の領主として語り継がるでしょう。火の精霊イフリートよ、私に、私の我儘を押し通すだけの力を貸しなさい!」
『心得た!』
捧げられた角を、再び紅蓮の炎が覆いつくす。
角を覆い隠してしばらくすると、炎の色が金色へと変化していった。金色の炎を身に纏った、荘厳な鳳凰が羽ばたく。
「カルシウムの炎色反応。確かに、こうしてみると黄金の輝きね……」
「おお、なんと美しい……」
地表を再び眩い光が覆いつくす。しかし、今度はこれまでよりもはるかに暖かく、優しい光で満ちていた。
慈悲の羽ばたきで、イフリートはルージュを優しく包み込む。
『これで、我の主はルージュ=プレスコット、汝だ。存分にこの力、振るうがいい』
黄金の炎に照らされて、ルージュは静かにマイヤーに手をかざす。
『再生の炎』を扱うのは初めてだ。
もともと、彼女は際限なく温度を上げるよりも、穏やかな温度を一定に保つ方が得意だった。
ぬるめのお茶を沸かす程度の能力で魔物を焼き尽くそうとしていたのだから、今思い返しても無謀極まりない話である。
しかし、人の細胞を癒すためにはそれが理想的な条件だった。
それを示すように、マイヤーの全身の皮膚が見る間に元通りに戻っていく。
その光景を見て、カロリーナは感嘆の声を漏らす。
「やっぱり、こういうのを才能というのよね。タウがやっていたら、あっという間に黒焦げになっていたでしょうね」
「母上、その言い方はあまりにも……」
「でも、やっぱりマイヤーの火傷は深刻よ。傷の治りは速いけど、ルージュちゃんの体温の消耗も激しいわ……。このままじゃ、持たないかもしれない……」
イフリートの能力は熱の移動にある。本人が告げたように、移動させる熱源は人の身でなければならなかった。
ドラゴンの角を取り込み、全開となった能力故にその移動速度と精度は極限まで高まったものの、肝心の熱源が枯渇しつつあった。
角を地表に打ち出す際、ルージュも『裁きの炎』を限界まで酷使していた。そのため、彼女自身に残された体温も残りわずかとなっていた。
ルージュが全身を震わせる。
(こんな時に、お父様との修行の日々を思い出すなんて……。精霊術の修行の後は、いつもこんなふうに凍え切っていたもの)
手が震え始める。血の気が引き、視界が薄くなる。それに応じるようにマイヤーの傷の治りが遅くなっていく。
自分の才能を呪った頃は何度もあったが、才能でも届かない限界があることを、絶望的な気分で悟っていた。
(人ひとりの命を救うことって、こんなに大変だったのね……。きっと、人ひとりを産むことも、育てることだって、もっともっと大変だったに違いないわ……)
ルージュには、今自分が望むものがはっきりと見えていた。今度こそ、間違いなく見えていた。
そして、それが遠のいていくのも、はっきりとわかっていた。
(足りない……足りない……!私の体温、命だけじゃ……足りない!)
術の使い過ぎで凍えるルージュ。幼いころの自分を思い出す。
心配そうに声をかける父。心配かけまいと、笑顔で答えるルージュ。
(ずっと言えなかった。凍え切った私に、欲しかったもの……それは……)
優しい言葉と、温かい抱擁。そして……
望んでも口に出せなかった、その願い。
父の使命、父の期待、そして父の覚悟。すべてを背負ってきた。
しかし、そんなものは全てまやかしだった。
今、目の前で失われつつある命に比べれば、ほんの些細なことだ。
生きてほしい。そして、暖かく抱きしめて、笑ってほしい。そして……
ささやかだが、切実な願い。でも、心の底から望んだもの。
その願いを叶えるように、ルージュの背中を温かく包み込む者がいた。
声の主は、優しい言葉の代わりに、賭けの条件を提示した。
「それじゃあ、俺も一口乗らせてもらうぜ」
「冴木様!?何のつもりです?」
「決まってるだろう?俺の体温も使ってくれって言ってるんだ。人から人への熱の移動がイフリートの能力なんだろ?だったら、移動させる大元は術者じゃなくてもいいはずだ」
「冴木君、あなたも結構なやけどを負っているのを忘れないで?それならあたしが……!」
「やけどを負ってるから、ちょうど冷やしてもらおうってんじゃないか。他のみんなは術の使い過ぎでこれ以上は無理さ。先生が気絶したんじゃ、またルーレットが動き出しちまうかもしれねえ」
そして、これが一番の理由と言わんばかりに、声を張る。
「これだけ堂々と美人を抱きしめられる特権を、他の奴には譲れねえな!」
「……あなたって人は……」
複雑な表情を浮かべる鈴をよそに、凛はルージュに続きを促す。
しかし、当のルージュは困惑していた。
「いいんですか?術の耐性のない者には重い後遺症が出るかもしれないのですよ?そうまでして……私は……」
今日一番の轟音が大地に鳴り響いた。
凛の怒声である。
「一度BETしたら、途中で勝負を降りるんじゃねえ!!!約束しただろ!?次に見つけた時は手放さねえって!今度こそ、自分の欲望から目を逸らすな!」
「……ッ!」
はじかれた様に顔を上げるルージュ。枯れた涙が再び溢れ出る。
『他人からの熱の譲渡は、特例中の特例。効率は悪くなるが、今回だけ認めよう……』
イフリートの声に合わせて、再びマイヤーの傷の直りが加速していく。
同時に、凛の体温はみるみる低下していった。
「お父様……!」
ルージュの祈り。すべてを賭けた精霊術。
まばゆい光が、暗闇の大地を満たしていった。
もっと面白い話を書くため、ご協力をお願いします
率直な印象を星の数で教えていただければ幸いです
つまらなければ、遠慮なく星1つつけてやってください
感想も、「ここが分かりにくい!」「科学には興味ない!」など厳しい意見をお待ちしています




