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44th BET 『天に漂う無神の遺子』 1

「バカな……馬鹿な……馬鹿なバカなばなかナバナカバカな……!!!」


 フェルテから切り離されたことで、今度こそ穿天の牙を維持する力は消え失せた。

 先ほどまで両の手に握り締めていた──《神牙》とフェルテがまだそこに見えるのか、ヴォルフは両目を見開いて己が掌を見つめていた。


 完全に虚ろな瞳は、かつて信仰を失いかけた時と同じように、過酷な現実を何一つ映していなかった。


「……」


 そんなヴォルフのそばに立つ鈴。

 ヴォルフの術が解除されたことで、完全に視力と聴力を失っている。


 そんな彼女だが、跪く青髪の青年がどのような心境であるかを容易に汲むことができた。

 残酷な現実を突きつけられた人間は、逃避するのだ。


 より都合のいい嘘に、あるいは、何も感じない夢想の世界に……。


「これは夢か……それとも、今までが夢だったのか……!?我が信仰は、何処へ……」


「おおッ!?」

「これは……まずいっすね!」


 ヴォルフの心理状態よりも、もっと深刻で現実的な崩壊が足元で始まっていた。

 アリ地獄のように、足元に吸い込まれつつある。


「……」


 足元の感覚から、鈴は自分が置かれている状況を察した。


 それは、ヴィエナたちよりもより正確に。

 自分が今どこにいるのか、そしてこれからどこに行こうとしているのか。


 グネグネに蠢く床のせいで、いつの間にかヴォルフと鈴の2人は他の4人よりも上空に位置していた。

 上空──すなわち、ヴォルフが目指した場所だ。そして、そこがどのような場所かを鈴はよく理解していた。


「……マイク!」


 徐々に広がる4人との距離。落下していく彼らの中で、何故か声をかけたのは巨漢の臆病者だった。


「どうやら、あたしたちはここで一旦離脱するようだわ。後は、アンタに託す。今度こそ、妹を守り抜いて見せなさい!」


 返事を聞くことはできない。鈴は、ただひたすらに信じることにした。

 足元の砂塵はすでにボロボロに崩れ去っている。しかし、鈴とヴォルフはその中に沈むこともなく、緩やかに宙に浮いていた。


 それは、ヴォルフが願った場所への到達を意味する。


 天界と下界の中間点。

 はじめて鈴たちがこの世界に召喚された高度。互いの世界の重力が拮抗し、限定的な無重力空間。


「念のために、手は繋いでおくわ。こうしておけば、万が一にもアンタだけ取り残されることはないでしょう」


 言いながら手探りでヴォルフの腕を握る。同時に、ヘスの能力で両者を結合させた。

 

「なにを、する気だ?」

「……現実を見ようとしない、受け入れようとしないやつには、あたしはいつもこうやってきたわ」


 ヴォルフの問いは聞こえない。言うべきことを、粛々と告げる。


「現実を受け入れられないやつには、もっともっとどうしようもない、過酷な現実を突きつけてやるのよ。そう、この広い世の中、上には上が、()()()()()()()の」

「なにを、言っている?」


 会話がかみ合っていないことに気づくヴォルフ。鈴にかけられた邪神の呪いを、彼が知る由もない。

 握った右手に力を籠める。


「喜びなさい。今から、アンタが会いたくて会いたくて仕方なかった相手に会わせてあげるわ。それも、()()()()に、ね……」

「貴様……先ほどから何を訳の分からないことを……」


 声を荒げるヴォルフの、全身が凍り付く。

 意識の外側を通って、彼らのすぐそばに見慣れない女が立っていたのだ。


「な……!」


 驚愕に目を剥くヴォルフをよそに、緩やかな銀髪挑発的に掻き上げながら、その女はいつものように底抜けに明るい声を上げる。


『ハアイ、呼ばれてきたからいつもより早く来てあげたわよ』

「……どうやら、現れたようね」


 握り締めたヴォルフの手が恐怖でこわばる感触で、鈴は”邪神”がここに顕現したことを理解した。

 そして……


『まさか、ワタシの招待もなしに直接ここ──『神界』にやってくるなんて思わなかったわ。いったいどうやったの?』

「どうせいつものようにくだらないことを口走ってるんでしょうけど、残念ながら今のあたしには通じないわよ」


『おや?その様子だと、あのルーレットの餌食になったみたいね。毎度毎度、ご愁傷さまだわ……フフフ』


 妖艶に微笑む、邪神ケイオス。


「そこの女!いったいどこから現れた!?」


 叫ぶヴォルフ。しかし、邪神は全く取り合おうとしない。

 視線は鈴に向けたままだ。


『おまけに、こんなゲストを連れてくるなんてね。相変わらず、キミたちはとても興味深いわ、逢沢鈴……そして、冴木凛』


「っ……!?」


 またしても、何の前兆もなく気配が増える。

 今度も見覚えのない、長身でひねた容貌の男だ。なぜか、右手に小さなカタツムリをつまみ上げている。


「ようやく、()()がきたようね」

「待たせちまったかな、鈴。いつもよりちょいと賑やかだが、ボーナスタイムの始まりだな」


 鈴の言動に光が戻った。

 神器の能力『意思疎通』によって、凛の視覚と聴覚を共有しているのだ。天界では全く逆の役割をこなしたことがあるため、造作もないことだ。


 邪神ケイオスは、物珍しげに凛の手元を覗き込んだ。


『あらあ、見栄っ張りなお前がそんな姿で人前に姿を晒すなんて、珍しいこともあるじゃないの。ねえ、ノーム?』

『……ご無沙汰しております……ケイオス様……』


「なっ!?」


 ヴォルフは自分の耳を疑った。

 あの、醜く矮小な生物が、()()()?邪神を名乗る女に平伏し、みじめに震えているカタツムリが?


「お前が、ノームだと!?共に邪神を討伐する誓いを立てた、あの雄々しい地の精霊ノームがここにいるはずが……!」

『この子ったら、昔からそうなのよ。ワタシを殺すなんて息巻いてるくせに、いざ目の前に立つとこんなに怯えちゃうんだから。可愛いったらありゃしないわ』


「そんな……バカなあ……あああぁぁぁ」

「ようやく理解したかしら?これこそが、もっともっと残酷な現実……()()()よ」


「……え?」


 涙すら枯れ果てたヴォルフの腕を捻り上げ、無理やり立ち上がらせる。

 彼に相対させるのは、邪神ケイオス。


 ヴォルフの目から見ても、隙ひとつ見当たらない完璧な美貌。

 しかし、長いこと見つめていると言い知れぬ不安に駆られる。


 恐れ多い畏怖の念、あるいは悍ましさに身の毛がよだつ。


 いずれにしても、"邪神"を語るのにふさわしい、圧倒的な存在感を放っている。

 確信していた。この女こそが、自分や自分の家族、そして敬虔な信徒すべて犠牲にしてでも打倒すべしと身に刻んだ、この世界を滅ぼす邪神である、と。


「今一度、アンタの主張を確認するわ」


 そんな女を目の前にして、どうしてこうも堂々としていられるのか?

 逢沢鈴は、このような状況であっても論理と理屈を優先する。


「教主ヴォルフ。アンタはこう言ったわ。この世界の創造神は、邪神によって封じられており、邪神を倒すことでこの世は再び創造神のもとに返る、と」

「そ、その通りだ」


「その主張を信じる根拠は?」

「わ……我が教義、我が信念を他人に証明する必要は……ない。信仰は、常に己が胸の内に秘めるものだ」


 鈴は呆れたようにため息をつくが、一方の凛は心の中で舌を巻いていた。


「鈴にここまで詰められて、それでも主張を曲げないなんて、なかなか骨のあるやつじゃねえか」

「凛は黙ってなさい。それに、今回の質問はあたしの番よ。口出しはしないで」


 完全に座った目で凛を睨みつける。

 本当に目が見えていないのかと疑いたくなる眼光の鋭さだ。凛は黙ってベロを出して肩を竦める。


「いいでしょう、教主ヴォルフ。アンタの主張が正しいか、それをこの場で検証してあげる」


 邪神と鈴達との間で交わした契約。


 邪神がの生み出した精霊に勝利するたびに、邪神に一つ質問する権利を得る。

 質問は『YES/NO』で答えられるもののみ。邪神を倒すためには、邪神が何者であるかを認識しなくてはいけない。そのための問いである。


 しかし、今この瞬間において、鈴はその目的を完全に見失っていた。

 世界の命運よりも、この愚かで可哀そうな()()を改心させることを優先したのだ。


 鈴が、必殺の問いを放つ。








「今現在、あたしが邪神と呼称する存在は、かつて、この異世界レットールを創造した存在でもある」








 それは、今までに見た中でもとりわけ美しく、そして醜悪な笑顔だった。


 ケイオスは、自らを左右に引き裂く様な鋭い笑みを浮かべてこう答えた。






『YES』




勘の良い人は、一章で気づいてたかもしれませんね。

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