序章 煉瓦亭にて
では、再会を祝しまして――。
スイさんこと、山倉慧の音頭でグラスを上げると、暖房の効いた九畳敷きの個室に、夏の風鈴のような音が四つ響く。喉をならしながらウーロン茶を飲み干すと、僕は手の甲で口元を拭ってから、ひげがついたにんにくの天ぷらへ箸をつけた。揚げたてのところを舌の上で転がしながら熱がっていると、ちょうど隣で卵焼きをつまんでいたランコが、フリルのついた袖をゆらしながら、こちらの皿をじっと見つめているのに気付いた。
「ちょっと、もらっていい?」
「いいけどランさん、口が匂うぜ」
「じゃあやめとこ。あ、メニューもらえる?」
赤革の表紙に、金箔で「越後長岡 煉瓦亭」と押されたメニューを渡すと、ランコこと嵐山香織は、どれにしよっかな、と独り言を言いながらページをめくりだした。黒いゴスロリ服にウェーブをかけた黒髪で、ちょっと見るとフランス人形みたいな恰好をしているランコが居酒屋のメニューをめくっているのは、ちょっと滑稽な気もする。
「先輩、それにしても薄情ッスね。どうして花火の時に戻ってこなかったんですか」
酒が入っているわけでもないだろうに、フカダが手に焼き鳥のくしを持ったまま、酔っぱらいのような声音でこちらへ声をかけてくる。
「しょうがないだろ。大学の行事で忙しかったんだから……。今度はちゃんと戻ってくるから、水道公園の丘でのんびり、枝豆でも食べながら見ようぜ」
それを聞くと、フカダは顔いっぱいに笑みを浮かべて、しかと受け取りましたよ、センパイ、と、仰々しく言って見せた。
「――人気者だねえ、田沢ちゃんは」
しょっぱなからジョニ黒の水割りを飲んでいるスイさんが、ひとくちトンカツを爪楊枝で刺しながら、顔をうっすら赤らめて話しかけてくる。
「もう酔ったのかい、スイさん。まだ一杯目じゃないか」
「大丈夫だよ。これ、顔だけなんだ。まだまだシラフだよ……」
そういうと、スイさんはランコからメニューを受け取って、なんか定食でも頼まない? と、みんなへ提案を持ち掛けた。
「うーん、どれにしようかな……」
「じゃ、思い切ってみんな、洋風カツ丼を取りませんか。ここの名物なんだし、食べない手はないでしょう」
カツカレーのような見た目で、カレーの代わりにデミグラスソースをかけた洋風カツ丼のことを考えると、みんなは他に食べたいものが浮かばなくなってしまったのか、ちょっと黙ってから、じゃ、それで……と人差し指を立ててみせた。
呼び鈴で店員を呼んで、四人分の洋風カツ丼を注文すると、上のほうから陽気な笑い声が響いてきた。三階か四階の宴会場で、大規模な宴会でもやっているらしい。入った時に見かけた一階の座敷が割と空いていたのとは対照的だった。
「それにしても、みんな変わらないわねえ」
卵焼きを食べ終えて、絹のハンカチで口元を拭っていたランコが妙なことを言いだしたので思わず眉をぐいと動かすと、彼女はだって、と付け加えて、
「だってほら、あれから一年経ってるのよ。ちょっとぐらい、変化があってもよさそうだけど……みんな、そのまんまね」
確かにその通りだな、と思った。ランコがちょっとだけかわいくなったような気のする他は、スイさんもフカダも、おそらくは僕自身も一年前と全然変わっていないのだろう。
――帰ってきたんだな、長岡に。
京都から戻ってきた時に体を伝った感覚と同じものがこみあげて、なんとも懐かしい気分になる。ちょうど一年前、ここにいるのと同じメンバーと一緒に……。
――そういや、あいつもいたのか。
そこで改めて、ここにはいない津田のことが思い出されてくる。
――あれからもうそんなに経つのかあ。
頭の裏側へ、一年近く前の、高校時代の思い出が浮かんできた。