幕間 「ルージュの本気 中編」
(……良く見られているな)
それが、冴木凛に対峙してみて、ルージュが真っ先に抱いた印象だった。
互いに真剣を構え、本気の眼光をぶつけあっている。
ルージュの手にあるのは、父から譲り受けた、まさしく伝家の宝刀である。
これまで幾度となく死線を掻い潜り、彼女の無茶な戦い方に健気にも付き合ってくれた、愛刀である。
およそ刃物を扱ったことがある者であれば、彼女の刀を目にするだけでその風格に気圧されるに違いない。
しかし、凛の手にあるのは、まごうことなき”世界最強の剣”だ。
その刃はあらゆる防御を貫き、世の果てまで逃げたとしても絶対に追いつける。必中・必殺の剣だ。
なにしろ、この世を作った神ですら斬り裂けるというのだから。
しかし、そんな剣を向けられているにしては、ルージュはさしたるプレッシャーは感じていなかった。
それは、使い手にその気がないせいだろう。いかに名剣といえど、使い手に必殺の気概がなければただのナイフとそう変わりない。
ましてや《神剣》となれば、使い手が斬るものを正しく認識できなければ、斬るどころか傷つけることすら叶わないのだ。
代わりに、ルージュがひしひしと感じていたのが冒頭のセリフである。
剣の構え方を見ればすぐに分かる。試しに藁ですら斬ったことのない、ずぶの素人である。
だが、その目線だけは油断ができなかった。
(右……いや、左……?)
極限まで言葉を煮詰めてしまえば、剣術とは”剣を当てる方法”である。
そのために剣士が考えることは、いつ、どこに、どれだけの強さで剣を振り抜くか、だけだ。
戦における作戦のようなもので、それを考え、相手に悟られぬように実行することが肝要なのだと、幼い頃から何度も父に叩き込まれた。
そして、空恐ろしいことに、ルージュのその作戦の全ては、冴木凛には筒抜けになっていた。
実際はそうでないかもしれない。だが、フラフラと頼りなく揺れる剣先は、ことごとく彼女の機先を制していた。
打ち込もうとする彼女の僅かな気迫に敏感に反応しているのだ。
(これじゃ、打ち込めない)
ここまで剣筋を読まれている状態で打ち込もうものなら、手厳しいカウンターを食らうに違いない。
その確信があるから、ルージュは先ほどから一向に踏み込めずにいるのだ。
恐ろしい観察眼だ。
完全に硬直してしまった戦況を打破すべく、ルージュは破れかぶれで動くしかなかった。
それは、敗北を認めたようなものだ。先に動いたほうの負け、というのは、緊張に耐え切れず先に自分の手を晒すことの危うさを意味しているのだ。
「……せぇいっ!」
大上段から振り下ろしたその刀は、案の定待ち構えていたと言わんばかりに黄金の刀身の鎬に吸い込まれていった。
このままいけば、刀を跳ね上げられるか、あるいは軌道を横に逸らされるか。いずれにしても、数瞬後には手痛いしっぺ返しが待っているに違いない。
ルージュが覚悟を決めると、
「でわわわわっ!?」
全く予想だにしなかった間抜けな声と共に、凛はルージュの剣圧にまともに押しつぶされ、地面に伏したのだった。
「本当にすいませんっ!」
「だから、気にすんなって言ってるだろ」
頭にできたコブをさすりながら、凛は先ほどから平謝りしてくるルージュをたしなめる。
「だいたい、剣の稽古をつけてくれって頼んだのは俺の方なんだし。稽古で怪我するなんて当たり前のことだろ」
「でも、冴木様のような素人に加減もせずに全力で剣を振るなど──」
「とはいってもタンコブひとつでそこまで謝る必要はねえだろ。どのみち、俺の怪我なんてあっという間に治っちまうんだから」
「しかし……っ!」
執拗に食い下がるルージュに、業を煮やした凛は強引に彼女を抱き寄せた。
思わぬ不意打ちに、ルージュの頬が朱に染まる。
「そもそも、デートするって言ってんのに剣の手ほどきを頼んだ俺の方がワリイんだからよ。これで貸し借りなしだ。さ、こっからは約束通り」
「……はい!」
そこまで言われたのでは、ルージュも納得するしかなかった。
お詫びと言わんばかりに、はにかむ様な満面の笑顔で、凛の腕にしがみつくのだった。
「なんだか、昨日に比べてやたらと人通りが多くねえか?」
「なんでも、年に一度の記念祭のようですね。もともと、あの穿天の牙はこの記念祭に合わせて建立が進められていたようです」
もともと準備が進められていたのだろう。あれだけのことがあった直後にしては、皆手際よく祭りの支度を進めているらしかった。
そんな中、掲げられているのぼりに書いてある文字を見て、凛はげんなりとした声を出す。
「オイオイ、このお祭りってのは創造神を崇めるためのものだったのかよ。自分たちを滅ぼそうとしている奴らを祭り上げるなんて、悪趣味にもほどがあるだろ……」
「まあ、ほとんどの信者たちには事の真相は知らされぬままですし。知らなくてよいこと、というものもありましょうから」
実際のところ、信心のよりどころとなっていた教主と穿天の牙を失った彼らにとって、目の前の祭典に集中することは良い効果をもたらしていた。
町中に活気があふれている。それは、部外者である二人にも良く分かっていた。
いくつかの店を回りながら、稽古での空腹を満たしていく。
すると、
「お、ちょっと待ってな」
凛が何かを見つけたようで急に走り出す。
店先で何やら軽い交渉──どうやら値切っているらしい──をして、いくつかの紙袋を手に戻ってきた。
「急にどうしたのですか、冴木様?」
「いやな、これなんかちょうど似合うかと思って」
いいながら、紙袋の中から何かを取り出してみせる。薄く、細長い布のようであった。
「それは?包帯ですか?」
「こんな真っ黒な包帯があるかよ。まあ、見てなって」
そして、手品師顔負けのなれた手さばきで、あっという間にルージュの髪の毛をまとめ上げていく。
手櫛にしてはやたらと丁寧に結い上げられた髪房を束ねているのは、柔らかい生地でできた、幅広のリボンであった。
「やっぱり、ルージュの赤い髪の毛にはこういうシックな色が似あうと思ったぜ」
「──冴木様!」
感極まって、ルージュが目を潤ませる。
「せっかくのデートなんだから、ちっとはおめかししねえとな」
《なんじゃ、お主。いっぱしの女性への気配りができとるではないか。天界でのシェイドとのやり取りを見るに、ただのギャンブルバカかと思っとったわい》
(あん時は、俺もどうかしてたぜ。きっと、おふくろの気配を感じて舞い上がってたんだろうな……)
気恥ずかしさに頬を染める凛。
その理由を知らぬルージュには、彼が照れ隠しの笑顔を浮かべているようにしか見えなかっただろう。
「ありがとうございます。未来永劫、一族の宝として大事に祭ります……!」
「いや、普通に身に着けてくれってば。ただのアクセサリーなんだからよ」
「いいえ。私、今日のこのことを、一生忘れませんっ」
「まったく、大げさだぜ」
心底困ったように、ほろ苦く笑みを浮かべる凛。
そんな彼にぴったりと寄り添い、ルージュは祭りをたっぷりと堪能したのであった。