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43th BET 『無尽の意思 天を貫く』 1

「……父さん……!」


 地面に下りるとほぼ同時に、力を使い果たしたように血の鎖が霧散する。

 ヴィエナの精霊術が尽きた証拠だろう。


「そんな……。やっと会えたのに!もう少しで、一緒に帰れると思ったのに……!そんなのって、ないよお……!」


 涙で顔をぐしゃぐしゃに濡らし、歯を食いしばって天を見上げる。

 フェルテの精霊術を奪い、穿天の牙は教主の願いのままに天界に向かっていく。


 塔の成長は決して速くはない。しかし、地上にいる二人にはもはやどうしようもない高さにまで伸びあがっていた。

 たとえ、今から塔を駆けあがろうとも、頂上にたどり着くころには全てが終わっているだろう。


 そしてなにより、二人を送り出したヴィエナの意思を踏みにじることになる。

 ヴィエナは、自分の命と引き換えに、二人をここに逃がしたのだ。


 そしてその事実こそが、アルを打ちのめし、跪かせた。


 最愛の父であり、騎士としての目標でもあったヴィエナ。

 ウンディーネを使役したことや、イフリートとの死闘を潜り抜けたことで、短期間ながら大きく成長できた実感があった。そして、尊敬する父に近づけた気がしていた。


 しかし──

 

「ボクは、なんて弱いんだ……!一人じゃ、何もできなかった!父さんを助けるどころか、逆に足手まといになって……。好きな娘一人だって救えない……!」


 歯を食いしばり、眼を閉じる。

 

 教主の精霊術の影響か、周囲一帯の砂塵が緩やかに天に向かって吹きあがっていく。

 汗と血で濡れたアルの髪の毛を解きほぐすように、砂塵が全身を駆け抜けていった。


 飄々とした弱弱しい風切り音が耳元で鳴りやまない。

 まるで、全てが自分の無力さをあざ笑っているようであった。


「ボクは……無力だ……!」


 全てに打ちのめされ、全てを失い、全てに取り残されてしまった。

 そして、それらを取り返すことは、もうできない。


 打ちのめした敵も、失った自信も、大切な人たちも、全ては手の届かない天に昇って行ってしまった。


 取り返しのつかない敗北に、目の前が真っ暗に染まりかけた、その時だった。

 すぐそばで、誰かが立ち上がる。


「……」


 無言で隣に視線を送ると、そこにはもう一人の生還者が立っていた。

 黄色い砂が幾重にも絡みつき、すっかりボサボサになってしまった真紅の髪を乱暴に掻き上げて、ルージュ=プレスコットは胸に秘めた激情を吐き出す。


「そうじゃないわ、アル……。こんな時に、そんな弱気な台詞を吐くもんじゃない。正義と信念を貫く、真の精霊騎士ならば、今言うべきことはたった一つよ」

「……ルージュ、さん……?」


 アルを見下ろす真っ赤な瞳には、微塵も絶望や後悔の暗い影は落ちていなかった。

 遥か祖先から脈々と築き上げてきた精霊騎士としての誇りと、邪な野望に向けた焼けるような怒り。


 そして、大切なもの全てを守り抜くという、業火のごとき強い意志を込めて、ルージュは抜刀し高らかに宣戦する。


「我が名はルージュ!火の精霊騎士、ルージュ=プレスコット!この地に蔓延る全ての邪なる者どもよ、聞くがいい!我が盟友、アル=ランスロットの尊父を傷つけ、愛する者を奪った罪。そして、我が領土を救い、我ら親子の絆を再び繋いでくれた大恩人を侮辱したその傲慢!死をもっても償えると思わぬことだ。見ているがいい。今より、()()の怒りの炎が……」


 抜刀した剣先に白い光が宿っていた。

 以前、タウが発現させた、裁きの炎の再現のようであった。陽炎のように、周囲の大気を歪ませ、白光が目映く砂塵を照らし出していた。


 怒りに燃える瞳を、不敵な笑みに張り付ける。


「……貴様らの信じる邪な神も、その歪んだ信仰心すらも……一片残さず焼き尽くしてくれる……!」


「……ルージュさん……!」


 アルは、その時になってようやく理解した。

 精霊騎士とはなんであるか。そして、精霊騎士であるために必要なものがなんであるか、も。


 それは、たった一言でこう言い表せる。今のルージュの姿は、まさにそれを体現していた


 ──覚悟──


 命を守り抜くという覚悟。命を奪う覚悟。そして、命を賭ける覚悟。


 自らの限界を超える精霊術を行使するルージュの姿に、自らの命を賭して守るべきものを守り抜いた父の姿が重なって見えた。


(やっぱり、本物の精霊騎士って……すごいや!)


 感動するだけでは永久に憧れに届かない。


 ルージュの覚悟がアルに伝播する。瞳に活気が戻る。

 そして、それを待っていたかのように、地の底から一気に何者かが吹きあがってきた。


『その者の言う通りだ、アル。諦めるのには、まだ早い……!』

「ウナギさん!?」

 

 地の底から姿を現したのは、蒼白の龍だった。

 地底湖の水を残らず吸い上げ、主の助けとなるべく、はせ参じたのだ。


『ノームの奴は、《神剣》の使い手が封殺した。あとは、天に昇った教主だけ……』

「でも、いくらこれだけ水があっても、あの塔の砂を止めるにはとても足りない……!」


 彼の明晰な頭脳は、塔の成長速度とその質量を把握していた。

 そして、目の前の巨大な水龍の質量では、それらを止めることがかなわないことも。


 しかし、ウンディーネは一切動じることなく、むしろ不敵に笑った。


『それがどうした!アルよ。我は知っておるぞ?貴様には知恵がある。そして度胸もある。かつて、この我を罠にはめてイフリートに挑ませたあの手並み、今一度見せるがいい!』

「……!」


『それに、忘れてもらっては困る。我が本性は『嫉妬』……。蛇のように狡猾で、そして一度狙ったらそう簡単に諦めぬのだ。そして、それこそが貴様の師から継いだものではなかったか?』


 ウンディーネの言葉に、アルの中に火がともる。


 確かに、状況は最悪だった。

 敵の精霊術は強大で、さらには手の届かない、はるか上空に行ってしまった。


 それでも、アルの師はきっとこう問いかけるだろう。



──それが、諦めていい理由になるの?──と。



「そうだ……まだ、諦めるのは早い……!」


 そして、もう一人の師であれば、こういうに違いない。


「勝負ってのは、大敗から一気に捲る方が燃えるんだぜ……!」

「オジサン!」「冴木様!」


 ウンディーネがぶち抜いた穴から這い出てきた凛を見て、二人が歓喜の声を上げる。


「古典的な磁石ゴトをかましてくれた精霊はもうこっちのものだ。後は、聞き分けのねえ、可哀そうな詐欺師に引導を渡してやる番だぜ……!」


「……うん!」

『さあ、全盛期にはまだ及ばぬが、地底湖を飲み干した我が力……存分にふるうがいい!』


「みんな、ありがとう……!そして、見ていて……!今から見せる、ボクの全身全霊の水の精霊術を……!」


 そういうと、アルは肺の中の空気を一滴残らず絞り出すように深呼吸をした。 

 そして、周囲に浮遊する砂を全て飲み干さんばかりの勢いで肺に空気を送り込む。


 それだけで、アルの小柄な体が一回り大きく感じられるほどの、壮絶な呼吸だった。

 視線をウンディーネに送る。それだけで意図を汲んだ水龍は、ゆっくりと蒼白の巨体をアルの体に巻き付けた。


 水龍の体内で、アルが全神経を集中して精霊術を練り上げる。

 制御を洩れた水龍の体内で、幾重にも火花が散る。水中の電荷の偏りが臨界を超えたことによる、スパーク現象だ。


『さて、アルよ。策は決まったか?』

(うん!どうやればあの塔を抑え込めるかは、ついさっき天使様が教えてくれてたんだ。今、ようやく意味が分かったよ。そして、覚悟もたった今……決まった!)

 

『ならば、ゆけ!我らの底力が、地の精霊術を打ち破れることを示してみせよ!』


 ウンディーネが発破をかける。呼吸を封じたアルの顔は、不思議な興奮で紅潮していた。


 両手を上げ、一気に力を解き放つ!


(これが、地の精霊術を封じる、水の精霊術……その名も!)


 アルの思いを受け取った、ウンディーネの咆哮が砂塵を激しく揺さぶる。


『ゆくぞ……霧蒼一閃(むそういっせん)!!』


 体を大きくひねり上げ、水龍が天高く飛翔する。

 その巨体は、全身がうっすらと霧のように霞んで見えた。


「なるほど……!水量が足りなければ、薄めればいい。水を霧状にして、より遠くまで水龍を跳ね上げるのね!」


 霧と化した朧の龍は、全身を捩じりながら、螺旋状に天を駆ける。

 それは、空を貫く砂塵の針を、蒼い渦が包み込んでいくような光景であった。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「……なんだ!?」


 同時刻、穿天の牙の頂上に立つ教主は、自身の精霊術が何者かに侵食されていく感覚に背筋を凍らせた。

 いまだかつて、自らの術を他者によって妨害されたことなど、一度もなかったのだ。


「我が、穿天の牙が……地面に引き戻される!?」


 外の景色に目をやると、緩やかだが塔が下降していることがはっきりと分かった。

 その事実を確認し、鈴が満足そうに笑う。


「どうやら、アルがやってくれたみたいね」

「あの、非力な水の精霊騎士がだと!?世迷言を……!」


「世迷言でも何でもないわ。じゃあ、なんでアンタのこの盲信の塔が、みっともなく縮んでいくのか、満足いく仮説を提示してみなさい」

「ええい、黙れ!」


 怒りに震え、砂の楔を放つ。

 しかし、教主の手元から離れると、すぐに楔の軌道はぐにゃりと歪んで地面に落ちた。


「これが、答えよ!」


 右親指を天につき上げ、そのまま半回転して地面につき下ろす。

 先ほど、アルを見送る際にも見せた、いわゆる”地獄へ落ちろ(Go to hell)”のハンドサインである。


「右ネジの法則。それこそ、アンタが散々馬鹿にしてくれた、科学の、電磁気学の初歩の初歩よ!」


 電子は、コイル状に流れることで磁場を生む。


 アルの奥義は、ウンディーネの中に流れる電子の偏りを使って、電磁石を作り出したのだ。

 発生した磁場には異方性がある。コイルの回転の向きを制御すれば、磁場に偏りを持たせることができる。

 そしてそれは、粒子同士の静電反発力を利用している”穿天の牙”にとって、まさに天敵と呼べるものだった。


 その回転の向きを示したのが、さきほどの鈴のハンドサインだったのだ。


「バカな……!地の精霊術が、水の精霊術に圧されるなど、あるはずがない!」

「現実を認めない愚か者には、何を言っても無駄ね。アンタの能力が磁場操作だと分かってしまえば、対策はどうにもたてられる。要は、より強い磁場を作り出せた方が勝つんですもの。そして、アルは精霊術の根幹である電荷の偏りを誰よりも理解して、使いこなせている。理屈もなく、節操もなく能力をかき集めてきたアンタとは精度が違うのよ!」





「……!」


 アルの小柄な体を、轟雷が襲う。

 

 滝つぼよりもはるかに濃密な水霧が、紫電を纏ってアルに降り注いでいた。

 術の代償で呼吸を封じられているアルに、尋常ならざる湿度と熱気が襲い掛かる。


 ただでさえ術の制御になけなしの酸素を費やしているのだ。そのうえ超高温のサウナに放り込まれたのでは限界はすぐにやってくる。

 しかも、術の制御をミスすれば、すぐさま漏電した電子が皮膚を貫いていく。


 常人では数刻と持たない過酷な環境で、アルは精霊術を操っていた。

 いつもとは比較にならない速度で消耗していく様子を、体を覆う霧よりも青ざめた顔色が物語っていた。


「アル!?」


 傍らに立つルージュの声も耳に入らない。常軌を逸した集中力。アルは、命を絞り取るほどの覚悟で術を行使している。


 そんな彼を見守ることしかできないことに気を揉んでいたルージュの視界に、何かが飛び込んできた。

 ルージュが視線を動かすと、そこには予想もしなかったものが群れを成していた。


「なんてこと!?こんな時に!」

 

 いつか追い払ったはずの軍隊アリが、更なる大軍を引き連れて押し寄せてきていたのだ。

 精霊使いがすべて連れ去られた反動だろう。今や、ルベの魔物を抑え込むだけの力は何処にもなかった。


「わりい、斬撃はさっき使っちまった。またしばらくは、コイツは木偶の棒のままだ」

《つまらん物を斬らせおって……といいたいところじゃが、あれだけ豪快なサマを見せられたのでは、今回ばかりは儂も文句は言えんのう》


「わかりました。私も精霊騎士の端くれ。あの程度の魔物、もとより一人で相手するつもりでした」

『冗談はよせ!儂の空腹はすでに限界を超え、お前の体温も戻り切ってはおらんのだぞ!それに加えてあの大群。どう捌ききるつもりだ!」


 ルージュの肩に止まったヒヨコが声を荒げる。

 火の精霊たるイフリートの産毛を優しく撫でながら、それでもルージュは蠱惑的に笑む。


 風前の炎のように、怪しく揺れる赤い瞳で凛を見つめる。


「イフリート様。そんな無粋なことをいうモノではありません。私は精霊騎士です。魔物を倒し、民を守るのが我が宿命。それに……」


 背後でうねる暴風を見やる。


「それに、あのような壮絶で美しい技を見せられて、限界の一つや二つ越えて見せなければ、()()として立つ瀬がないというもの!」


 手にした剣先に、彼女の決意が燐光となって灯る。


「それに、失った体温を取り戻す術は、ここにあります……」


 剣を片手に、きつく凛の体を抱きしめる。

 イフリートとの契約時に発生した特例、火の精霊術で体温を失った術士に唯一体温を提供できる存在。


「ちょっ……!ルージュ!」


 珍しく動揺する凛。あまりに急激に体温を吸われたせいで、体の自由が利かなくなったのだ。

 そんな凛の頬に、ルージュが優しく口づけをする。背筋がぞくりとするような、艶めかしい唇の感触。


 一方のルージュは、それだけで体が火を噴きそうなほどに熱く火照っていた。

 勿論、凛からの体温提供が原因ではない。


「戦いが終わったら、私の願い、聞いていただけますか?」

「まて……!妙なフラグを立てていくんじゃ……ねえ……」


 体温を吸いつくされてその場に跪く。狙い通り、凛が動けなくなったことを見届けると、今度はルージュが命の炎を燃やす。


(前回の戦いで分かったことがもう一つ。アイツらは、音で情報をやり取りし、熱で敵の位置を感知している……!)


 つまり、近くにいる()()()()()()()に群がる習性があるのだ。


「タウとは違って、温度を際限なく上げるのは苦手なんだけど……!」


 剣先の一点に術を集中させる。そうすることで、面積は狭いながらも高熱を発することが可能になるのだ。

 タウには到底なしえない、ルージュならではの繊細な制御のなせる業である。


「……かかった!」


 目論見は的中した。


 その場にいた100体近くの軍隊アリの殺気が一斉に自分に降り注ぐのを感じ、喜悦と緊張で一気に汗が噴き出る。


「冴木様。命というものにも、”賭け時”というものが存在すると、私は信じています。なによりも、私の中の直感が叫ぶのです。賭けろ、飛び込め……そうすれば、私はさらに高く舞える、と!」


 踊る様に軽やかな足取りで、敵の群れに突っ込んでいく。


「火の精霊騎士、ルージュ=プレスコット。魔物どもよ、この場は、一歩も通さない!」


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