7th BET『精霊を支配する者』 2
「それで、結局はこの後どうするつもりなの?」
領主の部屋を後にした二人は、またも町の中を仲良く散策していた。
あれだけ大見えを切って出てきてしまっただけに、今更協力してほしいということもできないだろう。それに、あの二人は本当にそれどころではないはずだった。
急激に悪化した水質を守るため、二人がかりで、文字通り命を削っている。
「本当なら、この水の正体をじっくりと突き止めてから勝負を挑みたかったんだが……」
「私も同感だわ。二人の証言から、ようやく正体をつかみかけてきたところなの。あとはじっくり時間をかければ精霊の力の正体も、それを無力化する方法も思いつけるでしょうね」
「あいにく、それを待ってる余裕はないみたいだな」
領主の衰弱ぶりを見るに、時間をかけている余裕はなさそうだ。
唯一の手は、今すぐ精霊のもとに行くこと。そして勝負で神剣を取り戻し、精霊を倒すしかない。
精霊の支配から町を開放するには、それ以外に手はなかった。
「とは言ったものの、冴木君にはあの精霊に勝利できる算段はあるの?昨日言ってたでしょ。あの蛇はイカサマをしてるって」
「まあな。イカサマ自体は大したことないっていうか……」
珍しく歯切れが悪そうに、凛は頭をかいて言葉を濁した。
「どうかしたの?」
鈴の声に、なんとなく皮肉気な表情を浮かべて続きを説明する。
「いや、精霊だとか邪神だとか、魔法みたいなものが使えるやつがいるんだぜ?そもそも俺たちにとっては水を自在に操るのもイカサマみたいなもんだよな、と思ってね」
「言いたいことはわかるわ。仮に、生まれながらに相手の思考を読み取れる超能力者がいたとして、その人がカジノで大勝ちしたらイカサマをしたことになるのか?ってことよね」
「そうそう。そういうことが言いたかったんだ!超能力者に勝負を挑んでる時点で、公平な勝負じゃないんだよ」
「珍しく弱気ね…?」
「弱気にもなるさ。イカサマも使う、不思議な力も使う。おまけに制限時間まであるときたもんだ。普通なら、こんな勝負絶対手を出さねえよ。とっととトンズラするところさ」
「それでも、今回は挑まなくちゃいけない。そうでしょ?」
「わかってるよ…ただ、随分と不公平な勝負を挑むんだなあって、再確認してるだけさ」
凛が勝負に対してこれだけ消極的な態度を見せるとは、思ってもいなかった。
勝ちも負けも等しく楽しむとは言っていたが、別に勝負ができれば何でもよいというわけではないらしい。煮え切らずに愚痴を続ける凛に、思わぬ人物からの説教が飛び出した。
《そのようなことはありません》
珍しく強い口調で、ヘスが口をはさんできた。
《勝負にはすべて、ルールが設けられます。そして勝負をする以上はそのルールが絶対であり、それを認め合った以上は、勝負をする者たちもルールの上では公平なのです。先ほどの我が主のお話に例えさせていただくならば、カジノのルールに『超能力禁止』がうたわれていない以上、その方はイカサマをしていることにはなりません》
「ヘス…?」
ヘスが普段見せない強い口調に、主の鈴も不安そうな声を上げる。
《勝負は、この世界においてもっとも純粋な行為です。己の全てを賭け、戦う。それに不正を持ち込む余地はございません。仮にイカサマと呼ばれる行為が存在するとしたら、それはそれを見抜けなかった相手の準備不足を意味します。野生のサソリが生存をかける戦いの中で、自分の尻尾に毒があることを伝えなかったからと言って、それは不正と呼べましょうか?》
今までにないほど饒舌なヘスに、二人はしばし沈黙する。
その沈黙に気づいたヘスは、慌てて取り繕うようにこう続けた。
《も、申し訳ありません。出過ぎたことを申し上げてしまいました。私どもの創造主は、勝負を最も神聖な行為と考えるお方でしたので、つい…》
「いや、ヘスの言うとおりだ。相手が魔法使いだろうと精霊だろうと、それを承知で俺たちは勝負を挑むんだ。そもそも、イカサマが悪いとかどうこう言うのは、二流のすることだった。一流は、みんなこう言うんだ」
不意に、凛の声に鈴の声が重なる。
『バレなきゃあ、イカサマじゃねえんだぜ』
二人の声が、完全にシンクロする。
言葉を発し終えて、凛は驚いたように目を見開き、隣に並ぶ鈴を見た。
いつもの透明な表情に、少しだけ不敵な笑みを浮かべて見つめ返すその瞳を見て、凛は冷え切った心の奥から、マグマのように熱が吹きあがってくるのを感じていた。
それは戦いに見出した勝機でもなく、檄による発憤でもなかった。
純粋な偶然の一致。サイコロを投げた時に、なんとなく想像した目が出た時の興奮に似ていた。
そして、最も勝負師が喜ぶ瞬間が、それだった。
凛は人の往来で、思い切り声をあげて笑った。
「こいつは驚いた。先生はてっきり小難しい専門書しか読まないもんだと思ってたよ!」
「研究室は基本的に男所帯よ。そして学生が漫画を持ち込むことだってよくあることだわ」
笑いながら、凛は心の底から、この異世界に召喚されたパートナーが鈴であったことに感謝した。
「ありがとう、二人とも。おかげで、覚悟が決まった」
「それはよかったわ。二人で、この町を救いましょう」
《ついでに、凛様に引き抜かれてから散々な目にあわされている哀れな神剣も、取返してくださいね》
「ああ、それじゃあ俺たちもイカサマの準備を始めますか!」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
凛は、立ち並ぶ商店の中から一つの店を選び出すと、あっという間に買い物を済ませて出てきた。
買い物袋の中には、いくつかの商品が入っていたが、凛はその中から無数の紙の束と大きな瓶を取り出すと鈴に『とある細工』をお願いした。
「ちょっと先生には、こいつに細工をしてほしいんだ」
「こんなもの、どうするつもり?」
若干不信の目を向けてくる鈴に、凛は笑って説明をした。
「もう吸ったりはしないさ。ただ、勝負の重要な決め手になる、俺のお守りだよ」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
細工を終えると、凛は機嫌よさげに商店街らしきエリアを歩き始めた。必要な準備は終えたようで、あとは精霊の住処までの移動の算段をつけるだけのようだった。
歩きながらも、凛は隣の鈴の様子を観察していた。決して悟られないように気を配りながら、何かのタイミングを探っているようである。凛にしては珍しく、慎重に間合いを測っているようであった。
無論、そのようなそぶりを当の鈴本人は知る由もなく、彼女はきたる決戦に向けて頭の中でいくつもの仮説を組み立てつつあった。
「しかし、不思議なもんだよな」
何気ない様子で、会話を切り出す。凛は、手にした買い物袋から小さな紙箱を取り出した。
手のひらに収まるサイズで、凛はその紙箱から中身を取り出し、隣を歩く鈴に見せる。
「こういうものまで、異世界は俺たちのいた世界にそっくりだ。昨日の賭場でもそうだった。ギャンブルの種類までほとんど同じ。おかげで昨晩は簡単に勝てたがね」
凛が紙箱から取り出したのは、54枚のカードの束だった。図柄は微妙に異なるが、カードの構成はトランプそのものである。
非常に慣れた手つきでそのカードをシャッフルしながら、凛は話を続ける。
「しかも、『偉大なる精霊様までこのトランプをご利用されてる』ってんだから、奇妙な話だよ。もっとも、奴らの親玉である邪神の御大ですらルーレットで勝負を挑んできたんだ。本当にこの世界の連中はギャンブルが好きなんだな」
高速でシャッフルするカードの中から、一枚を即座に抜き取る。抜き取られたカードには道化師の絵が描かれていた。いわゆる『ジョーカー』というやつである。
一連の動作を、鈴はしばし凝視し続けていた。それもそのはず。凛は片手に買い物袋を持ったままだ。彼は今の動作を『すべて片手で行っていた』のである。
「器用な真似をするわね」
「まあね。トランプは、いわばギャンブルの王道だ。先生だって、実験の道具は目をつぶってでも扱えるだろ?それと同じさ」
「それだけの腕前があれば、精霊にイカサマをやり返すことだってできたんじゃないの?」
「あの時は『精霊がディーラーをやってた』からな。イカサマを見抜くことはできても、こっちから仕掛けるのは難しいんだよ」
「むろん、しっかりと準備を整えれば話は別だ」と付け加え、凛は先ほどの質問の続きをヘスにぶつけた。
「まさか、精霊との勝負にトランプが出てくるとは思わなかったよ。この世界の勝負感ってのは、いったいどうなってるんだ?ヘス」
《私たちも含め、この世界の創造主は無類の勝負好きでして。この世界の生物は全て『勝負』を神聖なものとして捉えております。凛様が『賭場』と呼ばれている場所も、この世界では神に勝負という供物を捧げる神聖な場所なのです》
「あの場所が!?この世界の神様は随分と俗っぽいんだなあ…」
「本当ね。信じがたい話だわ…」
《特にその特性を色濃く受け継ぐ者を精霊と呼びます。先ほども申しました通り、精霊にとっても『勝負と契約は絶対』なのです》
「それじゃあ、町の外をうろついているっていう魔物とも、勝負すれば勝てるのかしら?」
《残念ながら、そうではありません。一般的に有する力が大きい者ほど、勝負と契約の影響を強く受けます。精霊使いがその好例と言えましょう。ですが、外界の魔物には勝負の概念がございません。言ってしまえば、『彼らはそのように作られていない』のです》
「この世界じゃあ、強い奴ほど勝負ごとに厳格になるってことね。ただし、魔物は除く…って感じか?」
「なんだか、法則性に違和感しか感じないわ…!」
《申し訳ありません。今の私では、その疑問にお答えすることは叶いません》
「そっか…、そう言われたら受け入れるしかないか…」
不意に、沈黙が訪れた。
歩きながらも凛は、何かの間合いを探っているようだった。
そのような不自然な沈黙を保ちながら歩く最中、またも凛が動く。
間を探りながら、極めて自然なそぶりでこう質問を投げかけた。
「ところで先生よ。先生は今まで付き合ったやつとかいるのか?」
《……ブッ》
神器であるはずのヘスが、思わず吹き出すほどに唐突な質問であった。
「……ちょっと待って、何言ってるか分かんない……」
鈴のセリフにも、いつものキレが見られない。動揺しているのだろうか。
「いやあ、先生ほどの素材があって、どうしてこうも男の気配を感じないのか不思議に思ってな」
「男の気配って…この異世界でそんな気配をどうやったら醸し出せるっていうのよ?」
「ちゃんと観察してりゃあ、おおよそわかるもんだよ?で、どうなんだよ?」
あっけらかんとして堂々と尋ねられると、なかなか話を逸らすこともできなかった。むろん、それも凛の戦術である。
「…いないわ…」
《我が主。そこは正直に答えなくてもよいのでは…?》
「あたし、嘘つくの嫌いなの。それに、そんなこと知られたところで何かが変わるわけでもないし」
《…なんと不憫な…》
むせび泣くヘスをよそに、凛はあくまで明るく話題を続ける。
「そんなとびっきりの逸材を持っておきながら、周りの男たちは見る目がないねえ」
こういった皮肉は聞き飽きていた。
鈴は、自分の容姿に対して一切の興味を持っていない。それには色々と理由があるが、興味の優先順位が圧倒的に低いことがその一因である。
チビ(身長150㎝)、童顔(よく学生と間違えられる)、コミュ障(何言ってるかわからないとすぐ切れる)、(科学)オタク。
鈴の持つ知識で、表現可能な自己診断がこれである。
芸術のセンスや理解が決定的に欠けており、『美しい』とか『奇麗』とかいう非定量的な感覚がごっそりと抜け落ちているのだ。
それゆえに、周囲の人間、特に男性から先ほどの凛と同じような言葉をかけられても、皮肉にしか聞こえないのだった。
そんなことを知ってか知らずが、笑いながら凛は買い物袋からもう一つ別の何かを取り出す。
「良かったら、これ使ってみなよ」
凛から手渡されたのは、先ほど細工を施した大柄の瓶とは違い、小さく奇麗な装飾の施された透明な箱であった。
中を開けてみると、赤や肌色をした細かい粒子が小さなエリアに規則正しく配置されていた。
「これは…?」
中身まで開けてもなお、それが何かと気づかないなどとは夢にも思わなかったのか、凛が盛大にこけた。
《我が主。これは、女性のための『化粧品』です》
ヘスがフォローしてくれたが、もう少し早ければ恥をかかずに済んだものを。
「先生よ、まさか化粧を一度もしたことがないなんて…言わないよな?」
「…ないわ…」
《…我が主よ…なんと不憫な…》
またもむせび泣くヘス。ヘスは人格上は女性らしく、彼女のの嘆きは本物のようであった。
「だって、肌にこんなものを塗って、フラスコの中に混入したらどうするの?香りの強いものもあるから、予想外の反応が起きた時に匂いで気づくこともできないし」
「そっか。先生は本当に科学に人生を捧げたんだなあ…」
しばし、涙をこらえるように眼もとに手をやった後、気を取り直したように凛は説明を続けた。
「まあ、何でも経験してみるのはいいことさ。それも実験ってこと!」
「…そういわれてしまうと、なんだかやってみたくなるわね」
「それに、今のうちにお礼を言っておこうと思ってな」
「え?」
見上げた先にあった凛の顔は、さっぱりとした勝負師の顔をしていた。
つまり…
「次の勝負では今度こそ死ぬかもしれないからな。短い人生、後悔の無いように生きていこうってのが、俺のモットーさ。俺が一番言いたかったのは、先生はもっと自分を大事にした方がいいってこと。それだけだ」
つまりそれは、死を覚悟し、それを受け入れた男の顔であった。
「死ぬ前に、異世界で一番の美女の顔を俺に拝ましてくれれば、もっと嬉しいんだがね」と、照れ隠しのように付け加えると、凛は告げるべきことを告げたようで満足そうに歩を進め始めた。
「ちょっと待ちなさい」
その表情を見て、鈴は思わず凛を呼び止めてしまっていた。
しかし、振り返る顔に、どんな言葉をかければいいのか思い浮かばない。
何故、自分は彼を呼び止めたのか?いつものように直感が先に体を動かし、行動の理由を後から必死に追いかけていた。
しかしいつもと違ったのは、その直感が実験事実に対する違和感ではなく、彼女の奥底から湧き上がる衝動に由来していた、という点にあった。
後でいくら理屈を探しても、何も答えは出てこなかった。
彼女を突き動かしたのは何かの法則ではなく、自分の中にある信念のようなものだったのだろう。
どこにもない答えを探すのはやめて、彼女はとにかく衝動のままに話し始めた。
とっさに出た言葉は、昔の自分の話であった。
「あたしね、研究室でなんてあだ名だったか知ってる?特別に教えてあげるわ…『スッポンの鈴』よ」
《我が主…》
本日三回目のヘスのむせび泣きをよそに、鈴は続けた。
「つまり、だれよりも諦めが悪いってこと。一度食いついた研究テーマは死んでも離さなかったわ」
「確かに、それは先生にピッタリのあだ名だな」
リアクションに困ったように苦笑する凛。鈴はもどかしげに先を続ける。
「つまり…あたしが言いたかったのは、あなたはもう少し粘り強さを学んだ方がいいってこと」
「俺は、だれよりも自分のことを大事に思ってる。だが、潔さもそれと同じくらい大事だと思ってるよ。こと、勝負の世界ではね」
「研究の世界では、それは無能の台詞として有名だわ。偉大な発見をした先人たちは、皆諦めが悪かったのよ」
「そうかもな。きっと先生もいつかはそこに名を連ねるだろうよ」
「…!」
致命的なまでに伝わっていない。
相手の感情を読めない鈴であっても、自分の伝えたい思いが相手に伝わっていないことくらいは分かった。
当たり前と言えば当たり前だった。何しろ、自分が何を伝えたいのかを理解していなかったのだから。
しかし、声を重ねながら、鈴は次第に自分が何を伝えたかったのかを逆説的に理解していた。
どんな理屈でも説明できなかった。でもたった一つ伝えたかったこと。
『あなたに死んでほしくない』ただそれだけだった。
それを理解した鈴は、スッポンの異名通りに粘り強く別の手を模索した。
何度でも、繰り返す。信念のもとに握りしめた手のひらの中に、道を開くカギがあった。
握りしめたこぶしの中に納まっているものに気づくと、鈴はそれを凛に向かって差し出す。
「それじゃあ、あたしと『勝負』しましょう。この化粧品は、大事に取っておくわ。この戦いを無事に切り抜けたら、化粧でも何でもしてあげる。だから、絶対に死なないって、最後まであきらめないって、今ここで誓って頂戴」
あっけにとられたような凛の顔に、鈴は今度こそ自分の思いが伝わった確信を得た。
「化粧でダメなら、この前の約束のキスでも何でもいいわ。とにかく、死ぬ覚悟で挑むことだけはやめて…!」
凛の表情が変化する。
覚悟の表情はそのままに、獰猛な勝負師の鋭い眼光だけが強くなっていく。
「そんなご褒美をちらつかされたんじゃあしかたないな。男として、賭博師として、その勝負を受けない手はない…その勝負…乗ったぜ!」
「それじゃあ、契約成立ね…!」
「ああ、賭博師に二言はない!」
戦いを前に、二人は固く握手をした。
二人だけで戦う誓い
二人で必ず勝つ誓い
二人で勝利した後の誓い
契約の証は、手に握られた洒落た化粧品ケースだった。
もっと面白い話を書くため、ご協力をお願いします
率直な印象を星の数で教えていただければ幸いです
つまらなければ、遠慮なく星1つつけてやってください
感想も、「ここが分かりにくい!」「科学には興味ない!」など厳しい意見をお待ちしています




