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第四章 二〇一四年三月

一、

 市街地の雪も三分ばかりになって、出歩きやすい陽気な日差しが照り付けるような天気が続いている三月下旬の金曜日。上旬に卒業式を迎えて暇を持て余していた僕も、とうとうこの街を出る日がやって来た。

 出発当日、すぐに必要になりそうなものだけ詰めたボストンバックを片手に家を出ると、僕はシャルランのボックス席でランコやスイさん、フカダに囲まれて、ささやかな第二送別会の主役となっていた。

「とうとう、秒読みを切ったわね」

 白いレースがあちこちについた紺のロリータ服に身をまとったランコが、相変わらず長い爪先を光らせながら、名残惜しそうに言う。あと小一時間後に出る一時五十五分発の北越号へ乗り込んでしまえば、十八年生まれ育ったこの街ともしばしのお別れ、ということになる。

「そのうち遊びに行くから、元気でね。まめにメール寄越すのよ」

「うるさいなあ……」

「――まあ、なにかあったら、僕が飛んでいくよ。金沢からなら、京都なんてあっという間だからね」

「こっちこそ、何かあったらひとっ飛びでかけつけるよ。ひとまず、今度会う時までに、金沢グルメを開拓しといてね」

 最後のは軽い冗談のつもりだったが、スイさんはわかった、任せておいて、と、自信たっぷりに答える。コーヒー紳士を自称する彼らしい反応だった。

 当分飲み納めになるであろう、シャルランのコーヒーをじっくりと堪能すると、僕は三人と一緒に長岡駅の改札を抜けて、特急専用の乗降レーンに沿って、ほかの乗客の後ろへ着いた。三月の末と言っても、まだまだ肌寒い。並んだお客も、大半がコートの襟を立て、じっと列車の来るのを待っている。

 そのうちに、ガラガラとした音質のスピーカーから、北越号の到着を告げるアナウンスがホーム一杯に響いた。遠くから、踏切の警報と、特急のタイフォンの音が迫ってくる。

「じゃあ、気を付けてね」

 意外と涙もろい質なのか、ランコが目元へハンカチをあてながら僕へ握手を求めてくる。

「パイセン、食べたくなったら、あのお饅頭、送りますからね」

 最後までマイペースなままだったが、フカダも別れを惜しんでいるようで、ちょっと嬉しかった。かくいうスイさんは、まるでお地蔵さまにでもお参りするように、美味しいコーヒーが飲めますように……と、不思議な声掛けをしてくれた。

 やがて、ホームへ滑り込んできた北越号が定位置にぴったりと止まると、僕は他の乗客たちに引っ付いて、切符に記された番号と同じ席を探し始めた。重い荷物を網棚へ上げて、シートの位置を調整しながら、窓の外で手を振る三人を見ていると、なんだか切なくなってきた。こんなに深い仲になれるような友人が、向こうにも出来るだろうか? それよりも、僕にはほんとうに、物書きとしてやっていけるだけの才能があるのだろうか……?

 暗い感情が渦巻いて、どんどん苦しくなっていく、その時だった。発車時刻が迫ることを告げるアナウンスに交じって、コンクリートを蹴り上げる、すさまじい足音がどこからか近づいてきた。

「――田沢あっ! どこだあっ!」

 声の主とその姿を見て、僕は思わず息を呑んだ。現れたのは、学生服の上からジャンパーを羽織った津田だった。その姿に、一月末のあの出来事がありありと蘇る。まさか、お礼参りにやって来たのだろうか……?

 そんな不安をよそに、窓越しに僕の姿を探していた津田は、発車ベルの鳴り出したホームを懸命に走って、七号車の乗降口へとやって来た。よく見ると、その手には白い紙箱が抱えてある――。

「津田っ、なんだっ!」

 たまりかねて乗降口へ向かうと、津田が手をぐっと伸ばして、

「田沢っ、受け取れっ!」

 こちらへ押し付けるように紙箱を渡すと、津田は鳴り終わったベルに気付いて、そっと腕をひっこめた。それとほとんど同時に自動ドアが閉まると、津田はゆっくりと動き出す北越号を追うように、窓越しに何かを口走っていた。だが、その声は足元から来るモーターの騒音にかき消されて、とうとう、ホームを出るまで聞こえずじまいだった。



二、

 宮内駅のホームを抜けるまで、呆然と乗降口に突っ立っていた僕は、我に返ると、自分の席へ舞い戻った。そして、津田が乱暴に渡した箱の正体を確かめようとした僕が、それが食べなれたあの川西屋の饅頭の箱だということに気付いて、少し拍子抜けしてしまった。

 ……あいつ、わざわざこんなものを。

 だが、これからしばらく食べられないことを思うと、こんなにありがたい道中の楽しみはない。ありがたくつまもうと、包み紙をはがそうとした時、箱の色とは違うものが足元へ花びらのように舞い降りたのがわかった。

 賞味期限でも書いてある紙なのかな、と、手を伸ばしてみると、それはよくある茶色い封筒だった。見ると、丁寧な筆致で「田沢へ」としたためてある。どうやら、津田から僕へ宛てた手紙のようだった。

 ――どうせ、ろくなことが書いてあるまい。

 そんな風に決めてかかったまま、封を破いて便箋を広げると、そこにはこちらの想像を超えた、こんなことが書かれてあった。



田沢へ


 お前とはいったい何年の付き合いになるかわからないけど、こんな風にして手紙を書いたことは今まで一度もなかったな。まあ、きっとこれが最初で最後になるだろうから、いろいろと書いておく。おれはずっと、お前のことを勘違いしていた。片思いだった香織さんの交際相手だとばかり思って憎んできたし、あんなひどいこともいったが、どうやらそれが間違いだとわかって、とても後悔している。

 それにしても、夏ごろ、お前が京都の大学に受かったという話を人から聞いた時は、えらくびっくりした。しかも、小説について勉強をするところだっていうから、ますます驚いた。昔から暇さえあれば本ばっかり読んでて、中学の時からちょこちょこと新聞とかの文芸欄に出してたお前の素質を買ってくれた学校があると知って、おれは改めて、お前には才能があるんだと確信した。正直なところ、尊敬もした。

 けど、香織さんのこともあって、すっかりそれが霞んでしまった。彼女から殴られて、未練がなくなった今となっては、あてつけのように万年筆を買って、あんなことを言ったのがひどく悔やまれる。

 田沢、これだけは自信を持ってくれ。お前はこんな小さな町で埋もれていいようなタマじゃねえ。外へ出て、大いに面白いものを吸収して、気が向いたらこっちへ戻ってきて、学んだことを思う存分発揮してくれ。おれや他の奴らが、それまでなんとか町を支えるから、安心してくれ。でも、たまには戻って来いよ。長岡花火と正月ぐらい、羽根を伸ばしてくれよな。

 じゃあ、頑張れよ。


未来の大作家へ


追伸 あの万年筆、使い心地が良いようで安心したぜ。思う存分、使ってくれ。


 ――馬鹿野郎、今頃になってこんなことを言いやがって……!

 読み終えた僕を襲ったのは、失敗を悔やんでいるときのそれに近い感情だった。せめて、僕がもう少し奴に歩み寄っていたなら、こうして一方的に手紙をもらうだけで知ることはなかっただろう。まさか、こんなに身近に、熱心に僕を応援してくれていた人間がいたとは、露にも思わなかった。

 ――あの万年筆、決して無駄にはしないぞ。

 決意と後悔とが入り混じった胸の内の僕を乗せたまま、海辺の寂しい線路を、北越号は警笛を鳴らしながら通り過ぎて行った。

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