2nd BET 『"天災"科学者 伝説の腕輪から解放された直後に拉致される』
―――天才賭博師が顎を打ち抜かれる数時間前のお話―――
さて、いきなりで申し訳ありませんが、皆さまに一つ問いかけをさせていただきます。
え?『神を信じるかどうかについてはもう聞いたからいい』ですって?そうでしたか。それは大変申し訳ありません。
ですが、せめて自己紹介だけはさせてください。
私の名前は《神器》ヘス。この異世界『レットール』の創造神によって生み出された、たった一対の腕輪でございます。以後、お見知りおきを。
そのご様子ですと、『来訪者』の使命、邪神のあらまし等も御存じなのでしょう。
少々寂しくはございますが、私が皆さまに予めお伝えしたかったことは以上となります。
これ以降は、間もなくこの世界にやってこられる『来訪者』のご紹介をいたしましょう。
主神より聞かされている情報は二つでございます。
一つ目はお名前。名を、逢沢鈴とおっしゃるようです。なんと可愛らしいお名前でしょうか。いったいどんな素敵なお方なのか、今から楽しみです。
二つ目はご職業。なんと『科学者』とは珍しい。
この世界では『精霊術』が発達しているおかげで、科学と言った学問は全く発展しておりませんので、どのようなお話が伺えるのかワクワクいたします。
おっといけません。新しい主となる方への思いは募るばかりですが、最も大事なことを忘れないように注意が必要です。
主神が私に与えた能力は『結合』と、使用者との『意思疎通』にございます。どんなものであっても、手に触れたものを結びつける。それが私の唯一の能力です。
先に《神剣》がお伝えしたかと思いますが、彼同様、私を手にするにも試練がございます。
その試練の内容こそが、私が『来訪者』に伝えなければならない、最初にして最も重要なことなのです。
《神剣》を手にするための試練は彼を引き抜くことでしたが、私の場合は少々趣が異なります。
私を手にする…というか手にした私から解放される事こそが、《神器》ヘスの試練なのです。
試練の名は『縛鎖の綻び』と申します。先ほど申しあげたとおり、私は1対の腕輪の形をしておりまして、『来訪者』はこの世界に召喚されると同時に私を装着することになります。
装着と言えば聞こえがよいですが、『縛鎖』の名が示す通り、1対の腕輪はちょうど8の字を描くように一点で結合したまま、あたかも手錠のように『来訪者』の両手を拘束しております。
この拘束を解くことこそが、私の主となるための試練なのです。
私の本質は《不変》。本来変わることのない私の綻びを見出し、支配することがカギとなります。
と、ここまで勿体ぶってみたものの、綻びを解く方法はいたってシンプルでございます。
1対の腕輪の結合点は、ある幾何学的な構造を有しておりまして、左右の腕輪を3次元的に動かして結合点を解放するのです。
どこかの世界では『知恵の輪』などとも呼ばれておりますが、主神の課した試練は少々意地の悪い設定が加わっております。
それ故に、私は『来訪者』にお会いしたら何よりも優先してそのことをお伝えする必要があるのです。
腕輪の結合点は定期的にその姿を変えます。そして、その構造は時を経るごとに複雑さを増していくのです。
つまり、状況を瞬時に理解する把握力、そして即座に行動に移せる決断力、なによりも複雑な構造を読み解く考察力。これらを兼ね備えた方のみが私を扱う権利を得る、というわけです。
私がうっかりそのことを伝え忘れようものなら、何も知らない『来訪者』はいつの間にか人知の及ばぬほどに複雑怪奇となったパズルを手渡されることになるのです。
私に課せられた、最初にして最も重要な役割だと、ご理解いただけたでしょうか。
どうやらそろそろ新しい『来訪者』逢沢鈴様が到着されるようです。
果たして、短い付き合いとなるか長い付き合いとなるかはわかりませんが、命尽きるまで私は新しい主へご奉仕するのみ。
召喚の光に包まれた鈴様の腕。細くて繊細な、奇麗な腕。それをこのような形で拘束することに、使命とはいえ心が痛みます。
優雅で透き通るような長い金髪。白い肌に浮かぶ、何ものをも見通すような深く澄んだ青い瞳。
無骨な黒ぶちのメガネが少々邪魔ではありますが、それを通してでも、なおその美しさが陰ることはありません。
身に着けていらっしゃるのは『白衣』と呼ばれる、科学者が身にまとうローブなようなものでしょう。小柄な身長に、少々だぶついておりますが、それもまた可愛らしゅうございます。
これまで幾度となく『来訪者』を迎えてきましたが、これほどに整った容姿をしたお方を見たのは初めてでございます。
しかし、見とれているわけにはいきません。私の、最初にして最大の使命が控えているのですから…
召喚の光が消え、青い瞳に意志の光が宿るのを確認すると、私はすぐに自らの意思を鈴様に伝えました。
これまで幾度となく繰り返し、その中で最も簡潔で、素早く要点を理解してもらうための手順で…
《初めまして。逢沢鈴様。突然このような事態に見舞われ、さぞ混乱されていることでしょう。ですが、今からお伝えすることは何よりも重要なこと。冷静になり、しばし傾聴いただけますでしょうか?》
声が聞こえたのか、鈴様は特に慌てる様子もなく、静かに周囲を見回していらっしゃいます。これだけ冷静でいられる方も珍しい。私は、この時最初にして最大の任務が無事に終わるという確信を抱きました。
しかし、その後に鈴様がとられた行動は、私の予想を大きく裏切るものでした。
鈴様は両手にはまった私を一瞥し、そのまま膝から崩れ落ち、まさに跪くような姿勢で号泣し始めたのです。
《り…鈴様?》
あっけにとられる私をよそに、滂沱の涙を流す鈴様。
「終わったわ…あたしの科学者人生…今度こそおしまいよ…」
《と、申しますと?》
思わず聞き返してしまう私。そんなことをしている間にも、刻一刻と結合点の構造は変化を続けているのに…
「思えば、小さいころから不運の連続だったわ。幼い頃に母を病気で亡くしたのがそもそもすべての始まりだったのかもしれないわね」
《病気で母君を亡くされたのですね。なんと不憫な…》
「それだけじゃないわ。良かったら、聞いて頂戴。あたしの不運の歴史を…」
そうなってからは、あっという間でした。私には一切口をはさむ余裕すらなく、鈴様は今までの不幸の歴史を淡々と私に語り聞かせました。
母を亡くした後の父との二人だけの生活がいかにひどかったか。遊ぶ間もなくバイトを続けて大学まで進学したが、難のある性格ゆえに研究室を転々としたこと。
行く先々で実験中に不幸な事故に見舞われ、その難しい性格と相まって"天災科学者"と呼ばれていたこと。
しかしそれにもめげず粘り強く研究を重ね、資金を集め、ついに自分の目標とする実験に着手したその瞬間。この世界に飛ばされてしまったこと。
本来ならば一刻も早く試練のことをお伝えすべきなのはわかっていたのですが、あまりに壮絶な鈴様の半生に、私は黙って涙することしかできませんでした。
主神よ…なにもこのようなタイミングで召喚なさらなくても良いではないですか…
《申し訳ありません。私には、鈴様に語り掛ける言葉が見つかりません…》
「そう…。こんなにあたしの話を黙って聞いてくれたのは、あなたが初めてよ。ええと、あなたの名前は?」
ようやく巡ってきた自己紹介の機会。かれこれ数十分が経過した今となっては、すべてが手遅れのような気もしますが、使命は使命。私は自らの名前と役割をお伝えすることにしました。
《申し遅れました。私の名前は《神器》ヘスと申します。今、不敬にも鈴様の両手を拘束している一対の腕輪こそが私の正体でございます》
「この腕輪が…?」
《私はこの世界の創造主たる主神によって生み出されました。全てはこの世界を滅ぼすといわれる邪神を討伐するため。そのために私に与えられた能力は『結合』。鈴様が手に触れ、認識できるものであればいかなるものでも結びつけることが可能です》
「ちょっと待って、何言ってるかわかんない」
急に私の言葉を遮る鈴様。そのお顔は、先ほどまでの可憐で儚げな表情と打って変わり、奇麗な青い瞳を吊り上げ、剣呑な光を湛えて私を睨みつけていらっしゃいました。
その変貌ぶりに、正直私は心底恐怖いたしました。
「定義があいまいよ。はっきり説明しなさい。手に触れるってどういうこと?皮膚の表皮細胞が接触している一分子のことを指すの?そもそも触覚で探知できないものに有効なの?それに結合といっても何種類もあるでしょ!?共有結合?イオン結合?それとも弱い力のことを指すの?いいから、一から順番に説明して頂戴」
《り、鈴様?申し訳ありませんが、私にはあなたの質問の意味が理解できません》
「結合の種類くらいは知ってるでしょ!?あなた義務教育受けてないの!?」
《申し訳ありません。こちらの世界ではそのような制度はございませんので…》
「わかったわ。それじゃあ一から説明してあげるから、ちゃんと理解するのよ!?」
《ちょっと…今はそんな場合では…!》
「あたしね。相手が言ってることが理解できないのが、何よりも嫌いなの…!」
フーッフーッと発情期の猫のように荒い息を上げる鈴様。
そのお姿を見て、あちらの世界で何故鈴様が不遇な人生を歩まれていたのか、その一端を理解できた気がしました。
それから、またも数十分にも及ぶ『講義』なのか『説教』なのかわからない時間が過ぎていきました。両手を私に拘束されていることなど忘れているかのように、熱心にひたすら説明と質問が繰り返されました。
もちろん、その間にも『縛鎖の綻び』は刻一刻と難解な姿へと変容させています。
私が半泣きになりながら必死に説明を続けた結果、鈴様はついには一つの結論にたどり着かれました。
「結局、自分で使って試すしかなさそうね。これこそ、まさに研究って感じだわ…!」
何かに納得し、新しい使命に燃えるような鈴様の瞳。元気を取り戻されたことは何よりも嬉しかったのですが、『縛鎖の綻び』の挑戦を開始するにはあまりにも時間が経ちすぎておりました。
結合点は、私自身でも理解できないほどに複雑怪奇な形状に変化しており、しかも刻一刻と変化を続けていました。
「なるほど。この知恵の輪を解けば、あたしはあなたの能力を使えるようになるのね?」
《その通りでございます。もっとも、ここまで時間が経過するまで着手されなかったのは鈴様が初めてでありましたが…》
「これも新しい実験のため。さあ、始めるわよ!」
そういうと、鈴様はその場にしゃがみ込み、一心に両手を動かし続けました。
しかし、構造は複雑。しかも制限時間まであるこの状況では、試練を達成することは容易ではありません。というか、これだけ時間が経過した結合点を解いた者などかつて一人もいなかったのですから…
案の定、時間経過によって結合点は新たな構造に変化してしまいました。
けれども、鈴様はめげず、すぐにその新しい構造に挑戦されます。
失敗しても、何度でも繰り返す。その姿に、先ほどお聞きした鈴様の半生が重なって見えた気がしました。
おそらく、鈴様は今までずっとこうやって生きてこられたのでしょう。不屈の精神とは、まさに鈴様のことを指す言葉。
気が付けば、試練開始から数時間が経過していました。
《鈴様…少し休憩されてはどうでしょうか?》
「黙ってなさい。気が散るわ」
《…》
これだけ長い時間、これほどに高い集中力を発揮することが可能だとは思いませんでした。それほどに鈴様の精神は研ぎ澄まされ続けていたのです。
そして、私はふと、恐ろしい事実に気づきました。
ますます複雑化していく結合点に挑みながら、鈴様の顔は楽しげに笑っておられたのです。
ここまで複雑化した『縛鎖の綻び』に相対した時、大抵の『来訪者』のとる行動は、諦めの表情を浮かべるか、あるいは自棄を起こしたように力づくで腕輪を引っ張るかのどちらかでした。
しかし鈴様は違う。心の底からこの試練を楽しんでいらっしゃる。どれほど困難であってもそれは関係ないのでしょう。己の知恵を絞り、難問に立ち向かうことが好きでたまらない。そんな表情に見えました。
そしてそんな鈴様の表情は、太陽のように眩しく、神々しいほどに美しかったのです。
私がそんな鈴様の表情に見とれているとそして、さらに恐るべきことが起こっていました。
「ようやくわかってきたわ…この構造の変化の法則に…!」
《…え?》
鈴様が告げた言葉は、私には到底理解しえないものでした。
この結合点の構造変化に法則性がある…?そのような事実、当の私ですら知らなかったというのに…
鈴様は、圧倒的な集中力と洞察力で、刻一刻と変化する私の結合点がとある法則に従って変化していることを見抜かれたのです。
「私の仮説が確かなら、あと10秒でこの構造に変わる…やっぱり!この知恵の輪…3次元じゃなくて4次元的に変化しているのね」
嬉々とした表情はさらに深まり、結合点を操作する手つきからは迷いが消え、恐ろしい速度で綻びを解き始めています。
しかし、その時でした…
はるか遠くからおぞましい獣の咆哮が聞こえてきました。聞き覚えのあるこの声は…!
《鈴様!お逃げください。凶暴なドラゴンが近くに迫っています!》
凶運を自称される鈴様の賜物でしょうか…このエリアにはめったに現れないはずの、狂暴なブラックドラゴンがこちらに迫ってきておりました。
逃げなければ、試練を達成できなかったこれまでの『来訪者』と同じ目に遭ってしまう…!
《鈴様!》
「………」
私がどれだけ声をかけても、鈴様は一切反応しません。完全に試練に没頭し、他の情報が一切入ってこない御様子。
「あと5秒で……大丈夫…このペースなら……3秒……」
鈴様のつぶやきに応じるように、ドラゴンは圧倒的なスピードで一直線にこちらに突っ込んできます。どうやら目標を見定めたようです。
「2秒……1秒……」
集中し、しなやかに動く両の手が、結合点の構造を確実に解いていきます。ああ、しかしもう時間が…!
それでも、最後の一瞬まで鈴様は諦めませんでした。その執念は、ついに主神の与えた試練を打ち破ったのです!
「ゼロ…!やったわ!」
なんということでしょうか。鈴様はついに『縛鎖の綻び』を突破してしまわれたのです。
記憶をたどるまでもありません。このクリアタイムは、間違いなく歴代最長記録。
そして、綻びの開放とともに、私もついに本来の姿を取り戻すことができます。
解放の余波が虹色の輝きとなって周囲を埋め尽くし、一瞬だけですが周囲すべての視界を奪い去ります。当然、鈴様に襲いかかりつつあったドラゴンとて例外ではありません。
目測を見誤り、地面に激突するドラゴン。その余波は、小柄な鈴様の体をやすやすと宙に放り投げてしまいました。
「きゃああああああ!」
《鈴様!いえ…我が主!》
叫んでみたものの、両の手に分かれた私の本体も、鈴様が何かに触れなければ何の役にも立ちません。このままでは、華奢な鈴様の体が硬い地面に叩きつけられることになってしまいます。
それは、私の望むところではありません。
《何でもいいから、その手に触れるものに意識を集中してください!》
「なんでもって言っても…あっ!」
上下が絶えず入れ替わる空中で、鈴様の手に触れるものがありました。いよいよ、私の本領を発揮する時が来たのです!
《我が主!その手に触れたものと自らの手が、強く結合するところを想像してください!》
「なんだかわからないけど、やってみるわ!この手触り…石灰岩みたい…きっと主成分はカルシウムね!」
不安定な空中で手にしたものの、手触りだけで組成を見抜くとは…!おかげで私の能力も最大限に発揮できるというもの。
私の力は、対象をはっきりと認識できるほど強く作用するのですから…!
『結合』が完全に作用し、両手に触れた硬質の物体との作用で、鈴様の自由落下は阻止されました。
《良かった…》
私は、胸をなでおろしました。
「ねえ、ヘス…?」
《何でございましょうか?我が主よ》
私は誇らしげに答えました。この新しい主のお役に立てたことが何よりも嬉しかったのですから。
「とりあえず、あなたの能力がどんなものか理解できたわ。いかなるものでも結合できるってあなたの言葉、信じる」
《ありがとうございます。これから、邪神討伐までの間ですが、あなたのお役に立てるよう全力を尽くします》
「そう…それじゃあ、まずこの状況をどうすればいいか、一緒に考えましょう…」
《我が主、それはいったいどういう…?》
私の声はまたも巨大な咆哮にかき消されます。そして、その咆哮はこれまでで最も大きく、間近かから聞こえてきました。いいえ、間近というよりも、それは真下から聞こえてくるようで…
「ヘス…この世界に来て、一つ新しい発見をしたわ…」
《…何でございましょうか?》
「ドラゴンの角の主成分って、カルシウムでできてるみたいね…」
《さすがの御慧眼…感服いたします…》
「ごまかしてないで、なんとかしてええええ!」
《ご安心ください。私の能力は絶対です。手に触れている間は、絶対にドラゴンから振り落とされることはありません!》
「じゃあ、どうやって降りるつもりなのよ!馬鹿あああああ!」
とまあ、これが《神器》ヘスと、我が主との出会いにございます。
この後のお話は、神剣より皆様に語られた通り。
このようにして、二人のリン様は出会われたのでした…
もっと面白い話を書くため、ご協力をお願いします
率直な印象を星の数で教えていただければ幸いです
つまらなければ、遠慮なく星1つつけてやってください
感想も、「ここが分かりにくい!」「科学には興味ない!」など厳しい意見をお待ちしています